蒼空の果てに

はじめに

 大東亜戦争が終結してからすでに半世紀以上が経過した。その間数多くの「戦記」 が出版された。だが、その大半は勇壮な戦場の物語りである。その上内容を補足する ためか、事実に反する創作が数多く見受けられる。  しかし、戦いに敗れて生き残った者が、いまさら戦争を美化するような自慢話を書 き残しても始まらない。それよりも、わが身を犠牲にして祖国のため大空に散華され た英霊の事績や、残されたご遺族のご存念を、次の世代へ語り継ぐことこそ必要では ないだろうか。  若くして、海軍甲種飛行予科練習生を志願し、大空に消え去った同期の友は、純粋 に国家の繁栄と肉親の安寧を願ってわが身を犠牲にしたのである。しかし、戦争中は 国民から畏敬の念をもって迎えられた「神風特別攻撃隊」も、終戦後は単なる無駄死 にとしか評価されなくなった。そして、己の青春を祖国防衛の礎として捧げた英霊に 対して、なんら報いることのできない世の中に変わり果てたのである。 長い歳月の流れにかかわらず、若くして蒼空の果てに消え去った同期生の面影が、 今も眼前に彷彿とする。昭和初期に生まれ、満州事変、支那事変そして大東亞戦争と、 戦乱の昭和を生きてきた私には、戦争を抜きにして己の人生を語ることはできない。  幸か不幸か私は生きて終戦を迎え、平成の世まで命永らえることができた。そこで、 戦没同期生の慰霊とその功績を後世に残したいと願い、集めた資料と己の体験をもと に「神風は吹かず」「かえらざる翼」「白菊特攻隊」を出版した。いずれも、戦没同 期生に捧げる鎮魂の書である。  このたび、次の同期生のご遺族が大切に保管されていた、遺書や遺稿を拝読させて いただいた。また、英霊の生い立ちや生前のご様子などもお伺いすることができた。 「菊水銀河隊」西山典郎君。山口昭二君。 「第七銀河隊」江藤賢助君。   「第一正気隊」弥永光男君。 「第二正統隊」小野義明君。福田周幸君。伊東宣夫君。 「八幡神忠隊」犬童憲太郎君。 「第四御盾隊」岩部敬次郎君。  だが、これはごく一部にしか過ぎない。この限られた遺書や遺稿などを拝読しながら、 「特攻」という非情な命令に抗する術もなく、ただ黙々と戦って散華された数多くの声 なき声を収録できたらとの思いが募る。そこで、彼らの遺書やご遺族のご存念、それに 生存同期生の回想を収録して「かえらざる翼」を出版した。  また他のご遺族「八幡護皇隊」の堤昭君の父親、同じく「八幡護皇隊」の小河義光君 の母親「第六銀河隊」の光石昭通君の母親、それに「第九桜花隊」の相川和夫君の姉上 からお便りを戴いた。ところが、どなたも遺書や遺稿などは受け取っていないとのこと であった。はじめから書かなかったのか、それとも、書かれた遺書が検閲によって発送 を差し止められていたのか、今となっては確かめようもない。
一、鉄砲玉とは 俺らのことさ  待ちに待ってた 門出ださらば   戦友よ笑って 今夜の飯は  俺の分まで 食ってくれ
二、でっかい魚雷を 翼に抱え  俺の得意は いざ体当たり   愉快じゃないか 仇なす艦に  上げる火柱 水柱
三、男命は 桜の花よ  散って九段で また咲き香る   死んで生きるが 雷撃魂  散って香るが 大和魂
四、若い翼を 茜に染めて  燃ゆる機上で ニッコリ笑う   それでいいのさ 俺らの一生  残す言葉も 遺書もない
 これは当時よく歌った「雷撃隊の歌」である。皆の前では元気に歌っていた彼らだが、 今生の別れに、話したい事や書き残したい言葉があったに違いない。だが、 大多数の者 はこの歌の文句のように、遺書も残さずただニッコリ笑って散り果てたのである。  残された数少ない遺書や遺稿から、彼ら戦没者の心情やご遺族の存念をくみ取ってほ しいとの願いを込めて「ホームページ」を開設致しました。戦没同期生の慰霊顕彰と、 昭和史の一頁に残る歴史的証言として後世に残せれば幸いです。  なお関係各位からたくさんの資料を頂戴しながら、技量未熟のため充分に活用出来な かったことを深くお詫び致します。   2001年5月            ホームページ開設にあたり  永 末 千 里 記
 
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太平洋行進曲
[AOZORANOHATENI]