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まとめ猫ノ宮2014/02/10 [23時53分31秒]
ブリテン編、リンクの補足とかして過去の分とまとめてこちらに整理しましたにゃー。
http://www.asahi-net.or.jp/%7EVD4H-OOTK/chinban/VandA/V_and_A.html


太鼓連打猫ノ宮2014/01/09 [20時44分41秒]
 私がブリテンのお話書き終わったとたんにこんな本が出ましたにゃ。日本語で読める初めてのブリテン評伝だそうにゃ……まあ生誕100周年だし?
http://books.rakuten.co.jp/rb/12549697/

 あとまるっきり余談ですけど、ブリテンがアメリカから帰国するときに引き合いに出したドイツの無制限潜水艦作戦「Paukenschlag」、いわゆる「太鼓連打」作戦について、ハイドンの交響曲103番「太鼓連打」、英語で「Drum roll」て訳すやつがドイツ語で「Paukenschlag」なのかと思っていたら、実はそうじゃないんですにゃ。
「Paukenschlag」のニックネームが付いてるのは94番の「驚愕」あるいは「びっくり交響曲」、英語で「Surprise」の方でした。
http://www.youtube.com/watch?v=RBDosrMCsFQ

 じゃ103番はなにかと言うと「Paukenwirbel」なのですにゃ。
http://www.youtube.com/watch?v=YVIe39EJzCU
 対空戦車ヴィルベルヴィントのwirbelで、「渦」の意味から来てる用語ですにゃ。schlagは単に打つとか叩くとかそんな意味にゃー。

 となると、潜水艦戦を「太鼓連打」と訳すのはあましよろしくないのではあるまいかと思うわけです。
「太鼓叩き」作戦とか……平仮名混じりだと迫力に欠けますかにゃ。もしハイドンの曲を念頭においた作戦名だとしたら「驚愕」作戦とか。
 意訳して「太鼓強打」くらい奢ってもいいですかにゃ。連打も意訳と言えばそうなのかもだけどにゃ。

 ちなみに英語で潜水艦の方をどう訳すかというと「Drumbeat」で、やぱし「Drumroll」じゃありません。どこから「連」の字が出てきたのか謎ですにゃー。


100周年猫ノ宮2013/12/15 [13時28分04秒]
ちなみに今年はブリテン生誕100周年なのですにゃ。
たまたまですけど、今年のうちに書き終わってなによりでしたにゃー。
http://www.britten100.org/ja/whos-celebrating/about-britten-100


オールドバラ卿猫ノ宮2013/12/15 [13時26分04秒]
 ブリてんはアメリカから帰国以後の後半生を、北海に面したオールドバラにある通称レッドハウスで送ります。
http://goo.gl/maps/WnP4Q
 そしてこの町で、ピアーズと脚本家のエリック・クロージャーと一緒に、既に何度か出てきたオールドバラ音楽祭を1948年から始めますにゃ。http://www.aldeburgh.co.uk/そのためのホールの建設なんかにも尽力してます。
 主に現代音楽や舞台作品を紹介する場として、今では名の通った音楽祭となってますにゃー。

 そうした音楽界へのブリテンの功績が認められ、1953年にコンパニオンズ・オブ・オナー(CH)に叙せられ、1965年にはメリット勲章(OM)を授与されました。メリット勲章は外国人に授与されることもあって、日本でも日英同盟の頃に山縣有朋、大山巌、東郷平八郎と三人の軍人がもらってますにゃ。
 さらにブリテンの死の直前となる1976年には、オールドバラ男爵(Baron Britten of Aldeburgh)として叙爵されてますにゃー。一代限りの名誉称号としての爵位ですけど、音楽家としてこの栄誉に浴したのはブリテンが初めてとなりますにゃ。

てことでブリテンのお話はおしまいにゃ。
次はやはり紀元2600年がらみでドイツのリヒャルト・シュトラウスにゃ。
いつになるやら。


再演と参考CD猫ノ宮2013/12/13 [22時32分43秒]
 話が逸れましたけど、ブリてんはなんとかして当初の構想に沿ったソリスト陣での演奏を模索、それは1963年の1月、キングスウェイ・ホールで実現します。この演奏はレコード会社デッカの録音が目的で、それがこのCDですにゃ。
 さすがにこの時代になると、作曲者の自作自演が録音として残ってるんですにゃー。

