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航空母艦
 

(2005/2/7更新)
水上機母艦ペガサス
英海軍は大戦前年の演習の結果、偵察などへの洋上での航空機の能力に着目、起工したばかりの商船を購入、改設計の上”空母”として就役させました。
それがこの「アーク・ロイヤル」です。

第一次大戦中は主に地中海で活動、戦後はカタパルト、ハインマットの実験等に用いられ幾多の貴重な実績を残しました。
1934年には新型の空母にその名を譲り「ペガサス」と改称され、第二次大戦中はカタパルト艦としてスカパフローに在り、防空の一端を担いましたが、1944年宿泊艦となり戦後の1947年売却に到りました。
一説には1939年プリ−ン艦長のU-47がスカパフローに進入し戦艦ロイヤルオークを撃沈した際、この艦もレパルスと誤認され雷撃を受けたとする説もありますが定かではありません。

アイコンは1933年5月、実はアークロイヤル当時の写真の状態を参考にしてます。完成時との主な相違は艦首フラット部にカタパルト搭載、艦尾のマスト撤去(あるいは短縮)が認められます。

計画時の要目 
排水量7.020t 111.6m*15.5m*5.3m 計画出33.000hp 計画速力10.6kt10pdr単装砲*4 搭載機10
1914年竣役 1947年売却

(2006/4/14更新)
水上機母艦アルバトロス
1928年オーストラリアで建造されたされた水上機母艦で同国に初の艦隊航空戦力をもたらしました
本艦はそれまでの英本国での水上機母艦の実績を考慮した設計で全長の60%を超える船首楼全体を格納庫とし高い航空機運用能力を持っていました。また12.000hpの蒸気タービンにより発揮速力は20ktと同種艦としては高速で艦隊随伴能力が与えられています
1930年代後半に水上機搭載の巡洋艦が本国より引き渡されたため本艦の意義は薄くなり、1938年英本国に引き渡されました
WW2時は南大西洋にあり搭載のウォーラス哨戒機の航続力を活かし船団護衛任務に就きました。1942年工作艦に改装、東洋艦隊、本国艦隊などに配属、終戦時は予備役にあり戦後売却されました

計画時の要目
排水量6.000t 135.3m*17.7m*5.0m 計画出力12.000hp 計画速力20kt 4.7in単装高角砲*4 搭載機9

(2005/1/19更新)
航空母艦アーガス(1918)
大戦勃発後、艦隊航空力の強化が求められた英海軍は水上機母艦に替わる陸上機の運用が可能な艦船の整備が急務となりました。建造中の巡洋艦の改造(フュ-リアス、ヴィンディクティブ)に加え未成のイタリア客船を購入かねてより空母の研究を進めていたビアードモア造船所により初の平甲板を持つ空母として完成しました。

完成後は1930年代半ばまで艦隊に有り、英海軍に貴重な空母運用の実績を残しました。しかし多くの近代的空母が就役すると20ktの速力では艦隊随伴に支障を来たし、1937年、標的機母艦として使用され第二次大戦時は発着艦訓練に用いられていました。
しかし緒戦に多くの空母を失い、また戦前の予想を越える空母の有用性から、1940年以降マルタ島への航空機輸送、バレンツ海での船団護衛などに活躍しました。

アイコンは完成当時、第一次大戦中のダズルペイント描いた状態で作成しました。搭載機は前がキャメル、後ろがストラッターのつもりなんですがどう見えるでしょう?

計画時の要目
基準排水量14.450t 172.5m*20.7m*6.4m 計画出力20.000hp 計画速力20kt
4in高角*4 搭載機20機

(2006/4/14更新)
航空母艦「フューリアス」第一次改装後(1918)
完成当初のフューリアスは巡洋戦艦と呼称されていましたが、砲塔を撤去する改装を施したこの状態になって以降は「航空母艦」とされたようです。

(2005/2/7更新)
航空母艦イーグル(1939)

(2005/2/20更新)
航空母艦ハーミーズ
陸上機を搭載することを目的として計画、設計された世界初の艦船です。
1917年7月に発注、1918年1月には起工されましたが大戦終結により完成を急ぐ必要が無くなったためと、アーガス、フュ−リアスの実績を参考にしたため艤装に手間取り完成までには6年を要し”世界初の正規空母”の名は”鳳翔”に譲ることとなりました。

しかし全通したフラットな甲板(鳳翔は前下がりの甲板・・・アーガスに習う?)、右舷の比較的大型のアイランド、エンクローズドバウなど、近代空母の条件を完成当初より備えていました。
反面、建造当時の要求性能により小型に過ぎ(艦隊の索敵が主目的)、搭載機も少なく運用の柔軟性に欠け、(当初20機、後に機体の大型化により12〜15機)近代化改修の余地もなく、ほぼ完成当時の姿のままで第二次大戦に参加、セイロン沖にて我が南雲機動部隊の圧倒的な力により撃沈されたのは周知です。

アイコンは1938年頃、参考にした写真には無かったのですが寂しいのでソードフィッシュ乗せてみました。沈没時の姿はトップマスト頂部に帰投用ビーコン乗ったくらいであまり変わりないようです。

計画時の要目
基準排水量10.950t 182.3m*21.3m(船体)27.4m(甲板)*5.7m 計画出力40.000hp 計画速力25kt 5.5in単装砲*6 4in単装高角砲*4 搭載機20機
1923年竣工 1942年戦没

(2005/3/10更新)
航空母艦アークロイヤル
大戦間に建造された唯一の英空母です。米国のヨークタウン、日本の飛龍と並び近代空母の原型となりました。
技術的には飛行甲板を強度甲板にしたこと、エンクローズドバウなど現代の米大型空母陣にも繋がる特徴を備えて日米に優っていましたが実用的には搭載機の数、作業性能などヨークタウン級に一日の長があったようです

アイコンはビスマルク追激戦当時の姿想定してますが、竣工当時より目立った変化はないようです。塗色は濃灰系、沈没時は前後ナックルフレアーの下部のみさらに濃い目の塗装になってます(ダークブルー?)

計画時の要目
基準排水量22.000t 234.8m*28.9(水線部)m*7.0m 計画出力102.000hp 計画速力30.8kt
4.5in連装両用砲*4 2pdr8連装ポンポン砲*6 搭載機72機(実際は60機程度)

(2005/2/7更新)
航空母艦イラストリアス(1941)
第2次大戦中のイギリス海軍の主力空母

1930年代後半、イギリス海軍は将来の航空戦について研究を行った結果、艦船に対する航空機による攻撃は避けられず、その攻撃から空母は固有の搭載機を保護する必要があると結論づけられました。
前作のアークロイヤルは航空機運用能力において問題ないと考えられたものの、研究成果からはじき出された新たな必要性の点ではなお不十分であり、従ってアークロイヤルをベースにしつつ、格納庫周囲を重装甲化して対処したのがこのイラストリアス級のコンセプトになります。
折から第2次ロンドン条約の個艦排水量上限23,000トンの制約を受けたため、アークロイヤル並の航空機運用数と重装甲を両立させることができず、飛行甲板、格納庫側面、更に船体内部水平面などに戦艦級の重装甲を得たものの、その代償として仕方なく格納庫を1段、搭載機数を前作から半減して30機強で忍ぶ事になりました。
(この点は考慮の余地ありとされ、4番艦インドミダブルでは一部設計を変更して搭載機5割増。5、6番艦では装甲減など大幅に設計を改めて原型の倍近い艦載機を運用可能としています→インプラカブル級)
このようなイラストリアス級でありましたが、アークロイヤル以外は全て旧式・改装空母で戦争を迎えたイギリス海軍にとりまさしく本級の登場は干天の慈雨の如き観があり、果たして完成早々の1番艦イラストリアスがタラント軍港のイタリア戦艦3隻を一挙撃沈破する快挙を挙げて(1940年11月)、本級の名を高らしめる事になりました。
その後も同級は完成次第、単艦ごとに戦場に投入されるという厳しい局面で東奔西走することになりましたが、本級の数多い敵でも最大の宿敵と言えるのがドイツ空軍の急降下爆撃機(シュトゥーカ)Ju87で、タラントの武名によりヒトラー直々の撃沈命令艦に指名されたイラストリアスは、タラント攻撃から僅か2ヵ月後、シュトゥーカ隊の猛攻に装甲飛行甲板も破られ大破(41年1月)、3番艦フォーミダブル(41年5月)、4番艦インドミダブル(42年8月)など、ドイツ空軍との戦闘で本級はしばしば激しい損傷を蒙りました。
本級の活動場面は北海、大西洋、地中海、インド洋、そして大戦末期には太平洋や日本近海にも及び、文字通りイギリス空母陣営の主力として大きな働きを見せ、そして全艦無事に大戦を乗り切りる事ができました。
戦後ジェット機運用のために大改装されたヴィクトリアスを除き退役、そのヴィクトリアスも戦後の艦載機更新の波に呑まれて1968年除籍され、本級はその長い活動を終えることになります。

総じて同級は同時期の日米空母に比べ、搭載機の劣位もあって攻撃力の面で大きく水をあけられましたが、装甲空母というコンセプトを実用としては初めて運用に試し、その効果と限界の両面を実証した点で、戦後型の超大型空母に多大な貢献をしたものと評価されています。
同型艦
1stグループ(原型)「llustrious」「Victorious」「Formidable」
2ndグループ(改型)「Indomitable」

(2005/9/11更新)
航空母艦ユニコーン
本来は1938年度計画で建造された航空機工作母艦(Aircraft Maintenance Carrier)です。
脆弱で故障の多い当時の航空機を洋上で使用することは、当然稼働率の更なる低下を招き平時でも
空母搭載機の10〜15%は常に作戦不能と言う状態が見られました。
これらの整備に貴重な艦隊空母の格納庫スペースを割くことを非効率と感じた英海軍は故障が生じた際に
速やかに代替機を供給、引き取った要整備機の整備に専従できる艦種を建造することとしました。

しかし本艦が就役した1943年は、最悪の時期は脱したものの大陸への反攻の開始時期であり、
(チャーチルの言うところの”終わりの始まり”)用兵側の空母への要求は増大する一方で
速力を除いては艦隊型空母と伍して作戦することのできる本艦を専ら補助的任務に専従させる
余裕はありませんでした。

速力、防御力に難はあるものの、イラストリアス級原型に準ずる35機を運用できる本艦は、
その頃多数就役しつつあった護衛空母に比較すれば遥かに有力で、サレルノ上陸を始め多くの作戦に従事、
大戦末期、コロッサス級が出揃うまで空母として行動しました。

戦後は本来の任務に戻り、朝鮮戦争ではシンガポール、佐世保などの主要港と
作戦中の空母陣との橋渡し役を勤め1950〜1953年の戦争期間中に130.000マイルに及ぶ航海、
600機の航空機を手懸け、6.000名の兵員を輸送しました。

戦後、予備役を経て1958年に除籍解体、本艦が残した実績はその後も”ハリアー・キャリアー”などの
アイディアを想起させるきっかけとなっていますが、なにぶん英国のこと
そのほとんど全てが残念ながら予算の制約により実現されていません・・・・

余談ですが英国に並ぶ(むしろ凌駕する?)空母運用国である米国は、インディペンデンスなどの
軽空母、あるいは有り余る護衛空母を同種の任務に充当、格別、専従艦種の必要性は
感じていなかったようです。

アイコンは1945年12月とされる写真参考にしています。1943〜1944年頃の迷彩が
見栄えするのですが右舷側がよくわかる写真が少なく、残念ながら舷側の上下濃淡塗り分け程度のシンプルな塗色です。
搭載機は大戦後期らしくターポンとファイヤフライ、無料素材集のアイコン参考にしました

計画時の要目
基準排水量14.750t 195.2m*27.5(水線部)m*5.8m 計画出力40.000hp 計画速力24kt
4in連装両用砲*4 2pdr4連装ポンポン砲*3 搭載機35機

(2003/9/26更新)
航空母艦インヴィンシブル
当初は空母の運用を断念した英海軍での対潜巡洋艦として計画されましたが、シーハリアーの採用、スキージャンプの設置などにより艦隊軽空母としての役割を担うことになりました。この目論見は見事に当たり、対アルゼンチン機との戦闘では、最新のAIM-9L空対空ミサイルの威力も相まって、圧倒的なスコアで勝利を挙げ、その後各国でV/STOL空母が導入されるきっかけとなっています。しかしながら合計20機ほどのシーハリアーだけではエアカバーにも限界があったわけで、エクゾセに仕留められたシェフィールドは別としても、コヴェントリーやアンテロープといった直衛艦たちが通常爆撃でやられていることがそれを物語っているように思われます。
ちなみに本艦はオールガスタービン化した初の空母でもあります。
フォークランド紛争派遣後、戦訓によりCIWSが追加されたほか、改装でスキージャンプは7度から12度にアップされました。

満載排水量19,500トン 搭載機:シーハリアー8機、シーキング11機。兵装:シーダート2門×1、シーキャット×2

戦艦
 

(2002/10/24更新)
戦艦ロイヤル・ソヴリン
1889年に議会に提出された艦隊演習報告書で「二国標準」(イギリスは仏露の合計に匹敵する海軍力を整備しなければならないという考え方)が唱えられ、それに従い、5年間に一等戦艦8隻、二等戦艦2席を含む70隻の建艦計画が決定されました。本艦はその一等戦艦の第一弾です(この艦名はこの艦で二代目のようです。三代目がR級1番艦となります)。

本艦は従来艦に比して高い乾舷を持ち、荒天時における凌波性と速力発揮は格段に向上していました。本級は当時の戦艦に求められたほとんどの性能を満たし、その船体や武装配置、防御や速力などは諸外国の戦艦の原型とされ、世界最初の近代戦艦と評されています。
本艦の主砲は乾舷が高くなったことに対応して、砲塔ではなく露天形式となっています。これは重量の他に仰角を高く取れ、主砲発射時のガス抜きがしやすいという利点がありますが、速射砲の炸裂弾から砲員を守るすべがないため、早期に第一線を退きました。

ちなみに日本最初の戦艦となった富士は、本艦をタイプシップとして建造されました。

(2004/2/26更新)
戦艦ドレッドノート
 

(2004/2/26更新)
(2004/3/30更新)
戦艦ベレロフォン
 「ドレットノート」の成功で同形式の艦の必要性を認識した英国海軍は、同艦の竣工二ヵ月後の1906年12月、小改良を加えた量産型弩級艦の建造に乗り出す。これがこの「ベレロフォン」級である。
前級との外見での大きな相違点は、三脚マストが二本になったことである…というより、そのぐらいしか目に付く違いはない気もする。
武装面の改良としては速射砲の増強があり、前級のものより口径を1吋大きくした4吋砲を採用した。ただしその搭載方法は相変わらずで、そのうち半数が主砲の真上に剥き出しで配備されていた(これらは第一次大戦時に撤去)。
なお、同級艦に「シュパーブ」「テメレアー」がある。

武装:45口径12吋砲10門、50口径4吋砲16門、18吋魚雷発射管3

(2004/2/26更新)
(2004/3/30更新)
戦艦セント・ヴィンセント
 

(2004/2/26更新)
戦艦ネプチューン
「ドレットノート」から建造されつづけた英国弩級艦は全て10門の主砲をもっていたが、中央の2つの砲塔は並列に並んでいたため、そのうち片舷に向けられる砲は8門でしかなかった。
この問題点を解決する案として「梯形配置」、すなわち両舷にある2基の主砲を前後にずらし、またその周辺の障害物を取り払うことで、両側面に全部の主砲を撃てるようにする工夫が試された。
この「ネプチューン」は、この梯形配置の実用性を試すために建造された実験戦艦である。
後部2砲塔は、英国艦でははじめての背負い配置であることも特徴である。
(英国建造艦まで含めると、ブラジルが発注した戦艦「ミナス・ジェライス」が、先にこの配置を採用している)
これらの配置の有効性が確認されたためか、この艦が建造された次の年には、同種の主砲配置を持つ量産型のコロッサス級が建造開始された。
また、この級以降は主砲上面の速射砲が全廃されている。

武装:50口径12吋砲10門、50口径4吋砲12門、18吋魚雷発射管3基

(2004/2/26更新)
戦艦コロッサス
この「コロッサス」は、前「ネプチューン」級の略同型艦であり、よって主砲配置はほぼ同じである。
前級との大きな相違点はマスト(2本が1本になった)と、副砲配置の変更である。
同級艦に「ハーキュリーズ」がある。

武装:50口径12吋砲10門、50口径4吋砲16門、21吋魚雷発射管3基

(2004/2/26更新)
(2004/3/30更新)
戦艦オライオン
新型砲の開発成功と「ネプチューン」級における背負い配置の成功を踏まえ、「コロッサス」級と同時並行で建造された戦艦である。
13.5吋連装砲塔を前後に背負い配置で(中央部にも砲塔一基がある)に搭載し、片舷10門発射と言う点では前級と同一でも、主砲口径の分だけ既存弩級艦を凌ぐ火力を持つため、この「オライオン」級以降の(12吋以上の砲を積む)戦艦は「超弩級艦(Super-dreadnought)」という呼称で呼ばれることとなった。
同級艦に「コンカラー」「モナーク」「サンダラー」があり、ジュットランド海戦では4隻ともグランド・フリートの主軸として活躍した。

武装:45口径13.5吋砲連装5基10門、50口径4吋砲16門、21吋魚雷発射管3基

(2004/2/26更新)
(2004/3/30更新)
戦艦キング・ジョージV世

(2004/2/26更新)
戦艦アイアン・デューク
英国超弩級戦艦の第三陣として建造されたこの「アイアン・デューク」級は、「キング・ジョージ五世」級のさらなる改良型である。
特徴としては、敵駆逐艦の大型化に対応し、副砲を6吋まで強化したことが上げられる。
またこのクラスから、航空機による攻撃への対策として、建造当初から高角砲を搭載するようになった。
同級は偶然にも第一次世界大戦の勃発直前〜直後に竣工、まさに英国の最新鋭戦艦としてこの大戦を戦い抜いた。
同級艦に「マールボロ」「ベンボー」「エンペラー・オブ・インディア」があるが、特にネームシップの「アイアン・デューク」は、大戦を通じてジェリコー提督が座乗し、グランドフリートの総旗艦として活躍した。
このクラスの艦はワシントン軍縮条約でも生き残ったが、ロンドン軍縮条約では「アイアン・デューク」のみが練習戦艦に格下げされたうえで残存、残りは解体された。
ところが「アイアン・デューク」は第二次世界大戦でも「プリンス・オブ・ウェールズ」の囮戦艦としてバトル・オブ・ブリテンに参加し、そのまま終戦まで生き延びたのである。

武装:45口径13.5吋砲連装5基10門、45口径6吋砲12門、3吋高角砲2門、21吋魚雷発射管4基

(2004/2/26更新)
戦艦エイジンコート

(2004/3/4更新)
戦艦エリン
この艦はもともとトルコがイギリスに建造を依頼した戦艦「レシャディー」であったが、第一次世界大戦の勃発に伴い、建造中の同艦をイギリスが強制的に接収、竣工させた上で本国艦隊に編入したものである。
特徴としては、その当時トルコにあった最大のドックに入渠できるよう、艦の長さを「オライオン」級より短くしていることがあげられる(その分幅はやや広い)。
だが、海外受注艦でありながらも、その「オライオン」級などと同等の主砲火力を持つ艦であり、副砲火力に至っては改良艦の「アイアン・デューク」と口径同等、門数は4門多かった。
ジュトランド海戦には、「オーダシアス」を失った「キング・ジョージV世」級からなる戦隊に同艦の代理として加わり、主力の一翼を担った。

(2004/3/4更新)
戦艦カナダ
この艦は、もともと英国がチリのために建造していた戦艦「アルミランテ・ラトーレ」だったが、第一次世界大戦の勃発に伴い、同型艦で同じく建造中であった「アルミランテ・コクレーン」とともに英国が購入したものである。
「アルミランテ・ラトーレ」はこのときすでに進水しており、「カナダ」と改称されて竣工、英国唯一の14吋砲搭載戦艦としてジュットランド海戦に参戦した。
一方「〜コクレーン」は同じく「インディア」となるはずだったが、こちらは購入時点では未完成だったために計画が変更され、改装の末に世界初の航空母艦「イーグル」となっている。
(日本の「鳳翔」も同様に呼ばれるが、「鳳翔」は『最初から航空母艦として建造された艦としてならば世界初』である。)
第一次世界大戦終結後、この艦をもともと受け取るはずだったチリが、名前も予定していた「〜ラトーレ」に戻して再購入し、その後同国では1959年まで現役艦艇として運用されていた。

(2004/3/4更新)
戦艦クイーン・エリザベス(1914)
1912年の時点で、英国海軍は弩級戦艦10隻、超弩級戦艦12隻、弩級巡洋戦艦10隻を竣工、ないしは建造していたが、ドイツを始めとする各国も弩級戦艦の増勢に掛かっており、対抗するにはより強力で機動力がある艦艇が必要となった。
そこで1912年、英国は「超超弩級戦艦」とも言うべき、15吋砲を搭載した大型戦艦の建造に着手した。これがこの「クイーン・エリザベス」級である。同級艦は4隻、「ウォースパイト」「バーラム」「ヴァリアント」、これにマレー連邦からの献金で建造された「マラヤ」がある。
同級は当時の水準からすれば怪物のような性能の戦艦で、建造当時世界最強の破壊力を持つ主砲もさることながら、速力は23ノットと従来戦艦より2ノット高速、防御力までも既存超弩級艦を上回っていた。
この艦は機関自体は蒸気タービンのままなのだが、蒸気を沸かす缶の燃料を重油専焼としたことで、それまでの重油石炭混焼よりも格段の出力を得ることが出来たのである。
第一次大戦勃発直後に続々竣工した同級は、ジュットランド海戦に「クイーン・エリザベス」以外の4艦が参加、全艦が独艦隊から滅茶苦茶に撃たれたにも関わらず、その重防御が幸いして喪失艦はなく、逆に大火力によって独艦隊に痛打を与えたのである。
そしてワシントン、ロンドン軍縮条約を生き延びた同級は、一部の艦が大改装を行ったのち、全艦が第二次世界大戦に参戦。この戦争では「バーラム」が潜水艦の雷撃で失われたが、一方で「ウォースパイト」は北海・地中海で枢軸海軍相手に奮戦し、さらにはドイツ自慢の誘導爆弾を食らっても沈まず、その不死身ぶりを見せつけた。
さすがに大戦終結後は残った全艦がお役御免となり解体されたが、同級5隻は世界軍艦史において最も活躍した艦艇といえよう。

(2006/5/23更新)
戦艦「クイーン・エリザベス」大改装後(1941)
英海軍戦艦"Queen Elizabeth”級"クイーン・エリザベス(Queen Elizabeth)第二次改装後”です
クイーン・エリザベスの第二次改装はヴァリアントに遅れること5ヶ月、ウォースパイトの工事終了を待って1937年8月より実施されたました
改装の要領はヴァリアントとほぼ同じでしたが工事がポーツマスで行われたため(ヴァリアントはデヴォンポート)独空軍の爆撃により工事は遅延、最終艤装はロサイスに移動して行われ、完成は1941年1月末となりました。またマスト形状など搭載された電側兵器の違いからかヴァリアントとは多少異なっています
完成と同時に本国艦隊第2戦艦戦隊に配属、5月には有名な”タイガー船団”の護衛のため地中海に移動そのまま地中海艦隊に編入艦隊旗艦となりました
アレクサンドリアを母港としてマルタへの船団護衛、クレタ島撤退の支援などに活躍しましたが1941年12月にヴァリアント同様イタリア人間魚雷の攻撃を受け大破、米国での修理のため1943年6月まで戦列を離れました。修理後本国艦隊に配備されましたがまもなく東洋艦隊に編入、1945年7月まで陸上砲撃などに活躍しました。戦後予備役となり1948年解体のため売却されました

