米 陸/空軍機アイコン2

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F15E (2008/10/10)
P-43
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F15E (2008/10/10)
A-36 アパッチ
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F15E (2008/10/10)
F8F
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F15E (2008/09/03)
A-1スカイレーダー
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ささき(2004/2/26更新)
ノースアメリカン T-28A トロージャン(Trojan)
AT-6 テキサンの後継機として発注された機体で、初飛行は 1949 年 9 月 26 日。三輪式降着装置、エアブレーキ、射出座席などジェット時代の練習機として必要な仕様を備え、頑丈で飛ばし易く癖のない機体だった。T-28A は空軍予備役部隊の P-51 補充機としても割り当てられ、「貧者のムスタング」という有難くない渾名も頂戴している。T-28A の仕様はライト R-1300-1 9 気筒星型 800hp、最高速度 455Km、航続距離 1610Km、乗員2名、武装 12.7mm 機銃ポッド x 2 または 50Kg 爆弾 x 2, 2.25in ロケット弾 x 6 を搭載可能。生産数 1194 機。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/2/26更新)
ノースアメリカン T-28D ノーマッド(Nomad)
T-28 は射爆練習機としてある程度の武装搭載が可能だったが、原型から 2.5 倍近くパワーアップした R-1820 搭載モデルでは更に余剰搭載量が増していた。T-28 の攻撃機仕様は T-28D と呼ばれ、主要部に小口径弾に耐える装甲を施し、12.7mm 機銃ポッドが標準装備となり、片翼 3 箇所づつのパイロンが追加された他、戦闘用の無線装置などが増設されている。T-28D は南ベトナム空軍に供給されたほか、アジア・アフリカ・中南米など世界各所の紛争地帯で使用された。性能仕様は T-28B/C とほぼ同一、武装 12.7mm 機銃 x 2、爆弾・ロケット弾など 544Kg。アイコンはタイからラオス・カンボジアで秘密作戦に就いていた米軍 606 特殊航空隊の所属機。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/2/26更新)
レイセオン T-6A テキサンII(Texan II)
空軍のセスナ T-37 と海軍のビーチ T-34 を置換する空海軍共同プロジェクト JPATS(Joint Primary Air Training System) として 1992 年に開発開始、98 年 7 月に初飛行した初等練習機。当初はピラタス社との共同開発により PC-9 の発展型(ビーチ/ピラタス PC-9 Mk.II)として計画されていたが、大幅な設計変更によって外見以外はほぼ別機となって完成した。PC-9 譲りの優れた運動性を持ち、良好な視界を持つ座席はゆったりしたキャノピーで覆われ、酸素発生および与圧機能によって高々度運用が可能、電子化されたグラス・コクピットは完全な計器飛行設備を備えている。2017 年までに輸出用も含め 約 900 機が生産される予定。P&W PT6A-68 ターボプロップ 1100hp、最高速度 574Km/h、航続距離 1574Km、乗員2名、武装なし。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/8/22更新)
Douglas AC-47D ガンシップ
ジェット戦闘機/攻撃機が高速一撃離脱の準核攻撃機と化していった 1960 年代、それらの機体が高速すぎ滞空時間も短いため通常の対地支援任務では有効に使えないことが明らかになっていった。あたかもベトナム戦争時、応急対策として T-6 や T-28 などの高等練習機、A-1 スカイレイダーや A-26 インヴェイダーなどの骨董品が投入されそれなりに有効に使われたが、制空権下における対地支援のあり方を別の方向から模索した解答が「ガンシップ」である。
母機には信頼性・航続時間・搭載能力などから C-47 が選択され、SUU-11/A 7.62mm ミニガンポッド3基(携行弾数 16500 発、最高 21000 発)を胴体左舷に俯角 15 度で搭載した。砲門を確保するため左舷後部の窓2つと貨物扉の半分は取り外されている。なお、初期にはミニガンの生産が間に合わず、cal.30 M-2 機銃を 8〜10 門搭載して代用した型もあった。操縦席左舷には Mk.20/mod.0 反射照準器が横向きに装備され、パイロットはこれを覗きながら 30 度バンクの旋回で目標を捉えつつ連続射撃を浴びせるという趣向である。対空砲火に対する脆弱性から作戦行動は夜間を原則とし、目標照射用に 50〜60 発の照明弾も携行していた。
AC-47 は 1964 年暮れからベトナム戦争に投入されその有効性を証明したが、ミニガンの射程が短いため高度 1000m 以下での作戦を余儀なくされたうえ、機体の老朽化や夜間行動支援装備の欠如もあって損害も多く(53 機中 15 機を損失) 69 年 9 月には米空軍から退役し、残存機は南ベトナム空軍に譲与された。
AC-47 の愛称は「パフ・ザ・マジックドラゴン(Puff the Magic Dragon)」、また唯一の実戦参加部隊である第4空挺強襲中隊(4th Air Command Squadron) のコードネームからスプーキー(Spooky, 幽霊)」とも呼ばれた。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/2/12更新)
Cessna O-2 Skymaster FAC仕様 (ただしロケット弾ポッドは無し)
単発エンジンのセスナ O-1 バード・ドッグの後継機として 1967 年に採用された観測機で、スピナーおよび昇降ステップの省略、天井とドアへの観測窓増設、燃料タンクへの防漏ゴム被服実施などが民間仕様と異なる。主翼に左右各 2 基のパイロンを付けた観測/軽攻撃機仕様の O-2A 500 機、スピーカーとビラ散布装置を備えた心理戦仕様の O-2B 32 機が生産され、特に O-2A はベトナム戦争で前線攻撃指揮機(Foward Attack Control...FAC)として大活躍した。基本性能は民間仕様と同じだが、防弾タンクによって燃料搭載量が約 5% 減少している(航続距離 1620Km)。なお O-2 の愛称は 337 と同じ「スカイマスター」なのだが、前作 O-1 と同じ「バード・ドッグ」とも呼ばれたらしい。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/14更新)
Hughes H-4 Hercules Spruce Goose
1947年11月2日、離水に成功、1マイルと少し飛んで、一応飛ぶことを証明、そして終わる。観光施設となっていたが、現在はオレゴンの博物館に展示されている。
320feet 219feet 400,000pounds pay 130,000p 全幅約98m 全長約67m 全備重量約180t ペイロード約60tページのトップへ戻る
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sky 2011/8/24
F-22ラプター
F-22ラプター ページのトップへ戻る
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sky 2011/6/12
X-15
これは、NASAとアメリカ空軍によって開発されたX-15です。 X-15はアメリカで開発された高高度極超音速実験機です。アメリカのノースアメリカンによって3機が製作されました。ジェットエンジンではなくロケットエンジンにより高高度まで上昇出来る能力を持つロケットプレーンで、この機体の研究結果は、やがてはスペースシャトルの開発にまで貢献するようになりました。 ページのトップへ戻る
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sky 2011/6/3
YF-12 NASA仕様
これは、「YF-12 NASA仕様」です。 一応、武装は無しって設定にしました。 ページのトップへ戻る
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sky 2011/5/17
YF-23
YF-23実機塗装 ページのトップへ戻る
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sky 2011/5/17
RQ−4グローバルホーク
「RQ−4グローバルホーク」のホワイトペイントバージョンです。 グレー塗装のものと何ら変わりありません。 RF−4の後釜になるそうです。 ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/27更新)
BELL P-59 Airacomet
アメリカ初のジェット戦闘機。
特に速いレシプロ機に速度で劣り、運動性等も良くなかったが、一応ジェット機なので、ジェット機取り扱い用の訓練機として使用された。
全幅13.87m 全長11.84m 全高3.66m 自重3,606kg 全備重量4,909kg 最大速度665km/h 航続距離885km 武装37mm*1 12.7mm*3 爆弾907kgページのトップへ戻る
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F15E (2008/11/16)
P-59
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怪人37型(2003/2/10更新)
XP-79 ノースロップ社
主翼に仕込んだマグネシウム合金のブレードで敵機(の主翼など)を切り裂き撃墜する構想のもと開発された全翼機。
通常攻撃も可能なよう 12.7mm 機銃×4も搭載する予定でした。
計画時はロケット動力機(XP-79 および 79A)だったのですが、のちに要求が変更されウェスティングハウス 19B ターボジェットエンジン双発に換装されたのが XP-79B です。
'45年9月12日に初飛行、最高速度は 880Km/h を予定していましたが15 分で墜落したので当然未測定です。開発中止となった。
全長4、26m 全幅11、58mページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
Lockheed P-80 (Shooting Star)
米軍初の制式ジェット戦闘機。1948 年以降は F-80 と呼ぶのが正しいのだが、P-80 のほうが通りが良い。
