「航空朝日」二六〇五年二月号イッキ読み!
−大東亜戦争末期の航空雑誌に何を見たか?−


旧式兵器勉強家 BUN
bun@platon.co.jp




 連日、酒浸りの自堕落な甘い日々を私同様お楽しみの皆さん、今晩は久々に酒とクスリを断ち、読書に勤しむと致しましょう。
 今回取り上げた「航空朝日」は戦前戦中の日本の代表的航空雑誌ですが、その中でも二六〇五年、すなわち昭和二十年の二月号を端から端まで読んでみたいと思います。既に神風特攻隊は出撃を繰り返し、硫黄島から沖縄へと米軍の進攻が予想され、空母機動部隊が事実上解散したこの時期に、日本の航空雑誌は何を取り上げ、何を読者に伝えていたのでしょう。神州日本の不滅を信じて一億総特攻を声高らかに宣伝していたのでしょうか?本土決戦体制に如何に国民は協力すべきかを説いていたのでしょうか?それとも、極端な情報統制の下、伝えるべき内容も無くスカスカの初心者向け教育雑誌に成り下がっていたのでしょうか?
 それもこれも、ただ一部を意識的に引用した物を読んだり、人から伝え聞くばかりではなく、とにかく全部読んでみなければわかりません。


表紙は地味だった


航空朝日表紙

 茶色い藁半紙を厚くしたような低質の紙にタイトルと目次が刷り込まれています。それでも表紙には線画で「帆をかけて航行する気球」のメルヘンチックな絵が素朴なタッチで描かれており、「昭和十六年四月十日第三種郵便物認可 昭和二十年一月二十五日印刷製本」とあります。目次には、

高々度飛行
航空機武装の評価
将来の国際航空運輸
最近の海外航空事情
ヒルソン単複兼用機
続陸海軍最新鋭機集(陸軍観測機・陸軍回転翼機・海軍新鋭機グラビア)

と各記事のタイトルが並びます。さて、本屋でこの雑誌を見つけた諸兄は手に取るでしょうか?

広告1

 表紙をめくると広告です。セメダインの広告が目を惹きます。模型飛行機用とのことですが、セメダインで模型飛行機を作る少年がまだいた、ということなのでしょうか。
 次は目玉のグラビアページですが、「海軍新鋭陸上攻撃機 銀河」と題されて銀河の正面からの写真が大きく掲載されています。次のページには彗星が「海軍最新鋭艦上攻撃機 彗星」としてページ一杯に銀河以上の明瞭な写真で掲載されています。これらの写真は現在の出版物でも見られるものですが、次のページは迫力があります。

B29撃墜

 「わが荒鷲の好餌 B29撃墜の瞬間!」として望遠レンズで撮影された墜落するB29の姿があります。そうですね、この頃には東京も空襲下にあったのです。
 次に「陸軍観測機」と題して、三式指揮連絡機が見開きで三枚の写真を使って紹介されています。更にページを進めると、「海軍新鋭機七種」(戦闘機「零戦」、一式陸上攻撃機、艦上攻撃機「彗星」、艦上攻撃機「天山」、陸上攻撃機「銀河」、双発戦闘機「月光」、新大艇)が紹介されていますが、前ページの三式式連絡機や、二式大艇の制式名称が省略されているのは何故なのでしょうか。

バイモノ

 それから「海外写真ニュース」としてヒルソン単複兼葉機(目次では単複「兼用」と書かれていた単複「兼葉」には「バイモノ」とルビがある)が、複葉機の上翼を空中で離脱させる様子が連続写真で紹介されています。写真の間に「日本の爆弾、保険でつくれ!」との日本生命の広告が入っていますが、保険会社の広告が調子いいのは戦時に限ったことでもなく、いつもの趣味の悪さと御都合主義が窺えます。