アイコンはWW2少なくとも3度塗り替えられた同艦の最初のカモフラージュパターンです。中長距離での水上砲戦を対象にしたパターンで甲板はホームフリートグレーだそうです。このパターンは修理のためアメリカへ回航された1942年6月まで続き、修理後はマラヤのアイコンに似たブルーグレー、チャコールグレーを含んだ3色迷彩となっています。参考にした写真により煙突後部左舷側のクレーンが作業状態となっていました。クレーンを持ち上げるとワイヤーを支えるブームが出てくる形式で興味深いのでその状態でアイコン化しています

第二次改装後の要目
基準排水量32.390t 194.8m*31.7m*10.4m 計画出力80.000hp 速力23.5kt 15in連装砲*4 4.5in連装高角砲*10 2pdr8連装ポンポン砲*4

(2004/3/4更新)
戦艦ロイヤル・オーク(1916)
「クイーンエリザベス」級戦艦は建造当時世界最強の戦闘力を誇っていたが、その燃料が当時産出量が少なかった重油であることから、その運用費は高くついた。一方イギリスはウェールズなどに高品質炭田を持っていたので、可能なら自給できる石炭を燃やした方が燃料代は安くつくはずであった。
また、同級建造のころには仮想敵国であるドイツがぞくぞくと弩級艦を竣工させていたため、対抗のために一隻でも多くの超弩級戦艦を作ることが望まれていた。
そこで、火力・防御力は前級と類似、一方で機関を重油石炭混焼に戻し、建造費や運用費を抑えた新戦艦が大量に建造される運びとなった。機動力は前級より当然ながら低下したが、既存弩級艦には十分ついていける速力なので艦隊戦闘には支障はないと考えられた。だが、機関スペースは最初から小さかったために、後にフィッシャー卿の命令で機関が重油専焼に変更になっても速力はほとんど向上しなかった。
このクラスは計画艦も含めて全て艦名がRから始まっていたので、俗に「R級」と呼ばれる。
予定通り建造されたのは「ロイヤル・ソヴリン」「ロイヤル・オーク」「リヴェンジ」「レゾリューション」「ラミリーズ」の五隻で、うち「ロイヤル・ソヴリン」「リヴェンジ」がジュットランド海戦に参戦した。
残る予定艦名のうち「レナウン」「レパルス」は巡洋戦艦に改設計され、「レジスタンス」は第一次世界大戦の勃発により建造中止となった。
戦後になってもその大火力、強防御のため、結局第二次世界大戦まで全艦が生き残ったが、この大戦における同級は、速力が比較的低かったために使いどころが難しく、またアイコンの「ロイヤル・オーク」は潜水艦に沈められるなど、あまり表舞台に出るような活躍の機会はなかった。
だが、特にドイツ海軍にとっては「ビスマルク」級を出さないとまず勝ち目がない…いや、出しても相打ちの可能性がある(速力が低いので逃げることは出来るが)という点で十分以上の脅威となりえる艦であり、抑止力として役に立っていたのかもしれない。

(2005/6/27更新)
戦艦「マラヤ」(改装後)
英海軍最強最速の戦艦であるエリザベス級ではありますが運用実績に基づく、あるいは艦齢を重ねることによるさまざまな改善が必要になりました。
そこでワシントン条約で認められた範囲内での改装が1924〜30にかけて列強海軍のトップを切っておこなわれ、
第一次改装では水中防御強化のためのバルジ装着、対空兵装の強化(3in*2⇒4in*4)、砲戦指揮所、方位盤、測距儀塔などによる
砲戦指揮能力の強化、航空艤装の強化、また、かねてよりの課題だった艦橋への排煙の逆流対策として2本煙突の1本化
(前部煙突を誘導化、後部とまとめて1本とする)も実施、これらの改造は同型5隻についてほぼ共通に実施されました。

その後数年を経て、ワシントン条約の期限切れを前にして更なる近代化を目指す第二次改装がバーラムを除く4隻にに実施(バーラムは条約期間中に改装済み)、
その一番手となったマラヤは1934〜1937にかけてデボンポートにて改装が行われました。
条約下では認められていなかった装甲の強化として機関室トップの中甲板に2.5in、弾庫トップには4inの装甲の追加が行われ水平防御の強化がなされました。
対空兵装としては4in高角砲の連装化、2pdrポンポン砲など機銃の増備、艦橋レイアウトの改善、航空艤装の強化などが実施されました
とくに航空艤装は煙突の両脇に2機分づつの格納庫設け、その後を巻き上げシャッター式の扉とし、以後、後部上構までの上甲板をフラットとして
横向きの固定式カタパルト設置するという、のちの英巡洋艦以上に共通する格納庫、カタパルト配置を始めて採用しました。
(続くウォースパイト以後の改装で実施された主機、缶の換装、主砲の射程延伸は行われませんでした)

£980.000の費用をかけて以上の改装を実施したマラヤは第二次大戦参加の英戦艦のうちの最古参の級の一隻でありながら大戦を通じて活動
開戦時は地中海にあり、カラブリア沖海戦で伊戦艦と交戦、その後北大西洋、地中海での船団護衛に従事、海峡艦隊への配備を経て1944年ノルウェー侵攻の支援を最後に予備役、1948年解体のため売却されました

アイコンは1943年の”Admiralty disruptive pattern"(迷彩塗装)の状態です。

第二次改装後の要目
基準排水量31.465t 195.1m*31.7m*9.4m 計画出力75.000hp 速力23.7kt
15in連装砲*4 6in単装砲*12 4in連装高角砲*4 2pdr8連装ポンポン砲*2

(2002/9/16更新)
戦艦ウォースパイト(改装後)

(2005/9/27更新)
戦艦「ヴァリアント」第二次改装後(1942)
第一次改装では航空艤装除きほぼ僚艦と同じ改装を受けたヴァリアントでしたが
(カタパルトを艦尾に装備。ちなみにバーラムはX砲塔上にカタパルト、その他はB砲塔に滑走台)
マラヤ、ウォースパイトに続いて1937年3月より実施された第二次改装では先の2隻の実績を踏まえてさらに徹底的な改装が加えられました。

艦橋構造は3脚檣構造を残したマラヤとは違いウォースパイトに準じて後のKG5級にも似た塔状の大型のものとなりその他上構などもほぼ先達と同形式の改装となりました。
ウォースパイトと同要領で実施された主機、缶の換装では出力の5.000hp向上、燃料消費率は65%に向上、1割の搭載量増で8割増の航続距離の延伸を得られました
(8.400kt⇒14.300kt・・・ウォースパイトの場合)
また主砲仰角は20°から30°に高められ最大射程は23.400ydから32.200ydに延伸しました。
ウォースパイトの改装との一番の変更点はマラヤで12門、ウォースパイトで8門残されたケースメート内の副砲が全廃され、4.5in連装高角砲10基20門に置き換えられたことで,戦艦の副砲の全廃は仏のダンケルク級に先例があるもののその先見性が評価されています。
(ダンケルクの場合は重量面の問題で比較的大口径の高角砲を以って副砲に代えた・・・)

第二次大戦開戦後まもなくの1939年12月に改装を終えたヴァリアントは翌年のノルウェー海域哨戒活動を手始めにイタリアの参戦以降は僚艦ともども主に地中海で活動、1941年12月にはQ,エリザベスとともに人間魚雷の攻撃を受け1年半近く戦列を離れました。イタリア降伏後東洋艦隊に編入されましたが1944年8月セイロン島はトリンコマリーで入渠作業中の事故で損傷、以降作戦に参加することもなく終戦を迎えています。
アイコンは1942年 unofficial two tone pattern of 507A and 507C 両舷とも同パターンだそうです。

第二次改装後の要目
基準排水量31.585t 194.8m*31.7m*10.4m 計画出力80.000hp 速力23.5kt15in連装砲*4 4.5in連装高角砲*10 2pdr8連装ポンポン砲

(2002/9/15更新)
戦艦R級(最終時)

(2004/3/20更新)
(2004/3/30更新)
戦艦ネルソン
第一次世界大戦後、ワシントン条約によって世界各国は新造戦艦の建造を禁止された。
しかし、世界三大海軍国の一つでありながら16吋砲搭載戦艦を所有していなかったイギリスは、日本の「陸奥」保有を認める代償として、旧式戦艦(といっても、1912年の初代「キングジョージV世」級)の廃棄と引き換えに、基準排水量35000tを超えざる2隻の16吋搭載艦を建造する権利を得たのである。
これに伴って建造された艦がこの「ネルソン」級戦艦である。同級艦に「ロドネー」がある。
最大の特徴は9門の16吋砲が艦前方に集中していることだが、これは前方攻撃力の増大と防御区画の短縮を狙ったものである。9門という門数自体、日米同級艦の8門より1門多いのだが、それよりはこの門数だと3連装砲塔3つにできたために、日米同級艦の連装砲塔4基に比べて防御長さを縮小できたことが大きい。
さらにはこの艦の舷側装甲は14吋の傾斜装甲であり、水平装甲も主要部は6吋強と分厚く、当時では世界最高水準の防御力を持つ艦であったといえる。
最高速力は23ノットに押さえられていたが、これは機関スペースが極限まで圧縮されていたことの他、この速力でもイギリスの既存戦艦(R級など)とは同等であり、戦隊行動には十分であったことが理由であろう。
しかし斬新な手法を取り入れすぎていたために、実際の運用面では各所に問題点が生じた。例えば、「後方に3番砲塔の主砲を発射すると、その爆風で艦上構造物が損傷する」ため、戦闘中以外には後方への主砲発射が禁じられていたという。また重い主砲塔を前方に集中したことによる操艦性の悪さも問題視されたという。
だがそれでも基本性能は日米の対抗艦を凌ぎ(「長門」には速力でやや劣っていたが)、さらにはこの艦の先進的な装甲配置は、第二次世界大戦直前に各国で建造された新戦艦の多くにも影響を与えており、その意味では時代に先んじた優秀な艦であったといえよう。

(2004/3/20更新)
戦艦キングジョージV世(1940)
 1935年、第二次ロンドン軍縮条約の日本の不締結、およびワシントン条約の破棄により、新戦艦の建造制限が1936年末をもって切れることとなり、いわゆる無条約時代が到来することが確定した。
このときイギリスはこの条約が成立することを前提に新戦艦の設計を進めていたが、成立の場合は新戦艦の主砲口径は14吋を、排水量は35000tを上回ることになってはならず、またその際の建艦準備の都合もあり、交渉中の1935年に14吋砲を搭載する新戦艦の設計を固めていた。
こうした経緯があったため、第二次ロンドン条約から日本が脱退したにも関わらず、イギリスはそのときに検討されたままの案、すなわち第二次ロンドン条約の各種制限に基づいた新戦艦の建造を行うこととしたのである。これが結局5隻建造された「キング・ジョージ五世」(2代目)級であった。

主砲は14吋砲10門だが、4連装2基+連装1基という変則配置である。本来は4連装3基12門にしたかったのだが、それだと装甲重量の制限から防御に不安が出るため、このような形となったという。
その防御装甲は、垂直装甲とはいえ最厚部で14.7吋を確保し、水平装甲も約6吋。これは一ランク上の火力を持つ艦艇(例えば16吋砲搭載艦)の打撃にも、条件次第では耐えられる。
また速力は最大28ノット。巡洋戦艦には劣るものの、当時イギリスが保有していた戦艦の速力から見ると、かなりな速さであるといえる。
副砲として5.5インチの対空・対艦両用砲16門を装備。さらに40mmポンポン砲、対空ロケット砲など当時の最新対空火器を装備し、すでにその脅威を増大させていた航空戦力に対する対策も抜かりなかった。結局はその航空機に同級艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」が撃沈されてしまったのだが。

ネームシップの「キング・ジョージ五世」は1941年の「ビスマルク」追撃戦に参加し、その最終段階でこの艦に多数の砲弾を叩き込んでいる。また大戦末期には極東に回航され、日本本土に艦砲射撃を行ってもいる。
2番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は、こちらもビスマルク追撃戦に参加後、極東情勢の緊迫化に伴いシンガポールに回航されたが、同年12月10日に日本軍の航空攻撃により、マレー沖の露と消えた。
3番艦「デューク・オブ・ヨーク」は、1943年に北海でドイツ戦艦「シャルンホルスト」と交戦、これを葬っている。
その他、同級艦に「アンソン」「ハウ」がある。

(2003/1/15更新)
戦艦ヴァンガード(Vanguard)
1941年の戦時建艦計画によって建造された、イギリス海軍最後の戦艦です。

第二次大戦勃発によってライオン級戦艦の建造が中止されたことにより、当時のイギリス海軍に日米の新型戦艦に対抗できる艦が存在しなかったため、空母に改装された大型軽巡洋艦「カレイジャス」「グローリアス」から撤去された15インチ連装砲塔4基と、建造中止になった戦艦「ライオン」の機関を流用することで建造が決定されました。

本艦は建造中止になったライオン級や、先に建造されたキングジョージV世級の改良型とされ、前級で問題となった凌波性の改善のため艦首のシアとフレアを強くし、またマレー沖海戦で沈没したプリンス・オブ・ウェールズの戦訓を鑑み、水中防御が大幅に強化されていました。速力は30ノットと英国戦艦中最速で、荒天時の安定性なども非常に優れていたといいます。

本艦の主砲は流用品ながらも、仰角の増加と砲塔装甲の増圧など改修が施されており、また防御も対16インチ砲とされていました。そのため、日本の新戦艦(大和型。ただしこの場合の同艦は16インチ砲艦として想定されていました)にも十分に対抗されると考えられましたが、戦時中の戦訓を取り入れたりしたことなどから建造が大幅に遅れ、大戦終結後の1946年にようやく完成しました。

完成後は本国艦隊旗艦の任務などに就いていましたが、1955年に予備艦となり、ミサイル戦艦への改装も予算の関係で見送られ、1960年に除籍、解体されました。

巡洋戦艦
 

(2004/2/26更新)
巡洋戦艦インヴィンシブル

(2004/2/26更新)
(2004/3/30更新)
巡洋戦艦インディファティガブル
「インヴィンシブル」級は当時としては非常に強力な装甲巡洋艦(英国において「巡洋戦艦」という艦種が制定されたのは1912年のこと)であったが、中央部の主砲は並列に並んでいたために、8門全部の主砲を同一目標に発射することは不可能であった。
そこで1908年度計画では、同年度計画で建造されていた「ネプチューン」で試された主砲の梯形配置を採用した同級の改良型が建造される運びとなった。これがこの「インディファティガブル」型である。
当初は単艦建造の予定だったが、ニュージーランドとオーストラリアからの献金によって同級艦2隻…名前はそのまんまの「ニュージーランド」「オーストラリア」…が追加建造されている。両艦は第一次大戦までは両国に貸し出されていたのである。
第一次大戦においては、うち「ニュージーランド」がドッガーバンク海戦とジュットランド海戦に参戦した。「オーストラリア」はドイツ東洋艦隊の追撃任務に当たった後に本国艦隊に編入されたが、ジュットランド海戦の時には「ニュージーランド」と激突(!)したたため修理中であり、結局戦いの場に赴くことはなかった。
一方「インディファティガブル」は大戦初期は地中海で活躍したが、ジュットランド海戦ではドイツ巡洋戦艦「フォン・デア・タン」の攻撃を受け、被弾により弾薬庫が誘爆し壮絶な爆沈を遂げた。

(2004/2/26更新)
巡洋戦艦ライオン
イギリスはインヴィンシブル級、インディファティガブル級という二種類の巡洋戦艦を量産していたが、仮想敵国であるドイツは、時期的には少し遅れをとりながらも、これらに匹敵する能力を持つ「フォン・デル・タン」、モルトケ級のような有力な装甲巡洋艦を生産しはじめ、よって両国の偵察戦隊の艦隊戦力が拮抗してしまう可能性が出てきた。これは、対独2倍の優勢を確保したいイギリスにとっては由々しき事態であった。
そこで、一気にドイツ偵察艦隊との戦力差をつけるべく、イギリスは超弩級艦の技術を取り入れた巡洋戦艦の整備を開始したのである。
そして出来上がったこの「ライオン」級は、当時の戦艦より巨大な26000tもの排水量を持つ代物となったのである。
装甲は以前の巡洋戦艦より強化されたとはいえ、それでもドイツの巡洋戦艦よりも薄弱だったが、強力な主機を積んだため以前の巡洋戦艦を凌ぐ27ノットの速力を出すことが出来、さらには戦いにおいて重要な要素である火力は「オライオン級の2割減」でしかなかったため、既存弩級艦が相手でも対等以上に戦える可能性がある、という怪物戦艦であった。
アイコンの姿は竣工直後の艦容であるが、オライオン級と同様、マスト上部の方位盤に一番煙突からの煤煙が被さるという欠点があったため、即座に煙突とマストの位置を入れ替える改修を行って対処している。

(2004/2/26更新)
巡洋戦艦プリンセス・ロイヤル
ライオン級2番艦である「プリンセス・ロイヤル」は、最初から「ライオン」に行われた改修、すなわちマストと煙突位置の入れ替えを行った状態で竣工した。
そしてこの状態で第一次世界大戦を迎えたライオン級3隻(+改良型1隻)は、その全期間、英国機動戦力の要として北海を駆け巡ることになる。
その強力な火力は、ドッガーバンク海戦では「ブリュッヘル」を、ジュットランド海戦では「リュッツォー」を撃沈し、両海戦に参加した「ザイドリッツ」を二回とも大破させ、その他のドイツ巡洋戦艦にも大打撃を与えている。
このライオン級は、その従兄弟分にあたるであろう日本の金剛型も含めて、世界で最も高い戦力価値があった戦艦の一つといえるかも知れない。…単艦の戦歴でならば、「ウォースパイト」がもっと凄いのだが。

(2004/2/26更新)
巡洋戦艦クイーン・メリー
ライオン級三番艦「クイーン・メリー」は、元設計からみると副砲の配置を若干見直し、また主機を強化しているという改良点がある。
だがこの艦はある意味で悲劇の象徴ともなっている。
この艦はドッガーバンク海戦には参加しなかったが、その晴れ舞台となるはずであったジュットランド海戦において、ドイツ巡洋戦艦「デアフリンガー」の主砲弾を三番砲塔に受け同砲塔が破壊された末、そこから弾薬庫に火が回り轟沈の厄に遭ってしまったのである。
轟沈の原因は、必ずしもこの艦の薄弱防御によるものではないらしいのだが(一説によると、砲撃速度向上のために弾薬の取り扱いに問題があったという)、ともあれこの事件を機に、各国海軍は轟沈の原因と考えられた大落角弾への対処を強いられ、その当時に建造中・計画中だった戦艦は、そのほとんどが防御計画を見直されることとなった。

(2004/2/26更新)
巡洋戦艦タイガー
ライオン級4番艦「タイガー」は、準姉妹艦と言える日本の金剛型の設計に準じて建造された。
今までのライオン級との最大の違いは、3番砲塔と煙突の位置が入れ替わっていることで、これで同砲塔の後方射界は著しく向上した。さらに副砲も6インチに強化している。この点から言うと、今までのライオン級はオライオン級(ないしはキング・ジョージV世級)の巡洋戦艦化だったのに対し、この艦はアイアン・デューク級の巡洋戦艦化型と言えるのかもしれない。
主機は原型より一層の強化を果たして速力は29ノットに向上、防御装甲もそれまでより2割ほど強化されている。一方で、この艦は艦隊指揮能力を省略したため、後部マストは撤去されている。
この艦はドッガーバンク、ジュットランドの両海戦に参戦し、戦後は他のライオン級と異なりワシントン条約を生き残ったが、結局ロンドン条約で廃艦になった。

(2004/3/4更新)
巡洋戦艦レナウン(1916)
第一次大戦勃発後、第一海軍卿(帝国海軍で言う軍令部総長にあたる)に復帰したフィッシャー卿は、その持論に基づき高速かつ大火力の艦艇の再整備を開始した。
そして、当時大挙建造中だったR級戦艦のうち、6番艦「レナウン」と7番艦「レパルス」の設計を改めた上で、巡洋戦艦として完成させるよう命じたのである。
両艦はジュットランド海戦には間に合わなかったものの、それぞれ同年8月および9月に竣工、同海戦で3隻を沈められて一時的に減退していたイギリスの巡洋戦艦勢力を回復させている。
この艦は、火力面ではR級戦艦から主砲を二門取り除いただけであり十分以上に強力だったが、防御は「インヴィンシブル」級並みの薄弱防御まで落とされており、その代わりに最高速度はついに30ノットに達した。
また口径こそ4吋砲に逆戻りしたとはいえ、砲塔式の副砲を装備していたことも特色の一つと言えよう。
この艦はワシントン条約を生き延びたのち、防御強化工事を行われ、さらに後には副砲を全部撤去、高角砲・対空機銃を増載している。結局この艦は第二次世界大戦でも主力として行動し、最後まで生き延びた。
一方姉妹艦の「レパルス」は、若干の防御強化工事を施した後、1941年末に極東の情勢不穏なるに基づきシンガポールに赴き…あとはみなさんご存知の通り、マレー沖にその身を横たえることとなった。

なお衣料メーカーの「レナウン」がこの艦から名前を取ったことは有名だが、その理由は、同艦が1922年に日本にお召し艦として来た事があるからであり、さらには繊維産業の先進国である英国(艦)にあやかりたかったから、「レナウン」自体に「名声・栄光」などのいい意味が含まれていることから、とのことである。