P-80A,B,C のサブタイプがあるが外見上の違いは殆どない。各型あわせ約 1700 機が生産された。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
Lockheed P-80R (Racey)
P-80 の高性能に喜んだ米空軍が公式速度記録の為に製作した機体。
武装を全廃し、翼端形状を変え、キャノピーを小型化し、インテイクを NACA 型半埋め込み式に変更、機体表面はパテ埋め後に灰色の塗料を塗り平滑に磨き上げてある。
1947 年 6 月 16 日に 1003.8Km/h の公式速度記録を達成した。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/27更新)
コンベア XF-81
初期ジェットエンジンの燃費の悪さを補完すべく、1944 年に米空軍が発注した混合動力機。アリソン J33 ジェットエンジンと GE XT31 ターボプロップエンジンを混載しており、通常はターボプロップで巡航、離陸および空戦時にパワーブースターとしてジェットエンジンを使用するという考えだった。しかし XT31 の調達が遅れ 45 年 2 月の初飛行時には代わりに V-1670 マーリンを搭載(P-51 の機首を丸ごと移植したという)、12 月には待望の XT31 に換装されたがこのエンジンは期待外れで、軸出力はマーリンと大差ない 1650hp にとどまった。最高速度はターボプロップで 442Km/h、両エンジン併用時 815Km/h。この頃ジェット機の水準は既に 900Km/h を越えており、XF-81 は戦闘機として実用化の見込みなしと判断され試作2機に終わった。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/12/2更新)
ベル XF-83
1944 年に試作された長距離ジェット戦闘機。基本的に P-59A エアラコメットを拡大した機体で、二基の J33 エンジンを内蔵した太い胴体に 4400 リッターの燃料を搭載、増槽未使用時 2500Km・使用時 3540Km の航続距離を実現した。しかし最大重量 12t、翼幅 16m の巨体に比してエンジンがあまりに非力であり、戦闘機としての実用性なしと判断され試作2機に終わった。最高速度 840Km/h、武装 12.7mm 機銃×6。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
リパブリック F-84G サンダージェット(Thunderjet)
戦後に開発された中では米空軍初の制式採用ジェット戦闘機。アリソン J35 エンジンを搭載、最高速度 998Km/h、武装は機首4挺+主翼付け根2挺の M3 12.7mm 機銃に加え各種爆弾・ロケット弾を搭載可能。各型合わせ 4439 機生産、最多生産型の F-84G は 3025 機で7割近くを占める。朝鮮戦争時には既に旧式化して MiG-15 の敵ではなく、対地攻撃機として使用された。パイロットによる非公式な渾名は Hog(猪)。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
リパブリック F-84F サンダーストリーク(Thunderstreak)
F-84 に後退翼を装備した発展型。試作時は YF-96 と呼ばれていた。エンジンを J65 に換装したため胴体が縦長の長円断面となり、コクピットキャノピーも変更され、主翼・垂直/水平尾翼ともほぼ 45 度近い後退翼と相まってほとんど別機の印象となった。主翼には下反角が付けられているのも特徴。武装は相変わらずの 12.7mm×6 挺、最高速度 1102Km/h、非公式な渾名は「Super Hog」。生産数は 2711 機。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
RF-84F サンダーフラッシュ(Thunderflash)
F-84F から派生した写真偵察型。1.2m 延長された機首に各種写真機材(前方カメラ一台、下方カメラ1台、左側方カメラ1台、広角カメラ一台)を搭載したもの。機首を写真機材スペースに割いたため空気取り入れ口が主翼付け根に移設されている。原形の F-84 と比べると大化けぶりには笑うしかない。総生産数 715 機。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
XF-84H サンダースクリーチ(Thunderscreech)
1950 年代、ジェット戦闘機の短い航続距離に悩んだ米空軍はターボジェットより燃費の良いターボプロップに着目し、当時入手可能な最強のターボプロップエンジンであるアリソン XT-40 を F-84(正確には RF-84F)に搭載した試作機を開発した。XF-84H と名づけられたこの機体は2機が試作され、極薄ブレードを持ち超音速回転する3翅プロペラ(直径 3.65m)を装備、その回転時の凄まじい騒音から「サンダースクリーチ」という非公式の渾名を貰った。残念ながら最高速度は未公表。エンジンとプロペラにトラブルが多発し、満足な全力飛行を行っていないのかも知れない。アイコンの FS-059 はシリアルナンバー 51-17059 の試作一号機。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/13更新)
RF-84K FICON
ジェット機の短航続力問題に悩んだ米空軍が考えたもう一つの解答。RF-84F の機首にフックを付け、超大型爆撃機コンベア B-36 の爆弾倉に半埋め込み式ドッキング装置を設け親子飛行機として運用を試みたもの。ドッキング時に接触しないよう、RF-84K の水平尾翼には 26 度の下反角が与えられた。合計 25 機の RF-84K が製作され専用の親機 GRB-36D とのペアで部隊配備されたが、運用上の問題が多かったうえ親機 B-36 の早期退役もあり短期間に終わった。ちなみに FICON とは Fighter-Conveyer の略で、厳密には RF-84K の愛称ではなく親機 B-36 も含む計画呼称を指す。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2002/9/8更新)
マグダネル XF-85 ゴブリン(Goblin)
航続距離 16000Km に達するコンベア B-36 を護衛すべく、その機内から発進する「寄生戦闘機」として 1945 年に発注された機体。親機 B-36 は爆弾搭載量の一部を割いて F-85 一機を搭載、また爆弾を全く積まず F-85 三機を搭載する空中母艦型も考えられていた。
48 年 8 月から B-29 を改造した母機 EB-29B を用いて空中離脱・空中回収の飛行テストが開始されたが、離脱はともかく回収は容易ではなかった。ドッキングに成功したのはたった 3 回、残りは空中衝突寸前(1 回は実際に衝突し機体の一部を破損)でドッキングを諦め不時着という惨澹たる有様で、実用不可能と結論づけられ試作2機でキャンセルされた。
全長 4.3m、全幅 6.4m(主翼折り畳み時 2.2m)、全備重量 2067Kg、ウェスティングハウス XJ-34 ターボジェット x 1、最高速度 1047Km/h(推定:フルパワーテストは実行されていない)、武装 12.7mm 機銃 x 4(試作機は非武装)、行動時間 1 時間 20 分。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
ノースアメリカン F-86F セイバー(Sabre)
言わずと知れた第二世代ジェット戦闘機の傑作で、米軍のみならず世界各国で採用された。もともと直線翼の艦載ジェット戦闘機 FJ フューリーを後退翼化した発展型として作られたが、その高性能に目を付けた空軍から先に発注があり F-86 として採用されたもの。F 型は 2500 機作られた最多生産型で、全動式の水平尾翼・主翼前縁スラット・エアブレーキなどの装備を持ち、優れた高速運動性を誇った。エンジンはジェネラルエレクトリック J47、最高速度 1107Km/h、武装 M3 12.7mm×6挺。A, E, F 型合わせた生産数は 3854 機。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/16更新)
ノースアメリカン F-86D ドッグセイバー(Dog Sabre)
F-86 セイバーをベースに開発された全天候型迎撃機で、開発当初は YF-95 の名称で呼ばれていた。一見するとレドームを持つ機首形状が異なるだけに見えるが、アフターバーナー付き J47 エンジンを搭載したため後部胴体形状も異なり、大きなヒレを持つ垂直尾翼、上反角のない水平尾翼など F-86E 系列とは各所が異なる。D 型の最高速度は 1151Km/h。武装は機銃が全廃され、機首下面の引き込み式ポッドに 2.75in ロケット弾を 24 発搭載した。F-86D は 2504 機が生産され、のちに武装を M39 20mm 機銃×4に換装した F-86K が 120 機、バッジ迎撃誘導システムに対応した F-86L が 800 機、迎撃レーダーを外して戦闘爆撃機仕様とした F-86H が 475 機生産された。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
Lockheed T-33
P-80 から派生した複座練習機。胴体が約 1m 延長されており、後席増設によって減少した燃料タンク容量を補うため大容量翼端タンクが標準装備されている。約 7000 機が生産され世界中で使用された。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/11/8更新)
T-33 Thunder・Birds仕様
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舞沙P(2002/10/27更新)
Curtiss XF-87 BlackHawk
機首に大型のレーダーを搭載する、夜間戦闘機として開発された。
四角い断面の胴体から伸びる四角い主翼の四角い断面のポッドにそれぞれ2基ずつ、計4発のジェットエンジンを搭載する。
しかし、正式発注から4ヵ月後、空軍から発注を全てキャンセルされ、多額の負債を抱えたカーチス社は軍用機、航空機産業から姿を消した。
見てのとおり、胴体後部が長く、着陸時に接触する可能性は高い、どうしてこのように間抜けなのか、それがカーチスだからか。

カーチスにしては格好良い戦闘機だ。
全幅18.3m 全長18.9m 自重11,780kg 総重量22,650kg 最大速度522kt(計画値) 航続距離865km(計画値) 武装20mm*4 12.7mm*2ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/19更新)
McDonnell XF-88 VooDoo
長距離侵攻戦闘機として開発された、一時計画を破棄されたものの、F-101として復活した。
全幅12.09m 全長16.49m 全高5.64m 自重5,450kg 総重量10,460kg 最大速度M1.03 航続距離1,450nmページのトップへ戻る
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ささき(2002/12/2更新)