 総指揮:作曲者(ブリテン)
 ソプラノ:ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
 テノール:ピーター・ピアーズ
 バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
 管弦楽:ロンドン交響楽団
 室内楽:メロス・アンサンブル
 合唱:バッハ合唱団、ロンドン交響楽団合唱団
 児童合唱:ハイゲート学校合唱団
 オルガン:サイモン・プレストン

 CDのナンバーはUCCD-3633/4、演奏時間約82分で二枚組ですにゃ。内容は……もういいですよにゃ。
 このCDではプロデューサーがこっそり録音してたリハーサル風景が一緒に入ってます。ブリテンは隠し撮りされたのが気にくわなかったみたいですけどにゃー。

 もう一枚、日本人の演奏で。
 1993年2月18日のオーチャードホールで行われた東フィルの定期演奏会の録音で、ライヴ・ノーツてレーベルのWWCC-7273となってますにゃ。

 指揮:大野和士
 ソプラノ:陳素娥
 テノール:若本明志
 バリトン:金寛東
 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
 合唱:東京アカデミー合唱団
 児童合唱:東京少年少女合唱隊
 児童合唱指揮:長谷川冴子

 こちらのCDでは全曲79分で、CDの収録限界を超えんばかりの長さですけど、なんとか一枚に収めてます。
 ソプラノが中国、テノールが日本、バリトンが韓国、昨今なにかと騒がしい三国を代表して歌ってます。


初演とその後猫ノ宮2013/12/11 [22時19分12秒]
 ブリテンの構想としては、歌手陣のテノールをイギリスのピアーズ、バリトンをドイツのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ソプラノはソ連のガリーナ・ヴィシネフスカヤを考えてました。第二次世界大戦の欧州戦線における主要交戦国の歌手が平和を祈って一緒に歌う、て趣向ですにゃ。
 ところが初演の前の週までイギリスはコヴェントガーデンで「アイーダ」の公演を行っていたヴィシネフスカヤが、ソ連当局の命令で「急用のため」に帰国させられちゃうんですにゃ。どうもコンセプト的に冷戦さなかのソビエトの癇に障ったみたい。
 やむなくソプラノはイギリスのヘルタ・テッパーが歌いました。以下メンバーはこんな感じ。

 総指揮:メレディス・デイヴィス
 室内楽指揮:作曲者(ブリテン)
 ソプラノ:ヘルタ・テッパー
 テノール:ピーター・ピアーズ
 バリトン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
 管弦楽:バーミンガム市交響楽団
 室内楽:メロス・アンサンブル
 合唱:コヴェントリー祝祭合唱団
 児童合唱:ストラトフォード聖トリニテ教会児童合唱団

 日時は1962年5月30日、会場はもちろんコヴェントリー大聖堂ですにゃ。
 ちなみにヴィシネフスカヤは同年秋のエジンバラ音楽祭に来て歌ってますから、まあ露骨な妨害ではありますにゃ。

 このヴィシネフスカヤはチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチの奥さん(夫婦別姓)で、ブリてんと知り合ったのは前年の1961年にオールドバラ音楽祭に呼んだときですにゃ。そのきっかけはさらに前年、ロンドンでショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番の西側初演が行われたときに遡ります。
 そのコンサートには作曲者のショスタコーヴィチ自身が来ていました。そしてチェロのソロを取ったのが、この曲を献呈されていたロストロポーヴィチだったのですにゃ。

 ブリてんは学生時代にタコさんの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』のイギリス初演を聞いて以来、タコさんに傾倒と言うか私淑していました。
 タコさんの方でもブリテンの作品にはかなり早くから注目していたようで、この時の出会いで意気投合、お互い鉄のカーテンを越えて盟友とも言うべき関係になります。タコさんは『戦争レクイエム』について、「この時代において最も偉大な作品」と評価していたそうですにゃ。
 後にブリてんはタコさんに歌劇『放蕩息子』を献呈、タコさんはブリてんに交響曲第14番『死者の歌』を献呈してますにゃ。

 ロストロポーヴィチについてもブリテンはその見事な演奏に感服、大いに刺激を受けて彼のためにチェロ交響曲(Symphony for Cello and Orchestra)やチェロソナタを書きます。オールドバラ音楽祭にも度々招き、親交を深めてますにゃ。
 ロストロポーヴィチは英語が話せないので、共通言語としてお互い片言のドイツ語で話したそうです。ところがこれがドイツ語を話す人には通じないもんだから、「オールドバラドイツ語」と呼ばれたらしいですにゃ。