(2004/4/28更新)
巡洋戦艦レパルス(1941)
 1914年、第一海軍卿に復帰したフィッシャー提督は持論である大口径砲を装備した軽防御の高速艦の建造を求め、この結果としてイギリス海軍は1911年計画のタイガー以来途絶えていた巡洋戦艦2隻の建造を決定した。フィッシャーはこの2隻を15ヶ月間で建造するように求め、このため14年計画で建造が予定され開戦とともにキャンセルされたR型戦艦3隻のうち2隻、6、7番の予算と資材が使用されることになり、艦名も流用されることになった。これが、レナウンRenown(名声)とレパルスRepulse(反撃)であり、Rで始まる艦名を持っているのはその様な理由による(なお、建造中止となったR型戦艦の8番艦の予定艦名はレジスタンスResistance)。
同14年12月8日のフォークランド沖海戦で巡洋戦艦が大活躍した興奮も冷めやらぬ同29日、1番艦レナウンはフェアフィールド社のゴーヴァン造船所に、2番艦レパルスはジョン・ブラウン社のクライドバンク造船所に発注され、翌15年1月25日、両艦同時に起工された。
しかし、その前日に発生したドッガー・バンク海戦はイギリス海軍に衝撃を与えた。巡洋戦艦戦隊旗艦ライオンの主砲塔が天蓋を貫通され、危うく爆沈するところだったのだ。しかし、クィーン・エリザベス級と同じ42口径15インチ(381ミリ)砲を、2門少ないだけの6門装備し、巡洋戦艦として最速の32ノットの高速力(これより速い主力艦は、実際に竣工した中ではアメリカのアイオワ級戦艦の33ノットだけである)を有する2隻の有力艦の建造はそのまま進められ、2番艦が16年1月8日、1番艦が2ヶ月遅れの同年3月4日に進水する。抜本的解決は1916年計画による次のフッド級巡洋戦艦4隻にゆだねられたのである。
しかし、その1番艦フッドが起工された1916年5月31日、再び、イギリス海軍を激震が襲う。この日発生したジュットランド沖海戦でイギリスの巡洋戦艦3隻が相次いで爆沈したのである。フッドは建造を中止して設計変更に入り、まったく別の艦となったが(しかも、ドイツのマッケンゼン級巡洋戦艦の対抗馬として生まれたフッド級は、同級の建造中止により1隻のみの建造となる。しかし、この設計変更でも不十分であった事は歴史が証明する)、2隻はそのまま建造を進められ、同16年8月18日、まずレパルスが、その1ヶ月後の9月20日にレナウンが竣工する。建造中に砲塔天蓋部の装甲を厚くする応急策がとられた関係で、予定の15ヶ月では完成しなかったものの、記録的なスピード建造であった。
戦後の海軍軍縮の時代、2隻はイギリス海軍主力の一翼をになった。しかし、その初期の巡洋戦艦と同じ152ミリの舷側装甲はあまりに薄すぎ、幅も狭かった。このため、1919年、まずレパルスが近代化改装に着手、水線装甲帯を229ミリに増厚、その上に152ミリの甲鈑が装着されたことにより、2段に並んでいた艦中央部の舷窓は下段が廃止された。同時に2門の533ミリ水中魚雷発射管と3連装5基、単装2基を装備していた50口径102ミリ副砲中、単装砲2門が撤去され、533ミリ水上発射管8門と76ミリ単装高角砲2基が装備され、高角砲は単装4基となった。また、B(第2)主砲塔上に大型の滑走台が設置され、航空機の運用が可能になった。
1922年に終了したレパルスの近代改装に引き続き、23年から26年にかけてレナウンも改装されたが、前者の主眼が対砲撃力の強化であったのに対して、後者のそれは水中防御に関するものであった。もともと、同級は新造時からバルジを装着した最初の艦で、クィーン・エリザベス級で初めて水雷防御縦壁を船体内に設け、その外側を重油タンクとした水中防御の考えを一歩進めたものであった。と言うのは、クィーン・エリザベス級の方式では船体外板と防御壁との距離が1.8〜2.4メートルと短く、実効が上がらないと考えられていたからで、このバルジの装着により魚雷の爆発力の効果は大いに殺がれると考えられた。レナウンの改装は、その上にさらなるバルジを装着するというもので、この結果、艦中央部の舷窓は2段のまま残される事になり、レパルスとの大きな識別点となった。
1934年、レパルスは第2次の近代化改装に入った。対空兵装の強化が主たる目的で、3連装副砲1基と全ての高角砲が撤去され、代わりに102ミリ単装高角砲6基、2ポンド8連装ポムポム砲2基、13ミリ機銃4連装2基が装備された。同時に前檣から第2煙突後方にかけての上部構造物が一新され、4基の高角砲以外の全対空兵装を装備するとともに、航空機4機を収容する格納庫が設置された。また、水平防御も51ミリから76ミリに強化されるとともに、格納庫上に2基の揚収用のクレーンが設けられ、格納庫と後檣との間に舷側方向に射出する埋め込み式カタパルトが装備された。さらに主砲の射撃式装置等も改善されたが、射程の改善等の工事は行われなかった。
改装は1936年に終了したが、同じ年に始まったレナウンの第2次近代化改装は、上部構造物の一新、機関換装、装甲強化、主砲仰角の引き上げ、全副砲・高角砲を撤去と新型の114ミリ連装両用砲10基と2ポンド8連装ポムポム砲3基の設置と言う大規模なものであった。したがって、1939年に同艦が再就役した時には、レパルスと大いに異なる艦容を持つ艦として登場した。レパルスも同様の近代化改装を実施する計画があったが、すでに戦争が始まっており、船体以外の全てを新造するような工事を実施する事は不可能であった。したがって、第2次世界大戦時のレパルスは竣工時と基本的に変わらぬ姿であったが、若干の改装は施された。まず改装終了直後の36年秋に後檣基部両舷の単装高角砲が沈坐式の連装砲塔となり、ついで40年から41年にかけて後檣直後の3連装副砲が8連装ポムポム砲に換装され、同時に25ミリ単装機関砲15門、13ミリ4連装機関銃2基を増備するとともに前後檣トップにレーダーを設置した。
開戦時、レパルスはフッドとともに本国艦隊巡洋戦艦戦隊を構成していたが、1941年10月東洋艦隊に移り、新鋭戦艦プリンス・オヴ・ウェールズとコンビを組み、日本に対する抑止力として機能することになった。しかし、その効果はなく同年12月10日午後2時23分、日本海軍航空隊の攻撃により左舷に転覆して沈んだ。命中した魚雷は14本、爆弾は1発と伝えられ、図らずも本艦の水中防御の優秀性を立証する事になった。生存者は乗員1039名中、艦長テナント大佐以下796名、沈没位置は北緯3度37分東経104度20分であった。

(2004/3/20更新)
巡洋戦艦カレイジャス(1917)
第一次世界大戦において、連合・同盟両軍は西部戦線において対峙…いや、膠着状態になってしまったため、英軍は戦局の打開策としてバルト海からドイツ北部に直接大部隊を上陸させる作戦を考案した。しかしバルト海は浅瀬が多いことから大型艦艇は行動が難しく、作戦の支障となることが予想された。
そこで、わざと喫水を浅く設計し、このような海域でも行動できる大型艦艇を建造する計画が持ち上がったのである。
この艦を用いた上記の作戦は、少数精鋭による電撃的奇襲作戦であることが要求され、その性質上秘密作戦になることからか、この新型艦はHush-hush cluiser(秘密巡洋艦、この場合のhushとは「内緒」の意味らしい)と呼ばれることとなった。
そしてこの計画を推進していたフィッシャー卿がまず建造した艦が、この「カレイジャス」級大型軽巡洋艦である。
艦種こそ「軽巡」だが、15吋砲4門、4吋速射砲18門という火力と、30ノットを超える速力の二点で見れば巡洋戦艦以外のなにものでもない。しかし舷側の防御装甲は確かに軽巡並みの3吋しかなく、戦艦の主砲弾でも食らおうものなら大損害は必至である。
これは、作戦決行時にバルト海にいるであろうドイツ側の警備艦艇を追い払うための武装であり、またそれらの攻撃に耐えられる程度の装甲なのであろう。
だがフィッシャー卿が第一海軍卿の職を辞任すると、あまりにも目的が限定されたこの艦はそのままでは使い道がなく、後に同級艦「グローリアス」とともに空母に改装された。
両艦は、ともにイギリスの第一線空母として第二次世界大戦にも参戦したが、開戦早々に「カレイジャス」は潜水艦に食われ、「グローリアス」に至ってはドイツ戦艦「シャルンホルスト」の砲撃(!)によって撃沈されている。

(2004/3/20更新)
巡洋戦艦フューリアス(1917)

(2002/9/6更新)
巡洋戦艦フッド竣工時(1920)
要目 全長:262.1m 常備排水量:42670トン 速力:31ノット 主砲:38.1センチ砲連装4基 副砲:14センチ砲単装12基

この級は、もともとは「クイーン・エリザベス」級戦艦の改良型として計画されていましたが、敵国ドイツが建造・計画中の「マッケンゼン」級・「ヨルク」代艦級といった巡洋戦艦群に対してイギリスの不足する巡洋戦艦の駒を補うため、計画変更され、常備排水量36300トン・速力32ノットの巡洋戦艦として1916年5月31日に起工されました。
ところがこの日に起きたユトランド沖海戦で3隻ものイギリス巡洋戦艦が撃沈され、その弱体が明々白々となりました。そのため急遽工事を中止し5000トンも装甲強化しながら速力の低下はわずか1ノットという設計変更を行い、高速戦艦と生まれ変わって同年9月1日に再起工しました。
引き続いて3隻の妹艦も起工されましたが、対手となるドイツ巡洋戦艦たちが竣工する見込みがないため中止され、「フッド」1隻のみが工事を続行しました。
進水は1918年8月22日、この時ユトランド沖海戦で将旗を掲げていた巡洋戦艦「インヴィンシブル」もろとも戦死したホレース・フッド少将の未亡人により命名されました。
竣工は1920年3月5日です。
この後のワシントン海軍軍縮条約では、このフネの存在にも関わらず主力艦の排水量制限は基準排水量で35000トンとなったため、この制限の続く限りは世界最大の軍艦であることになりました。「フッド」はただ大きいだけでなく、いわゆる世界の七大戦艦(ビッグ・セブン)と比較しても、速力は最速の「長門」級を4ノット以上しのぎ、防御力は同等、攻撃力こそ一歩譲るもののイギリスの38.1センチ砲は優秀なことで知られています。つまり、単艦ならば世界最強を名乗っても恥じるものではなかったと思います。

なお、B(2番)砲塔上のものは航空機を発進させるための滑走台です。

(2005/2/7更新)
巡洋戦艦フッド(1941最終時)



巡洋艦
 

(2005/12/9更新)
二等防護巡洋艦アストリア級「ハーマニオニ」
1899年計画の本級8隻は小型防護巡洋艦として初の成功作となり21隻と多数が建造されたアポロ級の改正型で
前級のタートルバック型の艦首甲板を改め全通した上甲板を採用、航洋性が改善しました
また最前後の副砲を舷側からはねだしたスポンソンに納め、首尾線砲力を強化しました
装甲は前級と同様2inの甲板防御が基本でしたが倒立配置により防御甲板より突出した頂部の保護のため5inの装甲堤で取り囲みました
また全艦とも遣外派遣任務を想定して銅板による船底被覆が施されていました

アイコンは1909年撮影の”ハーマイオニ”の写真より。ケープタウン方面の警備に配属されていた当時だと思われ、船体は白色塗装になっています。写真よりは判別できかねますが上構、煙突などは黄色だったと考えられそのように描きました

計画時の要目 
常備排水量4.360t 103.5m(垂線間長97.5m)*15.1m*5.8m 7.500hp (強制通風時9.500hp)計画速力18.0kt(強制通風時19.5kt)
6in単装速射砲*2 4.7in単装速射砲*8 6pdr単装速射砲*10 3pdr単装速射砲*1 18in魚雷発射管*4

同型艦アストリア、ボナベンチャー、カンブリアン、カリブディス、フローラ、フォート、フォックス

(2004/8/7更新)
装甲巡洋艦クレッシー級(HMS Cressy)
1897年度計画で英国が建造した装甲巡洋艦。
このころ、列強各国が英国の防護巡洋艦を撃破しえる装甲巡洋艦を有し始め、このままでは英国の通商路護衛に問題が生じかねないため、対抗策として建造された。
数年前に建造されたパワフル級などの防護巡洋艦と比較すると、火力・排水量はほぼ同等だが、6インチの装甲を舷側に張ったため防御力は格段に増大している(なにしろパワフル級は舷側装甲を持たない!)。ただし、その分だけ燃料搭載量(航続力)が低下している。

この級は6隻が建造され、第一次世界大戦にも相当に旧式化したにもかかわらず参戦している。
だが、その運命は悲惨であった。開戦直後の1914年9月、ドイツの潜水艦1隻が、ただ一回の戦闘で、同級のうち3隻を撃沈したのであった…。

同型艦クレッシー、ホーグ、サトレッジ、アブキール、バキャンティ、ユーライアラス。排水量1万2000t。

(2006/3/17更新)
重巡洋艦ロンドン(大改装後)
カウンティ級第二陣として建造されたロンドン級は前級ケント級同様、完成後航空艤装の追加、装甲防御の強化などの改装が順次行われてきましたが、1933年度以降建造されたサウザンプトン級大型軽巡の使用実績に鑑み大規模な近代化改装を順次実施するものとしました。その第一艦として1939年3月より改装に着手されのが本艦です
8缶を2-4-2缶づつまとめた傾斜した3本煙突は4缶づつの排煙をまとめた直立した2本煙突に改められ、艦橋構造も大型軽巡に習った大型の搭状とし艦橋後部の1番煙突両側に格納庫を配した配置も同様としました。対空兵装も倍増、4in単装高角砲4基を連装に換装、機銃も大幅に増強、電測兵器も装備されました
同様の改装は順次同級艦にも施される計画でしたが数年に及ぶ期間がかかる大改装は国際情勢の緊張化から見送られ、結局本艦のみの改装となりました

1941年2月の完成後本艦はビスマルク追撃戦等に参加しましたが、15%弱増加した排水量に船体のゆがみにより漏水、1941年10月〜翌1月の間修理のためドック入り、修理後援ソ船団の護衛任務に就きましたが激しいバレンツ海の波浪により1942年末から翌5月まで再度修理、舷側艦底を二重にするなどの改修が施されました。その後は東洋艦隊に配属、戦後も香港を母港として活動、1950年に除籍解体までその任にありました

アイコンは改装直後のロンドンです

主なの要目
基準排水量9.750t 192.9m*20.1m*5.2m 計画出力80.000hp 計画速力32.0kt
8in連装砲*4 4in錬装高角砲*4 2pdr8連装ポンポン砲*2 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*3

(2006/1/17更新)
重巡洋艦ヨーク
1924年のマクドナルド政権の誕生は第一次大戦後、経済の困窮に喘ぐ英国にあって海軍も従前の建艦方針を維持することを許されず、1926年度計画で建造された本艦はカウンティ級重巡の縮小型として建造費の節減を第一の目標として設計されました
後部主砲塔を1基とし、船型も従前の平甲板型を船首楼形式に改め排水量1.500t減を達成しました。一方、無きに等しかった装甲防御は強化、前級では1inの水線装甲は機関区画のみではありますが列国なみの3inに強化しました
機関は前級と同じく80.000hpとしましたが、排水量の低減にもかかわらず全長の短縮によるものか発揮速力は従前のままとなっています。煙突は当初前級同様の3本としましたが全長の短縮により1番煙突が艦橋に接することとなったため排煙の影響を懸念、1.2番煙突を結合、誘導化して2本煙突としました
航空艤装は当初2番砲塔上にカタパルトを装備、D級軽巡の1部で見られたように艦橋構造下部に格納庫を設ける予定でしたが砲塔天蓋の強度不足によりこれを取りやめ完成当初航空機の搭載は見送られました(このため本艦の艦橋は英国艦には特異な高い搭状となっています)
船首楼形式による内部容積の不足は否めず完成後まもなく居住区の増設工事がなされています。また船首楼後の乾舷の不足により波浪の影響を受けやすかったといわれています

これらの変更により建造された本艦はカウンティ級に比して10%の建造費節減を達成したといわれていますが、列強が主砲9〜10門の条約型重巡を整備する中その費用対効果は必ずしも海軍を満足させず、続く1927年計画で略同型の重巡エクセターを建造の後3隻の同種艦建造の予定を中止、続くサリー級では10.000t型に戻るものとされました(ロンドン条約により計画中止)

本艦は開戦時、西インド諸島管区の第8巡洋艦戦隊に属しケント級ベリックと共に通商保護にあたっていました
イタリアの参戦と共に地中海に転戦、1941年3月26日クレタ島スダ湾にて夜間錨泊イタリア海軍第10MAS隊の僅か1tのMTM艇の襲撃を受け大破着低、独制空権下でもあり復旧の見込みなく全損にいたりました

アイコンは1931年頃のヨークです。完成直後、後部ボートデッキにカタパルト装備した頃の姿です。この後1933年には船体容積不足解消のため船首楼を1番煙突付近まで伸ばす改装が実施されました。その後は対空兵装の増強以外、外見上の変化はなく大戦を迎えています
また本艦は略同型のエクセターと併せて”僧正府級”と呼ばれることも有ります(=ようするに大聖堂の有る都市)

計画時の要目
基準排水量8.250t 175.3m*17.4m*5.2m 計画出力80.000hp 計画速力32.5kt
8in連装砲*3 4in単装高角砲*4 2pdr単装ポンポン砲*2 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*1

(2005/2/7更新)
重巡洋艦エクゼター(1942)

(2004/4/11更新)
軽巡洋艦アリシューザ
イギリスに「アレシューザ」というネームシップを持つ巡洋艦は2種類あるが、この艦はそのうち初代のもので、第一次大戦直前から初期にかけての時期に就役したものである(二代目は条約型軽巡)。
主砲は6吋砲2門と4吋砲6門の混載である。
これは、この新型軽巡は、打撃力に優れたタウン級巡洋艦と、機動力に優れた既存偵察巡洋艦の双方の任務を代替すべく建造されたのだが、その際にタウン級(さらに遡ると防護巡洋艦)からの流れである6吋砲主体の兵装を積むか、偵察巡洋艦の流れである4吋砲主体の兵装を積むかで対立が起こり、結局その両方を積んでしまったのである。
結果、重油専焼缶の採用によりそれまでの軽巡洋艦をしのぐ28ノット超の速力を出せる新鋭艦であったにもかかわらず、主砲の口径が統一されていないというチグハグな感じの艦となってしまった。
この級は「オーロラ」「ガラティア」「アンダウンデッド」など8隻が建造され、ドッガーバンク海戦、ジュットランド海戦には偵察戦隊・水雷戦隊の旗艦として参戦している。

なお、この級の拡大改良型がC級軽巡であり、実際にもC級の初期型は、この級と同様2種の主砲を混載している。

(2004/3/29更新)
軽巡洋艦シアリーズ
このC級軽巡は、イギリスが第一次世界大戦中に大量に建造した汎用軽巡洋艦である。性格的には、直接に敵国の艦隊を攻撃するための巡洋艦というより、イギリスの通商路保護のために用いられる戦力として建造されたものであろう。
建造期間が長期にわたっているために、このC級軽巡は、最初期型と最終型とは別物の艦になっている。
このアイコンにあるシアリーズ級はC級の後期生産艦に属する型で、6吋砲5門、3吋高角砲2門、魚雷発射管8基を装備し、速力は28ノットを出している。
各型合計で28隻も量産されたため、第二次世界大戦にも多数艦が参戦したが、この頃には能力面に不足が目立ったために、その多くは主砲を高角砲に換装するなどした防空巡洋艦に改装されていた。

(2005/1/19更新)
軽巡洋艦カーライル(1940)
第一次世界大戦時に量産されたC型軽巡は、1930年代後半になるととみに旧式化が目立ってきた。
そこで旧式のものから順次代艦が建造されたが、C型軽巡で最も艦齢が若いサブタイプである「Carlisle」型については、航空機による脅威の拡大、及び火器のプラットフォームとして大きさが適当であることから、6インチ主砲を全て撤去し、代わりに4インチ高角砲8門、対空機銃などを積み込んだ「防空巡洋艦」に改装されたのである。
同型艦(Carlisle型という意味で。Capetown型とも言う)には、Calcutta, Capetown, Cairo, Columboがある。全艦が防空巡洋艦に改造され、うちCalcutta, Cairoは戦没している。
本艦Carlislは改装終了後主に地中海方面で行動したが、イタリア降伏直後に開始されたエーゲ海への侵攻作戦参加中、43年10月9日ロードス島沖で独第3急降下爆撃航空団第1飛行隊(T/StG3)のシュトゥーカ隊に攻撃され、命中弾4発至近弾2発により大破。アレクサンドリアに帰還するも全損と判定され終戦まで同地に係留された。1948年解体。

(2004/3/29更新)
軽巡洋艦ダナエー
第一次世界大戦末期に、C級軽巡を強化した新型軽巡が建造されたが、これらの艦は艦名の頭文字がDから始まったことからD級軽巡と称される(当然ながらC級軽巡の頭文字は全てCから始まっている)。
C級軽巡と比べて全長はやや長くなり、主砲の6吋砲が1門増強された。
12隻が発注され、うち8隻が完成(残りは大戦終結などの理由により建造中止)。

このクラスの艦は少しだが日本とも関係があり、最終艦の「ダーバン」は1922年のイギリス皇太子の訪日の際に、お召し艦「レナウン」の護衛艦として来日。
また第二次世界大戦時にも、このクラスの「ダナエ」「ドラゴン」「ダーバン」は東洋艦隊に属しており、開戦時にはシンガポールにいた。なおC級軽巡と異なり、防空巡洋艦に改装された「デリー」を除き、改装は小規模(機銃増設程度)にとどまっている。
幸いこの時はどの艦も撃沈されず、やがて本国艦隊に回航・編入されたが、「ダーバン」はノルマンディー上陸作戦時に防波堤として自沈、「ドラゴン」は同じくノルマンディー沖で自沈しようとしたところを潜水艦に捕捉され沈められた。

(2004/3/29更新)
軽巡洋艦エメラルド
第一次世界大戦末期の1918年、イギリスはD級軽巡洋艦に続き、大型かつ高速力を持った新型軽巡洋艦の計画を立てた。
そしてこのE級軽巡は3隻の建造が企画されたのだが、同年11月に戦争が終わってしまったために結局起工に至ったのはうち2隻にとどまる事となった。
アイコンに示した艦は1番艦の「エメラルド」である。
この艦は艦首部の主砲2門を背負い式にしているが、2番艦の「エンタープライズ」(当たり前だがアメリカの同名空母とは別物)は艦首部主砲を連装1基にしている。
また7門の6吋主砲は高仰角を取る事が出来る新型砲であり、対空射撃を考慮したものにした事も特徴である(射撃速度の問題があり、実際には対空砲として使えたわけではない)。
武装こそ上記のようにC・D級軽巡よりは若干の強化に留まっているが、これらの艦の2倍近い馬力を持つ機関を積んだため(そのため船体は一回り大きい)、最高速力は34ノットに達している。
これらのE級軽巡は、第二次世界大戦ではセイロン沖海戦において南雲機動部隊の艦上機隊と交戦している。

余談であるが、幸いにもこの級の「エンタープライズ」とアメリカ空母の「エンタープライズ」とは同一行動を取っていないため、両艦が混同されるような事態にはなっていないようである。

(2005/3/23更新)
軽巡洋艦アレスーサ級(新)「ガラテア」
本級はリアンダー級、アンフィオン級(オーストラリア譲渡後パース級)に続く第一次戦後型軽巡です。
7000t、6in砲8門とバランスの取れた船型の前2級から、主砲塔1基減、装甲圧の1〜1.5in削減により排水量2000tの減、建造費の1割削減を達成しました(この点条約型カウンティ級とヨーク級に似る)。
この辺の事情には初の労働党政権であるマクドナルド政権の政策と世界恐慌ももちろん関わっています。

植民地の維持、保護のため必要とされる70余隻の巡洋艦数維持するための策であり、またその任に対しては適当な船型ではありましたが、列国が次々と8000t級かそれ以上の大型軽巡を就役させるにいたりこのクラスは4隻で打ち切りとなり、続く軽巡はカウンティ級とほぼ額の建造費のかかるタウン級(サウザンプトン級)となりました。たしかに同じ年に15.5cm砲15門の最上型が就役していてはのんびりもしていられません・・

アイコンは1937年当時の写真、カタパルト上にはホーカー・オスプレイが載ってます。新造時との主な相違は高角砲の連装化などがありますがアイコンではモチロン再現していません(出来ません??)