マクダネル・ダグラス XF-88B
不採用となった XF-88 の一号機(46-525)を改造して作られた混合動力機。他の混合動力機と異なり航続力延長が目的ではなく、亜音速〜超音速時におけるプロペラの空力特性を調査する為に作られた研究機である。そのため機首のアリソン XT-38 ターボプロップ(2750hp)は中心軸から左寄りに取り付けられ、これに合わせて前脚格納庫が右側に移動し、胴体右舷にはバラストが搭載され、ターボプロップ排気は機首下面からほぼ真下に向けて排出されるなど空力的洗練とはほど遠く、「とりあえず飛べばいいじゃん的」お手軽改造機となっている。1953〜1956 年にかけ 30 種類近いプロペラ形状/翼型/減速比などのテストに使用された。性能については資料なし。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/27更新)
Northrop F-89 Scorpion
米空軍最初の本格的全天候ジェット戦闘機。
20mm機銃を搭載しているが、機動性は良くないため、火力をロケット弾に委ねている。
全幅18.24m 全長16.44m 全高5.37 総重量18,200kg 最大速度1,023km/h 航続距離2,200km 武装2.75inマイティマウス*104 (以上諸元F-89D)ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/27更新)
Lockheed YF-90
XF-88と同じ要求仕様で開発された長距離侵攻戦闘機。
トリム調整のため、垂直尾翼付け根が可動する。
性能不足の上、計画が中止になり不採用。
全幅12.18m 全長17.06m 全高4.8m 自重8,187kg 全備重量14,089kg 最大速度1,075km/h 航続距離1,690km 武装20mm*6 1000lb爆弾*2ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/27更新)
リパブリック XF-91 サンダーセプター(Thunderseptor)
ロケットの急上昇力とジェットの高速巡航力を併せ持つことに期待して作られた混合動力迎撃機。アフターバーナー付き J47 ジェットエンジン一基に加え、機体尾部上下に合計四基の XLR-11 液体燃料ロケットエンジンを搭載する。胴体は F-84 系の面影を残しているが、主翼と水平安定板は先端へ向かうほど厚く幅広な逆テーパー翼で、しかも主翼は -2〜+6 度の範囲で取り付け角を可変できる。これらは強い後退角(XF-91 は 35 度)に伴う翼端失速癖を何とか矯正しようという試みであった。XF-91 は全エンジン噴射時に水平飛行で 1812Km/h(マッハ 1.71)という高速を記録したが、2種類の全く異なる燃料を混載するのは高価複雑かつ潜在的に危険でもあり、薬液燃料タンクで占められた胴体内には全天候迎撃兵装を搭載するスペースもなく、何より増槽未使用時の航続時間 25 分という行動能力が致命的となって試作2機に終わった。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/27更新)
Convair XF-92A
F-102の元になったデルタ翼機。
全幅9.53m 全長12.93m 全高5.39m 自重3,950kg 総重量6,800kg 最大速度M0.95ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/27更新)
ノースアメリカン YF-93A
名機 F-86 セイバーをベースに機内燃料容量を増積し、巡航抵抗削減を徹底することで XF-88, XF-90 に対抗し得る長距離侵攻戦闘機を作ろうとしたもの。当初は XF-86C と呼ばれていたが、殆ど別機になった為 YF-93A に改称された。しかし実機完成前に米空軍は長距離侵攻戦闘機計画を廃棄し、製作された2機の YF-93A は NACA において空力テストベッドとして使用された。アイコンは埋め込み型インテイクを装備した一号機初期の姿で、のち2号機ともに左右に張り出したインテイクに改造された。エンジンはプラット&ホィットニー J48、最高速度 1139Km/h。武装は 12.7mm 機銃×6を予定していたが試作機には装備されていない。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
ロッキード F-94B スターファイヤー(Starfire)
TF-80(T-33) をベースにした全天候型戦闘機。機首を延長してレーダーを装備、後部胴体を延長してアフターバーナー付き J33-A33 エンジンを搭載した。武装は M3 12.7mm 機銃×4挺。F-94A が 110 機、各所を改良し大型翼端タンクを標準装備した F-94B が 355 機生産された。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/11/12更新)
ロッキード F-94C スターファイヤー(Starfire)
F-94B を更に発展させた機体で、試作時には YF-97 の型番が与えられていた。機銃は全廃され、武装は機首 24 発+主翼ポッド 12 発×2の 2.75 インチロケット弾である。後部胴体を延長してより強力な J48 エンジンを搭載、機首を更に延長してレーダー及びロケット弾を搭載したため、全長は P-80 の三割り増しに達してしまった。尾翼まわりは新規設計となり、水平尾翼にだけ後退角が付いている。生産数 387 機。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2009/1/1)
NorthAmerican F-100「Super Sabre」
西側初の実用超音速戦闘機。
F-86「Sabre」を発展させ、超音速飛行を可能とした機体。1953年5月25日に初飛行で超音速に達する。
初期の頃は空力的な問題等から事故が多発するが、それらの解決後は戦闘爆撃型のC型、発展型のD型などが生産されている。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2009/1/1)
NorthAmerican F-100「Super Sabre」Thunder・Birds.Ver
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F15E (2008/09/03)
A-4 スカイホーク
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F15E (2008/09/03)
F3D-2(F10B)
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F15E (2008/10/10)
A-3 スカイウォーリア
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ささき(2004/2/26更新)
LTV A-7D コルセアII(Corsair II)
1960 年代中期、ベトナムで対地支援攻撃に苦戦を続けていた米空軍は海軍の新鋭攻撃機 A-7 の優れた素質に着目、独自の追加仕様を施した A-7D を発注した。A-7D は P&W TF30(推力 5148Kg) に代えてアリソン TF41 を搭載し、機首下面の連装 Mk.12 20mm 機銃は M61A1 バルカン砲に換装された。主翼付け根上面には空軍式の「フライング・ブーム」給油口が設けられている。A-7D の性能向上は目覚しく、海軍はこれをベースにした海軍仕様 A-7E を発注した。
空軍ではコルセア II という愛称が定着せず、単に「A7」あるいは「スラフ(SLUF)」の俗称で呼ばれた。SLUF とは Short Little Ugly Fella(小さな醜いチビ野郎)の意味であまり名誉のある渾名ではないが、パイロットの信頼と愛情を裏返しに表現した渾名でもある。
A-7D は 459 機が生産され、ベトナムでは旧式化の目立ってきた A-1 スカイレイダーに代わって対地支援に活躍した。第一線機としては 1980 年代から A-10 に交代したが、予備役や州空軍の装備として 1990 年代まで現役にとどまった。
アリソン TF41-A-1(推力 6577Kg)、最高速度 1067Km/h、航続距離 4828Km(最大)、武装 M61 20mm 機銃(装弾数 1000 発)、爆弾・ロケット弾など 6.8t。ページのトップへ戻る
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人見 忍 2009/1/17
McDonnell F-101・B Voodoo
元々は戦略空軍の要求で長距離戦闘機として開発された機体。
しかし戦略空軍での運用期間は短く、主に米本土の迎撃機として使用された。
また、偵察機型はベトナム戦争に参加、かなりの犠牲をだした。
F-101・Bは複座・長距離迎撃機で、武装に核弾頭装備のAIR-2・A「ジーニ」を2発装備する。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/11/10更新)
Convair F-102A デルタダガー(Deltadagger)
1950年に計画された全天候迎撃機計画MX1179に基き設計された機体。
原型機1号機が1953年に初飛行するが音速を突破できず不採用の危機に見舞われるも、NACAが発表したエリアルール理論に則って再設計した結果、見事マッハ1を突破、正式採用されたのは有名。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2003/9/30更新)
ロッキード F-104A スターファイター(Star・Fighter)
1952 年にロッキードの「ケリー」ジョンソン技師の提案によって開発された機体。当時最新最強のジェネラルエレクトリック J-79 エンジンを可能な限り小型軽量の機体に搭載し、運動性よりも速度・加速力・上昇力を重視するコンセプトで、翼厚比わずか 3.36% のカミソリのように薄く小さな主翼を装備した。
J-65 エンジンを搭載した試作機 XF-104 は 54 年 3 月に初飛行し早速マッハ 1.79 を記録、本命 J-79 を搭載した YF-104 は 56 年 2 月から飛行を開始し速度、上昇、高度など次々と新記録を樹立、その高性能から「最後の有人戦闘機」とまで呼ばれた。しかし小柄すぎる機体が災いして全天候迎撃データリンクシステムなどの搭載に難があり、当初期待された迎撃戦闘機としての運用は(米軍において)限定されたものにとどまったが、比較的安価で高性能な高速戦闘/戦闘爆撃機として世界各国に輸出され一応の成功を見た。
F-104A は 170 機が生産された米空軍向けの初期量産型で、危険度の高い下方射出座席を備えていることで有名。スペックは最高速度 1669Km/h、航続距離通常 1175Km(最大 2253km)、武装 M61 20mm バルカン砲 x 1(725 発)+AIM-9B 空対空ミサイル x 2。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2003/4/26更新)