 ロストロポーヴィチ夫妻は、作家のソルジェニーツィンを擁護したことから当局に睨まれ、1974年にイギリスに亡命してくることになります。


総論として猫ノ宮2013/12/09 [21時31分27秒]
『戦争レクイエム』全体として、平和を希求する祈りに満ちていて、戦争という悲劇を忘れそうになる人々への警告という意味でショッキングでもあり、感動的な作品に仕上がっています。
 ブリテンが楽譜の巻頭に置いたオーウェンからの引用も、やはり警告としての意味が強いことを示してます。

My subject is War, and the pity of War.
The Poetry is in the pity...
All a poet can do today is warn.

 しかし反戦的なメッセージとはまた別に、宗教(直接にはキリスト教)に対する皮肉というかアイロニーも聞き取れます。反戦と共に反宗教とも取れるオーウェンの詩を並べて見せることで、宗教の無力さとか、救済の約束への当てこすりみたいな含みがそこかしこに浮かび上がってきますにゃ。
 教会堂の再建記念としてそんな作品を持ってくるのは、皇紀2600年記念に「レクイエム」を差し出したブリテンの面目躍如てとこですかにゃー。実際に爆撃で破壊された聖堂がすぐ横にある環境での初演は、さぞかし説得力があったことでしょうにゃ。
 それはそれとして、この作品は初演当時からなかなかの好評を博し、大本山のウエストミンスター寺院での演奏も含め、立て続けに再演されてます。
 それにはこの1960年代の、キューバのミサイル危機とかで今にも第三次大戦に発展するのでは、という危機感に覆われた時代背景も大きかったんでしょうにゃー。


分けますにゃー猫ノ宮2013/12/07 [20時21分35秒]
 五曲目「神羊誦」では一転してオーウェンの詩の方がメインとなり、その合間に伝統的レクイエムの歌詞「この世の罪を取り除く神の小羊よ、彼らに安息をお与えください」が割って入る構成になります。
 ここで歌われる『アンクル川のゴルゴタ (At a Calvary near the Ancre)』では、宗教的に弾圧されたことを自慢する司祭や国家への忠誠を強いる律法学者(つまり銃後で煽り立てる連中ですにゃ)と、戦場で命を投げ出す兵士たちとが対比されています。それら全ての人々に「安息をお与えください」と祈るわけですにゃ。
 波打つように上昇下降を繰り返す音型が基本となっていて、合唱はその音型に沿って歌います。しかしおよそ安息とはほど遠い恨み節の雰囲気に終止する楽章になってますにゃ。

 最終曲となる「我を解き放ち給え」は、まずソプラノと合唱による典礼文で始まり、続いて『奇妙な会合 (Strange Meeting)』の前半をテノールが、後半をバリトンが歌って、再び典礼文が戻って来て終わりますにゃ。
 典礼文の部分は、半音階的なメロディーで「リベラ・メ」を繰り返し唱えつつ打楽器に彩られながら次第に大きくなり、ソプラノが加わると怒りの日のラッパも現れます。まるっきり闘争の音楽みたいなとこまで発展した音楽が不意に静かになると、オーウェンの詩の出番ですにゃ。
 テノールは、戦闘から逃げて潜り込んだいずことも知れぬ穴の中で、どうやら戦争が終わったらしいことを知り、そこにいた人に「見知らぬ友(strange friend)よ、もう悲しむことはない」と語りかけますにゃ。
 しかしそれを受けたバリトンは、戦争による破壊、虚しさ、それを避ける意志を語ったあと、「私はお前が殺した敵なのだ、友よ。昨日、君は私を刺し殺したのだ」と衝撃の事実を告げるのですにゃー。そして相手を赦すでも赦さぬでもなく、また恨むでもなく、ただ「さあ眠ろうじゃないか」と続けて、再び合唱による典礼文へと移ります。
 最後にテノールとバリトンが共に「さあ眠ろうじゃないか」と歌い、合唱が「安らかに眠れ。アーメン」と加わり、鐘の音に送られて全曲を締めくくります。
 男声ソロと合唱、ソプラノが一緒に歌うのはこの最後の部分だけで、ここに伝統的レクイエムと現代詩と、両者の和解を象徴しているようにも思えますにゃー。


