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西端遊戯2011/09/14 [22時57分45秒]
 えー、サイバー教皇領であって、ジェーヨークとは違う様な(違)。


文化誤解亭主2011/09/14 [01時35分02秒]
それはですね。
私にウエストエンドというと、接尾辞が「ゲームズ」になってしまうの。


たまには2011/09/13 [17時27分34秒]
掃除しましょうよぉ>酉素場(なんか違う)

>ニューヨーカー
 この場合、倫敦子ですよー(泣)。
 西端は倫敦、幅広通りは紐育ですよぉ。

>かしこい従者
 同意。私は、映画でもミュージカルでもフィスビィ大尉よりも、巻き込まれて野生化したマクリーン大尉が好きですよぉ。
彼の巻き込まれ人生が舞台だと物凄いインパクト。光沢輝くブロード(16mmだと少しハレーションを起こしていた)のドレスシャツで最初は登場するのですが、最後は何処のオキナンチュと言うかベトコン?的なつや消しの麻っぽい単衣に菅笠で登場というあざとさ。
これぞ、米軍パロとしか。
彼の「化学薬品でミミズを殺すのは、人を殺すのと同じです!」と言うセリフが、その後の枯葉剤作戦と被ってしまって涙々ですぅ。

>撃墜王っぽくないロイド・グルーバー
 朝鮮戦争の映画でのパイロットとしては、まだ良い人じゃないですかねぇ。
 何せ追撃機のロバート・ミッチャムなんて、隊長でありながら部下の女房は寝取るわ、部下(アル中だけど)に追求されると、上司である事を嵩にきて殴り飛ばすわ、と今だったら完璧に外道上司として、アメリカ映画評論界を賑あわせたであろう凄いキャラですし。


放置カンタニャック2011/09/13 [09時50分34秒]
ああ、完全に自分の部屋を忘れていたあああああああ。

>bugaishaさん
情報提供ありがとうございます。
>伸さん
ニューヨーカーはこの点いいよなあ。
で、ぐだぐだいいながらも、あの話って、結局の所フィガロの結婚につながる「かしこい従者」ものコメディと理解するのが正しいような気も。


と言う訳で2011/09/11 [22時21分03秒]
The Teahouse of the August Moonのお相手は私でしたぁ。
16mmはウェストエンドの友人に見せて貰ったんだよね。


空調が2011/07/19 [10時00分39秒]
昨年、故障して騙し騙し運転してきた自分の部屋の空調を今月頭に新調。
しかし、5月の連休直後に発注して来たのが7月頭…震災の影響で製造が滞っているとかいないとかの理由で。
でも、省エネの所為で、スプリント&ドラフトな部屋を急冷(30分運転)して停止(1時間半は我慢)としているので、1時間半後辺りだと頭が煮えてます。

しかし、レーダー開発。関係資料を読み返せば読み返す程、アメリカが特異だと気付かされる。


小山氏の本bugaisha2011/07/09 [18時52分44秒]
図説世界軍事技術史の研究(だっけ?)の元の本(年表付の古い方)だと思うのですが表通りのほうにでてました。他にも図説と2冊ほど別のが。(私が昔買って前書きだけで挫折した思想史は無かった;ライターになった人に貸してそのままだな。某騎兵大尉(あ、昇進しいてるかも)や別のライター兼編集者(?)氏ならスラスラ読めるのだろうか?)
図説は入手済だそうですので必要性は薄いかもしれませんが。


後は2010/12/08 [21時31分29秒]
 碑文を書いた人は、商船学校の教員であり明治時代の知識人階級の人でもある訳で、洒落っ気で“一等士官”に二重の意味を持たせたかもしれませんね。
商船でFirst officerになって直ぐに召集。インド海軍ではFirst lieutenantだったとか。
当時の知識人は、そう言う洒落っ気ある言葉使いをしますしね。


少なくとも2010/12/08 [21時26分11秒]
 ラムジー氏が最初から海軍に入っていた事は無いでしょう。それなら碑文も帆船乗り組みでなく、海軍に入ってとか書くでしょう。
時系列だとFirst lieutenantの線が濃厚なのですが、素直の元となった英文を考えると、first mateより古い文章で良く見るFirst officerだったのではないかなぁとも思えます。
何せ日本の商船乗りにまで「オフィサー」の言葉は残った位ですからねぇ。


三菱サイトカンタニャック2010/12/07 [12時00分56秒]
ちょっと調べればわかる筈の生年を除くと、三菱のサイトは「By  1859」以外は、ラムゼ碑の記述を、間違いといわれないようにうまく英訳したと解釈する余地もありますね。
 日本郵船の社史を当たるべきなのかなあ。


う〜ん2010/12/07 [09時08分10秒]
 本日は半休なので、夕方出。

>first lieutenant
 この頃の英海軍だと、日本で言う海尉の時代かなぁ。丁度、19世紀半ばは今の呼称になっていく端境期なのですよねぇ。
 first lieutenantつまり一等海尉だとすると、碑文の艦長の下りが如何考えるのか。
ラムジー氏は日本風に言うと、商船出の予備士官。しかも召集されたのは1859年で1839年生まれのラムジー氏は二十歳位。
うーん、一等海尉になるかなぁ。小さい艦に配属されたならなれるかもしれないかなぁ。
カンタ先生は知っているかもしれませんが、Lieutenantは位置づけは艦によって変わるモノです。フリゲートに乗っていたfirst Lieutenantが、上の戦列艦に乗ったら二等以下になったなんてのはザラにあった話ですしね。
二十歳で一等海尉となると、それなりに小さい艦になりますよねぇ。
しかも、碑文通り艦長となると日本風に言う海尉艦長Commanderな訳ですし。
で、気になるのが三菱のHPの一節。 By 1859, he was commanding a British naval vessel in the Indian Ocean. Ramsay served with distinction in naval operations in India and China.
多分、三菱の方が彼を雇ったので詳細な経歴は持っていると思うので、碑文よりは確かだと思います。
此処でcommandingと態々書いているのが引っ掛かるのですよね。
これって、海尉艦長Commanderから来ているのではないか、とね。
ただ、小さい艦ならSecondでも為れるのですが、中国まで行ったとなるとfirstの可能性もあり得ますね。
 三菱のHPと碑文を相互に見比べて、時系列に並べると、
1839年 生まれ
1856年 見習い航海士
1959年 インド海軍に召集
1860年 一等士官
 あー、やっぱり一等海尉First Lieutenantで、且つ海尉艦長Commander臭いなぁ。
当時は、アヘン戦争があった後で、英は急速に中国や東アジアの利権獲得に手を伸ばしていた時代であり、海軍としてはアジア方面の士官とかが足りない時代ではあるのですよね。
当時の商船学校を出ていれば、操艦以外にも砲術や戦術は学びますからねぇ。
それを考えると一等海尉First Lieutenantで、且つ海尉艦長Commanderはアリですね。
アンスクには、私から追記しときましょう。