余談ですがこのクラスの”ペネロープ”が第二次シルテ湾海戦に参加した際、記者として乗り合わせたC・S・フォレスター氏(ホーンブロワーシリーズの作者として著名)が半ば観戦記として書いた小説”巡洋艦アルテミス”(パシフィカ)を高校時代読んだのが今の私に通じているような・・・・
というわけで個人的にも好きな英軽巡のひとつです。(あと、”ユリシーズ”のモデル、ベローナ級もですが・・・・)

計画時の要目 
基準排水量5.220t 154.2m*15.5m*4.3m 計画出力64.000hp 計画速力32.0kt
6in連装砲*3 4in単装高角砲*4(ペネロープ、オーロラは連装) 0.5in4連装機銃*2 21in3連装魚雷発射管*2 
同型艦 ガラテア、ペネロープ、オーロラ

(2004/11/26更新)
軽巡洋艦リアンダー級(戦前仕様)
英国が、第一次大戦前から大量に保有していた旧式軽巡の更新を目的として建造した艦が、この「リアンダー」級である。
主砲が6インチ砲8門(一応新規開発砲)という武装はやや半端な感があるが、同じ6インチ砲が5門しかないC型軽巡を更新するならば、これで十分以上であろう。
ただし、排水量は基準でも7000t強とやや大型の艦であり、通商護衛目的で数を揃えるには不向きであるため、この級の建造は5隻(準同型艦のパース級を合わせ8隻)で打ち切られ、より小型のアレスーザ(2代)級に生産は移行した。

このクラス、先述のように5隻が建造され、太平洋戦線には「リアンダー」「アキリーズ」が姿をあらわしている。
だが「リアンダー」は、1943年のコロンバンガラ島沖海戦で日本艦隊の雷撃により大被害を受け、終戦まで戦線復帰できなかった。

(2005/9/11更新)
軽巡洋艦サウザンプトン級「サウザンプトン」(Southampton)
1930年ロンドン条約の結果、ワシントン条約の制限外であった8in砲巡洋艦(甲巡)の新造が出来なくなった日本は(米は合計50.000t分建造可)
建造可能な6in砲巡洋艦(乙巡)の強化に乗り出し、条約により定められた艦齢16年を越える対象艦の廃棄により6in砲15門を備える”最上型”軽巡の建造しました
また、甲巡の協定保有量を満了した米国も1933年計画で同様の装備のブルックリン級を建造、
日本同様ロンドン条約締結時点で甲巡の制限量を満了している英国は対抗上、従来の海外植民地の維持のための小型艦多数保有の政策を転換
1933〜34年計画で日米の大型乙巡に対抗しえる6in砲巡洋艦の建造に着手、サウザンプトン級と名づけました。
(当初は前級に引き続きギリシャ神名が付けられる予定でしたが都市名に変更、”タウン級”とも呼ばれています)

基準排水量9.100tの遵守のため6in3連装砲塔を列強より1砲塔少ない列強より4基で忍んだ本級は
英国巡洋艦中最も厚い4.5inの装甲帯を持ち(装甲巡洋艦を除く)同級艦との遠距離砲戦に耐えうる防御力を備えていました。
また、高い艦首乾舷と顕著なナックルフレアーは優れた航洋性を付与、
また戦艦の近代化改装後と同様の前部煙突両脇に大型の格納庫を備え前後煙突間を航空装備に充てた航空艤装は、主砲のブラスターによる搭載機の損傷を防ぐ優れた着想でありました。


アイコンは1937年新造時当時の資料基にしています。カタパルト上にはいつものウォーラスが載ってます
艦橋上などはまだレーダーなども無くすっきりした印象になってます。

計画時の要目 
基準排水量9.100t 180.3m*18.8m*5.2m 計画出力75.000hp 計画速力32.0kt
6in3連装砲*4 4in連装高角砲*4 2pdr4連装ポンポン砲*2 0.5in4連装機銃*2 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*3
(同型艦 ニューキャッスル、バーミンガム、グラスゴー、シェフィールド)

(2005/9/16更新)
軽巡洋艦サウザンプトン級「バーミンガム」(Birmingham)
サウザンプトン級最終艦にあたる(完成順にて)この艦は、比較のためか艦首舷側にナックルフレアー(段付のフレアー)がなく、通常のフレアーになっています。
理由は解りませんが、続くタウン級第二グループ”グロスター級”ではナックルフレアーに戻されていますので
問題があったのかもしれません
仮に凌波性が対等ならば艦内容積が大きく出来るナックルフレアーの方が有利とも思えますが
工作の手間はかかるようです。

アイコンは1942年初頭インド洋を行動中のもの、迷彩はAdomiralty light disruptive type 指定色はMS2、B5,B6,MS4A
左舷側も同じパターンになっているそうです。カタパルト上のウォーラスは舷側方向向いています。

(2005/9/27更新)
軽巡洋艦グロスター級「リヴァプール」
タウン級第2グループにあたる本級は1935年計画により3隻が建造されました
基本的にサウザンプトン級と同型ですが機関室上部、砲塔の装甲を強化、復元性の改善のため全幅を広めています。
また新型の主砲用射撃指揮装置を艦橋上と後部射撃指揮所に装備、主砲の複数目標への射撃指揮を可能としています。
それに伴う排水量の増加に対処するため機関出力を1割増、速力を維持しています。

アイコンは1942年6月の姿です。新造時に比して0.5in4連装機銃を20mm単装機銃機銃9基に換装しています。
本艦は同月14日マルタ行きの船団護衛の際サルディニア沖で航空攻撃により被雷し右舷機関室後方に7m*6mの大破口を生じ航行不能、以降終戦まで戦列に復帰していませんからおそらく大戦期の最後の姿と言うことになります。
ちなみに1940年10月14日にもイタリア空軍の雷撃を受け、A砲塔以前の艦首を失い修理に半年に渡って戦列を離れていますから、大戦を生き抜いたとはいえ実働1年半余りでした。
なお同級のグロスター、マンチェスターは1941,1942年に相次いで地中海にて戦没していますから
これら損傷のおかげで戦後まで生き残れたのかもしれませんが・・・・
迷彩パターンはAdomiralty disruptive design.指定色はMS1、B5,B6,MS2 and 507Cだそうです。

計画時の要目
基準排水量9.400t 180.3m*19.0m*5.3m 計画出力82.500hp 計画速力32.3kt
6in3連装砲*4 4in連装高角砲*4 3pdr単装砲*2 2pdr4連装ポンポン砲*2 0.5in4連装機銃*2 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*3
(同型艦 グロスター、マンチェスター)

(2005/10/21更新)
軽巡洋艦エジンバラ級「エジンバラ」
タウン級第3グループにあたり1936年計画により、軍縮条約で認められた建造量の残余の関係もあり6in砲巡洋艦としては英国唯一の10.000t型として2隻が建造されました。
計画当初は増加した重量のほとんどは日米の同級艦の砲力に対抗するための主砲の4連装化(4連奏4基16門)に充てられる予定でしたが技術的な困難からこれを断念、攻撃力の増強は高角砲の増備に止められました。
これにより生じた余裕のある船型を利用して従来艦の機関配置、前部弾火薬庫に隣接して缶-機-缶-機を改め、艦橋後部から機-缶-機-缶として生存性を高めました。
そのため舷側装甲範囲も厚さこそ変わらないもののA砲塔直下の弾火薬庫からY砲塔まで及んでいます(前級までは弾火薬庫の有る艦橋下部より後部指揮所下部まで)。また甲板防御も相応に範囲が広げられたため防御重量は約500tの増加となりました。
外見からは煙突が後方に移動したことに加えて、やはり後部に寄った機関室との干渉避けるためX、Y砲塔が1甲板分上昇しています
そのせいか軽巡らしい軽快さは失われたものの主力艦思わせる重厚なシルエットが特徴となりました

開戦時本国艦隊に所属していた本艦はノルウェイ作戦、ビスマルク追激戦に参加、地中海に転戦した後はマルタコンボイの護衛などに活躍しました。
1942年本国艦隊に復帰、ソ連向け船団の護衛任務に就きQP-11船団の護衛任務中の4月29日にU-456の雷撃を受け損傷、ムルマンスクに避退途中ドイツ駆逐艦の攻撃を受け2隻を撃沈するも、更なる魚雷の命中により航行不能となり5月2日味方駆逐艦の魚雷により処分されました。
同型ベルファストは大戦劈頭機雷により大破、1943年半ばまで作戦に参加できませんでした。その後は北岬海戦、ノルマンディ上陸作戦に参加、終戦時は太平洋艦隊に所属シドニーにありました
戦後も永く現役にあり朝鮮戦争にも参加、1971年解役、記念館としてロンドンのテムズ川に係留保存されています。

アイコンはエジンバラ完成当時の姿です。

計画時の要目
基準排水量10.260t 187.0m*19.3m*5.3m 計画出力80.000hp 計画速力32.5kt
6in3連装砲*4 4in連装高角砲*6 2pdr8連装ポンポン砲*2 0.5in4連装機銃*2 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*3
(同型艦 ベルファスト)

(2005/2/7更新)
軽巡洋艦ダイドー級「ハーマイオニ」
カーライルなどC型軽巡の防空艦への改造が艦隊防空力の向上に貢献したことから、艦隊用防空巡洋艦として1936〜39年計画で合計11隻が建造されました
アレスーサ級をタイプシップに船体、機関を流用、KG5級戦艦にも搭載された5.25inMK1両用砲を搭載、大戦前半、ドイツ軍に制空権を奪われた中での艦隊行動、特に地中海での船団護衛にはC級改造型とともに活躍しました。

反面、主砲の生産の遅れから計画どおりの装備ができたのは6隻に止まり1部は4.5in連装砲4基の状態で就役しました。また肝心の主砲は高角砲としては発射速度が低く(7.5発/分〜アメリカの5in/38口径連装砲の1/2)、仰角不足でもあり(70°〜同85°)むしろ4.5in砲搭載艦の方が防空力は高かったようです。
(何故かこの砲は両用砲でありあながら嚢砲で、砲弾と別に袋詰めの発射薬を装填するため発射速度が遅いのも当然ではあります。上も撃てる平射砲ということでしょうか)

アイコンは1942年地中海で行動中の写真、僚艦ユリアラスから撮影したもの参考にしてます。

計画時の要目
基準排水量5.600t 156.1m*15.4m*4.3m 計画出力62.000hp 計画速力32.0kt 5.25in連装両用砲*5 2pdr4連装ポンポン砲*2 21in3連装魚雷発射管*2 
(上記兵装搭載艦はアーゴノート、クレオパトラ、ユリアラス、ハーマイオニ、ナイアド、シリアスの6隻。ダイドー、ボナヴェンチャー、フィービは5.25in連装両用砲*4 4in単装高角砲*1。カリブディス、シーラは4.5in連装高角砲*4 4in単装高角砲*1)

(2005/12/23更新)
軽巡洋艦ベローナ級「スパータン」
1939年度計画で建造されたダイドー級のうち工事が順調にすすんだアーゴノート以外の5隻はまたしても主砲の生産遅延のため工事が遅れ、戦訓を考慮した改設計の艦として建造されました。それがダイドー級第2グループとも言われるベローナ級です
前級でも半数が装備できなかった3番砲塔(CではなくQ砲塔と称される)を当初より搭載せずそのスペースに2pdr4連装ポンポン砲を装備以後の甲板を1層分下げ、重心位置の低下を図りました
また就役時より砲兵装は285型、282型レーダー搭載の高射装置に管制されています(前級でも逐次導入)
その他、戦訓による煙突の垂直化などが行われ艦容は大きく変化しています
これらの改良により前級の前部への過大な加重による荒天時ピッチングの傾向が改善され、前方指向の2pdr砲の搭載により近接防空力は強化されたとも言われています
(なにやら本末転倒のようではあります)

アイコンは1943年後半のスパータン 同年8月に完成した本艦は翌1944年1月、アンチオ沖にてドイツ空軍第100爆撃航空団の滑空爆弾Hs293の命中により戦没しました
迷彩は潮書房の某写真集参考にしましたが着色写真ですのでいまひとつ色合いには不安があります

計画時の要目
基準排水量5.950t 156.4m*15.1m*4.6m 計画出力62.000hp 計画速力32.0kt
5.25in連装両用砲*4 2pdr4連装ポンポン砲*3 20mm連装機銃*6  21in3連装魚雷発射管*2 
(同型艦 ブラック・プリンス、ダイアデム、ロイアリスト、スパータン)

(2005/12/16更新)
軽巡洋艦フィジー級前期「フィジー」
1937〜39年度計画で前期型8隻、後期型3隻が建造され、艦名がすべて英植民地名を冠したため”コロニー級”とも呼ばれています
前期型8隻は、サウザンプトン級を原型とし、第二次ロンドン条約の制限下排水量を8.000t未満に抑制するよう設計されました
機関部の配置等により全長の11mの短縮、舷側装甲の1in減圧などの変更により重量軽減を果たし、また短縮した船尾形状はクルーザー型からトランザム型に改められ、耐航性はサウザンプトン級より向上したといわれています。特に高速航行時の船体振動は減少し主砲の操作性が向上したようです
兵装以外の船殻重量などは5〜10%削減したものの、兵装重量は逆に原型より増加、復元性などには悪影響があったようです
重量の節減に努力したものの実際には約500tの超過の見込みでしたが完成前に第二次大戦が勃発、更なる重量軽減のための改設計はせずに完成しました
一般配置などは当然サウザンプトン級に似ていますが、直立させた煙突、全長の短縮などにより大きな上構がさらに強調された”城”のような外観が特徴です

アイコンは完成当時のフィジーです。英軽巡は9隻という多数が航空攻撃により沈んでいますが、そのうちフィジーは1941年5月、唯一Bf109の爆撃により沈められた軽巡です

計画時の要目
基準排水量8.525t 169.3m*18.9m*5.0m 計画出力72.500hp 計画速力31.5kt
6in3連装砲*4 4in連装高角砲*4 2pdr4連装ポンポン砲*2 0.5in4連装機銃*4 21in3連装魚雷発射管*2 搭載機*2
(同型艦 ケニア、モーリシャス、ナイジェリア、トリニダート、ガンビア、ジャマイカ、ガンビア)

(2005/12/16更新)
軽巡洋艦フィジー級後期「セイロン」
1939年度計画で建造された後期型は前級の兵装重量があまりに過大であった反省から主砲1基を減じて計画されました
重量軽減のため3番砲塔(X砲塔)を搭載せず、空きスペースに戦訓による近接対空火器の増載、航空艤装の撤去などが主な変更点です(これらの変更は前期型にも逐次取り入れられました)
重量減を狙ったものの結果的には対空兵装の増加、電子装備の充実などにより排水量は400t近く大きくなりましたが、前期型で指摘された艦内スペースの不足を格納庫を当初より居住スペースに当てるなど改善、艦隊での使用実績は良好だったとも伝えられています

アイコンは1943年頃のセイロンです

計画時の要目
基準排水量8.875t 169.3m*18.9m*5.3m 計画出力72.500hp 計画速力31.5kt
6in3連装砲*3 4in連装高角砲*4 2pdr4連装ポンポン砲*3 20mm連装機銃*10 21in3連装魚雷発射管*2(同型艦 ウガンダ、ニューファウンドランド)

(2006/3/17更新)
軽巡洋艦スイフトシュア級「スイフトシュア」
英海軍軽巡洋艦スウィフトシュア級”スウィフトシュア(Swiftsure)"です
1941年度計画でフィジー級後期型で取り入れた改設計を設計当初より取り入れたクラスで7隻が計画されました
前級同様、主砲は3連装3基とし、代償重量で対空兵装を強化しましたが起工後の変更ではないためよりその度合いも徹底して、X砲等があった部分には上構が設けられ(前級では砲等基部はそのまま)4in連装高角砲が中心線配備されています。航空兵装も当初より考慮されていないため煙突間スペースを短艇甲板とし、2基あったクレーンは支部を前部煙突側に儲け1基のみとしました
後部煙突、後部マスト間の短艇甲板は後部マストを前進させ縮小、後部上構の対空火器搭載スペースが広げられました。艦橋後部、前部煙突左右にあった格納庫が無いため前部上構はシンプルにまとめられすっきりした印象になっています

7隻計画された本級ですが大戦の趨勢から工事は遅れ気味で終戦までに就役したのは2番艦の本艦のみ(1944年6且)、1番艦”マイノーター”は1945年5月の完成と同時にカナダ海軍所属となり”オンタリオ”として就役、おもに西海岸で訓練任務に使用されました。よって本級を”マイノーター級”と称することもありますが完成順で”スウィフトシュア級”としました。また、続くタイガー級の1艦”シュパーブ”をこのクラスに含むことも有るようです(1942年計画艦のうち原設計どおりに6in3連装砲搭載で就役したため)

アイコンは戦後平時塗装のスウィフトシュアです。英巡洋艦は続く1942年計画”タイガー級”4隻が戦後設計変更されて完成したのが最後で、それ以降計画されていません

計画時の要目
基準排水量8.800t 169.3m*19.2m*5.3m 計画出力72.500hp 計画速力31.5kt
6in3連装砲*3 4in連装高角砲*5 2pdr4連装ポンポン砲*4 40o単装機銃*6 21in3連装魚雷発射管*2

(2006/3/17更新)
敷設巡洋艦アドヴェンチャー
1922年計画により建造された英海軍初の新造敷設巡洋艦です。1906年より航洋型攻勢機雷戦艦艇の整備を進めてきた英海軍は順次巡洋艦改造の同目的艦首の整備拡充を行いましたが、より多数の機雷を搭載できる新造艦を取得することとし本艦を建造しました
多数の機雷搭載と大きな航続力を持つことを求められた本艦は船首楼を船尾まで延長した中甲板を持ちその中を機雷格納庫とし280〜320個の機雷を搭載、また主機関に加え巡航用のデイーゼルエレクトリック機関を搭載、航続力の延伸に勤めています(第二煙突後方の小煙突がディーゼル排気用)
しかし主機関に5.000t級のC,D型軽巡と同じ40.000hpのパーソンズタービンであるため速力は28ktにとどまり駆逐艦と同じ4.7in砲4門の兵装、隠密行動に不向きな大型の船体と相まって攻勢機雷(敵国港湾の周辺に敷設する機雷)敷設に使用するには”Adventure”だと揶揄されたとも言われています
そのため本級の建造は1隻にとどまり、その後同任務用には旧式駆逐艦からの改造艦が多数作られました

WW2時はその搭載スペースを活かし工作艦として用いられほぼ全期間を本国水域で活動1947年除籍解体されました

アイコンは完成時のアドヴェンチャーです

駆逐艦
 

(2004/3/29更新)
駆逐艦M級
イギリスにおいて、第一次世界大戦中の主力を務めた量産型駆逐艦の一つがこのM級駆逐艦である。
排水量は900t、武装は4吋砲3門、機銃1基、魚雷発射管4線である。最高速力は34ノットである。
生産された時期のためもあるが、小改良型のR級を含めると160隻以上というとてつもない数が生産された。これほどの数の同型艦が生産された駆逐艦の例は、他にはアメリカの四本煙突駆逐艦やフレッチャー級ぐらいであろう。
M級は建造時期や建造所により若干艦容に変化があるが、アイコンの艦は、最も標準的な型とされる3本煙突のものである。

(2006/2/10更新)
駆逐艦アドミラリティR級
英海軍では1915年将来の駆逐艦の機関はオール・ギヤードタービン2軸に一本化することを定め、その方針により最初に建造されたのがこのクラスです
減速ギヤの効果により従来の直結タービンに比較して半分近い推進器回転数を実現、同時期に量産されていたM級(3軸直結タービン)よりほぼ同量(M級278t、R級296t)の燃料により50%近い燃費の改善を見ることができました(M級2.200nm、R級3.000nm〜いづれも15kt)
機関以外の船型、装備などはほぼM級後期型に準じ、英海軍は両級でWW1を戦い抜いたといっても過言ではありません
(後期の主力、S、V、W級が就役したのは1917年後半からで活躍の機会は少なかったようです)
また”R級”はこのアドミラリティ型のほかに艦型はほぼ同じですが速力の速い”ソーニクロフトR級”2本煙突化した最後期型"アドミラリティ改R級”があり3級併せて55隻が建造されています

アイコンはR級中唯一WW2に参加した”スケイト(Skate)”です。1938年敷設任務についていた頃の姿です。本艦はWW1時の損傷の復旧の際機雷敷設艦に改造され1920年代に次々と僚艦が退役していく中、大戦間を生き延び1939年を迎えましたが、すでに老朽化した本艦の機関は強行敷設任務に耐えうる状況ではなく、むしろ払底していた護衛任務に充てる事が望ましいと考えられ1940年、護衛駆逐艦として再生されました(艦籍は一貫して駆逐艦籍のままでした)
アイコン当時は4in砲2門、21in連装発射管1基、2pdr4連装ポンポン砲1基の装備で、3番砲、後部発射管は撤去されて敷設設備が搭載されていました。また大戦中の護衛艦時代はさらに2番砲、前部発射管も撤去、12pdr高角砲、対潜兵器を搭載していました

計画時の要目
常備排水量1.040t 84.1m*8.1m*2.7m 計画出力27.000hp 計画速力36.0kt
4in単装砲*3 2pdr単装ポンポン砲*1  21in連装魚雷発射管*2

(2004/3/29更新)
駆逐艦V級
このV級駆逐艦は、第一次世界大戦末期にイギリスが大量建造した駆逐艦である。
4吋速射砲を前後に2門ずつ背負い式で装備し、首尾線火力がそれまでの英国駆逐艦に比べて2倍に向上していることが大きな特徴である。
このクラスの艦は第二次世界大戦にも若干数が参戦したが、そのうち「ヴァンパイア」は、インド洋セイロン沖で南雲機動部隊の攻撃を受け沈没している。

(2004/5/14更新)
駆逐艦S級
このS型駆逐艦は、第一次世界大戦中、イギリスが生産した量産型駆逐艦の一つ。V型は高性能だったが大型だったため、数を充足する目的で平行して生産された。
基本的にはM型の小改良型で、艦首のシアが強いこと、機関をオールタービンとし、煙突が2本になったことが主な特徴である。
一部の艦は第二次世界大戦でもなお現役であった。

(2004/3/29更新)
駆逐艦W級
V級駆逐艦を若干改良した艦がこのW級である。
主な相違点は雷装の強化で、俵積みのような形状の3連装魚雷発射管を装備し、V型は片舷4射線だったのが、6射線となっている。
火力は基本的にV型と同様だが、主砲を12cm砲に強化したW改型といわれる艦も16隻建造されている。
このクラスも、多数艦が第二次世界大戦に参戦している。

(2006/2/10更新)
駆逐艦シェイクスピア級
V,W級に対応する嚮導駆逐艦としてソーニクロフト社により建造されたのものがこの"シェイクスピア級”です1916年計画により7隻が計画、5隻が完成しました
ドイツ海軍が駆逐艦の主砲を従来の4inから5inに拡大するとの情報を受け(実際には6in砲であったが)英海軍でも5in砲を採用することが検討されましたが開発に長期間を要するため陸軍の4.7in砲を採用、5門を搭載する大型駆逐艦として設計されました。また雷装も連装から3連装2基と強化されながら速力は公試成績は37〜38kt(シェイクスピアでは38.95kt)を記録、WW1期の最強、最速の英駆逐艦でした
しかし残念なことにソーニクロフト社自体の建造能力が限界に達しており大戦に間に合ったのは2隻のみ、2隻は大戦終結後にキャンセル、残りの建造はゆっくりと進められ1919〜1925年にかけて就役、大戦中の2隻は1936年に解体されましたが戦後の3隻はそろってWW2に参加しています

