撃墜王と過ごした晩に


撃墜王と飲む会 BUN
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 お久し振りです。肝臓が止まると思考も止まる旧式兵器勉強家のBUNです。私はもう駄目ですが、皆様も健康には十分に注意して残り少ない人生を多少なりともマトモに過ごすよう心掛けましょう。さて、先日、さる場所でさる方とお会いする機会を得て、色々とお話を聞くことができました。本来ならばちゃんとした報告としてまとめなければならない貴重な経験でしたが、それなりに事情があり、今回はその一部のみを軽くご紹介いたします。月日を経てから発表する事もあるかと思いますが、人物名、所属部隊等は今回、明確には致しません。今回の記事も調査研究ということよりも「そんな話もある」と思って読んで頂きたく思います。では始めましょう。



質問 当時の空中勤務者はどんな人材だったか?

「50人に一人程度の健康で運動能力に優れた人材だった。技量に劣ると評される場合も、才能に劣る訳ではなく、単に経験が不足しているだけで、時間さえあれば難度の高い技もこなせる人間が揃っていた。」

註 一般に言う、技量が優秀、或は劣る、との表現は誤解を招くということで、パイロットになった人々は肉体的にも精神的にも選ばれた人材であり、普通の人間の常識を超えた部分を持っているという明確な自負が感じられる発言でした。



質問 戦闘時、風防天蓋を閉めていたか、開けていたか?

「敵地に着くまでは閉めていた。閉めると約5km速かった。戦闘時に開ける理由は視界の確保。自分はB-29邀撃時にも開けていた。風の巻き込みは開けた一瞬あるが、後は感じない。しかし満州の冬期には開けていられなかった。」

註 風防天蓋を開けて空戦するという話は以前から聞いてはいましたが、B-29邀撃戦でも風防天蓋を開けていたとは意外なことでした。



質問 機動性の良い戦闘機とは?

「戦闘機は旋回時に速度を落とさずに回れることが大事。急横転は戦闘で活用しないので関係ない。横転一般もあまり関係ない。戦闘機は速度を加減できないと駄目。」
「戦闘フラップは良く使った。一式戦でも二式戦でも使った。戦闘フラップ使用後は速度が落ちるのが欠点だが私は使った。」
「速度が一番大切。速度は高度に変えられる。」

註 この時面白かったのは緩横転、急横転ともにあまり空戦では活用しなかったという点でした。急横転などは単なる曲技飛行であって、旋回性能、即ち小さく回れることが重要で、その時にあまり速度を落とさずに回れれば良いとのことでした。



質問 射撃距離はどの位か?

「友軍機の掩護などでは当らなくても600mでも撃った。」
「照準は300mでの一点調整。私は100mから30mで撃った。弾が当るのが見える距離だった。」

註 やはり、かなり近接して射撃しているようです。200mや300mから弾をばら撒くような射撃を日本陸軍はしなかったということでしょうか。あるいは名人芸なのかもしれません。



質問 眼鏡式照準器と光像式照準器の違いは?

「眼鏡式は両目を開けて照準する。両者に特別な違いがあるとは思わない。慣れの要素が大きいが、光像式照準器より眼鏡式のほうが正確な印象があった。」
「照準器のランプ切れは経験したことがない。」
「色つきのフィルターを操作した記憶は無い。」

註 両目を開けて照準眼鏡を覗いたということ、眼鏡式の照準器の使い勝手は悪くなかったとのことでした。



質問 飛行眼鏡は使ったか?

「飛行眼鏡は使わなかった。」
「慣習的に装備していたもののような気がする。私は雲の反射が眩しいので薄い色眼鏡をかけて飛んでいた。」



質問 無線は聞こえたか?

「隣の機と話すことはできた。」
「電話は話すだけでよかったが電信は難しい。」
「隊長機に特別な無線装備があったという話は聞かない。」

註 無線電話は一応通じたとのことですね。隼には隊長機の装備として無線装備を強化した機体があることになっていますが、そうした機体には出会わなかったようです。一式戦の時代から電話は通じたらしいので、無闇に「日本機の無線は通じなかった」と即断してはいけませんね。



質問 防弾装備はどうだったか?