無題カンタニャック2010/12/06 [14時37分39秒]
>hushさん
ありがとうございます。

>伸さん
表にも書いたんだけど、「一等士官」どう思いますか? 全体の流れから見ると商船っぽいけれど、first mate ではなくfirst lieutenantと解しても意味通じちゃうんじゃないかと。ちょっと無理な読み方かなあ。


漢文は2010/12/05 [23時00分04秒]
>漢文
 読み下し文はOKでないかと。尤も私がやっていたのは室町から江戸初期辺りまでの古文書が専門なので、江戸末期から明治にかけての和製漢文は、ちと不安もあるのですが(笑)。

>インド海軍
 ボンベイ海軍かなぁ、とも思ったのですが、ラムジー氏が居た頃はインド海軍ですねぃ。
1830年に今までのボンベイ海軍が女王陛下のインド海軍になり、1863年にボンベイ海軍に戻って、又1877年に女王陛下のインド海軍に戻るという19世紀後半は名前については激動の時代なのですよね。

>海員試験
 多分、ラムジー氏が管船局に雇われる時に関係している書類だと思うのだけど、別紙がねー(魂の叫び)。
アジ歴A07061220100
 時期も明治15年なので、三菱商船学校が東京商船学校に移行した年であり、バッチシなのですがねぇ。

>蛇足
 明治16年と明治19年の東京商船学校の年報が閲覧可能ですね。
ラムジー氏が教えていた頃と変わらないカリキュラムだと思います。と言うか、英国式商船学校のカリキュラムそのまんまやん(笑)。
近代デジタルライブラリーで“東京商船学校年報”で検索するとヒットします。
当時のカリキュラムは明治19年度版(第二冊)に載っています。
明治18年改訂になっていますが、それ程は変わっていないと思いますよ。


いやいやhush2010/12/05 [20時39分47秒]
 興味深く拝見しております。
 なお、SAGAINGは解決したようです。
 


あげてから思い当たるカンタニャック2010/12/05 [19時33分21秒]
 為司驗官試海員は、「司験官となし海員を試す」の方がいいか。
 当時の海員試験は、海員試験と機関手試験(要はMaster and mateの試験とEngineerの試験 アジ歴C09090981900)に分かれてるようだから。


ありがとうございます。カンタニャック2010/12/05 [19時05分02秒]
問題は、表にあげて、私と伸さん以外の誰が読むかだなあ。

 あと付随情報として、死亡時の官舎は駿河台鈴木町(お茶の水と水道橋の間の高台一帯)にあったようです。

 英語だけでなく漢文もだめだけど、一応訳してみました。おかしな点があったら(あるだろうと思う)教えてくだささい。
 しかし、「本社」って表現はどうも引っかかるなあ。あくまでも、三菱海員学校の弟子としての立場で書いているのはわかるのだが。

商船長
G.E.O.ラムゼイの思い出に
この石は彼のまことのすばらしさに対する
尊敬と賞賛のしるしとして
生徒達によって建立された。

ジョージ・エドワード・オークス・ラムゼイ君碑
ラムゼイ君既に没し之二年。弟子相計って曰く。君、外人を以て我が国に功徳有るを世の人皆これを知るや。しからば朽ちざるを欲し、文字に則せざれば不可なるによって、碑を建て属文を成成しこれを据え、経緯の状を述べんと欲す。君、諱(いみな)はジョージ・エドワード・オークス、姓はラムゼイ、英国人なり。つとに航海学を修め、はじめ十七歳にして帆船修業生となり、四年の後選ばれ一等士官(航海長)となる。ついでインド海軍(おそらくHer Majesty’s Indian Navy)艦長となり、英国が清を伐つ(太平天国の乱か)や、あずかって功あり。後にインド沿海商船長、又彼阿会社(P&O  ペニンシュラ&オリエンタル汽船航海会社)汽船船長となる。我が明治八年、三菱会社汽船隅田丸をイギリスにて購い、君、船中士官となり初めて我が国に来たるを、是に応じ本社(三菱会社)は汽船船長に招聘す。九年本社は商船学校(三菱商船学校 後の東京商船学校、東京高等商船学校、東京商船大学、東京海洋大学)を創立し、君を以て教師と為す。もっぱら運用學規を授け教条を画くし、弟子を陶冶し皆順序有り。十四年本校改革(国の管理下に入り東京商船学校となる)により君は本社汽船船長に復する。十六年管船局(農商務省管船局、現在の国土交通省海事局や海難審判所などの業務を担当)、君を招聘し司験管試海員とす。君はなはだ謹みて奉職す。十八年三月二十七日東京駿河台官舎にて病没す。同国人これを横浜墓域(横浜外人墓地)に葬る。享年四十七。政府は功労賜金千円(当時の英貨で約200ポンド)を追賞す。君、人のため沈深偉有り。はかるに尋常の船司の類にあらず。諄々学士の如くして教授船長の称有り。人に接するに温和にして角が立つところを見ず。人の善を喜びたたえること、ただまさに自らその口を出ずるのみにあらず。商船学校にあること六年、弟子を誘腋(導き助ける)しきわめて懇切丁寧、故に弟子之を慕うは慈母の如し。(改組により学校を)去るに及び涙を流し之を惜しみ云う。嗚呼我が国これ久しく外国と交通せず近世に至るや初めて諸港を開き互いに貿易し欧州の学盛行す。しかして商船航海の術則に至るは君を以て嚆矢とす。今見るに弟子海員要職に居る者はなはだ多く、海運よろしく大張す。其の君が功徳の不朽なるを欲するなり。成すを聞きて礼し、功徳有るを民すなわち之を祀る。君の如き者けだしその人か。