意外に硬い本文


 さて、本文です。航空研究所技師 小林善通「高々度飛行」です。これはかなり本格的な記事で、酸素吸入、与圧気密室等が数式やグラフを駆使して解説されています。文頭に「「高度一万米とはずっと遠い世界のように思われていた。ところがB29がやって来るようになって、それが一万米以上を飛んでいると聞いて、突然、これが身近の問題であると感じられるようになった。」とあり、時局を感じさせます。記事中の写真は「アメリカの亜成層圏飛行実験機ロッキードXC35型」と解説されています。
 硬い記事なので読んでもあんまり訳がわかりませんでしたが、次の記事は油が乗っています。
 ピーター・G・メイスフィールド「航空機武装の評価」です。この記事は英国の「エアロプレーン」誌からの翻訳記事ですが、この内容が面白い。
 編集部の解説として本文の前に「砲口馬力という新しい武装評価の基準から近来の各国軍用機の武装について比較評価を試みている。例によってドイツ軍飛行機の武装を自国のそれより劣るとして述べているのは目障りであるが、その点だけ注意して読んでいただけば多数の表あり写真ありでまた一つの興味をつなぐに足るであろうと思う。」との一文が付けられています。政治上の配慮はあるものの、面白いから読んでみろ、との心でしょうか。
 内容は機関銃の評価は単純に口径だけで決まるのではなく、

  1. 砲口速度、発射率及び弾丸の大きさを総合した量
  2. 個々の弾丸の打撃力
 を考慮しなければならないとし、1. の総合量を砲口馬力と呼ぶとあります。要は最近も出版されている「何とか対何とか」といった年少者向けの戦闘機解説本と同じようなことをやや本格的にやっているのですが、ここでは戦闘機のカテゴリーを「旋回戦闘機」(対戦闘機用)と「駆逐機(対爆撃機用)に分けて論じており、それぞれの理想的武装には違いがあると述べています。
 面白いのは旋回戦闘機用の機銃として最も優れているのは、同調装置無しで使用されるMG151/20であるとしている所で、イスパノ機銃と比較して「両者の差は殆ど無いが」「銃の価値が決定的な旋回戦闘機に対しては結局のところモーゼルに軍配が上がる」と述べていることと、イスパノ20mm四門とブローニングM2 12.7mm六門の比較を行い、一挺当たりの重量が軽く、発射速度も大きいブローニングM2六門は大口径で打撃力の大きいイスパノ20mm四門に劣る、としている所です。小口径多銃主義と大口径主義との論争とも見えますが、この記事は大口径工発射速度機銃の優位を説いたものですので、元々小口径多銃主義というものは明確な形では存在しなかったのではないかとの思いを抱きます。
 「英国も旋回戦闘機に駆逐機かぁ」との感慨はさておき、この記事は各戦闘機の武装の評価が主題なのですから、データが豊富です。読んで内容を掻い摘んで説明するより、データそのものを転載することにしましょう。

 第一表は航空機火砲のデータです。1918年のビッカース機銃からMG151/20までの機銃の諸元が表になっています。これだけのデータは現代日本の戦闘機ファンの間でさえ、常識ではありません。大したものですね。読んでみてください。
 第二表は航空機の武装の「砲口馬力」から見た発展をまとめたものです。ソッピース・「カメル」からP-51、タイフーン、ボーファイターに至るまでの各時代の戦闘機を並べています。データに不正確な部分もありますが、何分、当時最新の情報ですので御容赦願います。
 第三表は、今度は防御側の爆撃機の武装についてまとめられています。戦闘機とはデータの取り方が違いますが、これはあんまり面白くないので省略です。
 この記事は、結論としては戦闘機用としては20mm四門、12.7mm二門の武装が理想的であり、駆逐機には20mm六門が望ましく、爆撃機の防御機銃としては、12.7mmが優秀であるとしています。20mm四門と13mm二門の武装と言えば、紫電改の三一型以降がこれに当たりますが、結構いい線だった、ということでしょうか、紫電改は?