リパブリック YF-105 サンダーチーフ(Thunderchief)
F-84 の発展型として 1950 年に計画され、結局ほとんど新設計の機体として完成した超音速戦闘爆撃機。遷音速抵抗を減らすため主翼付け根で絞られた「エリアルール」形状の胴体は当時の最新技術で、胴体内には戦術核兵器を搭載可能な大型爆弾倉を備えている。
搭載予定の J75 が間に合わなかったため試作機 YF-105A は一世代古い J57 を積んで 1955 年 10 月に初飛行し、早くもマッハ 1.2 を記録して素質を示した。YF-105A のインテイクは B 型以降と異なり直角に開口しており、わずかに RF-84 の面影が伺える。
P&W J57-P-25(推力 4626Kg / AB 6800kg) x 1、最高速度 1380Km/h(マッハ 1.2)、航続距離 1625Km(標準)、武装 M61 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 2。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/12/16更新)
リパブリック F-105D サンダーチーフ(Thunderchief)
1959 年から量産された主要生産型で、いちおう全天候性能を持つ。ベトナム戦争では北爆「ローリングサンダー」作戦をはじめ米空軍の主力対地攻撃機として活躍したが、被害も少なくなく 300 機以上を失った。F-105 は翼面荷重を高く設計してあり低空高速侵入には向いていたが、離着陸はいかにも重々しく乗員からは「鉛の橇(Lead Sled)」や「ドサ野郎(Thud)」の渾名で呼ばれていた。
P&W J75-P-19(推力 7800Kg / AB 12020Kg) x 1、最高速度 2285Km/h(マッハ 2.1)、航続距離 1252Km、武装 M61A1 20mm 機銃 x 1(装弾数 1028 発)、爆弾 3.6t。生産数 610。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/12/16更新)
リパブリック F-105F ワイルドウィーゼル II(Wild Weasel II)
もともと低空侵入・航法・爆撃などを単座でこなさねばならない F-105 の技術習得が困難だったため、F-105D をベースした複座練習機として開発されたもの。ベトナム戦争で猛威を振るった地対空ミサイル(SAM)への対策として対レーダーミサイル AGM-45「シュライク(Shrike、もず)」が開発され、F-100F を母機として 1965 年から実戦テストが行われていたが、この結果を受けて本格的な対レーダー攻撃機として作られたのが F-105F ワイルドウィーゼル II である。
F 型 147 機の過半数を占める 86 機がこの仕様に改造され、友軍攻撃隊の最先端を飛ぶ危険な任務に投入され活躍した。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/12/21更新)
リパブリック F-105F コンバットマーティン(Combat Martin)
F-105F をベースとして後席のスペースに QRC-128 VHF 電波妨害装置を積んだ電子作戦機で、背中に四角いアンテナが付いているのが特徴。QRC-128 は北ベトナム軍 MiG 戦闘機の機上無線装置を妨害する能力を持ち、地上誘導局からの連絡を絶ち切って迎撃を断念させることを目的としていた。
十数機が製作され 1967 年暮れから作戦を行ったが、あまり効果がなかったのか 70 年頃に作戦中止、機体はワイルドウィーゼル仕様に改造されたという。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/12/23更新)
リパブリック F-105G ワイルドウィーゼル III(Wild Weasel III)
F-105F をアップグレードした改良型で、電子兵装が大幅に強化されたため当初は EF-105F とも呼ばれていた。電子機器搭載スペース確保のため燃料タンクが一部削られている。
56 機が製作され、うち 14 機は海軍の艦対空ミサイルを改造した AGM-78 スタンダード(Standard)対レーダーミサイルを搭載可能に発展した。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/11/10更新)
Convair F-106A デルタダート(Deltadart)
F-102の発展型。
当初はF-102Bと呼称されていたが、内容・外見共に全くの別機となってしまった為、F-106と改称されている。
米空軍が開発した最後の迎撃機
Ultimate・Interceptor。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A タロン(Talon)
N-156 は当初から練習機型への派生が考えられており、これは米空軍に T-38 として制式採用された。機首前方に操縦席を増設し、学生席と教官席をつなぐキャノピーは優美なラインで結ばれ、視界も優れている。T-38 は安価で飛ばしやすく保守も容易、しかも超音速や特殊飛行も可能な理想的練習機で、合計 1189 機が生産された。なお、少数は主翼を強化し爆弾搭載能力を持たせた射爆練習機 T-38B に改造されている。
T-38 は本業の練習機だけでなく試験飛行のチェイス機や写真撮影、連絡、将校の個人用機など雑用機としても使われ、1972 年に生産終了したが 2003 年現在 500 機以上がまだ在籍している。米軍では構造強化やコクピット機材のアップデートにより 2010 年まで使われる予定。
ジェネラルエレクトリック J85-5(推力 1315Kg)x2、最高速度 1306Km/h(マッハ 1.08)、航続距離 1600Km、武装なし。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A タロン NASA 仕様
NASA は 1960 年代から T-38 を愛用して、宇宙飛行士の訓練や各種実験のチェイスプレーン、スペースシャトルの着陸監視などに無くてはならない存在として大活躍している。白地にブルーのストライプを入れた塗装は T-38 のスリムな機体によく映える。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/12/25更新)
ノースロップ T-38A サンダーバーズ仕様
1970 年代の石油ショックと軍事予算削減により、米空軍デモンストレーション飛行隊「サンダーバーズ(Thunderbirds)」の使用機も燃費が悪く維持費も嵩む F-4 ファントム II から経済的な T-38 へと交替した(海軍のブルーエンジェルスも同様の事情で A-4 スカイホークを採用)。サンダーバーズの鮮やかな塗装は T-38 のスリムな機体に映え、小柄で高い運動性を持つ機体を活かした緊密なアクロバットはむしろ好評で、1974 年から 1982 年まで米空軍の看板として活躍したあと F-16 に後を譲った。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/9更新)
Bell X-1
超音速に挑戦した機体、世界ではじめて音速を突破したこになっているらしい。
幅8.53m 長9.42m 自重3,171kg 最大重量5,550kg
最大速度M1.45ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/12/2更新)
Douglas X-3 Stiletto
自力で離陸し、超音速に挑もうとした機体。
予定していた発動機が大型化し、替わりに搭載したエンジンが非力で、予定した性能を発揮できずに終わった。
"世界の駄っ作機"参照
幅6.9m 長20.4m 自重6,507kg 総重量9,435kg
最大速度1,136km/h 航続時間1時間ページのトップへ戻る
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同島翔(2003/4/20更新)
McDonnell F-4E PhantomII
アメリカ空軍版 ファントムページのトップへ戻る
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同島翔(2003/4/26更新)
F-4Gワイルドウィーズル機
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ささき(2003/12/25更新)
ノースロップ F-5A フリーダム・ファイター(Freedom Fighter)
1955 年にノースロップ N-156 として自主開発された戦闘機で、絞り込んだスリムな機体に安価な巡航ミサイル用の小型ジェットエンジンを二基搭載している。F-5A は単座の対地攻撃/軽戦闘機用の量産モデルで、ほぼ同仕様の複座型に F-5B がある。F-5A は極めて運動性に優れ空対空ミサイルの搭載能力も持ってはいるが、レーダーなど電子兵装は最低限のものしか備えておらず空戦能力は限定されている。
1960 年代は冷戦が深刻化していった時代であり、ソ連は共産圏友好国に大量の兵器を供給し始めるが、アメリカ政府はこれに対抗すべく自由主義圏の軍事増援プログラム(MAP:Military Assistance Program)を発動、本機を MAP 向けの輸出用戦闘機として位置付けてセールスに励み、韓国・台湾・タイ・南ベトナム・トルコ・ギリシャ・エチオピア・モロッコ・ノルウェーなど多くの国々に輸出された。米空軍はこれらの国々のパイロットや整備員を養成する錬成部隊も設立、少数の F-5A/B が米空軍マークを付けて配備された。
F-5A/B は安価な割に高性能で操縦の易しい傑作機であり、1963 年から 1972 年まで 10 年近くにわたって合計 836 機(うち 200 は F-5B)が量産されるベストセラーとなった。F-5A の仕様はジェネラルエレクトリック J85(推力 952Kg)x2、最高速度 1489Km/h(マッハ 1.4)、航続距離 2232Km、武装 M39 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 2.8t。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/2/26更新)
ノースロップ F-5C スコシ・タイガー(Skoshi Tiger)
ベトナム戦争において米陸軍は大苦戦、空軍は地上部隊への航空支援で忙殺され、深刻な機材不足に直面する事になった。米空軍は安価で量産向きの F-5A を機材不足解消に適した機材と考え、能力調査のため実戦部隊が組織された。この実戦テストプログラムには「スコシ・タイガー」の暗号名が与えられたが、「スコシ」は日本語の「少し」を「小さな」と勘違いしたもので、本来は「小さな虎」の意味である。
MAP の輸出ラインから 18 機の F-5A が抽出され、空中給油装置の付加やコクピット床面への防弾装甲追加、電子・工学機材のアップデートが施され、新たに F-5C の呼称が与えられた。F-5C に制式な愛称は無いのだが、プログラム名称にちなんで「スコシ・タイガー」と呼ばれたらしい。