はっぱふみふみ2010/12/04 [06時14分49秒]
 ラムジー氏の前半生を纏め直すと…。
1839年倫敦生まれ
17歳で航海学を修め(商船学校を卒業し)、帆船の見習い航海士となる
4年後に一等航海士
1859年に英インド方面艦隊の艦長として召集。太平天国の乱関連で清国へ赴く
1861年に召集解除。インド沿岸航路の船長となる。
 碑文からだと、インド沿岸航路の船長の段階でP&Oに所属していた様にも取れますし、インド沿岸航路の船長になった後にP&Oに所属した様にも取れます。
三菱のHPからだとsubsequentlyなので、インド沿岸航路の船長になった後にP&Oに入っているのですが。
コレも三菱のHPだと、ラムジーさんは艦長(指揮官)としてインド方面と中国方面で活動していますので、インド−中国間のP&Oの船長になったとしても不思議ではないですよね。
 此処からは推測の段階ですが、P&Oに居た段階で、仕事上では船長とメカニックとしてラムジー氏とマクナブ氏は面識があった、と考えても宜しいかと。
英文資料からだとマクナブ氏のP&O時代は中国から動いている様にも読み取れないので、同じ船に乗っていたとまでは判らないですよねぇ。


どうでもいい細かい補足カンタニヤック2010/12/03 [23時22分04秒]
下の碑文の悦は、正しくは異体字
異体字入れるとどうやっても文字化けする。


確かにカンタニャック2010/12/03 [23時17分10秒]
スコットかも知れない。

いやだなあ。スコットランド家族法は確か早稲田の黒木さんがやってたと思うけど、スコットランド遺言法なんてさっぱりわからないぞ。
ロンドンっ子のイングランド人と信じよう。


「江東区の文化財3 永代橋界隈」(江東区教育委員会)に碑文がありました。一二気になる点はあるのですが、いい加減な私の写真よりはこっちの方が信頼性は高いでしょう。

IN MEMORY OF
G.E.O.Ramsay
MASTER MARINER
This Stone is erected by His Pupils
As a Token of Esteem and Admiration
for His Sterling Qualities

約治悦幹渥士琅西君碑
琅西君既歿之二年弟子相謀曰君以外人有功徳於我邦世人皆知之矣然欲不朽之非文字則不可於是欲建碑屬文於成成乃据状經緯之曰君諱約治悦幹渥士姓琅西氏英吉利人也夙修航海學年甫十七為帆舩修業生後四年選為一等士官尋為印度海軍艦長英之伐清也輿有功後為印度沿(※)海商舩長又為彼阿會社汽(※※)舩長我明治八年三菱會社購汽(※※)舩隅田丸於英吉利君為舩中士官始來我邦於是應本社聘為汽(※※)舩長九年本社創立商舩學校以君為教師專授運用學規畫教條陶冶弟子皆有次序十四年本校釐革君復為本社汽(※※)舩長十六年管舩局聘君為司驗官試海員君奉職甚謹十八年三月二十七日病没於東京駿河臺官舎同國人葬之横濱塋域享年四十有七官追賞功勞賜金千圓君為人沈深有偉度不類尋常舩司恂恂如學士時有教授舩長之称遇人温和不見圭角喜稱人之善不啻当若自其口出在商舩學校六年誘腋弟子極懇到故弟子之慕如慈母及去流涕惜之云嗚呼吾邦之不交通外国也久矣及至近世始開諸港相貿易於是歐州之學盛行而至商舩航海之術則以君為嚆矢見今弟子為海員居要職者甚多大張海運′チ其欲不朽君功徳也成聞禮有功徳於民則祀之如君者盖其人歟
明治十九年三月
東京商舩學校助教高瀬成撰 大沼謙書 井龜泉刻

※  沿は、さんずいに公
※※ 汽は、さんずいに「气」(きがまえ)の中に米


ご先祖様では繋がっているのかも2010/12/03 [21時53分03秒]
 Ramsayですが、先祖はスコットランドで貴族だったかも、の巻。


P&Oはどうかなあカンタニヤック2010/12/01 [11時25分38秒]
まとめ、ありがとうございます。

 伸さんのおっしゃるとおり、遺言執行者に指名するほど親しくなったのは、管船局時代だと思いますが、ラムゼイは太平天国の乱のあと、時期ははっきりしませんが「彼阿 ピーオー)会社」(Peninsular and Oriental Steam Navigatin Co.)の船長になってますから、1864年にP&Oのエンジニアだったと思われるマクナブと、P&O時代に最初の接点があった可能姓はあるかと。
 ただし、マクナフは1870年に民部省雇ですから、その前にラムゼイがP&Oに雇われていたかどうか。


一応2010/12/01 [00時25分25秒]
 他の情報や下の碑文を総合すると…
ラムジー氏は、倫敦生まれ
17歳で航海学を修め(商船学校卒?)
卒業後、帆船に見習い航海士として乗り込み
4年後に一等航海士に為る
えげれすの印度方面艦隊の士官(艦長?)としてアヘン戦争にて軍功あり
インド沿岸航路の船長を勤め
明治8年に三菱購入の隅田丸の雇船長
明治9年に三菱商船学校で運用学の教師
明治14年に三菱所有汽船の船長に復帰
明治16年に農商務省管船局雇試験官
明治18年病没。横浜外人墓地埋葬

ラムジー氏が管船局に雇われるのが1883年、マクナブ氏が1882年。
同じ職場(と言えるか如何か判りませんが)に居たのは、実質1884年の1年間位ですかね。


一応全文カンタニャック2010/11/30 [21時01分37秒]
なんといいますか、
1)かなり風化している
2)いわゆる和製漢文モドキ(しかもあまりできがよくない)
3)その上石灰がいいかげんにぶっかけられていてる(近年の碑文学の人たちが石灰を怒る気持ちをはじめて実感できました)
という三重苦に加えて、
4)私の漢字読解力が乏しい
という四重苦のため、大体の意味はわかるのですが、いくら和式漢文とはいえ文章になっていない部分も多いので、下には自信を持って読みを提示できる部分だけをあげたのですが、一応私が読んだ範囲での碑文です。(旧字体の一部は面倒なので新字体にしています。汽船の「汽」など)


IN Memory of
G.E.O.Ramsay
MASTER MARINER
以下三行の英文読解不能(はじめはThis Stone isか?)