三回くらいに猫ノ宮2013/12/04 [19時56分17秒]
 三曲めの「奉献唱」では、典礼文が神がアブラハムに約束した死後の復活に言及していることを踏まえて、オーウェンの『アブラハムとイサクの寓話 (The Parable of the Old Man and the Young)』が使われてます。
 旧約聖書では神がアブラハムに息子のイサクを生け贄として捧げるよう命じ、それに従ったアブラハムが刃物を振り下ろす寸前で神の御使いに止められて、イサクの代わりに雄羊を捧げることになるんですにゃ。それを嘉した神が前述の約束をするわけですけど、奉献唱の歌詞にはこの辺のいきさつについては出てきません。
 ところがオーウェンの方ではこの物語をなぞった後で、アブラハムが天使も雄羊もお構いなしにイサクを殺してしまい、それがすなわち「ヨーロッパの子孫の半分を屠ったのである。一人また一人と」と続くのですにゃ。
 これが奉献唱のど真ん中に居座ることで、本来の意味合いを完全にひっくり返してしまってますにゃ。その点では全曲中の白眉とも言えるところですにゃー。

 音楽の方は、まず最初に神秘的なオルガンと児童合唱によって主イエスへの祈りが静かに歌われ、次に合唱がシュプレヒコールのように復活の約束を叫ぶと、その勢いに乗ってテノールとバリトンによるオーウェンの詩が始まります。
 最初は景気が良かったオーウェンの詩もたちまち雲行きがおかしくなってきて、話が進むにつれて怒りの日のラッパまで見え隠れしますにゃ。
 最後に「ヨーロッパの子孫……」を繰り返すところから冒頭の児童合唱がかぶさってきて、さらに合唱が例の約束を繰り言のように何度もつぶやいて曲を閉じます。

 四曲目、「聖なるかな」は万軍の主なる神を讃えるラテン語に続いて、「本当に神は死と涙を、すべて取り消して下さるのだろうか?」と反語で語る『終末(東方から、稲妻が、トランペットの爆音を轟かせ)(The End (After the blast of lightning from the east))』が置かれてます。
 出だしの鐘の乱打とソプラノに導かれて沸き上がる合唱の不気味な空気と、それをぬぐい去る輝かしい金管の響き、荘重な行進曲風のラテン語パートは伝統的な「聖なるかな」にふさわしいと言えますにゃ。
 そうして盛り上がったところをオーウェンの詩でクールダウンして、最後は消え入るように終わります。


解説は長いので猫ノ宮2013/12/03 [20時07分22秒]
 一曲目、低音の不安な響きに乗って、鐘の音とともに入祭唱の「永遠の安息」が合唱によって歌われます。一定の音階で抑揚も無く、歌と言うよりもほとんど呪文のようにとなえられますにゃ。繰り返される呪文の音階は短四度の音程で、典型的な不協和音となる間隔ですにゃ。鐘の音も弔鐘と言うより警鐘のように聞こえます。
 だんだん音楽が激しさを増して児童合唱に引き継がれ、再び静まってきたところで、テノールの独唱によりオーウェンの詩『悲運の青年への頌歌 (Anthem for Doomed Youth)』が歌われます。「家畜の如く死にゆく兵士らにどんな弔鐘があるというのか?」で始まる詩には、理不尽な死に対する無力感が漂いますにゃ。
 最後に「キリエ」が合唱によって歌われて、静かにこの曲を閉じます。

 二曲目の「怒りの日」は全曲中最も長く、全体の約1/3にあたる25分ほどを占めてますにゃ。
 ここではどこか遠くで呼び交わす信号ラッパのようなトランペットに導かれ、合唱によって「怒りの日」「奇しきラッパの音」「恐るべき御稜威の王」「思い出したまえ」「呪われたもの」「涙の日」と歌い継がれます。その合間合間に独唱によるオーウェンの詩が挟まる構造ですにゃ。

 オーウェンの詩は、ここでは四編も動員されてます。就寝ラッパの下でやがて来る明日に怯えて眠る少年兵の姿を描く『少年兵たちの声は (Voices)』、大義や国旗のためになら自分を殺しにかかる死神をも味方にすると語る『次の戦争 (The Next War)』、禍々しく巨大な大砲を頼もしく思いつつ、それに神の呪いがあらんことをと願う『ソネット:戦闘に駆り出された我らの大砲を見て (Sonnet: On Seeing a Piece of Our Artillery Brought into Action)』、大地を目覚めさせる太陽の光も死者を蘇らせはしないことを嘆く『むなしさ (Futility)』、の四つですにゃー。