「防弾タンクは効果があった。」
「一式戦も防弾タンクを積んでいた。」
「燃料タンクは満載だと発火しないが、空になってくると防弾タンクでないと発火した。」
「防弾鋼鈑は重いので自分で外した。特に一式戦は防弾鋼鈑があると不時着転倒時に座席の背もたれを倒せず、脱出できないような気がして外した。中隊全機が外した。」
「防弾鋼鈑をはずしたことによる飛行性能の向上はわからない。」

註 装甲を外した理由はどうも「見た目で重そうだったから」ということの様です。当時の常識から見て装甲はあまりにも重過ぎる、との印象があったのだと思います。



質問 増槽について

「燃料は邀撃戦でも満タンで飛んだ。」
「増槽は必ず装備した。その理由は、友軍は必ず数的に劣勢の為、攻撃できるチャンスをうかがい、敵の帰り際を襲うので、その駆け引きの為にも燃料は満載する必要があった。」

註 邀撃なので燃料を減らして上がる、ということは無かったとのこと。増槽をつけたままで空中戦に臨むこともあったようです。増槽を落とすのは最後の最後といったお話でした。ノモンハンの頃とは空戦の様相が変っていた事もまた一因だったのでしょう。



質問 空戦一般について

「敵200機以上、味方100機以上、といった多くの機体が視界内にあるような大戦闘はノモンハン以降、無かった。」
「大東亜戦争の空中戦はおしなべて小規模の空中戦だった。」
「互いに墜ちるまで闘う武士のような空戦はその後は無かった。」
「お互いにスキを窺うような戦いが多かった。」

註 空中戦の様相が、ノモンハン、支那事変後期、大東亜戦争と時を経るに従い大きく変化して行く様子なのでしょうが、ノモンハンの空中戦が際立って密度の高い異様な戦闘だったような印象を受けました。「ノモンハンの損害が後々の人材育成に響いた」との言葉もありました。



質問 乗機は決まっていたか?

「乗る機体は個人の専用機だった。座席や、フットバー等、調整が異なっていた。」



質問 落下傘について

「座席に敷く落下傘は若手に責任を持たせて二ヶ月に一回程度、干してたたみ直した。」
「降下訓練はしなかった。」
「落下傘は絹の布をたたんだ物なので、座り心地は良かった。」



質問 燃料について

「87オクタンの時期もあったが、終戦まで92オクタンを使用していた。」
「燃料は豊かだった。」

註 一式戦以降、92オクタンが指定燃料になっていますが、この部隊ではパレンバンの第一製油所からの供給を受けているようで、燃料の質がかなり良かったことが想像できます。ひょっとすると指定オクタン価よりも高品質の燃料を使用していたような気配もあります。




各戦闘機の比較


 さて、これからがお楽しみの各戦闘機の優劣について触れた部分です。非常に正論を明快に述べる方で、
「空戦は飛行機よりも状況で決まる。性能よりも高位につくことが大切。」
「操縦時間の長い者でなければ飛行機の比較などはできない。」
とのお話でしたが、細かく聞いてみるとなかなか興味深いものがありました。敵機について、自軍の戦闘機についてどのような評価が出てくるか、実に楽しい所ですね。



九七戦について

「登場した時代から言えば文句無く一番強い戦闘機だった。」



一式戦と二式戦

「一式戦は軽戦、二式戦は重戦、戦い方が全く違う。」
「一式戦は旋回戦闘に持ち込んで闘う飛行機。二式戦は高速で一撃かけたらそのまま離脱する戦法をとる飛行機。」
「二式戦で一式戦の戦い方をすると墜とされる。」
「二式が一撃かける間に一式戦は後につける。」
「二式戦は爆撃機邀撃専用戦闘機ではない。戦闘機とも積極的にやる。」
「二式戦は横転が速い。」
「二式戦でも戦闘フラップを良く使った。」
「二式戦の視界は良かった。」
「二式戦の40mm装備機は威力があって良かった。」
「40mmはB-29にくっつけるようにして撃った。」
「40mmの1、2発でB-29は墜ちた。」
「片銃7発も装弾することはできなかった。連続発射に主翼がもたない。」
「初速の遅い40mm砲弾は大袈裟に言えば、噴煙が見えた。」
「みんな二式戦を嫌いましたよ。操縦に危険性があった。私は好きでした。」
「二式は上手に使えば良かったんです。」