絢治悦幹渥士琅西君碑
琅西君既歿之二年弟子相謀曰君以外人有功徳於我邦世人皆知之点?然欲不朽之非?文字則不可於是欲建碑属文於?戻?成乃据状経緯之曰君諱絢治悦幹渥士姓琅西氏英吉利人也夙修航海学年甫十七為帆船修業生後四年達為一等士官導?為印度海軍艦長英之伐清也輿有功後為印度沿?海商船長又為彼阿会社汽船長我明治八年三菱会社購汽船隅田丸於英吉利君為船?中士官始来我邦於是応本社聘為汽船長九年本社創立商船学校以君為教師専教運用学規盡教條○○弟子皆有次○十四年本校釐?改革君復為本社汽船長十六年管船局聘君為司験官試海員君奉職甚謹十八年三月二十七日病没於東京駿河台官舎同国人葬?之横浜霊?域?享年四十有七官追賞功労賜金千円君為人沈深有偉?度不頼尋常船司洵?洵?如学士時有教授船長之称遇人温?和不見○角喜称人之○不当若自其口?出?在?商船学校六年誘腋?弟子極懇到故弟子之墓君如慈母及去流浄?惜?情之嗚呼吾邦之不交通外国也久○歿?至近世始開諸港相貿易於是欧州之学盛行而至商船航海之術則以君○○大見今弟子為海員居?要職?者?甚多大○海運宣○其欲不朽君功徳也成聞礼有功徳於民則○の如君?○盡其人○
明治十九年三月
東京商船学校助教高瀬成撰


実は知ってましたカンタニヤック2010/11/29 [23時47分16秒]
海洋大の記念碑の写真撮ってきたのですが、碑面が荒れてる上に私の漢字読解力がプアなため、かなり読めない部分があってあげていなかったのですが、こんな記述がありました。(一部漢字は文字化けの原因になっていたので類似の字で代用してあります)

IN Memory of
G.E.O.Ramsay
MASTER MARINER
絢治悦幹渥士琅西君碑
琅西君既歿之二年弟子相謀曰君以外人有功徳於我邦世人皆知之(中略)

十四年本校釐?革君復為本社汽船長
十六年管船局聘君為司験官試海員君奉職甚謹
十八年三月二十七日病没於東京駿河台官舎同国人葬?之横浜霊?域?享年四十有七官追賞功労賜金千円(下略)

碑文の写真は画像掲示版2にあげましたが、解像度をかなり落とさないと投稿できなかったので、細部の読解は困難かと。


繋がったよ2010/11/29 [13時36分07秒]
 一応、即応体制とは言いながらも本日は有休なので、ラムジー情報をスコッパー…マクナブさんと繋がりましたぜ。

“Ramsay George E.O.”で検索していたら、彼の墓所を発掘。
横浜外人墓地でした…そこでwordを追加して“Yokohama Ramsey George E.O.”で検索。
発掘出来たのが…
http://www.geocities.co.jp/rainichi20051/oldHOMEPAGEdata/yokohama.html
(因みに、TOPページ:
http://www.geocities.co.jp/rainichi20051/)
墓の名前はRamseyでeなのね。
多分、右の文は墓碑銘でないかと思うのだが、ラムゼーさんの碑銘は『海事(三菱会社雇船長、農商務省管船局雇試験官) 教育(三菱商船学校―東京商船学校の前身:運用学)』。
農商務省管船局雇試験官で、マクナブさんと繋がりましたぁ、っと。


止めるつもりはいっこうにありませんが、無理しないでくださいねカンタニャック2010/11/29 [13時22分17秒]
ううむ、イングランド生まれのスコットなのかどうか…
たしかに微妙だなあ。
英国人と訳しておけば問題はないのだが。


テーボル号を探して…2010/11/29 [01時51分05秒]
 手紙サイトでマグナブ氏の生まれが判明…エゲレス人だわさ。
Englandが口を表しているのか特定地域を表しているのかまでは判らないなぁ。
http://www.koban-philately.de/20501.html
の一番下の項。

ううっ、半島のうましかやろー! 寝不足だぜぃ


ティーブロという表記もあるのかカンタニャック2010/11/28 [21時05分14秒]
 マクナフさんも、西南戦争に従軍している可能姓が大ですね。
 海軍はテーボル号に乗っていて西南戦争中に病死した日本人船員の扱いで大分もめてますから、日本側の制度上の扱いでは「従軍」ではないのかも知れませんが。
C09113154900

 ある程度データがそろったので表で報告しておきます(これは質問者としての責任だと思う)。そこで情報提供者の名前もあげるけど許してくださいね。


テーボル号は、西南戦争へ行きました2010/11/27 [16時31分30秒]
>テーボル号
 排水量489t、出力85馬力というのが、「詳細細島伝承: その歴史と風俗」に載ってますね。
 灯台関連の記事を調べると、日本の灯台の父と言われるブラントンが乗り込んでいた二隻の灯台巡回船の内の一隻がテーブル号(残りは明治丸)となっていますね。
 西南戦争では海軍の運送船になっていますし、それなりに使い回されていた様です。


さて、テーボル号(テーボル船)ってどんな船だったんだろうカンタニャック2010/11/27 [13時18分29秒]
おお、ここまでわかると結構出てきますね。

工部省灯台寮お雇いの、一等機関方エーエフマクネフ。
A07062254300 (21頁)
しかし灯台寮って50人も外国人雇っているのか。まあ灯台のメンテ考えれば当然か。

マクネフで攻めると、明治11年には「テーボル船」機関方首員。
(伸さんのデータからいくと"Lighthouse Tender Thabor") 
C09112860800

いやーありがとうございます。


帰宅、そして追加投下2010/11/27 [00時13分13秒]
 “Macnab, Archibald Francis, Japanese Government Service, Yokohama”でスコッパー。
そうしたら…倍で、ドン!
http://www.meiji-portraits.de/meiji_portraits_m.html#20090527093411937_1_2_2_2_1