 オーウェンの詩は相前後する典礼文と内容的に呼応するように選ばれていますにゃ。
 「怒りの日」から「奇しきラッパ」にかけて次第に金管が厚みを増して、かっこいいファンファーレの如くにさえ聞こえた音楽も、「少年兵」のところでは哀れを誘う惨めな響きとなり、裁くものとして畏怖の対象である「御稜威の王」に続いて、やけに威勢のいい「次の戦争」。ことごとく裏と表のように配置されていますにゃ。
 静かな合唱の「呪われたもの」から一転してバリトンの「我らの大砲」になると、冒頭のラッパの響きが帰ってきて、それが再び合唱の「怒りの日」を呼び起こすあたりは構成の妙ですにゃー。
「涙の日」に入ってからは、ラテン語一節ごとにオーウェンの『むなしさ』が割り込むようになります。


補足ありがとう御座います猫ノ宮2013/11/30 [23時39分52秒]
hushさん、さすが蛇の道はヘビですにゃー。
シュルクーフにイギリス人てのは私も不思議に思いましたけど、まあそんなこともあるかと思って済ましちゃってました。
戦争レクイエム作曲に当たっては、ピアーズもオーウェンの詩の選定や曲の構成に協力しているので、そんなところからバーニーの名が上がってるんだと思いますにゃ。
デビッド・ギルは私もぜんぜんわかりません。フネに乗ってたのかどうかさえ定かではないですにゃー。


楽曲解説の序猫ノ宮2013/11/30 [23時26分58秒]
 歌い手はソプラノ、テノール、バリトンのソロに、混声合唱と児童合唱が加わって、結構な大人数になりますにゃー。
 伴奏に当たるオーケストラも、オルガンを伴う三管編成(木管楽器が三人ずついて、その他も楽器編成もそれに見合う規模になるもの)の大オーケストラと室内楽規模の小オーケストラに分かれて、大が典礼文、小がオーウェンの詩を担当、この二つが入れ替わり立ち替わり歌い継ぐようになってますにゃ。
 歌手の方は合唱とソプラノが伝統的な典礼文を受け持ち、テノールとバリトンがオーウェンの詩を歌います。
 二つのオーケストラは最後のリベラ・メに至って初めて一緒に演奏し、それまでは対立軸として置かれていた典礼文と反戦詩が融和していく様子を表しています。

 以下、各曲のラテン語部分は概ねレクイエムの型通りなので、オーウェンの詩との関係を書いてみますにゃ。

あと、一応最初とこだけ動画リンクしときますにゃー。
http://www.youtube.com/watch?v=hhkbphH8_Ic


ちょいと調べてみましたhush2013/11/29 [22時44分12秒]
 フランスの潜水艦にイギリス人がと思って調べてみましたら、Roger John Gilbert“Rog" Burney予備少尉他2名はアメリカのポーツマス工廠に行くために、バミューダ諸島から便乗したのですね。そして、シュルクーフは、当時、船団護衛に潜水艦を活用するという試みがなされていたため、アメリカ貨物船トムソン・ライクスThompson Lykesに衝突されてカリブ海で全乗員とともに沈没したわけです。
 また、享年22歳と、ブリテンより6歳も年下ですので、不思議に思いましたが、この人はセント・ポール教会の聖歌隊で歌っていた人で、ピアーズの友達のようです。なお、Piers Dunkerleyは海兵隊大尉で、1959年6月、結婚の2ヶ月前に自殺、Michael Hallidayはニュー・ジーランド陸軍の予備大尉で、ともにブリテンの親しい友人だったようです。あと、David Gillは水兵のようですが、この人のことは良く分かりません。
 いらないことばかりで申し訳ありません。
 


『戦争レクイエム』作品解説猫ノ宮2013/11/26 [23時24分25秒]
 ブリテンは記念ミサのために、全ての戦争による犠牲者を悼む鎮魂曲として、そして平和を祈る歌として、ブリてんとしては初の大規模声楽曲となる『戦争レクイエム』作品66を書き上げました。

 シンフォニア・ダ・レクイエムが両親の思いでに捧げられたのと同様に、こちらも先の戦争で亡くなった4人の友人を弔う意味がありました。
 フランスの巨砲潜水艦シュルクーフに乗っていて撃沈されたロジャー・バーニー、ノルマンディー上陸作戦で負傷して捕虜となり、戦後に自殺したピアーズ・ダンカリー、地中海で戦死したデビッド・ギル、従軍中に行方不明になったマイケル・ハリディですにゃ。