註 二式戦の評価が高いのが印象的です。ベテランパイロットにとっては旋回性能が劣る機体であっても、それを高速でカバーすることができたということなのでしょう。一式戦と二式戦での戦闘は全く考え方の異なるもので、二式戦には二式戦の戦い方があり、そしてそれが実践されていたことが興味深く聞こえました。ノモンハンのエースにとって「二式戦は旋回性能に劣るからいけない」という評価は無かったようです。「好き」だったのはやはり高速だったことによるようです。「速度は高度に換えられる」ので有利に闘えるという正論なのかもしれません。



四式戦

「四式戦は重戦闘機。」
「急上昇できた。」
「四式戦で出撃したことはあるが空戦したことはない。」
「しかしこいつは軽戦のやり方も出来たんです。」
「武装はそんなに強力だったか覚えていない。20mmではなかったような気がする。」

註 この「こいつは軽戦のやり方もできるんだ」との発言が面白い所です。四式戦の特徴をよく表しているのではないでしょうか。五式戦については搭乗した経験が無いとのことでしたが「あれはいいらいしい」との感触を持っていらっしゃるようでした。四式戦のホ五の装備は本当に無かったのか、或は忘れてしまったのかは判定できません。聞いたままを記すのみです。



敵機について

「P-38は武装もいい、速度もいい。」
「しかし一式戦で決して負けない。」
「上から撃ってきても避けてから後ろに着くことができる。一式戦では絶対に負けない。」
「P-38は旋回性能が悪いので怖くなかった。」
「P-40とP-51は同じような性能だった気がする。」

註 誰です?一撃離脱を狙って降下して来る米高速戦闘機を「ヒラリとかわす」なんて不可能だって言ったのは。やれるし、出来た、との確信に満ちた発言がここにあります。模型を使って説明する様子はちょうどあの昔の「戦場まんがシリーズ」の「メコンの落日」にあるP-51撃墜シーンそのままでした。



多銃装備と大口径機銃の比較、どちらが良いか?

「武装は強力であるに越した事はない。」
「口径の小さい銃が沢山あるより、威力のある砲があった方が良いに決まっている。」

註 最近よく言われる多銃主義と大口径主義の評価を質問してみたのですが、やはり常識的な回答が返って来ました。口径の小さい銃をあえて搭載することに意義は見出せないとのニュアンスでした。当たり前の話ですが、大口径銃が沢山あれば良いということでしょう。



一番強い戦闘機は?

「一式戦の三型が一番強い。」
「四式戦と一式戦三型は馬力に余裕があり、急上昇できた。」
「三型は重戦的な飛行機。」
「機動性は初期に比べれば劣ったかもしれないが、それ位は経験でカバーできる。あなた方も車の運転で経験しているでしょう?(実はかなり車好きの方です。)」
「一式戦はエンジンに無理が効いた。乱暴に扱えた。」
「敵機を追い込んで行けば格闘戦に持ち込むことができる。」
「三型はいいですよ。」

註 水メタノール噴射を採用して1300馬力弱の出力を発揮したという一式戦三型の評価は一部の戦記にある通り、なかなかのものだったようです。そして長い経験を積み、射撃技量に自信があった故なのかもしれませんが、一式戦の弱点とされる武装の貧弱さは気にならなかったと言います。荒っぽく扱える信頼性の高いエンジンも戦闘機としての要求に叶うものだったのでしょう。昭和二十年にP-51と対戦した零戦五二丙型と六二型が見事勝利を収めた記録がありますが、隼もまた最後まで戦闘力を維持した機体だったのでしょう。大戦中の戦闘機というものを考える際、何が大切であったかを示しているような気がします。



P-51と単機で闘うとしたら機体は何を選ぶか?

「四式戦よりも一式戦三型を選びます。負けない。

註 ・・・・私は何も言う事がありません。




最後に


 こんな話が日本の何処かで聞けたと思ってください。「戦闘は状況が第一で飛行機の性能は二義的なもの。」と抑えて語りながら、陸軍戦闘機の中では異色の存在だった二式戦を使いこなし、一式戦三型が四式戦よりも強いと判断するエースパイロットの境地がどのようなものなのか、どんな事実を反映しているのか、私にはとても全てを理解できませんが、それはそれ、一夜の夢のようなお話ということでどうかお忘れください。ではまた。



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