 手紙の資料を見事、発掘。
 ☆は1899年10月に青山墓地に葬られているとの事。


やられた(思いつかなかった)カンタニャック2010/11/26 [20時35分20秒]
うほっ。

「管船局 雇」で検索すると名前はでてないけど、いくつかそれらしい形跡がありあすね。
どうも船舶検査を担当していたくさいなあ。

農商務省の職員録は空振り。お雇い外国人は載ってないのね。


取り急ぎ2010/11/26 [17時17分18秒]
昨日からTV会議で完徹、半休にして自宅に帰ってきたら、又仕事場に行くので、取り急ぎ調査結果等。
アジ歴リファレンス:A07060322000を見よ。
臭いぞ、臭いぞ、エー・エフ・マクナブ!
車を待たせているから、それじゃ。


すみませんカンタニャック2010/11/26 [00時47分00秒]
おおっと、例によって自宅は放置状態でした。

いろいろお手数をおかけして申し訳ありません。

そのサイトは、質問のときに揚げておいたんですが、伸さんでも同じ結果だとすると、これ以上はもう一回ナショナル・アーカイブスにでもいかない限り、難しいようですね。

 話としては船長が個人的にも信頼している機関長を遺言執行者に指定し、しかも機関長はスコットランド人というのは、すご〜くありがちな設定ではあるのですが、説得力はあるんですよね。

 ラムゼイとの関係がどこで生じたかを当て込んで、P&O、三菱商船学校、三菱船の機関長などをからめて、検索してみたんですが、何も引っかからないんです、


2010/11/22 [17時49分30秒]
下のサイトを“Macnab, Archibald Francis”で検索。
http://www.archive.org/stream/proceedingsinst01britgoog/proceedingsinst01britgoog_djvu.txt


MacNab2010/11/22 [16時56分42秒]
 有休で如何にか明日を含めて連休になるのかなぁ。

>Archibald Francis MacNab
 スコットランドのマクナブ一族なのかなぁ。アーチボルドとかフランシスって名前はマグナブ一族に多い名前だし、色々あってスコットランドから当主が自ら1817年にカナダへ移民しているし、カナダで首相も出している一族だからなぁ。


統一と言うか、ちゃんぽん?2010/10/09 [13時23分11秒]
>店ざらしになった
 だよねぇ。
 ま、だからアソコでこの資料を以ってアソコに回答を書き込まなかったんだよね。
アレを読んで、「ちょっと待て」になる人が数多でそうだから。

>なんで海軍部内だけでも統一しなかった
 辞令によっては“命ずる”もあるので、統一と言うよりちゃんぽんと化したとも言えるのかもしれない。


これはカンタニャック2010/10/08 [20時17分27秒]
行政改革のパブリックコメントみたいなものですねえ。
しかも行政改革という本題から外れているし。

店ざらしになった可能姓が高そうですね。(無責任な感想)

でも、財部彪は、なんで海軍部内だけでも統一しなかったのかなあ。


如何思う?2010/10/08 [18時14分06秒]
>「補○○」と「○○被仰付(附)」
 ANSQ社会のお題だけど、大正元年にコレに関する辞令文例の話が出ている(アジ歴:A03023052800「奏任官以下ニ対スル補職命課ノ辞令文例ノ件(海軍省提出)」)のだけど、コレがちゃんと実施されなかったのかねぇ。


耐震は偽装…2010/10/03 [20時53分40秒]
たいしん>
 大身の方の大臣でないかねぇ。
 大身(大臣)の大元の意味は、高位で禄高の多い者、分限者、冨貴な家ですからね。
大臣、大尽という語句を当られても可笑しくはないでしょう。


無題カンタニャック2010/10/01 [15時34分46秒]
日葡辞書続き

Daixo ダイシャウ 宮廷の官職
Taixo タイシャウ 大将(翻訳版の悲しさだが、おそらくGeneralに対応する語なのだろう)
Taixogun タイシャウグン 公方

 このあたり、左近衛大将や右近衛大将はダイショウ、武士やら海賊やらの頭目はタイショウ、征夷大将軍はタイショウグンと理解できてOKなのだが、

Daijin ダイジン 大臣、宮廷の官職
Taixin タイシン 大臣

 ううむ、タイシンは重要な家来の意味なのか? 原文まで調べるのはやだなあ。


無題カンタニャック2010/09/26 [22時54分12秒]
> 海軍創立に付諸取調并建白 海陸軍官禄定額
7月20日というのはいい感じですね。この建白をもとに、9月18日の太政官布告(沙)で制定されると。
佐官・尉官の成立が海軍主導だったかどうかが、気になる所です。
(外国軍人とつきあいが多く、また外国制度をまるまる移入しようとしている海軍の方が、階級制度の整備を急いだという、憶測はしているのですが。)

> リクグンダイサ
 ああ、逆もまた真なりですね。
 まあ、当時の人はどう読もうとあまり気にしていなかっただろうとは思っているのですが。


バラバラで御免2010/09/26 [22時13分32秒]
 陸軍大佐でダイサの例がありますね。
明治20年10月の「当後備軍司令官三好大佐軍法会議判士長電信にて被仰付」(アジ歴:C10050354300)ですが、電文では三好大佐の事を『ミヨシダイサ』としています。
 陸軍大尉でダイイの例もありますね。
明治28年6月「発 中川祐順 宛 大本営 6月23日 当隊今日の職員は大尉1、中尉1少尉1云々、」(アジ歴:C06061098800)ですが電文では『ダイイ』としています。
 陸軍ではチャンポンもあった様ですな。
「明治28年7月29日 小松宮殿下御安着の報告 京都 小沢大尉発 大本営宛」(アジ歴:C06061107700)ですが、受取人の大生大佐は『ヲウブタイサ』、発信人の小沢大尉を『 ヲサワダイイ』としている。


因みに2010/09/26 [20時40分07秒]
 陸海軍の資料で大中小将佐尉が今の認識されている形になった最初は明治3年の「海軍創立に付諸取調并建白 海陸軍官禄定額」(アジ歴:C09090034000)ですかねぇ。