アイコンは1940年頃のウォーレス(Wallace)です。本艦はWW2に先立つ1939年、V&W級の残余と共に既存の武装を全て撤去する護衛駆逐艦(Escort Destroyer)への改造を実施されました。アイコン当時は4in連装高角砲2基、2pdr4連奏ポンポン砲、20o機銃などの装備なっています
多数が計画された旧式駆逐艦の改造ですが長期間と費用がかさむため、護衛駆逐艦への改造は各級併せて16隻にとどまり、より簡易な兵装の一部換装のみの短距離護衛艦(Short Range Escort)、あるいは兵装の一部換装に加えて缶一基を撤去、燃料を増載した長距離護衛艦(Long Range Escort)にシフトしていきました
(同級の残り2隻、ケッペルとブロークは主砲2門と発射管1基を残した短距離護衛艦として大戦を戦いました)

計画時の要目
常備排水量1.481t 100.3m*9.6m*3.8m 計画出力40.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*5 3in単装高角砲*1 2pdr単装ポンポン砲*2  21in3連装魚雷発射管*2
(同型艦スペンサー、ウォーレス、ケッペル、ブローク)

(2005/2/7更新)
駆逐艦アマゾン
第一次大戦後、久々に建造した駆逐艦です。
ポストWWT型の原型として同一仕様書の元各社に設計を依頼した結果、以前よ小型高速艦の設計に経験の深いソーニクロフト、ヤーローの両社、それぞれ一隻づつの発注が1924年度計画出なされました。

「アマゾン」は2隻のうちのソー二クロフトにより作られた艦で、前作のソーにクロフト改W級(多数建造されたW級のうち、同社で作られたものの改正型)をベースとして新型射撃指揮装置の搭載による遠距離砲戦への配慮、高速化、航続力の増大、空調設備の導入などが果たされています

アイコンは1933年6月とされる写真の状態です。おそらく本国艦隊配備時と思われ、濃灰色に白字で艦番号記されています

計画時の要目
基準排水量1.350t 98.5m*9.6m*3.8m 計画出力39.500hp 計画速力37.0kt
4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in3連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*1
1927年5月5日竣工 1948年10月25日売却

(2005/2/7更新)
駆逐艦アンバスケイド
解説
前掲の”アマゾン(Amazon)"と同じ1924年度計画の試作型でヤーロー社に発注されたタイプです。アマゾンより若干小型で出力も低いにもかかわらず、高圧缶の採用により、公試では37.16ノットを記録、のちの英駆逐艦の機関設計に影響を与えました。
大戦中は対潜能力の随時の強化により1943以降、護衛駆逐艦として活躍しました。

アイコンは1933年6月とされる写真の状態です。

計画時の要目 
基準排水量1.170t 93.6m*9.5m*3.5m 計画出力33.000hp 計画速力35.0kt
4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in3連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*1
1927年5月15日竣工 1947年解体

(2005/2/20更新)
駆逐艦A級
試験的に建造された1924年度計画艦2隻の実績により設計されたWW1後第一世代となる駆逐艦です。試作艦のうち”アマゾン”をベースとして設計され嚮導駆逐艦1隻を含む9隻が建造されました(ちなみにこの建造パターンは29年度を除き1935年度のI級まで続きます)

”アマゾン”からの改正点は機関の改善による航続力の40%増(燃料等裁量は10%減)、発射管の4連装化があります。しかし、要求された2番砲の高角化(仰角60°)は果たされず(この点米海軍に一日の長ありです)、わずかに主砲防楯の大型化のみの変更にとどめられています。外見的には前後の煙突が同大のものとなったことが大きな違いです。

アイコンは1933年10月とされる写真の”アカスタ(Akasta)"です。地中海艦隊編入時で明灰色に黒の艦番号です。後部煙突に3本の横縞の識別帯があるのですが残念ながらオミットしました。

計画時の要目
基準排水量1.375t 98.5m*10.0m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力36.0kt 4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*1
(同型艦 アカスタ、アケイテズ、アケロン、アクティヴ、アンテロープ、アンソニー、アーデント、アロー)

(2005/3/10更新)
駆逐艦「コドリントン」(codrington)
 1928年計画で建造されたA型駆逐艦の嚮導駆逐艦Flotilla Leaderとして建造された艦。嚮導駆逐艦としての仕様は、煙突間に45口径4.7インチ(119mm)砲が1門追加され、駆逐隊司令部設備が設けられただけだが、排水量は200トン弱増えている。また、船体も延長され、機関の出力増大もあって速力も過負荷状態で37ノットを発揮した。しかし、減速ギアの騒音がひどく、旋回半径も大きかったため、高速発揮には不便を伴ったと言う。主砲は仰角の大きなMkVIIが搭載されたが、重量が過大であると言うことから仰角40度のMkIXに就役後に換装された。
 1930年5月1日、スワン・ハンター社で竣工したコドリントンの就役後の足取りははっきりしないが、1939年9月3日の開戦時にはB型駆逐艦からなる第19駆逐隊に、B型の嚮導駆逐艦であったキーストともにドーヴァーに配属されており、その司令駆逐艦を務めていた(この時、A型からなる第18駆逐隊の司令駆逐艦を務めていたのはC型の嚮導駆逐艦として建造されていたケンペンフェルト)。その後、おそらくは1940年早々に触雷により沈没したグレンヴィルの代わりとしてG型からなる第1駆逐隊の司令駆逐艦としてハーリッジに配備された。
 この艦は、不思議とVIPの乗艦になる事が多く、1939年の年末にジョージ6世をベルギーのブリュッセルへ運び、40年5月には亡命するオランダ王女を運んだ。さらに同年6月にはダンケルクから退却するモンゴメリー将軍を乗せたが、この際にはドイツ空軍の空襲、さらには陸上からの砲撃も浴びさせられたものの、少しの損害も出さずに任務をまっとうした。しかし、幸運はそこまでで、わずか1ヵ月後の7月27日、ドーヴァーでドイツ機の空襲によりあっけなく沈没した。
 なお、艦名はトラファルガー海戦に戦列艦オライオン艦長として参加、ギリシャ独立戦争時にはイギリス・フランス・ロシア連合艦隊の司令長官として1827年10月20日ナヴァリノ沖でトルコ・エジプト艦隊を撃破したサー・エドワード・コドリントン提督に由来する。

アイコンは1930年6月とされる写真参考にしてますが、アカスタと同時期とするため(?)後檣トップのみ延長後(1931)の姿としました。アカスタと同じく後部煙突に識別帯があるのですが残念ながらオミットしてます。

計画時の要目 
基準排水量1.540t 101.2m*10.3m*2.6m 計画出力39.000hp 計画速力35.0kt
4.7in単装砲*5 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
1930年5月竣工 1940年7月戦没

(2005/3/10更新)
駆逐艦B級
1928年度計画のこのクラスはA級の拡大強化版として重雷装艦などの案もありましたが結局予算上の制約などからわずかに対潜兵装強化したほぼ同型の艦として作られました。

アイコンは開戦当初とされる写真の”ビーグル(Beagje)"です。本国水域で対潜護衛任務に就いていました。
新造時と比較して、後檣の撤去、後部甲板室の拡大、後部発射管撤去後に12pdr高角砲搭載などが見られます。

計画時の要目
基準排水量1.360t 98.5m*9.9m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力34.0kt
4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 バシリスク、ビーグル、ブランシェ、ボーデシア、ボリアス、ブレイズン、ブリリアント、ブルドッグ)

(2005/9/16更新)
英海軍駆逐艦キース(Keith)
1928年度計画のB級の嚮導駆逐艦として建造されました。
前級の嚮導駆逐艦とは異なり、主砲数などは原級のまま、旗艦設備のみ充実させています

アイコンは開戦当初とされる写真の”キース"です。本国艦隊所属と思われます

計画時の要目 
基準排水量1.400t 98.5m*9.8m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力34.0kt
4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/7/10更新)
駆逐艦C級
1929年度計画のこのクラスは前級より対空砲力の強化を要求され、2番砲の仰角アップ、.50機銃の装備の計画に対しともに開発が間に合わず在庫の3in高角砲、2pdrポンポン砲を装備して就役しました
本級も従前どおり嚮導駆逐艦除く8隻の建造が予定されましたが折からの緊縮財政の影響で
4隻のみが認められ、戦隊構成に難があるためか1937〜8年にカナダに譲渡され”フレーザー級(Fraser class)"となりました

アイコンは1937年撮影の”コメット(Comet)"です。この状態のままカナダに譲渡されました
計画時の要目
基準排水量1.375t 99.4m*10.1m*2.6m 計画出力36.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 3in単装高角砲*1 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 コメット、クレセント、クルセイダー、シグネット)

(2005/9/16更新)
駆逐艦ケンペンフェルト(Kempenfelt)
1929年度計画のC級の嚮導駆逐艦として建造されました。
キース動揺、旗艦設備のみ充実させています
その他のC級同様(幾分遅れて開戦後でしたが)カナダに譲渡され”アシニボイン”となりました

アイコンは竣工当時の”ケンペンフェルト"です。写真の色合いから地中海艦隊塗色と考えました
(焼き加減で微妙ではありますが)
キース同様、嚮導艦として1番煙突に太黒線描かれた状態です。


計画時の要目 
基準排水量1.390t 99.4m*10.1m*2.6m 計画出力36.000hp 計画速力34.0kt
4.7in単装砲*4 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/9/16更新)
駆逐艦D級(D Class)
1930年度計画のこのクラスは日本の特型に対抗するため大口径主砲の搭載も検討されましたが開発に時間がかかるため結局前級で検討された仰角」40°のMk]4.7in砲を搭載したにとどまりあまり新味のない艦型でした
その他には2pdr砲に変えて新型高発射速度の0.5in4連装機銃を艦橋両舷のウイングに搭載、近接防空力の強化を図っています。

アイコンは1934年撮影の”デコイ(Decoy)"東洋艦隊配属当時の姿です。

計画時の要目 
基準排水量1.375t 99.4m*10.1m*2.6m 計画出力36.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 3in単装高角砲*1 2pdr単装装ポンポン砲*2(ディンティ、デコイ、ディライト、ダッチェスは0.5in4連装機銃*2) 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 ディンティ、デアリング、デコイ、ディフェンダー、ディライト、ダイアモンド、ダイアナ、ダッチェス)

(2005/9/16更新)
駆逐艦ダンカン(Duncan)
1930年度計画のD級の嚮導駆逐艦として建造されました。この年次より嚮導駆逐艦も同じ頭文字の船名となりました。やはり旗艦設備のみ充実させています

アイコンは1940年11月、春の損傷修理後の姿です。といっても損傷箇所が吃水線下のためか、写真で見る限り改装などの痕跡見られません。

ちなみにD級は戦没艦の多いクラスとしても知られ、嚮導艦の本艦、D級のデコイを除く7隻が戦没しています。

計画時の要目 
基準排水量1.400t 99.4m*10.3m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力37.0kt
4.7in単装砲*4 3in単装高角砲*1 2pdr単装装ポンポン砲*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/9/16更新)
駆逐艦E級(E Class)
1931年度計画のこのクラスは前級の一部の艦に搭載された0.5in4連装対空機銃の標準化、対潜攻撃力の強化が主な変更点です。
対空機銃は射界が広く取れる3in高角砲が装備されていた1〜2番煙突間に搭載され、艦橋ウィングはクリアーとされました
また一部の艦は機雷敷設レールを新造時より装備、短期間での高速敷設艦への改造が考慮されていました。
外見では艦橋構造物が少々大きくなっているように見えます

アイコンは1934年撮影の”エスカペイド(Escapade)"です。

計画時の要目 
基準排水量1.350t 100.3m*10.1m*2.6m 計画出力36.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 3in単装高角砲*1 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 エコー、エクリプス、エレクトラ、エンカウンター、エスカペイド、エスコート、エスク、エクスプレス)

(2005/9/16更新)
駆逐艦エクスマス(Exmouth)
1931年度計画のE級の嚮導駆逐艦として建造されました。本艦はコドリントン以来久々の主砲を増載した嚮導駆逐艦でした
増載分の主砲はコドリントン同様煙突間に置かれ、機銃は艦橋ウィングに搭載されました

アイコンは1938年1月の写真参考にしました。スペイン内戦下、B砲には中立国の識別用三色の表示があり、
また前の発射管は下ろされ3in高角砲が搭載されているようです。

計画時の要目 
基準排水量1.400t 104.5m*10.3m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力37.0kt
4.7in単装砲*5 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/11/7更新)
駆逐艦F級
1932年度計画のこのクラスはE級をほぼ踏襲した設計でE/F級とされることもあります。
搭載魚雷が前級までのMKWからMK\に改められ同じ直径ながら炸薬量で約100kg射程で20%向上しています
また機関部のデザインも1部改正されたため重量が若干増加しました

アイコンは1942年頃のの”フォアサイト(Foresight)"です
戦時改装により後部煙突の短縮、後檣の撤去、後部発射管の撤去跡に3in高角砲の装備
前檣上に291レーダー、20mm機銃の増設などが行われています

計画時の要目
基準排水量1.360t 100.4m*10.1m*2.6m 計画出力36.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 フェイム、フェアレス、ファイアドレイク、フォレスター、フォアサイト、フォーチュン、フォックスハウンド、フューリー)

(2005/11/7更新)
駆逐艦「フォークナー」
1932年度計画のF級の嚮導駆逐艦として建造されました。本艦もエクスマスと同じく主砲を増載した嚮導駆逐艦でした

アイコンは1935年7月の写真参考にしました。竣工直後の姿です
後部煙突には嚮導艦示す白線が2本描かれています
戦時中は3番砲を4in高角砲に換装、機銃の増設などが行われました

計画時の要目
基準排水量1.460t 103.6m*10.3m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力37.0kt
4.7in単装砲*5 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/11/29更新)
駆逐艦G級
1933年度計画のこのクラスはF級から巡航タービンを省略して小型化全長も6ft短縮しています
航続力も15ktで4800海里と短縮され、前級の一部に採用された後檣の三脚檣化も行われました

アイコンは開戦前後の”グローウォーム(Glowworm)"です。本艦は試験的に5連装発射管を採用しました
また1940年4月、独軍のノルウェー侵攻に対抗するためのノルウェー領海内への機雷敷設作戦”ウィルフレッド”に参加
部隊からはぐれ濃霧の中単艦行動中にトロンヘイムに向かう重巡アドミラル・ヒッパー率いる独軍艦隊と遭遇
艦長G・B・ルーペ少佐は煙幕展張により離脱を図るも射程に優るヒッパーの砲撃を受け損傷、離脱不能と見るや一転艦首を敵艦隊に向けヒッパーに衝角攻撃を仕掛け損傷を与えました
しかしヒッパーの損害は作戦遂行を断念するほどのものではなくルーペ艦長は戦死、グローウォームも沈没しました。その勇猛果敢な行動に対してルーペ艦長には戦死後ヴィクトリア・クロスが授与されました

計画時の要目 
基準排水量1.335t 98.5m*10.1m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2(グローウォームは5連装*2)爆雷投射機*2
(同型艦 ガラント、ガーランド、ジプシー、グローウォーム、グラフトン、グレネイド、グレイハウンド、グリフィン)

(2005/11/29更新)
駆逐艦「グレンヴィル」
1933年度計画のG級の嚮導駆逐艦として建造されました。本艦はヤーロー式の側面焚火式水管缶を採用したため
缶室の容積を減少できフォークナーに比べ全長は13ft短くなり、G級と全長はさほど変わりませんでした

アイコンは1937年の写真参考にしました。

計画時の要目 
基準排水量1.485t 99.7m*10.3m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力36.5kt
4.7in単装砲*5 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2005/11/29更新)
駆逐艦H級
1934年度計画のこのクラスは嚮導駆逐艦ともG級とほとんど変化はありません
ただヒアワード、ヒーローの両艦は操舵室にスプリンター防御の装甲を施した新型艦橋を搭載、のちの駆逐艦艦橋の原型となりました
またヒアワードは竣工時試験的に新型連装砲を2番砲位置に搭載しました(1番砲は搭載せず)。この砲は試験終了後陸揚げ通常の砲兵装に換装されましたが、良好な試験結果によりトライバル級に採用されました
このクラスも嚮導艦含む全9隻中、7隻が戦没しています

アイコンは1937年3月の”ヒアワード(Hereward)"です
新型砲の試験中で2番砲の位置に連装砲搭載しています。またスペイン戦争時の3色の中立国表示があります

計画時の要目 
基準排水量1.340t 98.5m*10.4m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4(ヒアワードは連装*1 単装*2) 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 へイスティ、ハヴォック、ヒアワード、ヒーロー、ホスタイル、ホットスパー、ハンター、ハイペリオン)

(2005/11/29更新)
駆逐艦「ハーディー」
1934年度計画のH級の嚮導駆逐艦として建造されました。本艦はG級嚮導駆逐艦グレンヴィルとほとんど変化ありませんが前後檣ともに三脚檣とされました
本艦は開戦時第2駆逐隊の旗艦として地中海方面にあり、1940年4月10日第2駆逐隊はナルヴィクにてドイツ駆逐艦隊と交戦、2隻撃沈、3隻損傷の戦果を挙げましたが本艦も損傷を受け擱座、全損に帰しました

アイコンは開戦当初の写真参考にしました。

計画時の要目 
基準排水量1.505t 101.8m*10.4m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力36.5kt
4.7in単装砲*5 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2006/1/20更新)
駆逐艦I級
1935年度計画のこのクラスはG級グロウォームに搭載された5連装発射管を正式化、重雷装艦として建造されました。併せて前級で試験的に採用された新型艦橋を全面的に採用しています
初めて採用された5連装発射管は2.3連装の2段式も考慮されましたが、操作性を考慮して横一列の5連装とされました。主砲は従前と同じ仰角40°のMK\のままですが高角砲弾を搭載、両用砲としての使用が考慮されましたが当然WW2時は急降下爆撃機に対応できず、せっかくの5連装発射管1基を3in高角砲と交換しています
1939〜40年頃4隻が高速敷設艦に改造、1部が大戦後半駆逐艦に復しています。このクラスも嚮導艦含む全9隻中、6隻が戦没しています

アイコンは”イントレピッド°(Intrepid)"です。高速敷設艦に改造された本艦も1941年頃駆逐艦に復帰、その後の写真参考にしています
後檣は撤去、後部煙突は短縮、発射管は前部のみ復旧、後部発射管あとには3in高角砲が装備されています

計画時の要目
基準排水量1.370t 97.5m*10.1m*2.6m 計画出力34.000hp 計画速力36.0kt
4.7in単装砲*4 0.5in4連装機銃*2  21in5連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(同型艦 イカルス、アイレクス、イモージョン、インペリアル、インパルシヴ、イントレピッド、アイシス、アイヴァンホー)

(2006/1/20更新)
駆逐艦イングルフィールド
1935年度計画のI級の嚮導駆逐艦として建造されました。旗艦施設を有する艦橋は前級ハーディーと同様の形式で操舵室の断片防御はなされていなかったようです
本艦は開戦時本国艦隊にあり、ノルウェイ作戦、ダカール占領、ビスマルク追撃船などに参加、1942年よりは船団護衛に従事、43年以降は地中海でシシリー、サレルノ、アンツィオの上陸作戦の支援を行い1944年2月25日、アンツィオ橋頭堡沖に独グライダー爆弾で撃沈されました

アイコンは1937年8月マルタ入港中とされる写真参考にしました。

計画時の要目
基準排水量1.530t 101.8m*10.4m*2.6m 計画出力38.000hp 計画速力36kt
4.7in単装砲*5 0.5in4連装機銃*2  21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2004/12/28更新)
駆逐艦トライバル級
1934年計画のこのクラスはそれまでのA〜I級が 1300t 4.7in砲*4 というほぼ同じ仕様で建造されていました
一方、太平洋では日本の特型(1600t 5in*6)、対抗する米のポーター級(1800t 5in*8)という
強力な砲力を持つ艦が整備されつつあり、それらに刺激を受けて作られたのがこのクラスです

排水量の4割アップにより砲力の倍増(砲塔化のより重量は2.5倍)を果たしましたが、反面、発射管数は半分以下、対空火力はさほど代わり映えせず、従来艦より50%以上高い建造費により批判も少なくありませんでした。
しかし大戦中は長大な船首楼、高い艦舷からくる優れた耐波性を発揮、全期間を通じ活躍しました(当然、損害も多く全16隻中12隻を失いました)

アイコンは"トライバル(種族)”級"コサック(Copssack)"の引渡し時の写真参考にしています。
スペイン戦争のさなかでもありB砲塔には中立国の識別用、三色の表示があります。

計画時の要目
基準排水量1.870t 108.4m*11.1m*4.0m 計画出力44.000hp 計画速力36.5kt
4.7in連装砲*4 2pdr4連装対空砲*1 .50in4連装対空砲*2 21in4連装魚雷発射管*1 爆雷投射機*2

(2004/12/4更新)
駆逐艦ジャベリン級
このクラスは36年計画のJグループ、37年計画のKグループ、39年計画のNグループ各8隻、合計24隻が建造されました(それぞれJ.K.N級と称する資料もあります)
前級の砲戦型駆逐艦”トライバル級”が大形にすぎた(といっても1.800t級ですが)反省から有力な砲力を維持しつつ(4.7in連装*4から*3)雷撃力の強化(前級の4連装*1から5連装*2)、そのうえ排水量200tの減を求められ、過大な要求性能を満たすため肋骨方式の変更、缶数を3基から大容量のもの2基にしての単煙突化など新技術を導入、以降の英駆逐艦の原型となりました。
なお、このクラスまでの4.7in砲は平射砲でこの点、ファラガット以降一貫して(ポーター級除く)両用砲採用した米駆逐艦に一日の長がありました。
Nグループは後部の発射管を新造時から装備せず4in単装高角砲*1を装備していました(他艦も順次倣う)。またJ,Kグループが艦尾に装備していたパラベーンを持たず、爆雷搭載数を増しています。

アイコンはJグループ、ジャージーの引渡し前の試験中の写真参考にしています。
計画時の要目
基準排水量1.690t(供嚮導駆逐艦は1.695t)
106.7m*10.7m*2.7m 計画出力40.000hp 計画速力36kt
4.7in連装砲*3 2pdr4連装対空砲*1 21in5連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(Nグループは4.7in連装砲*3 4in単装高角砲*1 2pdr4連装対空砲*1 21in5連装魚雷発射管*1 爆雷投射機*2)

(2004/12/28更新)
駆逐艦ジャベリン(1940)
戦時中に受けた改修(後部発射管撤去して4in高角砲装備)を反映した姿にしてみました。

(2006/4/14更新)
駆逐艦L級「ラフォーレイ」
1937年度計画のこのクラスは基本的にJ級の主砲を50口径MK XIに変更したもので左右単独俯迎のできる仰角50°の同砲により始めて英駆逐艦は本格的な対空火力を備えたといます(重量増により発射管は4連装)。勿論この砲も両用砲と呼ぶには不十分で仰角不足のためドイツ急降下爆撃機により撃沈されたものもありました
また大戦期の英艦の通例で新型砲が間に合わず、4in連装高角砲を搭載した艦が半数あり、またこれも原型より有力な対空火力を有していました

アイコンは”ラフォーレイ(Laforey)"1942〜3年頃の3色迷彩です。同級の嚮導駆逐艦である本艦は就役後地中海で行動しおもにマルタ島輸送船団の護衛に従事、1944年3月30日、ドイツ潜U223の雷撃により沈没しました

計画時の要目
基準排水量1.920t(嚮導駆逐艦は1.935t) 107.9m*11.3m*3.1m 計画出力48.000hp 計画速力36.0kt
4.7in連装砲*3 4in単装高角砲*1 40o4連装ポンポン砲*1 21in5連装魚雷発射管*1 爆雷投射機*2
(ラフォーレイ、ライトニング、ルックアウト、ロイヤル)
4in連装高角砲*3 40o4連装ポンポン砲*1 21in5連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2
(グルカ、ランス、リージョン、ライヴリィ)