 ブリテンの『戦争レクイエム』は6曲構成で、以下のようになってます。

I. 永遠の安息 (Requiem aeternam)
II. 怒りの日 (Dies irae)
III. 奉献唱 (Offertrium)
IV. 聖なるかな (Sanctus)
V. 神羊誦 (Agnus Dei)
VI. 我を解き放ち給え (Libera me)

 最大の特徴は、ラテン語の典礼文の他にイギリスの戦争詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩(もちろん英語)を取り入れたところですにゃ。
 オーウェンは第一次大戦に従軍して、西部戦線で迫撃砲に吹き飛ばされて負傷、イギリスに後送されて療養中に文学サークルで詩人のジークフリード・サスーンと出会い、自作の添削をしてもらったりして数々の作品を残してます。その後、回復した彼は戦場に戻り、第一次大戦が休戦となる一週間前に戦死してしまったのですにゃ。


コヴェントリー大聖堂と『戦争レクイエム』猫ノ宮2013/11/23 [18時25分30秒]
 1962年、イングランドはウェスト・ミッドランズ州のコヴェントリーにある聖マイケル聖堂(コヴェントリー大聖堂)が再建され、ブリテンにその献堂式で歌う記念ミサの作曲依頼がやってきました。

 コヴェントリーはイギリス中部の工業都市であることから、1940年8月からたびたびドイツ軍の爆撃に曝されることになります。
 なかでも11月14日の大空襲はひときわ烈しく、11世紀のベネディクト派の修道院を母体として14世紀に建てられた大聖堂も、外壁の一部を残して焼け落ちてしまいましたにゃ。
 このことから「爆撃で破壊する」と言う意味の"coventrate"て単語が生まれたくらいだそうで、大きな辞書には載ってるようですにゃ。日本で言えば「ヒロシマ・ナガサキ」とカタカナで並べたら原爆のことを指すようなもんですかにゃー。
 ちなみにこの聖堂跡と広島の平和祈念公園とには、同じ銅像が置かれてるそうですにゃ。

 新聖堂は破壊された聖堂の遺跡を残したまま、その横の敷地に建てられました。ぐぐるマップで見ると、現在の聖堂の南側に壁だけとなった旧聖堂が残されているのがわかりますにゃ。
https://maps.google.co.jp/maps?ll=52.408166,-1.506034&spn=0.002415,0.003455&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,0&z=18
http://goo.gl/maps/AVVIM


コヴェントリー大聖堂と『戦争レクイエム』猫ノ宮2013/11/23 [18時23分03秒]
 1962年、イングランドはウェスト・ミッドランズ州のコヴェントリーにある聖マイケル聖堂(コヴェントリー大聖堂)が再建され、ブリテンにその献堂式で歌う記念ミサの作曲依頼がやってきました。

 新聖堂は破壊された聖堂の遺跡を残したまま、その横の敷地に建てられました。ぐぐるマップで見ると、現在の聖堂の南側に壁だけとなった旧聖堂が残されているのがわかりますにゃ。
https://maps.google.co.jp/maps?ll=52.408166,-1.506034&spn=0.002415,0.003455&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,0&z=18
http://goo.gl/maps/AVVIM


コヴェントリー大聖堂と『戦争レクイエム』猫ノ宮2013/11/23 [18時22分18秒]
 1962年、イングランドはウェスト・ミッドランズ州のコヴェントリーにある聖マイケル聖堂(コヴェントリー大聖堂)が再建され、ブリテンにその献堂式で歌う記念ミサの作曲依頼がやってきました。

 新聖堂は破壊された聖堂の遺跡を残したまま、その横の敷地に建てられました。ぐぐるマップで見ると、現在の聖堂の南側に壁だけとなった旧聖堂が残されているのがわかりますにゃ。
https://maps.google.co.jp/maps?ll=52.408166,-1.506034&spn=0.002415,0.003455&t=h&brcurrent=3,0x0:0x0,0&z=18
http://goo.gl/maps/AVVIM


戦時中の活動猫ノ宮2013/11/20 [23時28分37秒]
 この時期の戦争がらみの作品としては、ミュンヘン郊外のアイヒシュテットにある将校捕虜収容所VII-Bに捕まってるリチャード・ウッドが収容所内で企画した音楽会のために、『小姓マスグレイブとバーナード夫人のバラード』(The Ballad of Little Musgrave and Lady Barnard)と言う合唱曲を1943年に書いてます。
 それからオペラの代表作『ピーター・グライムズ』の作曲もこの時期(1944年)ですにゃ。