F-5C を装備した第 10 戦闘中隊はベトナム南部での地上支援に投入され、対空砲火の高い回避率、整備性・稼働率の高さなどを実証したが、爆撃精度の低さやエンジン出力の不足などの問題も顕在化し米空軍制式採用の座は得られなかった。スコシ・タイガー計画は短期間で終了し、機材は南ベトナム空軍に払い下げられたという。
F-5C は結局空中戦を経験していないが、対空砲火によって 2 機を損失している。アイコンは胴体中央+両翼端に 150 ガロン(568 リッター)増槽を装備した姿。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/2/26更新)
ノースロップ F-5E タイガー II(Tiger II)
F-5A の欠点であるパワー不足と電子機材の貧弱さを改良した機体で 1972 年に初飛行。胴体を延長してより強力なエンジンを搭載、主翼付け根にストレーキと呼ばれる突出部を設けて高迎角時の機動性を増強、主翼も空戦フラップを備えた新型に換装(翼端タンクの機能は撤廃された)、機首には捜索/照準レーダーが備えられた。
F-5E は F-5A の後継機として歓迎され世界各国に輸出されたほか、MiG-21 に近い飛行特性から米軍の仮想敵部隊(アグレッサー・スコードロン)に配備され空戦技術の研究にも使われた。なお、ヒット作となった映画「トップガン」には海軍アグレッサー部隊に所属する F-5E が「ソ連の新鋭戦闘機ミグ 28」として登場している。
F-5E の仕様:ジェネラルエレクトリック J85-GE-21(推力 1488Kg)x2、最高速度 1699Km/h(マッハ 1.63)、航続距離 2483Km、武装 M39 20mm 機銃x2(280発)、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、爆弾・ロケット弾など最大 3.2t。ページのトップへ戻る
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F15E (2008/11/16)
F11F タイガー
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F15E (2008/11/16)
AV-8BハリアーUプラス
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General Dynamics F-111 Aardvark
人見 画伯  (2009/1/1)
General Dynamics F-111 Aardvark
1964年に初飛行した世界初の実用可変翼機。
 元々は1958年にF-105後継の戦爆として構想が持ち上がり、1960年にTFX計画として正式にスタートするも、1961年に当時の肥大化する軍事予算への批判的風潮と、予算の効率的運用の切札として国防長官に任命されたロバート・マクナマラの下、同時期に推進されていた海軍の艦隊防空用戦闘機開発計画と半ば強引に一本化され、新たに海空軍統合TFX計画として各メーカーに提案要求がなされた。
 結局のところ、機体レイアウト以外には海空双方の構想に共通点は無く、それを強引に技術的根拠も無いまま一本化しようとした事が原因で重量過多とそれを一因とした開発費の増大により、海軍機型は試作5機と一次生産分の内2機の計7機が製造された時点で開発は中止され、当初掲げた海空統合計画は崩壊するに至っている。
 一方の空軍型はそれらの問題に苦しみつつも、しかし他に代りとなる計画も無く、またテスト計画の行程消化促進の為に投入された量産型が本来空軍が期待した能力を満たしている事を証明した事もあって、クラックの発生や主翼脱落による墜落事故によりネガティブな印象を周囲に与えつつも、それを逐一克服し開発、生産が行われた。
 実際の運用は、生産開始直後に投入されたベトナム戦争に於ては技術的熟成の進んでない時期での実戦参加であった事が禍し高い故障率と損失を記録こそしたものの、其のベトナム戦争も後期に至っては其れまでの問題の洗出しと解決への努力が実を結び、高速性に基く高い生存率と、一切の支援を必要とする事無く大量の爆弾を高い精度で目標に叩き込めることを証明した。
 時間の経過と共に技術的な問題が解消されるとその評価もそれに比例して上がり、米空軍に於ける虎の子の阻止攻撃機として重用される事になる。
 1986年にリビアへの爆撃、1990年の湾岸戦争では多国籍軍の一翼を担う等、活躍を続けるが、上層部からはその運用コストの高さが問題視され、1997年に惜しまれつつも全機退役するに至っている。
 なお、退役の際、それまでニックネームとして使われていた「アードバーク(Aardvark)」を正式名として贈られている。
 当アイコンはF-111E型。 ページのトップへ戻る
新入荷アイコン
F15E (2008/09/03)
F15C
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新入荷アイコン
F15E (2008/09/03)
F15D
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人見 忍2009/2/1
Boeing F-15E Strike Eagle
F-15Dをベースに開発された戦闘攻撃機。
元々はF-111の後継戦闘攻撃機として計画されていたが、後にATF(次期戦術戦闘機)完成までの繋ぎとしても用いる為に制空戦闘能力も要求された事から、全天候下での対地攻撃に加えて、原型機のF-15に匹敵する高い空対空戦闘能力も持つ。
外見的にはベースとなったF-15Dと大差はないが、機体側面にコンフォーマルタンクを装備するなどの違いもある。
ストライクイーグルという名称は本来開発メーカーであったマクダネル・ダグラス社がつけた愛称であり、米空軍で正式に採用された名称ではない。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/7/4更新)
ジェネラル・ダイナミクス YF-16A
1973 年 12 月 13 日に初飛行した F-16 の試作一号機、シリアルナンバー 72-1567。生産型に比べると全長が約 30cm 短く、レーダーを搭載していないためノーズコーンが細い。星条旗をあしらった派手な三色のデモ用塗装で、75 年のパリ航空ショーにも参加して耳目を集めた。現在はヴァージニア州の博物館に展示されている。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/7/4更新)
ロッキード F-16C ファイティング・ファルコン(Fighting Falcon)
1971 年、米空軍は高性能だが高価な F-15 を補佐する為の補助戦闘機を開発する LWF(Light Weight Fighter)プロジェクトを発動。これにジェネラル・ダイナミクス社(のちにロッキードと合併)が応募し、ノースロップ YF-17 との競作に勝って採用された軽戦闘機が F-16 である。胴体と主翼をなだらかな曲面でつないだブレンデッド・ウィングボディ形状を採用し、主翼付け根を前方に延長したストレーキを備え高い運動性を持つ。操縦系は操縦桿の代わりに圧力検出式のサイドスティックを用い、コンピューター経由の電気信号で舵面を動かすフライバイワイヤー・システムを採用。 30 度後傾したシートを前方枠のない水滴型キャノピーで覆ったコクピットには2基の多機能ディスプレイ(MFD)とヘッドアップディスプレイ(HUD)が装備され、そのハイテクぶりから「エレクトリック・ジェット」の渾名が付けられた。
F-16 は比較的安価ながら対空対地ともに優れた性能を持ち、米空軍には各型あわせ 2200 以上が納入されいまだに改良型が生産中であり、かつ世界 20 ヶ国以上に輸出された傑作機と言える。なお、長ったらしい愛称はダッソー社のビジネスジェット機「ファルコン」の登録商標を回避するためと伝えられるが、米軍パイロットはむしろ非公式な愛称である「ヴァイパー(Viper、毒蛇)」と呼んでいるらしい。
F-16C は 1984 年から生産された改良型で、エンジンを強化し全天候能力を付加したもの。性能緒元:P&W F100-PW-220 ターボファン推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.04、航続距離 3943Km(増槽使用)。武装 M61A1 20mm バルカン砲 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、ほか空対空/空対地ミサイル・爆弾・ロケット弾など 5638Kg。
アイコンはユタ州ソルトレイク市の Hills 空軍基地に所属する 388 Fighter Wing の所属機で、両翼端に AIM-9 訓練弾を積んだ状態。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/8/2更新)
ジェネラル・ダイナミクス F-16A サンダーバーズ仕様
1983 年、サンダーバーズは T-38 から F-16A に機種変更し、1992 年 F-16C に更新されるまで米空軍の看板役を務めた。A 型と C 型の外見上の相違は殆どないが、垂直尾翼基部の形状がわずかに異なり、アンテナ類の装備形態が異なる。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/8/2更新)
ジェネラル・ダイナミクス F-16XL
F-16A の発展型として 1982 年に自主開発された機体。胴体は約 1.4m 延長され、主翼はサーブ・ドラケンを連想させるダブルデルタ翼となり、水平尾翼および腹ビレは削除された。独特の形状の主翼は超音速巡航(スーパークルーズ)能力を目指した結果だとも言われる。米空軍は F-111 に代わる全天候戦闘爆撃機としてマグダネル・ダグラス F-15E と比較検討したが、結局 F-15E が採用されたため F-16XL は試作2機にとどまり、やがて NASA に移譲され高速飛行の研究に用いられた。
P&W F100-PW-200 推力 10782Kg(w/AB) x 1、最高速度マッハ 2.05、航続距離 4587Km。武装 M61A1 20mm 機銃 x 1、AIM-9 空対空ミサイル x 2、AIM-7 空対空ミサイル x 4 または対地兵装 6800Kg。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/12/25更新)
ノースロップ F-20 タイガーシャーク(Tigershark)
輸出戦闘機として大成功した F-5A/E の後継機として 1980 年代にノースロップが自主企画した発展型。新鋭 F404 ターボファン単発に換装した胴体は新規設計で、火器管制装置など電子兵装も最新鋭機を搭載し、舵の駆動系にはフライバイワイヤーが取り入れられた。F-5A/E との部品互換性は殆ど無く「別の飛行機」であるが、当初は輸出の利便を図って F-5G の名称が与えられていた。