 次はグラビアでも紹介されていたヒルソン・バイモノの解説記事です。これも英「エアロプレーン」誌の翻訳記事です。時期が時期ですので文中にJu88等、軍用機の名がしばしば登場するものの、もともと実験的な機体のことなので、内容はこのような形式の飛行機の将来性について語ったもので、随分とノンビリした調子です。結局、「切り捨て翼の方式に将来性があるかどうかは、はっきり言えないと思う。」と述べています。英国人がそう言っているのですから、多分そうなのでしょう。


その後の記事も長閑な雰囲気


 さて、大して厚くはない航空朝日二六〇五年二月号ですが、ここでようやく、25ページです。次の記事は「明日の輸送機論」これも「インタラヴイア」誌よりの翻訳記事です。内容は、大型爆撃機が出来たのだからこれからはそれらの技術や機体を利用した大型輸送機の時代が来るので、それを技術的、経済的に考察してみよう、という内容です。執筆者の中にはアメリカ民間航空局次長エドワード・ワーナーといった名もあり、この雑誌は戦時下でありながら実に敵国の記事の翻訳に熱心です。ドイツからの記事が無いのは不思議ですが、よくよく考えてみれば、友邦ドイツは既にアルデンヌからライン川へと退却中で、それどころではなかったのかもしれません。
 続いて「ソ連側から観察した将来の国際航空運輸」という「航空朝日」オリジナルの記事です。内容的には前の記事を受けて、第二次大戦が大型爆撃機の発達を促し、その転用として、大型輸送機が発達する趨勢にある本大戦後の国際航空運輸についての展望記事です。国際間の航空輸送事業には戦後の国際政治の力学が大きく影を落すだろうとの観測をしており、同盟国である米英間にさえ、航空政策に対しての考え方の相違から、対立の萌芽が既に見えると言い、ソ連がシカゴで開催された国際民間航空会議への列席を拒絶したのもその対立の始まりであると述べています。とは言うものの日本がその会議に出席したのか、と聞きたくなりますが、この記事の勘所はそこではありません。
 ここで述べられている問題が「戦争終結後」の事である点に注目しましょう。この記事が予測するような国際長距離輸送網が発達する世界とは、昭和二十年二月の日本にとって、どのような世界だと考えられていたのでしょうか。既に本土決戦の戦備が整えられ始め、一億玉砕の声も上がる中で予測する「戦後の国際航空」とはどういったものだったのでしょう。記事をよく読むと、ドイツの敗戦は予測されていたようですが、肝心の日本はどうなると考えられていたのか、大変興味のあるところです。

空港2空港1

 そして、更にこの記事を受けて「明日の空港への一構想」という記事が掲載されています。これも、戦後の民間航空の発達に向けて、将来の空港設備はこのようなものになる、といった予測記事ですが、時代が時代だけあって貨物中心ではあるものの、どこか現代の空港に近いイメージのあるイラストが載せられています。

 次は広告が2ページ入ります。B29の三面図が販売されているのが面白く、模型飛行機用のエンジンや何に使うのか「煙風洞」等の広告も見られます

広告2

 スケールモデルの広告もあり、「帝国海軍一等巡洋艦セット」「帝国海軍駆逐艦セット」「航空母艦サラトガセット」「陸軍中戦車セット」「陸軍重戦車セット」「初級セーリングヨット」等のラインナップが見られます。「サラトガ」があるんですね。

 そして最後の記事として「最近の海外航空事情」というコーナーが当時の航空界の最新ニュースを伝えています。「ドイツ」ではフォッケウルフ・モスキート双発戦闘機、ハインケルHe277等の存在が伝えられ、「新鋭噴流推進機、西部戦線に活躍」とアルデンヌ戦線でのMe262の活躍が報じられています。「アメリカ」ではDC7の計画が進められていることが取り上げられ、「イギリス」ではあの「ブラバソン」が取り上げられています。「その他」ではKLMの戦後復興計画が伝えられ、何だか戦争がもうすぐ終わるような雰囲気を感じさせるコーナーです。昭和二十年の狂気の日本からさえ「戦後」は見えていたということなのでしょうか。
 裏表紙に広告が二面載り、わずか52ページの「航空朝日二六〇五年二月号」はおしまいです。こうして見てみると、本文42ページ中、純粋な軍事記事はあの中々面白かった英国「エアプレーン」誌の機関銃記事の5ページ以外に無く、残り37ページは技術的な解説記事と日本では既に断末魔の状況にあった民間航空についての展望記事で埋められています。今の「航空ファン」などの方が余程、軍事色が強いのに驚きますね。しかし、かくも「平和」な「航空朝日」も終戦と共に航空雑誌としての生命が尽き、廃刊を向かえることになるのですから皮肉なものでした。



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