 もう一つ重要なのは1945年の4月、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインと一緒に解放直後のベルゲン・ベルゼン強制収容所に赴いて、慰問演奏会を開いたこと。
 ベルゲン・ベルゼンは当初、「交換ユダヤ人」と呼ばれるユダヤ人の収容所でした。連合国側に取り残されたドイツ人と交換するための、連合国の国籍を持っていたり、なにかしら重要人物と目されるユダヤ人のことですにゃ。
 しかしそういう「交換」はなかなか思うようには進まず、後に他の収容所で発生した病人を集めておく休養収容所に変わっていきます。休養と言っても碌に手当をするわけでもなく、逆に重病人はフェノール注射で殺害したりしてたそうですし、チフスが蔓延して解放時には大変ひどい有様だったようです。
 ちなみにこの収容所はアンネ・フランクが亡くなったところとしても知られてますにゃー。
 ブリテンにとってここでの体験は非常に鮮烈であったようで、これ以後の諸作品に色濃く影響を与えている、と本人も認めているそうですにゃ。


帰ってみれば猫ノ宮2013/11/18 [22時44分15秒]
 ブリテンが留守の間、イギリスでの評判がどうだったかというと、なんかもう敵前逃亡でもしたかのような扱いで、作品の演奏をボイコットされたりとかしてましたにゃ。
 もともと仲間内の陰口が嫌で出国したわけですから、残った連中があることないこと触れ回ったのかも知れませんにゃー。どうも兵役拒否のために渡米した、みたいな話はこの頃の本国での噂が出どこみたいです。

 帰国後のブリてんは、ピアーズと一緒にジョージ・クラッベゆかりのオールドバラに腰を落ち着け、なんとか良心的兵役拒否者(conscientious objector)として扱ってもらうことができました。まあ結局のところ兵役拒否はするんですけど、そのためにわざわざアメリカに渡る意味は無いというわけですにゃ。
 良心的兵役拒否とは言っても、戦争に出なくていい代わりに銃後での勤労奉仕(農業生産とか)が義務づけられたりするわけですけど、作曲家にそれはあんまりだってことで、裁判所にかけあって「CEMA(Council for the Encouragement of Music and the Arts 音楽及び芸術奨励協会とでも訳すのかにゃ)のために公演を引き受けること」て条件で折り合います。
 要はドサ回りの慰安演奏会をやれ、ってことで、いわば山田耕筰のとこに出てきた音楽挺身隊やドイツの歓喜力行団のイギリス版ですにゃ。平和主義者であっても落ち着くところは似たようなもんになっちゃうのは皮肉ですにゃー。
 てゆーかどの国も同じようなことやってますにゃ。アメリカのグレン・ミラーも慰問公演の巡業中に命を落としてますしにゃ。


また別の船団猫ノ宮2013/11/15 [20時31分24秒]
 ちょっと余談ですけど、護送船団と作曲家と言うと、同じイギリスのジョージ・ロイドが軍楽隊のメンバーとして巡洋艦トリニダード(HMS Trinidad)に乗り組んで、船団護衛にあたってたんですにゃ。政治家のロイド・ジョージじゃありません。
 1942に「PQ 13」船団、てのはシベリウスのとこで出てきたムルマンスク鉄道の終点ムルマンスクに対ソ援助物資を届ける船団で、これを護衛してるとき、船団がドイツの駆逐艦に襲撃されました。トリニダードは僚艦と共に首尾良く敵を撃退しましたけど、この時に発射した三本の魚雷のうち一本が故障して、大きく弧を描いて戻ってきて、撃った本艦に命中してしまいます。
 沈没こそ免れたものの、この魚雷で楽隊の32人が戦死、ロイドはなんとか生き残ったんですけど、この一件のせいでひどいシェルショックになってしまいました。いわゆるPTSDてやつですにゃ。

 その後の1951年、Festival of Britainて博覧会にオペラを依頼され、ロイドはエイジンコートの戦いのその後を描いた『ジョン・ゾックマン』を寄せたんですけど、予算の関係で演奏されず、ブリてんの『ビリー・バッド』に舞台を持ってかれてますにゃー。余談終わり。
20件以上の発言は削除されます。

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