しかしレーガン政権下で F-16 の輸出規制が緩和されると各国は競ってこの「米空軍の最新鋭機」に飛びつき、同等以上の性能を持つ F-5G は見向きもされなかった。新しさを強調するため F-20 と改称し、退役したばかりのチャック・イェーガーを顧問に雇ったりしたがセールスは捗らず、あまつさえ 1 号機が 1984 年に韓国、2 号機が 1985 年にカナダでデモ飛行中に墜落しパイロットが殉職する事故まで起こし、(どちらの事故もパイロットエラーと結論づけられたにも関わらず) F-20 のセールスはもはや絶望的となった。
プロジェクトは中止され、完成間近だった 4 号機はスクラップ処理、唯一生き残った 3 号機はロサンゼルスの工業技術博物館に収められ、ここに 12 億ドルを費やしたノースロップの賭けは幕を閉じた。アイコンは民間機登録(登録コード N44671)ながら制空迷彩を身にまとい、ダミーのサイドワインダーを積んで営業活動に励んでいた頃の 3 号機。
ジェネラル・エレクトリック F404-GE-100(推力 7711kg)x1、最高速度マッハ 2.1、航続距離 2500Km、武装 M39-2 20mm 機銃x2、AIM-9 サイドワインダー空対空ミサイルx2、外部兵装 3.6t(AIM-7 スパロー空対空ミサイル搭載可能)。ページのトップへ戻る
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ささき(2003/8/2更新)
フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(Thunderbolt II)
1971 年 にA-7D に代わる直協機として開発、ノースロップ A-9 との競作に勝って採用された機体。操縦席は最厚部 38mm もあるチタン合金製の「バスタブ」装甲板に囲まれ、二基のエンジンは対空砲火を受けにくい胴体後上部にポッド式で搭載されている。独立した二系統の操縦系に加え人力操舵のバックアップを持ち、車輪は単純なヒンジ式で前上方に引き込むため油圧損失時にも自重/風圧で引き出すことが可能であり、更に胴体着陸を考慮し収納時でも主輪の一部が露出する半引き込み式となっているなど、徹底した生存性が追求されている。
A-10 には高い対戦車攻撃機能力が要求されたため、30mm 劣化ウラン徹甲/焼夷弾を 4000 発/分で発射する火力を持つ GAU-8 7 砲身 30mm ガトリング砲と 1000 発+の弾倉を搭載し、近代ジェット機としては異例に太く角ばった胴体となった。無骨極まりない外観から「ウォーホッグ(Warthog, イボイノシシ)」の渾名が付けられ、むしろ制式な愛称である「サンダーボルトII」とは滅多に呼ばれないと言われる。
1991 年にソビエト連邦の崩壊によって冷戦が終結すると大規模戦車戦の脅威も減り、A-10 は「時代遅れの役立たず」として退役が検討されたが、湾岸戦争において低空を長時間飛べる攻撃機の有用性が再評価されて米空軍にとどまった。低速での運動性が非常に優れており、整備性が良く可動率が高いことも A-10 の特長である。しかしその後、米空軍はステルス化と精密誘導兵器による先制ピンポイント攻撃に傾倒するようになり、このコンセプトに適合しない A-10 は惜しまれつつも徐々に退役が進んでいる。
ジェネラルエレクトリック TF34-GE-100 推力 4100Kg x 2、最高速度 675Km/h、航続距離 1300Km。武装 GAU-8 30mm ガトリング砲 x 1、各種ミサイル・爆弾・ロケット弾など最大 7200Kg。アイコンは湾岸戦争に参加した 23th TFW「フライングタイガース」所属機。ページのトップへ戻る
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ささき(2005/4/26更新)
フェアチャイルド A-10A サンダーボルトII(灰色迷彩)
ワルシャワ機甲軍団による地上侵攻の脅威に備えて開発された A-10 攻撃機は、配備当初は欧州戦域の森林地帯を想定した濃緑色の迷彩が施されていた。しかしソビエト連邦の崩壊によって欧州における対戦車戦闘の可能性が薄れたこと、また湾岸戦争やボスニア紛争などで A-10 が単なる「戦車キラー」ではなく近接支援・前線観測などの適合性を示したことなどにより、1994 年頃からより幅広い任務に適合する灰色ベースの二色迷彩へと切り替わっていった。アイコンはアリゾナ州ツーソンの 355FS 所属機。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2002/11/12更新)
F-117「ナイト・ホーク」
言わずと知れた「ステルス・ファイター」。
1970 年代から極秘に研究が進められてきたステルス技術に基づいた初の実用機として 1981 年に初飛行した機体。
対空戦能力は皆無に等しい事実上の戦術爆撃機だが、F 型番であることも、その数字がイレギュラーな 117 であることも情報撹乱を狙った意図的なものらしい。
エンジンはジェネラルエレクトリック F404 双発、最高速度 1100Km/h、武装 2000 ポンド誘導爆弾2発。生産機数は試作 5 機+量産 59 機、うち一機はエアショー中に尾翼がモゲて墜落、別の一機はコソボで撃墜されたので 2002 年現在の配備数は 57 機のはず。ページのトップへ戻る
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アイコン書く造(2006/4/17更新)
ボーイング B-47 ストラトジェット(Stratojet)
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アイコン書く造(2005/10/27更新)
マーチン XB-48
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人見 忍(2002/9/27更新)
B-58「Hustler」(ミッションポッド装備型)
高空高速侵攻を目的に開発されたマッハ2級の爆撃機。
もっとも、足の短さと仮想敵国の早期警戒網とSAMの発達が原因で早々に現役を退いている。
ちなみにポッドには核爆弾を搭載したMB-1、偵察機材を搭載したMC-1、電子偵察ポッドのMD-1、他3種類があった。(ただし、実用化されたのはMB-1のみ)ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/9/27更新)
B-58「Hustler」(ミッションポッド無し)
高空高速侵攻を目的に開発されたマッハ2級の爆撃機。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/9/22更新)
ノースロップ・グラマン B-2 Spirit
言わずと知れた、全身翼なステルス爆撃機。
革新的な装備だかなんだかで、凄いらしい。
幅52.43m 長21.03m 自重50,000kg 総重量180,000kg
最大速度M0.85 航続距離12,300km 爆弾沢山ページのトップへ戻る
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舞沙P(2003/1/27更新)
LockheedMartin X-35JSF
F-16, FA-18, AV-8 の三機種に相当する次世代戦闘爆撃機を空軍・海軍・海兵隊の三軍共通装備(のちに英海軍が加わる)とする構想が JSF(Joint Strike Fighter)プログラムで、1993 年よりボーイング X-32 案とロッキード X-35 案の間で競作が行われた。最大の問題は超音速の小型ステルス戦闘機に AV-8 ハリアーを置換し得る VTOL 性能を組み込むことだったが、X-35 はヤコブレフが Yak-141 用に開発したアフターバーナー付き 90 度偏向ノズルをパテント購入して採用、機首側の垂直推力発生にはクラッチ付き延長軸駆動のリフト・ファンを新規開発して搭載した。2001 年 10 月に JSF プログラムの勝者として選定され、F-35 の型番で各型あわせ約 3000 機が量産される予定になっている。
全長15.41m(C型15.5m) 全幅10m(C型13.12m) 全高4.07m 最大重量22,680kg 最高速度M1.5 航続距離3000kmページのトップへ戻る
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F15E (2008/05/24)
ロッキードマーチン FA-35B
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F15Eの (2008/05/24)
ロッキードマーチン FA-35A
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F15E (2008/05/24)
ロッキードマーチン F-22 ラプター
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F15E (2008/11/16)
F22
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F15E (2008/09/03)
YF-23 ブラック・ウィドウU
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Schump(2003/7/6更新)
ノースロップ「タシットブルー」試作ステルス偵察機(1982)
胴体側面にフェイズドアレイ方式の合成開口レーダーを埋め込むことで、ステルス性を有したまま電波偵察を行うことを目標に製作された機体。F-117では機体全体を平面構成にすることで実現していた電波反射方向の局限化を曲面を含む形状についても実現できる新世代ステルス設計用CADやステルス形状と飛行性能を両立できる飛行制御システムの実用実験も兼ねての開発であった。同一平面上においては軸線から左右10°方向と真横からしかレーダー探知できず、機体上面に設けられた吸排気口とV尾翼により、下方からの探知も困難となっている。
偵察機としては「電波を出しっぱなしのステルス機」という矛盾を解消できず、非ステルス機ながら敵防空圏の外からの画像取得が可能な大型合成開口レーダーを持つE-8ジョイントスターズ計画に取って代わられてしまった。しかし、B-2・YF-22/23以降の米国ステルス機設計に残した技術的資産は大きい。 ページのトップへ戻る
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F15E (2008/11/16)
BOEING X-32
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F15E (2008/09/03)
RQ-4 グローバルホーク
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人見 忍(2002/9/14更新)
ノースアメリカン XB-70 ヴァルキリー(Valkyrie) 2 号機
いかなる戦闘機よりも高速で高々度を飛び、あらゆる戦略目標を攻撃可能であることを目指し開発された超音速爆撃機。
しかし開発コストの高騰、地対空ミサイルの高性能化、ICBM 実用化の目処などによって試作 2 機でキャンセルされた。