(2004/11/26更新)
(2006/5/14更新)
駆逐艦新M級
1939年計画艦のこのクラスは前級のL級の船体を若干延長した平時計画の駆逐艦としては最後のクラスでした
(アルファベットで続く”N"は前々級のジャベリン級の1グループ)
続く”O級”以降は戦時標準の簡易型の量産が続いたため
大戦末期のバトル級の出現まで最優秀の駆逐艦として活躍しました

計画時の要目
基準排水量1.920t(嚮導駆逐艦は1.935t)
110.5m*11.3m*3.1m 計画出力48.000hp 計画速力36kt
4.7in連装砲*3 2pdr4連装対空砲*1 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2

(2006/4/14更新)
駆逐艦タウン級
WW2開戦後、多数の駆逐艦の喪失と独潜水艦の通商破壊に手を焼いた英国は1940年9月(海軍当局は必ずしも歓迎しなかったものの)首相チャーチルの直接要請により西インド諸島の基地使用権と交換で米国から50隻の”4本煙突型”駆逐艦の99年間の貸与を得ました(西インド諸島の基地移管すら英国の負担軽減が目的だったとされています)。カナダ海軍所属とされた7隻を除く43隻が1940年〜1941年11月の掛けて引き渡され、艦名を英国の小都市名とすることとなりクラス名は”タウン級”とされました
前線では早期の戦力化の要望がありましたが、英海軍省は同級が復元性等において英国の基準を満たしていないことなどの理由から相応の期間を掛けて英国規格への改修を行い順次就役させました
改修は主砲4基のうち両舷の2基を撤去、発射管の全廃、3in高角砲1門、対戦兵装を増備したもの、4基の発射管のうち2基を残し、主砲を全廃、3in高角砲2基、あるいは40o、20oの機銃だけとしたものなど多岐にわたり第1〜第5のグループに分けられています。また一部の艦では主缶を半減し燃料を増積して長距離護衛艦としたものもありました
これらの艦は大西洋のもっとも危険な時期に、(数的に)貴重な艦隊型駆逐艦を補う活躍をしました。また就役時期にしては戦没艦も少なくなく8隻に及びました。その1隻キャンベルタウン1942年サン・ナゼール港襲撃の際時限装置により自爆、港湾設備を破壊しドイツ大型艦による通商破壊の阻止に貢献しました

アイコンは第5グループ中、護衛駆逐艦への改修がなされた”クレアー(Clare)"です。迷彩はグレー系の3色、第1.2のボイラーが撤去され2本煙突となり、兵装は4in主砲を艦首に一門とし3in高角砲は後部上構上に、発射管は2基残されています。期間の掛かる同種の改修は本艦、スタンレイ、他1隻のみに施されました

計画時の要目
常備排水量1.190t 95.8m*9.4m*3.0m 計画出力27.000hp 計画速力35kt
4in単装砲*4 3in単装高角砲*1 21in3連装魚雷発射管*4 爆雷投下軌条*2 爆雷投射機*1

(2006/5/23更新)
駆逐艦ハント級I型
それまで旧式駆逐艦の改造型を充当していた護衛駆逐艦ですがR,S級の退役後の減勢を補うための新造を計画、まず1939年度で20隻が認められ、ハント級と名づけられました
船型は艦隊型駆逐艦を小型にした長船首楼形式で、乾舷の不足を補うため艦首には比較的大きなシェーアが付けられています。主兵装は対空戦を重視し4in高角砲連装3基を予定し、対潜兵装も重視、爆雷50個が搭載されました。機関は艦隊型と同形式ですが出力は半減され、速力は28ktに留められました
しかし、復元性能の不良から主砲1基を諦め、50tのバラストを搭載せざる終えませんでした。また、伝統的に雷装を重視する英海軍にあって雷装の全廃は少なからぬ用兵側の不満となったようです(実際、大戦初期には独大型艦による船団攻撃もあったわけですから)。またR,S級の代替と言うことで航続距離が同級並みにとどめられたことは(12ktで1.740nm〜艦隊型駆逐艦の1/3)WW2時の本級の運用に問題になりました
問題はあったものの”英国のもっとも危険な時期”に続々就役した本級の活躍により(就役時期は1940年3月〜1941年2月)英海軍の護衛戦力が大幅に強化されたことは間違いありません

アイコンは船名不詳ですがほぼ原型のハント級です。ちなみに”ハント”はクラスネームで船名の同艦は存在しません

計画時の要目
基準排水量1.000t 85.3m*8.8m*2.4m 計画出力19.000hp 速力28kt 4in錬装高角砲*2 2pdr4連装ポンポン砲*1 爆雷投射機*2 爆雷50個

(2006/6/24更新)
駆逐艦ハント級II型
英海軍駆逐艦"ハント級U型(Hunt Class Utype)”です
開戦後、戦時急造計画により建造されたハントT級の改良型です。36隻が建造され1941年末から1942年半ばに掛け就役しました
T型の復元性能の不良を改善するために全幅を76cm広げ主砲を原計画通りの3基とし、あわせて燃料を増載航続力を改善しました。幅を広げた割りに重量の増加を抑えたので吃水は浅くなり乾舷は増大しているようです。また初期に建造された3隻は(ブロックレスビー、ブレンキャスラ、リッデスデイル)兵装強化の計画が定まる前に建造が始められた関係で主砲は2基とされ、燃料が増載されていたようです

アイコンは撮影時期不詳のオークリー(Oakley)の写真参考にしています。完成当時からなのか不明ですがT型に比較して艦橋構造も大型化しています

計画時の要目
基準排水量1.025t 85.3m*9.5m*2.3m 計画出力19.000hp 速力27kt 4in錬装高角砲*3 2pdr4連装ポンポン砲*1 爆雷投射機*2 爆雷110個

(2006/6/24更新)
駆逐艦ハント級III型
ハント級が作戦に投入されるとその用法は艦隊型駆逐艦と大差なく、地中海での枢軸側のアフリカ向け船団攻撃に参加する際などに雷装の必要性が叫ばれました。そこで船体中央部両舷に単装発射管一基づつを搭載したのがこのハントV型で、代償に後部砲は撤去、28隻が1941年末から1943年初めにかけて完成しました
後部砲の撤去によりクリアーになった後部甲板には爆雷投射機が増設、煙突も排煙の切れを高めるため斜めにカットされた形状になっています

アイコンは撮影時期不詳のブリースディル( Bleasdale)の写真参考にしています。発射管以外はほぼU型に準じています。また後部甲板のスペースには40oボフォース単装砲と思しき対空機銃が搭載されています
計画時の要目
基準排水量1.037t 85.3m*9.5m*2.2m 計画出力19.000hp 速力27kt 4in連装高角砲*2 2pdr4連装ポンポン砲*1 21in単装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2 爆雷60個

(2006/8/10更新)
駆逐艦ハント級W型
W型はT〜V型とは違い小型艦艇の建造に深い経験を持つソーニクロフト社の独自のプロジェクトで設計、海軍により検討の後2隻が建造されました
T〜V型が従来駆逐艦の小型版であったのに比較し、W型はスループ艦を大形、高速化したような高乾舷の長船首楼形式で優れた凌波性能と艦内容積の拡充を実現しました。艦首部、船首楼後部には顕著なナックルフレアーを有し上甲板以上の上構は比較的ローシルエットにまとめられていて、戦後の対潜護衛艦の原型にもなりました

アイコンは1946年のブリセンデン(Brissenden)の写真参考にしています

計画時の要目
基準排水量1.175t 90.2m*10.2m*2.7m 計画出力19.000hp 速力27kt 4in連装高角砲*3 2pdr4連装ポンポン砲*1 21in3連装魚雷発射管*1 爆雷投射機*2 爆雷50個

(2007/1/27更新)
駆逐艦ブラジル向け取得型
1938年起工のブラジル向け(juruena class)駆逐艦でWW2勃発に伴い未完成のまま英政府が購入、急ぎ工事を終え1939〜1940年に6隻が竣工しました
H級駆逐艦をタイプシップとして、ほぼ護衛駆逐艦の仕様で艤装されましたが工事の短縮のため主砲は3基とされ、竣工時には方位盤、1部発射管なども搭載されずドック入りなどに際して順次搭載されたため装備にはかなりばらつきがあります

アイコンは1939年のハヴェント( Havent)です。発射管は2基搭載されていますが射撃方位盤は未搭載です。ただし主砲は4基に見えますがその他同型艦の写真では4番砲位置に高角砲搭載しているもの見受けられるのでカタログデータに従い4.7in砲3基で4番砲は4in高角砲にしてみました。本艦は就役後第9水雷戦隊に所属してノルウェー船に参加、続くダイナモ作戦中に爆撃大破し撃沈処分されています
計画時の要目
基準排水量1.400t 98.5m*10.1m*2.6m 計画出力34.000hp 速力35.5kt 4.7in単装砲*3 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2 爆雷110個
(同型艦 ハーヴェスター、ハブロック、ヘスペラス、ハイランダー、ハリケーン)

(2007/1/27更新)
駆逐艦トルコ向け取得型
1939年発注のトルコ向け(Gayret class)駆逐艦で、4隻発注のうち2隻をWW2勃発に伴い英海軍が購入しました。
I級駆逐艦をタイプシップとしており、竣工時期(1942〜3年)の関係で”ブラジル向け取得型”とは違い標準の艤装がなされていました(発射管は正規のI級と違い4連装)

アイコンは1942年のイシュリエル( Ithuriel)です。引渡し以前の試運転時の写真参考にしているので艦橋上方位盤後方の測距儀、レーダーが搭載されていません。本艦は就役後地中海での護衛任務につきましたが1942年11月ボーヌにて被爆大破、ジブラルタルに回航されましたが放棄解体されました。またインコンスタントは戦後トルコに売却Muavenetとして再就役しています(1960年解役)。イシュリエル、インコンスタントはヴィッカース・アームストロング社製ですが、スコットランドのデニー社に発注された2隻は戦時下にもかかわらずトルコに引き渡されDemirhisar,Sultanhisarとして1960年頃まで使用されていました
計画時の要目
基準排水量1.360t 98.5m*10.1m*2.6m 計画出力34.000hp 速力35.5kt 4.7in単装砲*4 0.5in4連装機銃*2 21in4連装魚雷発射管*2 爆雷投射機*2 爆雷20個

(2003/10/13更新)
州(county)級ミサイル駆逐艦「グラモーガン」
英海軍では第2次大戦後初めて計画された駆逐艦です。と、同時に初めて建造したミサイル駆逐艦でもあります。一番艦のデヴォンシャーが1962年に竣工し、合計8隻が建造されました。
基準排水量5,200トン 速力30ノット 竣工時の兵装は11.4センチ連装砲×2、シースラグSAM連装発射機×1、シーキャット4連装が×2。後に2番砲塔はエクゾセ発射筒に換装されました。
艦隊防空用として搭載されたこのシースラグSAMは大ハズレだったようで、後に射程を延伸したMk.2に換装されています。それでもフォークランド紛争では旧式な短SAMのシーキャットですら8機撃墜しているのに対し、こちらは戦果ゼロという事実からもその性能はうかがい知れるところでしょうか。
フォークランドはグラモーガンとアントリムが派遣され、アントリムはサウスジョージア島の逆上陸作戦に参加、またグラモーガンは機動部隊直衛につきました。そのうちグラモーガンの方はフォークランドの首都ポートスタンリー攻略部隊を艦砲射撃で支援しているところへ、アルゼンチン軍の地上発射によるエクゾセが命中してしまいます。30名にものぼる死者・行方不明者を出し、大きな損害を受けましたが、なんとか沈没は免れました。
その後アントリムとともにチリ海軍に売却されましたが、カウンティ後期型の4隻はすべてチリ海軍のものとなり、その中核的な存在として今日に至っています

(2003/10/4更新)
大型ミサイル駆逐艦82型「ブリストル」
1960年代に立案された攻撃型空母CVA-01の直衛艦として当初4隻計画されましたが、守るべき空母の計画が破棄されたため、新しい主機やミサイル兵装の試験艦的な役割を担ってブリストル1隻だけが建造され、73年に竣工しました。
基準排水量5,650トン。主機は蒸気タービン+ガスタービン、速力30ノット。主な兵装は11.4センチ単装砲×1、シーダートSAM連装発射機×1、アイカラ対潜ミサイル単装発射機×1など。
フォークランド紛争ではあまり表立って活躍していませんが、シェフィールド撃沈のあとをうけて増派され、機動部隊主力の護衛についています。
独特のフォルムをもった優美なフネでしたが、財政削減のあおりで91年に早々と解役されてしまいました。現在はすべての兵装を撤去してポーツマスに係留され、訓練に使用されているとのことです。

(2003/9/26更新)
駆逐艦42型バッチ1「シェフィールド」
 一隻のみの建造で打ち切られた82型ブリストル級駆逐艦に代わり、防空・対潜を主任務とする艦隊護衛艦として計画されました。英国海軍では初めて全ガスタービン推進が導入されています。基準排水量3,500トン。速力30ノット。主な兵装は11.4センチ単装砲×1、シーダートSAM連装発射機×1、リンクス対潜ヘリコプター1機。

フォークランド紛争の時点ではオリジナルのバッチ1と電子兵装が強化されたバッチ2が就役しており、バッチ1からはシェフィールド、カーディフ、コヴェントリー、グラスゴーの4隻が、バッチ2からはエクセターとサウサンプトンが最新鋭の機動部隊直衛艦として参加しました。
このうちレーダーピケット任務に就いていたシェフィールドがエクゾセミサイルの直撃を受け、不発弾だったものの残燃料が発火して炎上し、沈没に至ったことは有名な話。またコヴェントリーもアルゼンチン空軍機の低空爆撃を受けて沈没。グラスゴーも不発弾ながらやはり一発喰らっています。
この戦訓により、各国海軍では軽合金を使用した上構の火災に対する脆弱性が問題視されたほか、CIWSなどの近接対空火器の強化が図られました。
ちなみに煙突付近の黒帯は敵味方識別用で、アルゼンチン海軍にも同型艦が導入されていたことにより急遽描かれたものです。

潜水艦

(2006/4/30更新)
潜水艦「ホランドT」
”近代潜水艦の父”と呼ばれる米国のJ・P・ホランドが1881年その3号艇で一応の成功を収めて以降、スウェーデンのノルデンフェルト型、フランスのジムノートなど各国は続々と実用型の潜水艦を建造、就役させ特にロシアのズルゼウッキー型は1881年当時50隻が就役していました
しかし当時最大最強の海軍国であった英国はその必要性を認めずその開発は立ち遅れ、1900年に至りようやく重い腰を上げ米国のホランドンのパテントを購入、ビッカースにて社にて5隻の建造を決定しました
”ホランドT(あるいはサブマリンTとも呼ばれます)”は初めて米海軍に領収されたSS-1型の拡大型で、同時期に米国で建造され最初の潜水隊を編成したホランドA型に良く似た設計でした
主兵装は18in発射管一基(一説には14inとも言われる)、機関は水上はガソリン160hp、水中は電動機120hpでそれぞれ8/5ktを発揮しました。また本艇はトイレを備えた世界初の潜水艦であったとも伝えられています
当時大型の巡洋艦でも2年以内の完成させていた英国の造船所でしたが、初めてのこの艦種にはてこずりわずか100t足らずの小艇にも関わらず完成は1902年となりU〜X号艇は1903年中に完成、就役しました
小型に過ぎるホランドT型はいずれも訓練目的で使用されました。10年余りで退役することと成り1号艇は1913年11月、解体のための曳航途中浸水、プリマス沖で曳航の継続を断念、切索、遺棄されました
1981年になり偶然の調査から発見された同艇は水深60mの海底より引き揚げられました。70年近い歳月が経っていた物の海底での保存状況はきわめて良好でガソリン機関は整備後稼動状態で、トイレ、排水装置も使用可能な状態でした。
保存と一般公開が決まり王立海軍潜水艦記念博物館協会に委託、ゴスポートサブマリンミュージアムに保存されています

主な要目
常備排水量(水上/水中)104/122t 19.3m*3.6m 出力(水上/水中)160/120hp 18in発射管*1 乗員7〜9名

(2006/4/30更新)
潜水艦「A級」
小型に過ぎ専ら対潜訓練の標的として使われたホランドTですが、その補足対策が困難であることにより潜水艦が有力な攻撃兵器であることを海軍に悟らせることとなりました
英海軍はホランドTの完成直後の1902年、より大型で(多少なりとも)航洋性の有る潜水艦を発注、A級と名づけ1904〜5年に掛け13隻が完成しました
A級は水上排水量190tとホランドTの2倍近い大きさで水上速力も向上、A1〜4までは1基だった発射管もA5以降は2基とされ(魚雷搭載数はそれぞれ3,4本)、日露戦争時ウラジオストックの配備されていたといわれる”カサトカ型”に匹敵する有力艦でした
またA13は水上動力として従来のガソリンエンジンではなく、より取り扱いが安全な重油機関を備えていました

主な要目
排水量(水上/水中)190/205t 31.5m*3.9m 出力(水上/水中)550/150hp 18in発射管*1〜2 

(2006/5/23更新)
潜水艦「B級」
A級の拡大改良型で1905〜6年に11隻が建造されました
船殻上には上構が設けられ、司令塔も大型化、艦橋と呼べる形態になりました。また水中運動性の向上のため英潜として始めて潜舵が採用され司令塔前面に取り付けられました。発射管2基で搭載魚雷は4、特筆すべきは航続距離で、水上8.8ktで1.000nmA級の3倍3倍以上の数値を示しました

B級はWW1の勃発とともにB6.7.8.9.10.11が地中海にて活動、ダーダネルス作戦、アドリア海の哨戒に活躍しました
特に本級の最終艦B11は第一次大戦時ダーダネルス作戦にてトルコ海軍の旧式戦艦メシュディエを撃沈しました

主な要目
排水量(水上/水中)287/316t 41.1m*4.1m 出力(水上/水中)600/190hp 速力(水上/水中)12/6kt 18in発射管*2

(2006/5/23更新)
潜水艦「C級」
B級の改良型で沿岸防御用に第一海軍卿フィッシャー提督の指示で1906〜10年に38隻の多数が建造されました
艦橋前部にあった潜舵は艦首に移され、哨戒、攻撃用の2本の潜望鏡を備えました
生産にはそれまでのヴィッカース社に加えチャタム海軍工廠も加わり潜水艦の量産体制が確立されました
またこのクラスは日本を始め各国に輸出、とくに日本では導入された初の実用潜水艦としてその改良型が長く現役にありました

主な要目
排水量(水上/水中)290/320t 43.6m*4.1m 出力(水上/水中)600/200hp 速力(水上/水中)13/8kt 18in発射管*2

(2006/5/23更新)
潜水艦「D級」
C級のほぼ二倍の排水量の本級は外洋での作戦能力を持つ潜水艦で、1910〜12年に8隻が建造されました
船殻は従来艦が単殻式だったのに比してサドルタンク式となり、水上機関にはディーゼルを採用、2軸推進としました
兵装でも艦尾発射管を1基持ち戦闘行動の柔軟性に寄与しています(艦首は2基。魚雷は次発装填分含み6本)またD4には英潜水艦として初めての砲(12pdr)が備えられました
本級はWW1を良く戦いヘリゴランドバイトの哨戒、英仏海峡の防備に活躍、損害も多く半数の4隻が失われました

主な要目
排水量(水上/水中)483〜495/595〜620t 49.4m*6.2*2.7m 出力(水上/水中)1.200/550hp(D1) 速力(水上/水中)16/9kt 18in発射管*3

(2006/5/23更新)
潜水艦「E級」
D級の拡大改良型で第一次大戦時の主力潜水艦として1913年よりE1〜E56(28は未成)の多数が建造されました
技術的にはD級に準じていますが初めて船内に耐圧隔壁が設けられたこと、舷側発射管が追加されたことなどの相違があります
本級はWW1の戦われた全水域で活動、とくにマルマラ海に侵入トルコ軍に多大な損害を与えたE11(ナスミス中佐)、E14(ボイル少佐)の活躍は有名です
主な要目
排水量(水上/水中)655/796t 55.2m*6.9*2.7m 出力(水上/水中)1.600/840hp(D1) 速力(水上/水中)16/10kt 12pdr砲*1 18in発射管*4(E9以降は5)

(2006/6/24更新)
潜水艦「E24級」
ドイツ海軍の敷設潜水艦UC-T型に刺激されE級のサドルタンク部に片舷10基づつの機雷敷設筒を設けた英海軍初の機雷敷設型潜水艦で1916〜17年に6隻が建造されました
機雷敷設筒を除く主要目はE級後期型(E9級)に準じます

主な要目
排水量(水上/水中)667/807t 55.2m*6.9*2.7m 出力(水上/水中)1.600/840hp 速力(水上/水中)16/10kt 12pdr砲*1 18in発射管*5 機雷*20

(2006/6/24更新)
潜水艦「S級」
E級まで単殻式からサドルタンク式と順次発展してきた英式潜水艦でしたが諸外国の技術の研究も怠りなく、WW1初期には多様な形式が取り入れられました
S級はイタリア・フィアット社からライセンスを購入、1914〜15年に英国で3隻が建造されました。構造は著名なローレンチ造船官のデザインの複殻式で機関もフィアット式デイーゼルを搭載小型ながら2軸推進となっていました
使用実績は必ずしも芳しくなかったようで3隻ともイタリア参戦後には同国に引き渡されW1.2.3となっています

余談ですがローレンチ式日本にも採用されロ1〜5号潜水艦となりましたが、構造に問題が多く不評だったと伝えられています

主な要目
排水量(水上/水中)265/324t 45.6m*5.2*2.9m 出力(水上/水中)750/-hp 速力(水上/水中)13/8.5kt 12pdr砲*1(隠蔽式) 18in発射管*2

(2006/9/21更新)
潜水艦「V級」
イタリアから導入したS級と同様1912年の潜水艦委員会の提言により沿岸使用を目的として作られた複殻式潜水艦で、ヴィッカースにより設計されたものがこのV級で1914〜15年に4隻が竣工しました
試作的要素の強いクラスで、後継艦が作られなかったところを見ると実績は不良だったと考えられます

主な要目
排水量(水上/水中)386/453t 43.9m*5.0*3.0m 出力(水上/水中)900/450hp 速力(水上/水中)14/8.5kt 12pdr砲*1 18in発射管*2(艦首) *寸法、重量はV-1

(2006/9/21更新)
潜水艦「W級」
同じく1912年の潜水艦委員会の提言で、フランスのシュナイダー社よりライセンスを得て1914〜15年に4隻が建造された複殻式潜水艦で、有名なローブーフのデザインによります
S級と同じく、イタリア参戦後間もない1916年には4隻ともイタリアに引き渡されました

主な要目
排水量(水上/水中)331/499t 52.4m*4.7*2.7m(W-1.2) 排水量(水上/水中)321/479t 45.7m*5.4*2.8m(W-3.4) 出力(水上/水中)710/480hp 速力(水上/水中)13/8.5kt (W-1.4)出力(水上/水中)760/480hp 速力(水上/水中)13/8.5kt (W-2.3) 3in砲*1 18in発射管*2(艦首)