笑ってぇ、笑ってぇ、笑って○○ぅぅぅ2010/09/26 [18時01分56秒]
日葡辞書>
 例えば、大日はDaiですし、大納言もDaiですねぇ。
他にも、大の月の事を「コノツキ ハ ダイ デゴザル」と解説している。

ケンペルの日本誌>
 大=great:読みはDai
 大仏=a great Buddhist idol:読みはDaibuds, Daibods
 大豆=a sort of bean:読みはDaidsu
 大黒=the god of riches:読みはDaikoku
 大工=a carpenter:読みはDaiku
 大名=a lord of the highest rank:読みはDaimio
 大納言=the third rank in the court:読みはDai Nagon
 太政大臣=the title of the first class:読みはDai Seo Dai Sin
 内大臣=the second title in the court:読みはNai Dai Sin
 左大臣=the second rank in the court:読みはSa Dai Sin
 征夷大将軍=a great crown general:読みはSei Dai Shogun
 右大臣=the second rank in the court:読みはU Dai Sin
 右近衛大将=one of the pompous titles:読みはUkonjeno Taiso
 大神宮=the temple of the great god:読みはDai Singu

 あー、近衛が“たいしょう”だよ。

 でも、ケンペル(綱吉の時代)が大という漢字自体をDaiと読んでいる所を見ると、Taiと読む方が珍しいかったのかもしれない。
面白いのは内府という単語の読みをDaifuとしている所かな。内裏という単語があるので、内をDaiと読むのはそれ程は可笑しくはないが、現代の我々だと普通はNaifuと読むので、ちょっと違和感を感じてしまう。
此の辺も正式だとDaiという事の規則性の残り香なのかもしれない。


無題カンタニャック2010/09/26 [16時31分40秒]
ご教示ありがとうございます。

倭訓栞は国会図書館のサイトで読めるからいいとして、
やっぱり、日葡辞書買うべきなんでしょうねえ。


恐々謹言hush2010/09/26 [13時37分22秒]
 タイと漢音で読むのが普通であるのなら、仏教系がダイと呉音で読むのは当然ではないかと。
 
 日葡辞書ではどうなっているのかなぁ。
 国文学科ではないからないですよね。
 


困ったなあ。カンタニャック2010/09/26 [12時30分46秒]
ケンペルの『日本誌』英語版(1727)によれば、以下の通り。

Sei Dai Shogun(a great crown general)征夷大将軍
Ukonjeno Taiso(one of the pompous titles)右近衛大将


無題カンタニャック2010/09/26 [12時13分33秒]
伸さん、ありがとうございます。
おかげさまで個人的には大分整理できた感じです。

表の方にも、「伸さんによれば…」と書きたかったのですが、最後が私の怪しげな仮説なもので、すべて私の自己責任ということで。


で、狸や暴ん坊の位階なんだけど2010/09/21 [21時19分36秒]
 征夷大将軍なんだけど、この位階に該当するモノの初出が養老4年(720)の「征夷将軍」。
「征東将軍」は延暦3年(784)に大伴家持が鎮守府将軍から昇格したのが初出。
そして大将軍の初出が延暦7年(788)の「征東大将軍」。
で、延暦10年(790)にまた名前が変わって「征東大使(又は征東使)」。
これが延暦12年(792)に「征夷使」に変わります。で、文献によっては「征夷大使」「征夷将軍」とも書かれています。
「征夷大将軍」の初出は、日本書紀を読むと「征夷使」の翌年の延暦13年(794)。
 で、「征東大使」「征夷大使」の読みですが、神祇官等を例にすると“せいとうだいし”“せいいだいし”だったと思われます。
 此処からは推論ですが…大使“だいし”と分ける意で、大将軍“たいしょうぐん”としたのではないでしょうかね。


笑うしかないね2010/09/21 [20時46分44秒]
大>
 ちょっと養老律令の職員令から『大』の付く役職を拾ってみて、読みを各種資料や文献で調べてみると、笑うしかない事態が浮かんできてしまった(邪笑)。
 太政官の太政官、太政大臣、左大臣、右大臣、大納言、大外記、左大弁、右大弁は“だい”なんですが…。
他は“だい”と読んだり“たい”と読んだりで、同じ四部官で読みが双方あります(乾笑)。
 神祇官の大副は“たいふ/だいふ/だいふく”であり、大佑は“たいじょう/だいゆう”。大史は“だいし”で“たいし”は無し。
 八省も大輔は“だいふ/たいふ”、大丞は“だいじょう/たいじょう”、大録は“だいろく/だいさかん”、大内記は“だいないき”、大監物は“だいけんもつ”。
 太宰府だと大弐は“だいに”、大監は“だいじょう
/だいげん”、大典は“だいさかん”、大工は“だいく”。
 国だと大国すら“だいこく/たいこく”の二通り。大掾も“だいじょう/たいじょう”。
AHAHAHAHAですよ。
 因みに大夫ですが、職名の場合は“だいぶ”が正式です。
“だいふ”は五位以上の通称である“たいふ”が訛ったモノです。

 どうも、大は例外を除いて位階として読む場合は“だい”が正式かと思われます。
 例外が 兵衛府・衛門府の大尉なんですよねぇ。一般的には“たいじょう”と読んでいた様です。ただ、“だいい”というふりがなが付いている古い文献もあるので、一部では“だい”だった様です。


今思いつきましたがカンタニャック2010/09/21 [11時28分16秒]
古語では大将をダイショウと読むことが多いのに、征夷大将軍はタイショウグンが通例ですね。ううむ。