試作 2 号機は先行量産型となる筈だった機体で 1965 年 7 月に初飛行したが、66 年 6 月に空中衝突事故を起こして失われた。
ジェネラルエレクトリック YJ93-GE-3(推力 14000Kg)x6、最高速度 3309Km/h(マッハ 3.1)、巡航速度 3219Km/h(マッハ 3.0)、航続距離 6900Km、核または通常爆弾最大 23t、乗員 2 名。ページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/9/14更新)
ノースアメリカン XB-70 ヴァルキリー(Valkyrie) 1 号機
1964 年 9 月に初飛行した機体で、空軍で XB-70 計画がキャンセルされた後は NASA に委譲され、69 年まで高々度高速実験機として使われたあと博物館に納められた。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/8更新)
Lockheed C-5 Galaxy
そこそこ大きい輸送機。でも最大離陸重量はどうやらB-747の方が重いらしい。まともに運用されている機体のなかでは最大。
競作で不採用に終わったBoeing機の方がB-747として商業で成功しているわけで、C-5の方はむしろ損。
幅67.88m 長75.54m 自重169,644kg 最大離陸重量379,657kg 最大速度490kt 航続距離5,526kmページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/9/22更新)
Boeing C-17 GlobemasterV
M1戦車等も搭載可能で、搭載システムが改善されている。
なんかもう凄いらしい。
幅51.75m 長53.04m 自重125,650kg 総重量265,350kg
最大速度M0.7 戦闘航続半径920km 搭載量沢山ページのトップへ戻る
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Schump(2003/10/15更新)
マクダネルダグラスKC-10エクステンダー(1980)
米軍の海外展開能力を飛躍的に高めることのできる空中給油輸送機として、1977年12月にボーイング747改造案を退けて開発が始められた機体。当初16機調達の予定であったが、最終的には1988年までに60機が生産された。機尾にFBW制御式フライングブームとホース&ドローグ式の給油装置を持つほか、主翼にホース&ドローグ式の給油ポッドが装備でき、米空軍機のみならず、海軍・海兵隊機、さらに他国軍機への作戦支援も行える。
進出距離にもよるが、KC-135の2.5〜4倍の給油能力を持つほか、構造面で88%の共通性を有する原型機DC-10-30Fと同等の輸送能力も併せ持つため、戦闘機2〜4機に空中給油しながら支援機材・地上要員ごと大西洋越えの展開をさせることさえ可能である。
米空軍では、最新の航法装置の追加等の改修を重ねながら、本機を2043年まで運用する予定。ページのトップへ戻る
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(2008/03/08更新)
Boeing VC-25A
大統領専用機エア・フォースワンとして有名だがVC-25は大統領が乗るときだけエア・フォースワン、副大統領が乗るときにはエア・フォースツー誰も乗らずただの移送のときは、サムとして飛行する。なお、VC-25は航空機動コマンド(AMC)第89輸送航空団プレジデンシャル・フライトが管理している。
1990年に2機のボーイング747-200を改造して導入された。移動時は、必ず1機が、バックアップとして同行する。機内に各種通信機器を持ち、執務室、会議室、随行員質などがある。 ページのトップへ戻る
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Schump(2004/2/26更新)
ベルOH-13スー(1945)
新興メーカーとして他に先んじる製品を欲していたベル社は、早くも1943年には独自技術によるタイプ30試作ヘリコプターを完成、その成果を活用して開発された実用機がベル47である。
ベル47は1946年3月に世界初の民間ヘリコプターとして型式証明を取得、同年12月には米陸軍がYR-13/H-13として導入を開始している。その後民間型の改良にあわせて軍用型も順次新型が導入され、米陸軍は朝鮮戦争からベトナム戦争の時期にかけて観測、偵察、連絡、救難、患者輸送、軽攻撃等に活用したほか、西側各国も標準的な軽ヘリコプターとして採用した。日本でも海上自衛隊が1995年まで使用している。
アイコンは、アメリカ陸軍のH-13H(民間型47G-2相当)。ページのトップへ戻る
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F15E (2008/10/10)
bell 222
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Schump(2006/03/13更新)
シコルスキーCH-37モハーヴェ(1953)
 米海兵隊の要求により開発された双発大型輸送ヘリコプター。ローター基部下から左右に伸びた短翼両端のポッドにR-2800エンジンと主脚を収納、さらに燃料タンクをこのポッドの後半と短翼取付部の前に配置することで、胴体内に長さ9.14mにわたる障害物のない搭載スペースを確保した。機首には車両の自走登載も可能な観音開き式のドア、胴体右側面にはホイストの装備も可能な大型ドア、床中央には容量4.5トンの吊下げポイントを持つ開口部を有するなど、積載重量だけでなく、多様な荷役作業への対応能力も重視した設計となっている。また、海兵隊型では主ローター及びテイルローター・パイロンが油圧折畳み式とされ、自動安定装置が標準装備となるなど、艤装面でも非常に先進的な機体であった。
 試験飛行段階からペイロード別高度記録や速度記録を樹立する高性能ぶりを示し、ベトナム戦争では兵員・物資の輸送や航空機の回収などに威力を発揮したものの、機構が複雑で整備性が悪く、高燃費なうえにエンジン重量が燃料搭載量を圧迫して航続力が不足するなどしたため、生産数は海兵隊型55機と陸軍型94機にとどまり、1960年代後半にCH-54やCH-47といったタービン動力の大型ヘリコプターが充足すると姿を消していった。 ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/2/12更新)
CH-54 スカイクレーン
ペイロード9t(改修後のCH-54Bはペイロード12.5t)。
ベトナム戦争では多数の墜落機を回収した。
現在でも民間型が木材運搬や消防用に運用されている。ページのトップへ戻る
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ささき(2004/11/14更新)
ヒューズ OH-6A カイユース(Cayuse)
1961 年に発注された米陸軍の小型偵察ヘリコプター(LOH)要求仕様に基づき、Model369 として開発された機体。独特な卵型の胴体形状は低い空気抵抗と優れた視界、高い対衝撃性能を実現しているという。軽快で操縦性に優れる OH-6 は折からのベトナム戦争に投入され「Loach(ドジョウ)」「Little Bird(小鳥)」などの渾名で乗員から親しまれたが、小柄すぎる機体による運用上の問題も顕在化し後継機 OH-58 の開発を促すことになった。
OH-6A は 1434 機が米陸軍に納入された他、改良型を含め世界 23 ヶ国以上で採用されている。アリソン T63A-5A 317shp x 1、最高速度 240Km/h、航続距離 500Km。武装 7.62mm ガンポッドまたは 7 連装 2.75in ロケット弾ポッド x 2、乗員 2 名+乗客 3 名。ページのトップへ戻る
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Schump(2004/11/14更新)
OH-58D OA
特殊作戦用機として、OH-58Dに限定的ながらステルス性を付加した機体。ローターヘッド周りに電波吸収性能のあるカバーをかけ、機首には電波吸収材を詰めたカバーを追加しているのが外見的特長。ステルス性保持のため、武装しての運用は考えられていない。
18機が製造され、すべて第82空挺師団に配備されたといわれている。ページのトップへ戻る
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Schump(2004/11/14更新)
ベルOH-58Dカイオワ・ウォーリア(1983)
1969年の導入開始以来、エンジン・航法システムの強化やスティンガー運用能力の付加等で性能向上を図ってきたOH-58系観測ヘリコプターに、マスト・マウンテッド・サイトとレーザー照射装置を中心とする索敵・目標指示能力を追加し、メインローターを4翅化して機動性を向上させることで、AH-64や精密誘導兵器との連携を可能にした機体。1988年3月引渡し分からは、ヘルファイア対戦車ミサイル、ロケット弾ポッド、ガンポッド等の搭載が可能な武装型となっており、その後も赤外線ジャマーの追加、エンジン強化、衝撃吸収座席への換装等、順次改良が加えられている。機器の追加に伴う乗員の負担増大や重量増加による操縦性・オートローテーション能力の低下といった問題を抱えてはいるが、後継機となるべきRAH-66が計画中止となったため、2020年頃まで現役にとどまるといわれている。生産数は初期のOH-58A改造機125機を含めて373機。
アイコンは、2000年4月ごろ、ボスニア=ヘルツェゴヴィナに展開していた機体。ページのトップへ戻る
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Schump(2006/03/13更新)
マクドネルダグラスAH-64アパッチ(1977)
 1972年の米陸軍要求仕様に対する各社案から選ばれたヒューズ案により開発された、世界初、かつ21世紀初頭にしてなお最強の座を誇る生粋の攻撃ヘリコプター。当初から対機甲部隊戦を主目的とした重武装、殊にヘルファイア対戦車ミサイルの運用能力と全天候能力とを主眼として開発されたため、兵装搭載量の多さと多様さばかりでなく、全天候下での精密攻撃を可能とするTADS/PNVS(目標補足・指示照準/操縦手暗視センサー)を中心とした高度な探知・情報処理能力を最大の特長とする。また、数を頼むワルシャワ条約機構軍との戦闘を見据えた生存性にも重点が置かれ、探知されにくするためのs低騒音型テイルローター・大型排気冷却装置、23mm機関砲の直撃を受けても30分間の飛行が可能なローター・駆動系統、片方への被弾損傷が他方に波及しないよう胴体左右に分散されたエンジン、墜落時に壊れることで操縦席への衝撃の伝播を防ぐ機首 30mm 機銃・電子装置装着部構造などを備える。
 被弾時に容易に制御を失うテイルローター系統、額面どおりの性能と安定性とを発揮していないといわれる機首光学センサー群、整備性の悪さなどが指摘されてはいるものの、事実上同級機にライバルが存在せず、湾岸戦争での活躍もあったことから、1990年代以降は大きくセールスを伸ばしており、米陸軍のほか、英国、ギリシャ、サウジアラビア、UAE、イスラエル等に採用されている。 ページのトップへ戻る