(2007/1/27更新)
潜水艦「F級」
潜水艦委員会の提言で建造されたS,V,W級に対して海軍省主導で建造された同目的のクラスでV級の大きくしたような複殻式でチャタム海軍工廠でF1が、ホワイト、ソーニクロフトによりそれぞれF2.3が作られ、1915〜17年に竣工しました
性能自体の問題と言うよりは沿岸用潜水艦というコンセプト自体に海軍が必然を感じなかったようで、続いて計画されたF4〜6はWW1開戦に伴いキャンセルされています

主な要目
排水量(水上/水中)363/525t 46.0m*4.9m*3.2m 出力(水上/水中)900/400hp 速力(水上/水中)14/8.5kt 2pdr砲*1 18in発射管*2(艦首)*1(艦尾)

(2007/1/27更新)
潜水艦「ノーチラス」
1912年の潜水艦委員会の提言で作られた1.000t超水上20ktを目指す艦隊型の潜水艦で、1914年12月に竣工しました
新型のヴィッカース12気筒ディーゼルエンジン2基を搭載、3700hpを発揮しましたが速力は17ktどまりで諸性能も不良でした
結局、艦隊随伴は出来ずポーツマスの第6戦隊に配備されたものの作戦任務には就かず専ら他艦への電力供給に使用されたようです
主な要目
排水量(水上/水中)1441/2026t 78.8m*7.9m*5.4m 出力(水上/水中)3700/1000hp 速力(水上/水中)17/10kt 3in砲*1 18in発射管*2(艦首)*4(舷側)*2(艦尾)

(2007/1/27更新)
潜水艦「ソードフィッシュ」
ノーチラス同様水上20ktを目指す艦隊型の潜水艦で、1916年竣工しました
より大型のノーチラスに較べて小型の800t台の水上排水量でまとめられた本艦は、蒸気タービンの採用によりノーチラスを上回る4.000hpの水上出力を得ましたが発揮速力は18kt(水上)でやはり不満足な性能でした
全長の75%を占める複殻式の船体、隠蔽式の砲など技術的特徴も多い本艦ですがせっかく採用した蒸気タービンには問題が多く(潜航/浮上時の動力の切り替えなど)1917年6月には潜航自体を諦め哨戒艇に改造されました
主な要目
排水量(水上/水中)932/1.105t 70.5m*7.0m*4.5m 出力(水上/水中)4.000/41.400hp 速力(水上/水中)18/10kt 3in砲*2 21in発射管*2(艦首)18in発射管*4(舷側)

(2007/1/27更新)
潜水艦「G級」
1915〜17年に14隻が完成した複殻式潜水艦です
E級のサドルタンク式を部分複殻式にしたような構造で、S級以降試行錯誤を続けてきた複殻式潜水艦がようやく実用段階に達したともいえます
ちなみに当時のイギリスの舷側発射管は首尾線方向に直角に発射する方式で、照準には相当の困難が伴ったものと思われます
主な要目
排水量(水上/水中)703/837t 57.0m*6.9m*4.01m 出力(水上/水中)1.600/840hp 速力(水上/水中)14.5/9.0kt 3in砲*1 18in発射管*2(艦首)*2(舷側)21in発射管*1(艦尾)

(2007/1/27更新)
潜水艦「J級」
E級に続く主力潜水艦となるG級潜水艦の計画建造中、ドイツ海軍が速力22ktの高速潜水艦を建造中との誤った情報があり、それに刺激を受け計画された艦隊随伴用大型潜水艦です。8隻計画され6隻が完成しました
複殻式で潜水艦には珍しい3軸推進、ヴィッカース1,200hpディーゼル・エンジン3基搭載により19ktを発揮しましたが、同様の目的で建造中のノーチラス、ソードフィッシュの完成前に計画されたため実績を反映することが出来ず、両者同様に能力不足で英海軍での就役期間は短かいものでした。大戦中1隻が戦没、残る5隻は大戦後オーストラリア海軍に譲渡され同国潜水艦隊の中核となり1925年頃まで活動しました
主な要目
排水量(水上/水中)1.204/1.820t 84.0m*7.0m*4.3m 出力(水上/水中)3.600/1.350hp 速力(水上/水中)19.5/9.5kt 4in砲*1 18in発射管*4(艦首)*2(舷側)

(2007/1/27更新)
潜水艦「K級」
ノーチラス、ソードフィッシュ、J級と続いた艦隊型潜水艦の最終型がこのクラスで21隻が計画され大戦後期にK1〜K17の17隻が完成しました
WW1開戦後、英海軍では主力艦隊の前衛として偵察攻撃に当たる潜水艦が切望されましたが建造中の艦隊型潜水艦の速力では不足であり、ドイツ艦隊を補足攻撃するため敵艦隊を3kt上回る24ktを発揮する潜水艦が求められました。そのためには10.000hpを超える出力が必要で、1基1.200hp程度の当時のディーゼル機関でこの要求を満たすのは困難で主機には蒸気タービンが採用されました。当然ながら潜航時には電気モーターへの切り替えが必要で、2本の煙突の折りたたみ収容、2重の防水ハッチの閉鎖などが必要でその準備には5分以上も掛かったとされます
完成したK級は逐次グランドフリートの前方哨戒任務につきましたが、すでに大戦も後半で大規模なドイツ艦隊の行動はなく実戦参加の機会はありませんでした。しかしその構造の複雑さゆえ事故が多発K5.K13は漏水事故により沈没しています(K13は浮揚の上K22と改称)またその特殊な任務のため水雷戦隊と同様の複雑な艦隊行動が求められ訓練中の事故も多く、1917年K1はK4に衝突され沈没、1918年1月には巡洋戦艦部隊との夜間演習に出撃する際K4はK6に、K17も巡洋艦と衝突、それぞれ沈没するという大事故も起こしています。この二重衝突事故の原因は沈没後再就役したK22の舵の故障によるもので不思議な因縁を感じます。アイコンは艦首乾舷増大等の改修後のK級です
主な要目
排水量(水上/水中)1.980/2.566t 100.6m*8.1m*5.2m 出力(水上/水中)10.500/1.440hp 速力(水上/水中)24/9.5kt 4in砲*2 18in発射管*4(艦首)*4(舷側)18in連装発射管*1(上構内旋回式)

(2007/1/27更新)
潜水艦「K23級」
K級の雷装強化型で、K23〜28の6席が計画されましたが終戦によりK26のみが竣工しました
艦首発射管の増強により全長が伸び水上排水量も増大、速力は0.5kt低下しました。また潜水機構の改善により潜航準備時間の短縮、最大潜航深度の50ft増大がなされています
主な要目
排水量(水上/水中)2.140/2.530t 107.0m*8.5m*4.9m 出力(水上/水中)10.500/1.440hp 速力(水上/水中)23.5/9.5kt 4in砲*3 21in発射管*6(艦首)18in発射管*4(舷側)

(2007/1/27更新)
潜水艦「M級」
WW1開戦後、第一海軍卿に復職したフィッシャー提督は短期に大戦終わらせるための秘策としてドイツ北部への上陸作戦を計画、様々な新兵器の開発建造を命じました。その一つがM級潜水艦です
上陸部隊はドイツ主要部に直接上陸することとなるため大きな抵抗が予想され、その排除のためには浅吃水のモニター艦に加え水中より戦艦の巨砲を持って攻撃しうる潜水艦があれば有効であろうと考えられ。加えてフィッシャー卿は当時の1〜2mn程度の射程の魚雷の有効性に疑問を持っており、当時計画中であったK級潜水艦のK18.19.20.21をキャンセル、巨砲搭載の潜水モニターとしてM1〜4が改設計の上発注されました
カノーパス級戦艦などに搭載されたMk[12in砲を司令塔の前部に1門搭載、砲弾は40発で浅深度にて砲口のみ水上に出した状態で艦内から左右15°、仰角20°の操作が可能でした。射撃深度に浮上後25秒で射撃準備完了、射撃後15秒で再び潜航する事ができました。装填は浮上して行われ3分程度掛かったとされています
機関は通常のディーゼル+電動機とされ当時の大型潜水艦では標準的なヴィッカース12気筒ディーゼル2基搭載で2.400hp、水中では800hp電動機2基で1.600hpを発揮それぞれ15kt、9ktの速力で艦型の割りには軽快な運動性を持っていたといわれています
M1は1918年4月に竣工、直ちに地中海に送られましたが実戦で主砲を発射する機会は無くM2.3は戦後完成、M4は戦後キャンセルされました。仮に実戦に参加したとして、水中から射撃が可能でもその後いったん潜水して避退、安全水域にて浮上再装填後、再び射点まで移動と言う手順では有効な弾着観測、着弾修正が得られずその目的とされた地上目標、対艦砲撃はほとんど不可能だったと考えられます。むしろその実効は非戦地域への戦略的用法にありそうで、沿岸都市を首都とする国々に対する無差別砲撃はフィッシャーの思い描いたような瞬時に敵国民の交戦意欲をそぐ効果が期待できるものとおもわれました
アイコンは大戦中と思われるM1で、平時には司令塔サイドに”M-1”と船名が書き込まれていました。本艦は1925年11月、イギリス海峡にて潜航中、石炭運搬船ヴァイダルに衝突され前乗員とともに沈没長らく行方不明となっていましたが、1999年発見されま、その姿はBBCの手により撮影されています
主な要目
排水量(水上/水中)1.594/1.946t 90.1m*7.5m*4.9m 出力(水上/水中)2.400/1.600hp 速力(水上/水中)15/9kt 12in砲*1 3in高角砲*1 18in発射管*4(艦首)

(2008/2/7更新)
潜水艦「M2(改装後)」
水中モニターとして期待されたM級潜水艦でしたがワシントン条約の結果潜水艦に搭載できる砲は8inを上限とされ、その主砲は撤去することとなりました。主砲を除けば武装は小径の発射管が4基だけの本級は、戦力的価値の低いものと判断され実験目的に改修されることになりました
本艦はその砲塔部分のスペースを活かし航空機を搭載、潜水艦と組み合わせた索敵能力の向上の実験に用いられました。潜水艦の航空機運用は独米で前例がありましたが、従来艦は洋上から水上機を発進させる方式で艦の停止が必要でしたが本艦はカタパルトと水密格納庫の装備により潜航中に搭載機を整備、浮上後所定の準備の後短時間での搭載機発進を目論みました
撤去された12in砲跡にはさらに大きな水密格納庫が設けられました。この格納庫には艦内と繋ぐハッチもあり潜水中も5名のハンガー・クルーは格納庫内で整備作業が出来ました。その後方の司令塔は前方視界を確保するため高められ、前甲板には空気圧式のカタパルトを搭載、搭載する新開発のアームストロング”マングース”エンジン搭載、主翼折りたたみ式のパーノール”ピート”複葉水上機を浮上後5分程度で発進させることが出来ました。1925年から行われた改装工事は1928年に完成、テストが繰り返されました。テストそのもは成功だったようですが搭載機は小型で非武装、航続力も300kmほどで満足できるものではなく(巡航80kt程で航続時間2時間)、洋上よりの収容作業も困難なものでした
アイコンは改装後の”M2”でカタパルト上に”ピート”も載せてみました
本艦は1932年1月26日、ポートランド出航後行方不明となり8日後の2月3日、艦長以下60名の乗組員の遺体とともに海底で発見されました。同年12月、浅深度まで引き揚げられ、調査の結果沈没時は格納庫扉、艦内との交通ハッチなどが開放されていたことがわかりました。何らかの原因により格納庫扉から大量の海水が艦内に侵入、短時間に沈没したものと思われました。一説には搭載機発進時間の短縮のためハンガー・クルーが完全浮上前に格納庫のハッチを開けたからとも伝えられています。ともあれこの事故により英海軍は潜水艦への航空機搭載に興味を失い、再び実験が試みられることはありませんんでした。しかしこれらの遺産はK級を初めとする艦隊型高速潜水艦の長く得ることの少なかった試みとともに日本海軍に引き継がれ、幾多の花を咲かせることとなりました(やはり得るものは少なかったようですが・・・)

(2008/2/7更新)
潜水艦「M3(改装後)」
M2の改装と同様に生き残ったM3もまた主砲撤去に伴いその船体を活用した改装が実施されました
機雷敷設潜水艦とされることとなった本艦は潜航中連続して100個の係維機雷を敷設する能力を求められました。それには従来の敷設潜水艦のような縦型の機雷筒ではなく水上艦同様の敷設軌条を搭載し艦尾から連続して投下する方法が必要とされ、そのために砲塔以後の上構を撤去新たに司令塔の両舷に沿う全長の2/3に及ぶ上構が設置されました
投下軌条は60メートルに及び水中で遠隔操作するために水上艦のようにウインチでレール上を引っ張るものではなくチェーン・コンベアによる駆動が採用されました。軌条の後端に装備されたコンベアの駆動により連結された機雷が連続して投下できるようになっていました。もちろん上構のこの部分は耐圧構造ではなく、操作は全て艦内からのスイッチ操作で可能でした
1927年に改造は完成、新機軸の敷設装置はテストでは順調に作動したようです。しかし潜水中の大重量の移動は甚だしいツリムの変化を生じさせ、急激な重量減と合いまっって潜航深度の維持には相当の労苦が伴ったと考えられます。もちろんその騒音も相当なものでハイドロフォンの進歩した当時、実戦での攻勢機雷の敷設には相当の危険が伴ったものと想像されます。また水密区画外に巨大な容積を有する”箱”を背負った本艦の潜没時間は5〜13分に及び、元来急速潜能力が特徴であったM級の特徴は失われてしまいました
実戦の使用には耐え得ないと判断されたM3は改造後5年で退役することとなり1932年には退役解体となりましたが、本艦での実績は同じコンベア方式の新造敷設潜水艦ポーパス級に生かされました

(2008/2/7更新)
潜水艦「H級」
戦時急増型の沿岸用潜水艦としてアメリカで設計されたタイプで、カナダ、アメリカの造船所で13隻が1915年に就役しました
単殻のホランド式の設計で量産性、実用性共に優秀で大戦後半に活躍しました
主な要目
排水量(水上/水中)364/434t 45.8m*4.7m*3.7m 出力(水上/水中)480/1.240hp 速力(水上/水中)13/10kt 18in発射管*4(艦首)

(2008/2/7更新)
潜水艦「H21級」
H級の拡大改良型で34隻が計画うち23隻が1918〜1919年に完成、発射管の口径が18inから21inに拡大されました。完成艦のうち9隻がWW2に参加しています
主な要目
排水量(水上/水中)423/510t 52.1m*4.7m*3.8m 出力(水上/水中)480/1.240hp 速力(水上/水中)13/10kt 21in発射管*4(艦首)

(2008/2/7更新)
潜水艦「R級」
Uボート対策に頭を痛めた英海軍ではその撃沈スコアの1割強が潜水艦の雷撃によるものであることに着目、対潜攻撃を主目的とした潜水艦を開発、それが世界初の”ハンターキラー潜水艦”として有名なR級です
水測機器が未発達で水中速力も貧弱なWW1当時の潜水艦は水上での航行、哨戒がその行動の大部分で、敵発見後水上航行にて射点につき潜水して攻撃するのが基本でした(レーダーが発達するWW2中期まであまり変わっていませんが)。もともと乾舷が低く上構が小さな潜水艦の特徴を生かした攻撃方法でしたが、潜水艦同士の戦いではシルエットが小さいため攻撃しやすいこちらに向かってくる状態の敵を発見することはまれで、併走状態で発見した目標には潜航すると速力が劣るため射点につくことは難しく、さりとて浮上航行のまま接近すると潜水して逃げられるか逆に攻撃を受ける事になります。結局ほとんどの潜水艦によるスコアは出会い頭の事故のようなもので、それだけ潜水艦を補足することは困難だったといえます
そこで水中高速型の潜水艦を開発すれば敵発見後直ちに潜航、優位な射点につくことができると考えた英海軍は小型単殻の船体に現代の涙滴型潜水艦のような中心線艦尾1軸の推進器を設け横舵、縦舵ともに推進器前方に配置、水中馬力の確保のため電池室の確保を優先、結果水上での240hp/9ktに対し水中で1.200hp/15ktと画期的な水中高速性能を実現しました。兵装は英潜として始めて発射管6基を艦首に装備、その散布界に敵艦を捕らえ命中を期待するものとし、潜水艦狩りのエースとして活躍するものと期待されました
12隻(うち2隻は休戦によりキャンセル)が建造されたR級ですが完成は1918年後半とあって実戦で活躍する機会は少なく、唯一Uボートに命中させた魚雷は不発、その性能を生かすことなく戦後訓練目標艦として使用された2隻を除いて早期に解体されました
主な要目
排水量(水上/水中)410/503t 49.9m*4.6m*3.5m 出力(水上/水中)240hp/1.200hphp 速力(水上/水中)9.5kt/15kt 18in発射管*6(艦首)

(2008/2/7更新)
潜水艦「L級」
F級以降試行錯誤が続いた英潜水艦でしたが真にE級の後継となるべく建造された航洋型潜水艦がこのL級です
E級同様船体はサドルタンク式で、備砲は波浪の影響を避けるため上構上に配置しています。期待にたがわぬ高い実用性を持つ本級でしたが建造は1916年からで改良型と併せて37隻が完成しましたがWW1終戦までに完成したのは18隻にすぎず大戦への貢献はわずかでした
主な要目
(L1級)排水量(水上/水中)891/1.074t 70.4m*7.2m*4.0m 出力(水上/水中)2.400/1.600hp 速力(水上/水中)17kt/10.5kt 18in発射管*4(艦首)*2(艦尾)
(L9級)排水量(水上/水中)890/1.080t 72.7m 21in発射管*4(艦首)18in発射管*2(艦尾 )*機雷敷設型は艦尾発射管無し機雷14〜16個
(L50級)排水量(水上/水中)960t/1.150t 71.6mt 21in発射管*6(艦首)

(2004/2/9更新)
(2004/4/21更新)
ヴァリアント級攻撃型原子力潜水艦「コンカラー」
英国初の原潜ドレッドノートに続き、量産型として建造されたヴァリアント級の4番艦として1971年に竣工。潜水艦用原子炉の開発の遅れから米国製原子炉を導入したドレッドノートに対し、本級からは自国製原子炉を採用しました。3番艦チャーチルから有線誘導魚雷Mk.23と、その運用システムを導入したことから、それ以降の3隻をコンカラーも含めてチャーチル級と呼ぶ場合もあります。
排水量:水上4,300トン/水中4,800トン 主機イングリッシュ・エレクトリック製ギアードタービン1軸15,000馬力 速力:水上20ノット/水中28ノット 兵装:53.3センチ魚雷発射管6門

1982年3月、フォークランド諸島近海(といっても1300キロ離れてますが)の英国領サウスジョージア島に、軍の支援を受けたアルゼンチン人多数が不法上陸したことを受け、英国は攻撃型原潜3隻(スパルタン、スプレンディド、コンカラー)の派遣を相次いで決めました。コンカラーは4月4日に本国を出発し、約10日でフォークランド周辺海域に到着、哨戒任務についています。そして翌5月2日にヘネラル・ベルグラノを撃沈しました。このときに搭載していた魚雷には最新の有線誘導魚雷Mk.25タイガーフィッシュがありましたが、信頼性や炸薬量が少ないなどの点から旧式のMk.8を使用しています。

1987年に、近代化改装中の同型艦ウォースパイトで原子炉の一次冷却管に亀裂が発見されたため、本級すべての早期解役が決定。コンカラーも90年に除籍されました。

(2004/4/28更新)
攻撃型原子力潜水艦スパルタン(Spartan)
ヴァリアント級に続いて建造され、71年から6隻が就役したスウィフトシュア(Swiftsure)級の一隻で、1979年に竣工。ヴァリアント級から船体形状が大きく変更されたことで、水中速力や静粛性と、潜航深度が向上しています。
フォークランド周辺でのアルゼンチンによるキナ臭い行動を受けて、最初に同諸島への派遣が決定したのがこの艦でした。また同型艦のスプレンディド(Splendid)もスパルタンに続いてフォークランドの哨戒活動へと参加しています。
排水量:水上4,200トン/水中4,900トン 主機ジェネラル・エレクトリック式ギアードタービン1軸15,000馬力 速力:水上20ノット/水中30ノット 兵装:53.3センチ魚雷発射管5門
同型艦 スウィフトシュア、ソヴリン(Sovereign)、シュパーブ(Superb)、セプター(Sceptre)、スプレンディド

ネームシップのスウィフトシュアは近代化改装中、原子炉にクラックが発見されたため、工事を中止し92年に退役しました。またスプレンディドも2003年に解役され、現在は4隻が残っていますが、新しい攻撃型原潜アステュート(Astute)級の就役とともに順次退役する予定です。

フリゲイト

(2004/3/4更新)
(2003/3/7更新)
フリゲイト12型「ホイットビー」(Whitby)級
第二次大戦後はじめて計画されたフリゲイトです。戦時中英国ではスループ、コルベット、フリゲイト、護衛駆逐艦など多種多様な護衛艦艇が建造されましたが、戦後、潜水艦や航空機の急速な発展に対抗できなくなってきたため、これらの艦種を統一し、新たにフリゲイトとして建造することとなりました。その際、プラットフォームとしての船体の統一をある程度図り、用途では対潜、対空,航空指揮という3つの柱を軸にしています。第一弾の本級は対潜戦闘を重視。中央部に船楼を持つというスタイルはその後の英国フリゲイトのベースモデルになりました。1956年から58年にかけて6隻が竣工し、70年代前半には退役。実験艦として最後に残ったタークェイも87年にスクラップになっています。

満載排水量2,560トン 主機タービン2軸30,430馬力 速力29ノット
主な兵装 11.4センチ連装砲×1 40ミリ連装機銃×1 リンボー対潜迫撃砲×2など。

(2004/3/4更新)
(2003/3/7更新)
フリゲイト14型「ブラックウッド」(Blackwood)級
ホイットビー級のコストがかさんだため、機能を対潜に特化して小型化を図ったのがこのクラスで、1955年から58年に竣工しました。主砲は搭載せず、機関も1軸になっています。よくまとまった艦で評判は悪くなかったものの、いかんせんフリゲイトとしては小さすぎて汎用性に欠けるので、このタイプはこれだけで打ちきられました。ただ、漁業保護や領海の哨戒には使い勝手がよかったとのことで、この種の用務は哨戒艦に引き継がれているといえるでしょう。同型艦12隻はすべて70年代中に退役しています。

満載排水量1,535トン 主機パーソンズ式またはイングリッシュ・エレクトリック式ギアードタービン1軸15,000馬力 速力25ノット
主な兵装 40ミリ単装機銃×3 リンボー対潜迫撃砲×2など。

(2004/3/4更新)
(2003/3/7更新)
フリゲイト14型ブラックウッド級「エクスマス」
1968年にこの1隻のみ主機を全ガスタービンに換装し、実験艦となりました。のちのシェフィールド級駆逐艦やアマゾン級フリゲートの全ガスタービン化にあたって貴重なデータを提供しています。

(2004/3/20更新)
フリゲイト41型レパード(Leopard)級
対空用として計画されたのがこれ。前後に11.4センチ連装両用砲を搭載しています。主機をディーゼルとし、航続力はホイットビー級の約2倍にアップしましたが、速力は25ノット止まりとなってしまいました。1957〜59年に4隻建造され、2隻は78年と82年に相次いでバングラデシュに売却、残りは76〜77年にスクラップとなりました。