Captainは、タイイでダイサ、だからどうした。カンタニャック2010/09/21 [02時41分26秒]
むずかしいですね。

 薫大将や餓鬼大将だと、連濁の可能姓もあるのではないでしょうか。

 仏教系の「大」は、婆娑羅大将や大元帥明王など大抵濁りますが、律令系だと、大臣、大納言はダイ、大夫、大輔はタイ、ううむ、理屈がわからん。

 明治期はけっこう清音主義が強いから、あえて濁音にするには、かなり積極的な理由がありそうなんですが。


餡掬で載せるとややっこしくなるので2010/09/19 [17時53分06秒]
だい>
 広辞苑とかで“だいしょう”と引くと「大将」も引っ掛かります。
左右近衛大将の読みは“さこんえの/うこんえのだいしょう”です。
源氏物語に出てくる薫大将も“かおるだいしょう”と言う読みでしたな。
仏教の守護神の一つである深沙大将も“じんじゃだいしょう”。
若大将とか餓鬼大将とかの○○大将も“○○だいしょう”という読みが普通ですね。
古語等で考えてみると位官としての大将は“だいしょう”と読むのが普通なのかもしれませんね。
そうなると海軍のダイサ、ダイイもその辺からの繋がりという線もありますな。


ティファニーで拳銃をカンタニャック2010/08/17 [10時17分55秒]
 前回いったときにはなかったような気がするのだが、メトロポリタン美術館の武器コーナーにティファニー製のスミス・アンド・ウエッスンが飾ってあった。
 銀細工でダイアモンドが埋めてあったりするのだが、たしかに武具というものは見てくれも重要だ。
 ジウジアーロの戦車とか、スワロフスキーの双眼鏡とか、ジバンシーの軍服とか、見てみたいぞ。

 ちなみにNYCに来てからは、ティファニーでは朝食を取らず、ぶっかけうどんやら、寿司やら、カツカレーやらを食っている。ロンドンにいく前だから許してほしい。


いかんカンタニャック2010/08/17 [10時12分15秒]
記名忘れた。


無題2010/08/17 [09時54分24秒]
> パックン
やはりワシントン饅頭はなかった。
NYでは木村屋のあんパンもおかめ納豆も売ってるんだがな。

> 西尾市役所さん
 DCは田舎だけど、どんなに太陽が照りつけても屋根開けてオープンカー走らせてるところが田舎… いや立派です。

> ささきさん
 昨日はNY近代美術館の収蔵作品「ベル47D」の写真撮ってきましたが、この場合アーサー・ヤングは「作者」なんでしょうねえ。

> 読む人が読めばわかるさん
 私と読む人が読めばわかるさんの違いは、おそらくネットにおける治安維持活動への信頼なんでしょう。私はソマリアやアフガニスタンと同じぐらい難しいと思っています。たしかにNKVDみたいな組織つくったり人民裁判をやったりして平和を維持しているサイトもありますが、そういうタコツボみたいなサイトはあまり面白くはないように思えます。
 もちろん、読む人が読めばわかるさんが正しいと思うことを書き込まれるのも自由なのですが、嫌みに対して嫌みを返すのでは、結局返した人も嫌みなヤツになってしまいます。(読む人が読めばわかるさんにだけ、あれこれお願いして申し訳ないのですが、話せばわかると思っているもので。)


くさい臭いは読む人が読めばわかる2010/08/17 [07時53分47秒]
劣化コピーの人を注意しても元からたたなきゃ
永遠に終わりませんよ。


大丈夫ですささき 2010/08/15 [01時40分34秒]
オハイオ空軍博物館の特設展示場でパッカード DR-980 (悲劇の星型ジーゼルエンジン)だとかライト・トーネード T-3(42気筒のアレじゃなくてシュナイダーに出る予定だった奴)だとかパッカード 4M-2500(マーリンとよく勘違いされる魚雷艇用の「マリーン」エンジン)だとかABCワスプ(世界初の非ロータリー星型航空エンジン、放熱設計不良で排気バルブが消耗品のごとく焼損したという…)だとか BMW132(BMW801のご先祖様、P&Wホーネットのドイツ版コピー)だとかブカッティ J-8 直列16気筒だとかアンザニの二重星型10気筒だとかを見て涙を流していたウチュー人もおります。わざわざこんな型番覚えているのは、居並ぶ珍機名機よりも猿人の写真ばかり撮っていたからです。大丈夫、先生はまだ人間です。・・・たぶん。きっと。


XR-7755!西尾市役所2010/08/10 [21時34分45秒]
ちきしょう、今年最大級の「くやしい」ですわ…


雑感カンタニャック2010/08/10 [21時21分52秒]
 ネイピア・ノマドとか、ライカミングXR-7755なんて変態エンジンを見てうひょうひょいってる自分がいやになりました。修行に出ます(おそらくインペリアルウォーミュージアムあたりに)。

 しかしパッカードV-1650とアツタをならべて展示するのはもっともではあるがやめてほしい。(その後ろで小さくなっているV-1710よりはましか?)


しかし、もはや地球上に孤独はないのだろうかカンタニャック2010/08/09 [18時04分13秒]
>パックン
明日ウドバー・ハジーいくから、ミュージアムショップで饅頭さがしてみるね。
 饅頭がなければぽ土産はなしだな。

>出沼さん
 9月になりましたら。


あらら出沼ひさし2010/08/08 [23時28分02秒]
今月中に、もう一回位機会があるかもと思ってましたが…。
じゃあ、来月ということで。


がんばってくらは〜いP-kun2010/08/08 [22時30分29秒]
お土産はワシントン饅頭でいいです。


業務連絡カンタニャック2010/08/07 [21時12分07秒]
これから一月ほど、携帯でおさそいを受けても、飲み会に参加できません。

ええい、わかったなパックン。


フォークエティモロジーみたいなものかカンタニャック2010/08/07 [00時39分06秒]
たしかに、適当に決まった後で、後付けで理由が生まれたってのもありそうですね。


嗚呼、ゑ亜魂2010/08/06 [18時15分38秒]
 本日は、空調修理立ち合いの為に半ドンで退けてきましたが…。
空調は見事にコンプレッサーが逝かれる寸前だそうで、暑い日中に起動しようとすると大気温度が高い為に、冷媒の圧力が一定せず、熱交換が上手く行かなくて室外機が動かなくなるという症状でした。
 因みに、コンプレッサーを交換する値段と新しい空調を購入する値段は略変わらないとの事。
 今年は、連日の暑さの為に空調は品が無い状態なので、空調の供給量が安定するまでは空調はNonStopで行く事に決定します。
ま、25年動いていたので寿命なんでしょうね。

対面交通>
 日本の場合でも江戸時代の武士の腰の物が接触しない為説とかイギリスに範を採った説とかありますしね。
ヨーロッパ大陸に右側通行が一般化したのはナポレオンが占領地に右側通行を押し付けたからだという説もある位ですし。
 もーね、歴史云々じゃない何かなのかもしれませんね。


なんというか。まあそんの2010/08/04 [23時58分01秒]
>エアコン

うちの職場では朝エアコンが動いていたら神に感謝を捧げる風習が残っております。


そういえば最近、JR駅構内の左側通行はどうなっているのだろうかカンタニャック2010/08/04 [00時50分02秒]
エアコン
 動作不安定だけど、だからこそ再起動も怖いというと、昔のマックを思い出します。

右か左か
 ありがとうございました。

 あれは、鉄道ゲージ同様、きわめて政治的な問題でもありますからねえ。

 他方、ろくに車もない上、未舗装で一車線の道しかない地域では、右側通行か左側通行かは、対向車が来たとき、右によけるか左によけるかの問題に過ぎなかったような気もします。


あちぃい2010/08/02 [17時01分13秒]
 代休で休んでいたら、部屋の空調が故障。室外機の稼動が不安定で、動いたり動かなかったりと。何処の戦時量産型エンジンなのよ、という状態に。(今は動いているけど)
修理は6日の夕刻…空調を止める→再稼動できるか疑問というコンボに停止させるか否か迷っています(苦笑)。

交通ルール>
 左側から右側への変更で一番謎なのは旧ビルマ、現ミャンマーでしょうねぇ。
1980年代に左側から右側通行へ変更するのですが、理由が日光の手前程に不明。
確かに右側通行の国(中国、ラオス)と左側通行の国(タイ、インド、バングラディッシュ)と国境を接してはいるのだけど、主な物流の流れは左側通行な国なので、国内を右側通行にするメリットが余りなかったりする。
指導部が旧宗主国の方式を嫌っただけという話なのかもしれないが、占い師のご託宣という話も在る位で、本当の理由が謎です。


Always Look on the Bright Side of Lifeカンタニャック2010/07/25 [14時58分30秒]
ありゃ、いろいろ放置してました。
申し訳ございません。

>伸さん
 私の立場は基本的にはハーバード図書館とおなじで、著作権切れのものについては大変結構なことだが、著作権が残っているものについてはやりすぎだです。ただしFair Useの範囲についてもっと考える必要があることはたしかなのですが、これは話せば長くなりそう。

>読む人が読めばわかるさん
 いらっしゃいませ。
 お控え頂いき、心から感謝しております。
 意図は誤解していないつもりですが、意図と結果が大幅にずれることが多いのがネットです。
 たとえば、怠惰なネット初心者を教育しているのが、初心者イジメに見えたり、不愉快発言を繰り返すユーザーを排除しようとしているのがあらしに見えたりするというのは、ままあることです。ただ、端で見ている者にとっては山田さんもおっしゃるように迷惑なのは同じです。いずれにせよ客観的に見て場が荒れるのは確かで、場が荒れれば、次から次ととんでもない方を呼び込むことにもなりかねません。

>暴はそっち狼の繁ではないけれどさん
(なんかサッパリわかりませんがインパクトのあるハンドルだと思います)
 ここはパーリ語だめみたいですねえ。
 なんとなく了解したつもりです。


でも書き直すほどのことでもないありゃ文字化け2010/07/22 [05時05分24秒]
ナンマイダ〜


しばらく廷*でもとなえていよう。暴はそっち狼の繁ではないけれど2010/07/22 [05時02分32秒]
Susukhaṃ   vata  j┤v─ma,  verinesu averino
Verinesu  manussesu,  vihar─ma  averino
AnsQとかでは仝匯冱で岬殪し々にされた笛は仇龍に宸ウれているようではありますが。


気持ちは察しますが山田2010/07/21 [14時01分14秒]
執念深くやり返し始めた段階で、私にはご両人の区別がつかなくなりました。迷惑の程度は一緒なんです。
ご自重ください。


聞く人が聞けばわかる。読む人が読めばわかる2010/07/21 [04時42分13秒]
ここに書くとあがっちゃうから嫌でしたけど、「どうする連なのか。熱狂的なファン」ではなくて、私のやってたのは反応物質の安定化です。ご指摘踏まえて控えますけど誤解はなきよう。


紹介したいという気持ち2010/05/08 [21時54分17秒]
ANSQの性格上、資料となる文献が簡単に参照できる伝手があるのであれば、紹介したいと思うのは仕方無いとは思いますが…。
限りなく赤札に近い黄札なグーグル・ブックを使ってのリンクは止めた方が無難でしょう。
此処なら紹介した私やカンタ先生の責任ですが、ANSQに載せてしまうとサイト全体の(管理)責任を問われる可能性は高いです。
今後の事を考えると若い世代は、そう言った事に頓着しませんから何らかのガイドラインも必要になってくるかもしれませんね。


ううむカンタニャック2010/05/06 [10時31分41秒]
ハーバード大学図書館はかなり前からグーグルと提携して蔵書公開していますから問題はないでしょう。

しかし、チェックしようとすると面倒くさくはありますね。


いやいや2010/05/03 [12時40分22秒]
せんせーい。アレの著作権辺りは時効で切れているであろう事は判っていましたが…。
著作権だけじゃないでしょ。アレが掲載されていたであろうサイトが登録制(もしかしたら有料かもしれない)だったり、リンクが許可制だったりしたら表に掲載するのは拙いでしょう?
だから、所有権云々という曖昧な言い方だけど下に書いたんですよ。


著作権カンタニャク2010/04/27 [11時39分52秒]
あの本については、著者がその後一世紀以上生きてない限り問題はないと思います。
あのシステムがいろいろいかがわしいのはおっしゃる通りですが。


コッチに書いた訳2010/04/24 [22時48分47秒]
せんせーい。
あっちに書かなかったのは、著作権やら所有権やらがグレーなグーグル・ブックで引っ張ってきた電子書籍データだからなんですけどね。
あれが直接のサイトかPDFなら直接書いていたんだけどねぇ。
コッチだと個人色が強いけど、あっちは公の場でしょ。余り赤に近い黄なモノを置くのも拙いかなぁ、と。
80件以上の発言は削除されます。

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