満載排水量2,520トン、主機ディーゼル2軸14,400馬力 速力25ノット
主な兵装 11.4センチ連装砲×2 40ミリ単装機銃×1など。

(2004/3/20更新)
フリゲイト61型「ソールズベリ」(Salisbury)級
こちらは航空指揮艦として建造されました。レパード級と同じ船体と機関を使い、レーダーの装備を強化した代わりに、レパード級では前後に搭載した11.4センチ連装砲塔を前部1基のみとし、後部には40ミリ機銃を積んでいます。また1970年にはシーキャット短SAMを後部に搭載しました。1957〜60年に4隻建造され、艦隊随伴用としてはわりとまとまったフネだったんですが、いかんせんレパードと同様足の遅さが問題とされてしまいます。やはり空母機動部隊についていけないのは致命的とも言えました。どちらかといえば哨戒任務などに用いられたのち、1隻は78年にバングラデシュに売却され、1隻は潜水艦発射のハープーンの標的として沈み、残り2隻はスクラップとなりました。

満載排水量2,350トン 主機ディーゼル2軸14,400馬力 速力24ノット
主な兵装 11.4センチ連装砲×1 40ミリ連装機銃×1 シーキャット×1など

(2004/3/4更新)
フリゲイト12改型ロスシー(Rothesay)級「ヤーマス」(Yarmouth)
戦後の新たな計画で、対潜重視(ホイットビー)、その小型版(ブラックウッド)、対空重視(レパード)、航空指揮(ソールズベリ)といろいろなモデルを建造したうえで、
結局量産に移されたのは12型ホイットビー級です。12型改としてロスシー級9隻が1960〜61年に建造されました。1970年代に改装を受け、ヘリコプターの格納庫を設けたり、その上部にシーキャット発射機を取り付けたりしています。

フォークランド紛争に派遣された駆逐艦およびフリゲイトの中で最古参であり、また唯一無傷だったのがこのクラスの一隻であるヤーマスです。シェフィールドがエクゾセの攻撃で大破炎上した際には曳航をこころみていますし、アーデントが撃沈されたときは、瀕死の同艦へ果敢に接舷して多くの乗員を救助しています。さらに、グラモーガンにエクゾセが命中して大破した際にも救援活動をおこなうなど、この艦の活躍で命を救われた乗員は数知れないでしょう。帰還後は84年に解役され、87年には実艦的として生涯を終えました。
フォークランドに派遣されたロスシー級は、ヤーマスの他にプリマス(Plymouth)があります。プリマスは6月8日に多数の揚陸艦艇が攻撃を受けて多大な損害を受けたいわゆる「フィッツロイの悲劇」の際、アルゼンチン軍機の放った爆弾4発が命中し損傷を受けましたが、幸いすべて不発弾だったため難を逃れることができました。プリマスの方はその後88年に退役し、リヴァプールの隣にある港町バーケンヘッドで記念館として保存されています。

1960年竣工 満載排水量2,800トン 主機イングリッシュ・エレクトリック式タービン2軸 30,000馬力 速力30ノット
主な兵装:リンボー対潜迫撃砲×2 11.4センチ両用砲連装×1 ヘリコプター(ワスプ)×1 シーキャット×1など。

(2004/4/11更新)
フリゲイト81型「トライバル」級
これまで別々の型に機能特化されてきた対潜、対空、航空指揮の3つの役割を合わせ持った汎用フリゲイトとして計画されたのがこれです。ペルシャ湾など中東方面での行動を考慮して設計され、全艦空調付きとなりました。同時にこれは核兵器使用時の対放射能防護のためでもあったわけですが。
当初は23隻もの多数が計画されましたが、建造コストが高くなってしまったために見直され、1961年から64年にかけて7隻が建造されたにとどまりました。
81年までに全艦いったん退役しましたが、フォークランド紛争での駆逐艦やフリゲイトの相次ぐ喪失により急遽ガーカ(Gurkha)、ターター(Tartar)、ズールー(Zulu)の三隻が現役復帰しています。84年に再び解役され、85〜86年にはこの三隻がインドネシアに売却されました。
満載排水量2,700トン 主機メトロポリタン=ヴィッカース式ギアードタービン12,500馬力+メトロポリタン=ヴィッカース式ガスタービン7,500馬力 1軸 速力28ノット
主な兵装 11.4センチ単装砲×2 40ミリ機銃×2 シーキャット短SAM一基 リンポー対潜迫撃砲×1 対潜ヘリコプター(ワスプ)×1

(2004/4/11更新)
フリゲイト「マーメイド」
もともとガーナ向けに41型をベースとして建造されたものですが、政変によりキャンセルされたためにこれを英国が引き取って、1973年に竣工。練習任務などに使用しました。77年にはマレーシアに売却され、現在でも同国で練習艦として利用されています。
満載排水量2,520トン 主機ディーゼル2軸14,400馬力 速力24ノット
主な兵装 10.2センチ連装砲×1 40ミリ機銃×2 リンボー対潜迫撃砲×1など

(2003/10/4更新)
フリゲイト22型バッチ1「ブロードソード」
1979年から就役した当時最新鋭のフリゲイトで、主砲を廃止してエクゾセと短SAMのシーウルフを主兵装とする新世代艦として建造されました。基準排水量3,500トン(42型駆逐艦と同サイズ!)。速力30ノット。
フォークランドにはブロードソードとブリリアントが派遣され、機動部隊主力の直衛につきました。開戦当初のシェフィールドの一件で、対ミサイル迎撃能力を持つとされるシーウルフの性能を活かすべく、インヴィンシブルやハーミーズにぴったり寄り添うように展開していたといいます。それでも肉薄したアルゼンチン機による至近弾やら機銃掃射やらでけっこうハチの巣にされてます。アルゼンチン空軍恐るべしというところでしょうか。
一時、インヴィンシブルに向けて発射されたエクゾセ2発を本艦のシーウルフが撃墜したとして騒がれたこともありましたが、実際のところはチャフの妨害で外れたというのが真相のようです。
帰還後CIWSが増設されたほか、やはり中口径砲がないのは問題になったようで、船体を大型化したバッチ3からは前の21型フリゲイトや42型駆逐艦に搭載された11.4センチ単装砲を復活させています。

その他

(2002/9/1更新)
戦列艦ヴィクトリー

(2002/10/5更新)
コルベット フラワー級

(2002/10/5更新)
コルベット フラワー級(後期)

(2002/12/5更新)
砲艦マーシャルソウルト(M14)
対地砲撃用の砲艦で、類別等級はモニター。

砲塔が高い位置にあるのは、砲身に大仰角をかけるための砲尾クリアランス確保のためで、基本的には同時期の戦艦と同じ15インチ砲Mk.Iなのですが最大射程は4万を超え、後のヴァンガードよりも長射程です。
もちろん、これで6000トンに収まるのですから、砲塔の形状は戦艦と同じようでも防禦はごく軽くなっています。
このクラス、命名が謎ですよね。
マーシャル・ソウルトとマーシャル・ネイ。
皇帝ナポレオンの懐刀スルト元帥に驍勇無双ネイ元帥、海峡の対岸フランスはグランダルメの将軍ですね。
第一次大戦中の緊急計画によるもので、かなりのやっつけ仕事だったので、後でこいつらの大砲だけ流用して、第二次大戦中にアバークロンビとロバーツというモニターが作られています。
ほぼ同じ頃に、もう少し手間暇をかけて作った似たような艦のエレバスとテラーの姉妹は第二次大戦には若干の改装のみで参加しています。

(2002/9/26更新)
病院船ブリタニック

(2003/12/26更新)
強襲揚陸艦フィアレス
同型艦のイントレピッドとともにフォークランド島での揚陸作戦の中核となった艦です。艦内ドックに収容したLCM4隻と両舷ダビット上のLCVP4隻によって、海兵隊員400名を所要機材とともに揚陸する能力を持っています。後部飛行甲板からのヘリコプターによる揚陸も可能ですが、固有の搭載機はもたないので、どちらかといえば米国のドック式揚陸艦に近い性格の艦となっています。
1965年竣工。1980年代に入って海軍の削減政策により除籍される予定が組まれましたが、フォークランドでの活躍ぶりから撤回されました。その後は湾岸戦争やコソヴォ紛争にも出動し、代替艦アルビオンの就役を待って2002年に現役を退いています。
基準排水量11,060トン 速力21ノット 主な兵装はシーキャットSAM×2、20ミリ単装機銃×2など。

(2004/2/9更新)
サー・ランスロット級補給揚陸艦「サー・ガラハド」
1982年6月8日、フォークランド島フィッツロイにて3000人の兵員を揚陸中だった上陸部隊にアルゼンチン空軍機による波状攻撃が襲いかかりました。最初に飛来したダガーの攻撃では護衛のフリゲートのプリマスが損傷した程度で大きな損害は出なかったものの、次のスカイホークによる攻撃でサー・ランスロット級補給揚陸艦サー・ガラハドに2発ないし3発の爆弾が命中、同サー・トリストラムには2発が命中しました。ガラハドは大破炎上、陸軍部隊を含め48名の死者を出して、25日に沈没。トリストラムの受けた爆弾は不発だったものの大破して戦線離脱を余儀なくされました(「フィッツロイの悲劇」)。また、同日は強襲揚陸艦フィアレス搭載のLCUも爆撃を受けて沈没し、この日は紛争中最大の英軍犠牲者を出しています。

サー・ランスロット級は陸軍や海兵隊の戦車・車両、重量物等の輸送用として1964〜68年に6隻が建造されました。艦首と艦尾の両方に開口部を持ち、艦内を車両甲板が全通しています。また艦橋後部と船体中央部の甲板はヘリコプターの発着が可能です。
ただし給油艦などと同様、正規軍人によってではなく民間の船員により運用される、艦隊支援部隊(Royal Fleet Auxiliary:RFA)に所属しています。
満載排水量5674トン、幅18.2メートル 主機ディーゼル9,400馬力 速力17ノット 主な武装は20ミリ単装機銃×2など
フォークランド紛争にはネームシップのサー・ランスロット以下6隻の同型艦すべてが参加しました。
その後トリストラムは修理の際に大改修を受けて85年に復帰、戦没したガラハドは同名の代艦が建造され88年に就役し、民間に売却されたランスロット以外の3隻もRFAで今なお現役にあります。

(2004/4/11更新)
補給艦フォート・グランジ
1978年に竣工、フォークランド紛争の際は同型艦フォート・オースティンとともに当時最新鋭の艦隊補給艦として機動部隊に随伴し、「ミサイルからマース・バー(チョコバーの商品名)まで」ともいわれたありとあらゆる必需品の補給能力をいかんなく発揮しました。
しかしその後の93年、さらに大型の補給艦フォート・ジョージが就役すると、両艦のスペルがよく似ていることから、郵便物の誤配など混乱が絶えず、ついには2000年に本艦の方がフォート・ロザリーと改名させられています。

満載排水量22,749トン 主機ディーゼル1軸 23,200馬力 速力20ノット
兵装 20ミリ機銃×2 ヘリコプター最大4機運用可
補給能力:弾薬1,500トン、糧食1,500トン、その他の消耗品等500トンなど。真水500トン

(2004/4/14更新)
大型艦隊給油艦オルナ(Olna)
1965年から66年にかけて3隻が就役したオル級の一隻で、フォークランド紛争当時、英海軍では最大、最速の給油艦でした。燃料24,260トンの他に、限定的ながらドライカーゴなどの運用も可能で、固有のヘリコプターも搭載していました。
満載排水量36,000トン 主機タービン26,500馬力 速力21ノット
兵装:20ミリ単装機銃×2
オルナ以外の2隻は当初オリンサス(Olynthus)、オリアンダー(Oleander)と命名されていましたが、まもなく就役した通常型潜水艦オリンパス(Olympus)やフリゲートのリアンダー(Leander)と混乱を招くということで、それぞれオルウェン(Olwen)、オルメダ(Olmeda)と改名されます。
もともと英国艦名の命名基準はかなりいい加減な印象を受けるものの、ここまでころころ変えられると、最初決めるときにちゃんと考えとんのか??とツッコミたくなります。しかも先に命名されたはずなのに改名させられてしまうというところに、特務艦船の悲哀を禁じ得ません。
その後はオル級3隻とも湾岸戦争に参加したのち、オルメダは94年にインドへスクラップとして売却。しばらく現役に残った他の2隻も、ウェイヴ級新型給油艦の就役を待って2001年にトルコへ売却されスクラップとなりました。

(2004/4/14更新)
氷海警備艦エンデュアランス(Endurance;初代)
1956年にデンマークで砕氷貨物船アニタ・ダン(Anita Dan)として竣工し、使用されていたものを購入。68年に改装の上、測量や南極観測隊支援用として就役させたものです。
ただ、純粋な南極観測基地の支援任務には英国南極調査研究所(BAS)のもとで運用されている観測船がいるので、どちらかというと南極大陸や周辺諸島の領有権主張のための担保という意味合いが強いといえるでしょう。
満載排水量3,600トン 主機ディーゼル1軸3,220馬力 速力14.5ノット
ヘリコプター×2 20ミリ単装機銃×2
任務の性格上、フォークランド紛争の際には最初にアルゼンチン軍と対峙したのがこの艦で、サウスジョージア島再上陸の際には先導役をつとめています。
紛争終結後も長らく極地警備と南極観測支援の任務に就いていましたが、89年に氷山と接触して損傷。修理後復帰したものの、老朽化した船体へのダメージが大きかったために91年に退役し、二代目となる現エンデュアランスにその役目を引き継いでいます。

(2004/4/14更新)
測量艦ヘクラ(Hecla)
英国でははじめて海洋観測と水路測量を兼務した艦です。1965年から66年にかけてヘクラと同型艦のヘカテ(Hecate)、ハイドラ(Hydra)が相次いで就役し、少し間をおいて74年に改良型の準同型艦ヘラルド(Herald)が竣工しています。
満載排水量2,733トン 主機ディーゼル・エレクトリック1軸2,434馬力 速力14ノット ヘリコプター(ワスプ)×1
フォークランド紛争中はハイドラやヘラルドとともに傷病者搬送船として活動しました。測量要員のスペースとして艦内に余裕があったことやヘリコプターの運用が可能なことのみならず、もともとバウスラスターやスタビライザーといった減揺装置が充実していたので、おそらくちょうど適任だったのでしょう。
紛争後の97年には、アイルランドの民間企業へと売却されています。

(2004/2/26更新)
クイーンエリザベスII世フォークランド紛争仕様
 世界でもっとも有名な客船はタイタニックだと思うが、現存するもっとも有名な客船はこの船ではないだろうか。しかし、この船の正しい名前を御存知の方は少ないのではないだろうか。同船の船名表記はQueen Elizabeth2、当然、クィーン・エリザベス・ツーと読むはずであるが、クィーン・エリザベス・ザ・セコンドと命名されている。したがって、QEIIと言う略記も良く見かけられるが、同船の公式HPでの略記はQE2である。
1964年12月30日、イギリス、クライドバンクのジョン・ブラウン造船所に100年以上の歴史を持つキュナード社が発注、翌年7月5日に第736番船として起工されたこの船は、船橋上にまとめられたマストとやや後ろよりに建てられたただ1本の煙突という瀟洒な姿だが、全長293.52メートル、幅32.07メートル、吃水9.75メートルと言う巨大な構造物であった。すでにキュナードが誇った2大客船クィーン・エリザベス、クィーン・メアリーは引退しており、同船に匹敵する大型客船はフレンチ・ラインのフランス1隻のみである。QE2と名付ける予定のこの船の命名はエリザベス女王自らが行うことになっていた。
事件は1967年9月20日、進水式の当日に起きた。女王が2をザ・セコンドと発音したのだ。華やかな式典の最中、キュナード社の重役達の心境がどうであったかは分からない。分かっているのは、この船がツーと命名される予定であったと言うことだけである。
もともと、この船は先代クィーン・エリザベスの跡を継ぐ者と言う意味でQEツーと言う名前が予定された。しかし、先代がエリザベス女王の母親であるエリザベス女王(2002年に102歳で死去したジンと博打の好きな方)の名を取っているので、女王は自分の名をつけた船があっても良いと考えたのだろう。女王の命名に異議を唱えることも出来ないので、表記はQE2だが、読みはザ・セコンドと言うけったいなことになった。ただ、乗った人の話によると船長はQEツーと発音していたと言うことである。もう一度繰り返す。この船の本当の名前を知っている人はほとんど居ない。私も知らない。
1969年4月22日、地中海でお披露目航海を行い、同年5月2日、QE2はニュー・ヨークに向けて処女航海に出た。その後、北大西洋定期航路で、ライヴァルである前記のフランスと世界最大の客船の座を争った。竣工時、彼女は65863総トンで、フランスの66348総トンに僅かに及ばなかったが、改造により徐々にこの数字を大きくしていったのである(2003年現在、70327総トン)。このような華やかなこともあったが、時代の趨勢は航空機に移っていた。このため、キュナードはクルーズに社運を賭けることとし、この方針は71年に同社を買収したトラファルガー・ハウスにも受け継がれた。QE2も例外ではなく、1975年にクルーズ市場に登場した。ただし、その令名に相応しく、92日間東回り世界一周クルーズと言う大層なもので、横浜と神戸にも寄港した。この時、この有名船を見ようと訪れた人は非常な多数に上り、横浜では52万人に達した。その後も同船は何度か来日し、1990年に大阪で花の万博が開かれた時にはホテル・シップになるなど、日本でも非常に近しい存在になった。
今回、作成されたアイコンは1982年のフォークランド紛争時に軍隊輸送船として動員された時のもので、ファンネル・カラーが白くなり、ヘリ・ポートが新設された姿である。この時、彼女は3000人の兵員を乗せて同年5月12日に出港、6月11日に母港サザンプトンに戻ってきているが、航海用に準備されていた食料はそのまま兵員に出されたようで、そのような御馳走を食べられたことに感動したと言う話を読んだ記憶がある。
通常、クルーズ客船の寿命は20年程度であるが、QE2の場合は1986年にドイツで改装工事を行って延命を図った。主機の換装がそのメインとなったが、キュナード社の選んだ方法は蒸気タービンをディーゼル・エレクトリックにすると言うものであった。ディーゼルで発電機を回して、その電気でモーターを回すというこの方式は現代のクルーズ客船の定番となっているが、その先鞭をなしたのである。この結果、28.5ノットと言う航海速力は保持したまま、1日に550トン消費していた燃料を370トンに減らすのに成功した。しかし、87年の工事完了からでも15年以上、竣工からでは35年と言う歳月の間に、客船の世界では10万総トンを超す船が続出し、QE2は世界の大型客船のビッグ20にも入らないと言うことになってきた。しかも、2004年1月12日には同社が77年以来実に26年振りの新造船であり、世界初の15万総トン級客船クィーン・メアリー2が竣工している(同船の命名もエリザベス女王であるが、今回、ザ・セコンドと言ったかツーと言ったかは分からない)。2005年にはオリアナの代船であるクィーン・ヴィクトリアも竣工することになっており、今後、この名花がどのようになるのかわかっては居ない。少しでも長く、この素晴しい姿を見せ続けて欲しいものである。

(2004/2/26更新)
航空機支援艦「アトランティック・コンヴェイヤー」
フォークランドへの機動部隊の派遣にあたり、コンテナ船(Ro-Ro船)を徴用しハリアーやヘリコプターの運搬、整備等の支援にあてたものです。このとき選ばれたのがCunard Steamshipに所属し、合同用船会社のAtlantic Container Lineのもとで運用されていた本船で、上甲板をハリアーやヘリコプターなどを並べて繋止するスペースにし、最前部を機材移送用の発着甲板としました。甲板上繋止部分の両舷にはコンテナを積んで風除けにしています。特設軽空母として運用されていたような説明を時折見かけますが、全通甲板やスキージャンプまで整備されたわけではないので、あくまで基本は航空機運搬艦であり、自力で本来の母艦まで移動可能になっているというだけのことでしょう。
また作業用のクレーンがなく、ローターの取り付けなどではフォークリフトしか使えなかったので、整備では非常に難儀したという話が残っています。

支援艦としての整備を終えた本船は5月18日に機動部隊に合流し、増援のシーハリアー×8と空軍型ハリアー×6を2隻の空母に移送しました。
そして、アルゼンチンの独立記念日でもある5月25日、英空母必殺の使命を受けた同海軍のシュペル・エタンダール2機が各一発のエクゾセを抱えて飛び立ちます。防空警戒網を避けるため、往復各一回の空中給油を受けてフォークランド諸島の北方を大きく迂回するという長距離攻撃行のもと、機動部隊主力に向けて発射されたエクゾセは、英軍に察知され、直ちにチャフロケットが発射されます。これによっていったん目標を見失った2発のうち、一発は海上に落下したものの、残りの一発が見いだしたのがこのアトランティック・コンベイヤーだったのでした。
この一発が船腹に命中し爆発。艦内の車両甲板にあった多数の4トントラックには燃料が満タンだったのでこれに引火、炎上し、船長以下12名の犠牲者を出して3日後に沈没しました。このときハリアー移送後も積み残していたヘリコプター(ウェストランド・ウェセックスとチヌーク各一機を除いた、チヌーク3機、ウェセックス6機、リンクス1機)がすべてボツっています。さらに多数の各種航空機整備用の部品や弾薬、資材等ももろとも失われてしまいました。とりわけ、ペイロードの大きなチヌークが使えなくなったのは、地上部隊にとっては後々かなり痛手だったようです。

(2004/6/11更新)
病院船「ウガンダ」
補助艦艇規格

(2002/12/11更新)
モニター「ロバーツ」
「ロバーツ(roberts)」は第二次世界大戦期に唯一建造された、かつ世界最後の級のモニターです。タイプシップは「エレバス」級ですが、対空砲火及び水平装甲を強化しているのが特徴と言えます。

(2003/12/12更新)
モニター「グラットン」級
本艦はノルウェー最後の海防戦艦になるはずだった艦です。
ボルグヴィンとニダロスと名付けられた1912年計画建造艦でありスウェーデンのスヴェリェ級等とほぼ同世代、北欧海防戦艦史の掉尾を飾る存在となるはずでした。
設計はかのユースタス・テニスン・ダインコートによるものでアームストロング社エルズウィック造船所で建造に取り掛かりました。
ですが第一次大戦勃発により英国が買収、ボルグヴィンはグラットン、ニダロスはゴルゴンと改名され武装と上部構造物の変更、全長の75%にも渡る巨大なバルジ装着(全幅が1.47倍にもなった)によりモニターとして完成させられました。
両艦とも1918年に竣工しドーバーに配属されますが、一足早く完成したゴルゴンはダンケルク・オステンド間の独逸砲台に対する艦砲射撃を3ヶ月近く行います。
この間にようやく完成したグラットンもドーバーに配属されますがその5日後、船体中央部6インチ砲火薬庫が謎の爆発、主砲火薬庫が誘爆し周りに被害が出る事が懸念され魚雷により処分されてしまいます。
この後ゴルゴンもグラットンの爆発原因調査のため後方に下げられます。
戦後1919年には予備艦隊に編入、ノルウェーに再度引き渡す交渉がもたれますが、バルジにより巨大化した船体はノルウェーのホルトン乾ドックには入らないため受け取りは拒否。
アルゼンチン、ペルー、ルーマニアにも打診しましたが実現せず、結局英国海軍の爆薬実験に使用され最終的に1928年スクラップ処分されました。
もし当初予定通りノルウェー艦となっていれば少なくともゴルゴンには別の生涯が待っていたはずで、大国によって運命を翻弄された姉妹に涙を禁じ得ません。

(2006/4/30更新)
潜水艦「ホランドT」(補助艦艇規格)

(2003/8/17更新)
潜水艦「アップホルダー」
英国海軍最後?の通常動力型潜水艦「アップホルダー」級SSK

(2004/2/26更新)
クイーンエリザベスII世フォークランド紛争仕様(補助艦艇規格)