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F15E (2008/07/30)
AH-64Dアパッチ・ロングボウ
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F15E (2008/07/30)
AH-64 アパッチ
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F15E (2008/07/30)
UH-1D
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F15E (2008/07/30)
UH-1
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F15E (2008/07/30)
AH-1W スーパーコブラ
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F15E (2008/07/30)
AH-1Fコブラ
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F15E (2008/09/03)
UH60ブラックホーク
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Schump(2004/11/14更新)
ボーイング/シコルスキーRAH-66コマンチ(1996)
米陸軍LHX計画に基づく攻撃・観測ヘリコプター(1981年の当初案ではUH-1後継の軽輸送任務も含んでいた)として、1991年に試作が開始された機体。切子面構成・格納式機関砲・密閉式兵器倉によるRCS低減、低騒音型のメインローター及びダクテッドテイルローター、内部を丸ごとエンジン排気の消音・冷却装置としたテイルブーム等により、ヘリコプターとしては世界初の全面的ステルス設計となっている。また、可視・赤外線画像センサー、レーザー測距・照準装置、ロングボウ・レーダー(オプション)等からなる索敵・目標指示システムを備え、自らもヘルファイア、スティンガー等を運用可能な攻撃力を有する。飛行性能面でも巡航速度298km/h、横進速度130km/h超、最大旋回率100°/秒等の高レベルを誇る。
しかし、高性能ゆえに単価は約1億2000万ドルにも達し、対テロ戦では正規軍相手のようなステルス性も不要なことから、米陸軍はAH-64Dのセンサー・データリンク強化やUH-60改・UAV・簡易偵察ヘリの調達の方が効果が高いとして、2004年2月に開発中止を決定した。ページのトップへ戻る
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Schump(2006/11/27更新)
ユーロコプターUH-72
 救難、防災、国境監視、患者輸送等に用いられる米陸軍のUH-1後継機(LUH)の選定に参加、ベル412、AW139及びMD902を破って2006年6月に採用が決まった機体。ユーロコプターEC145(川崎BK117C-2相当)をベースとしており、後方任務用ながら全天候航法能力を備える。総計322機はユーロコプター・アメリカ社で生産されることになっており、運用支援担当にはボーイング、システム統合担当にはウエストウインド社をパートナーとする「バイ・アメリカン」の調達計画となっている。
 アイコンは、社有デモ機。量産機では、ワイヤカッター、赤外線ジャマー、各種通信アンテナの追加などの外見的変化があると思われる。ページのトップへ戻る
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F15E (2008/11/16)
AH-56シャイアン
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sky 2011/6/9
X-1E
コレは、米空軍の試作機「X-1E」です。 X-1Eは、XS-1をもとに開発されました。NASAのラストフライトモデルでした。 ページのトップへ戻る
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ささき(2002/12/2更新)
ヒューズ F-98 ファルコン(Falcon)
米空軍史上最小の「戦闘機」。親機(主に F-102)から発進し、目標を自動的に追尾し体当たり攻撃をかける無人戦闘機である。…というより、空対空ミサイルそのものである。実際「F-98」の型番はすぐ廃止され GAR と改称(GAR-1, 2, 3, 4, 11 がある)、更にのちには AIM-4 と改称された。全長 1.98m、航続距離(と言うのか?) 8Km、武装は通常または核弾頭(GAR-11)。生産機数約 12000 機(「発」と言ったほうが正しいだろうが)。ページのトップへ戻る
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ささき(2002/12/2更新)
ボーイング F-99 ボマーク(Bomarc)
無人戦闘機シリーズ第二弾。普段は地上のコンテナに格納され、必要に応じて発射台に引き出され主翼を展開、胴体内蔵ロケット(A 型は液体、B 型は固体燃料)で垂直離陸したあと胴体下部にポッド装備された2基のラムジェット・エンジンで高度約 24000m を巡航、地上局からの指示に従って目標迎撃コースを飛び、最終的に目標を自己のレーダーで捕捉、急降下し体当たりをかける無人戦闘機である。…というより、地対空ミサイルそのものである。例によって IM-99 と改称されたあと CIM-10 に名を変えた。愛称のボマークとは開発元 Boeing とミシガン航空研究所(MARC)をくっつけた造語である。1960 年から国防任務に配備されたが、地対空ミサイル技術の進展は目覚しく瞬く間に旧式化して 1972 年に退役、一部は標的機 CQM-10A に改造された。全長 13.8m、航続距離約 700Km(B 型)、最高速度約マッハ 3、武装は近接信管付きの通常または核弾頭、生産機数約 700 機。ページのトップへ戻る
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Schump(2004/7/4更新)
ライアンX-13ヴァーティジェット(1955)
1947年4月に海軍が発注した技術研究計画から開発が始まったテイルシッター式の VTOL実験機。主に潜水艦から発進する戦闘機へと発展する構想であったが、朝鮮戦争終結後の海軍の予算縮小により、空軍の前線防空戦闘機を目指した計画へと移行した。ホバリング実験装置による試験を経て完成した機体は全備重量わずか3.3トンの超小型デルタ翼機で、2軸式の推力変向ノズルと両翼端の圧縮空気ノズルとでVTOL時の姿勢制御を行う。射出座席をVTOL時の視界確保のために45度前傾させるため、機体に比べて非常に大きなキャノピーを持つ。離着陸は専用の台車から行い、機首のフックを発射台上のワイヤに引っ掛けて機体を固定する。主脚に見えるのは発射台面に接触するときのためのダンパー。
固定式車輪を付けての飛行テストは1955年12月から開始され、1957年4月11日にはジェット機として世界で始めて垂直離陸〜水平飛行〜垂直着陸の完全VTOL飛行に成功した。しかし、通常離着陸機の速度・航続性能が向上して「前線からの緊急発進」を追求する必要がなくなったことと、エンジン推力未満の重量では兵装や燃料等裁量に著しく制限を受けることから1958年には計画中止となってしまった。
アイコンは、初の完全VTOL飛行に成功した2号機。ページのトップへ戻る
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Schump(2004/7/4更新)
X-13ヴァーティジェット(台車固定状態)
発射台は油圧シリンダーにより水平から垂直まで可動するようになっており、乗降は水平姿勢で行う。発射台頂部には着陸誘導員用のバケットも備えられている。フック引掛アームから伸びているのは着陸時の姿勢参照用バー。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/28更新)
MartinMarietta X-24A
リフティングボディ機のテストベッドとして開発された。
全幅4.16m 全長7.47m 全高3.15m 自重2,858kg 全備重量5,194kg 最大速度マッハ1.6 最高高度21,765mページのトップへ戻る
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人見 忍(2002/9/14更新)
ベル X-14
1957 年に作られた VTOL 実験機。
ジェットエンジンの推力偏向(スラスト・ベクター)による浮上と圧搾空気噴出による姿勢制御(オーギュメント・コントロール)の実証実験モデルで、ビーチクラフト T-34 練習機やボナンザ軽飛行機などの部品を継ぎ合わせて作られており、固定脚・開放座席などいかにも急造機という雰囲気を持っている。
X シリーズには珍しく長寿で VTOL の操縦実習や基礎データ提供に貢献したが、1981 年に着陸事故で半壊し現役を引退、機体は修理されアラバマの空軍博物館に納められた。
ジェネラルエレクトリック J-85-GE-19(推力 1368Kg)x2、最高速度 277Km/h、生産数 1。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/28更新)
MartinMarietta X-24B
X-24Aに空軍航空力学研究所のデザインにより改造を受けた。
全幅5.84m 全長11.43m 自重3,538kg 全備重量6,260kg 最大速度マッハ1.76 最高高度22,595mページのトップへ戻る
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舞沙P(2003/3/14更新)
ノースロップ・グラマン X-29A
1982 年に作られた前進翼実験機で、コンポジット素材の主翼とカナードは新造品、胴体は中古の F-5E を大改造し F404 単発に変更したもの(ただし F-20 とは異なるようだ)。
未来的なフォルムは当時の飛行機ファンに鮮烈な印象を与え、アニメや特撮に出てくる「未来の戦闘機」が悉く前進翼になってしまう現象さえ巻き起こしたが、X-29 自身はあくまで技術実証機であり実用性は殆ど持ち合わせていない。
1984 年から約 10 年間にわたって貴重なデータを収集したが、前進翼にはデメリットも多く実用機への採用は見送られた。
ジェネラルエレクトリック F404-GE-400(推力 7258Kg)、最高速度 1930Km/h(マッハ 1.6)、航続距離 740Km、生産数 2。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/28更新)
NorthAmerican X-10
核弾頭搭載の超音速巡航ミサイルSM-64ナバホのテストベッドとして、戦後ドイツから捕獲した誘導技術を取り入れ開発した。
製造されたうち3基は地対空ミサイルのターゲットにされた。
全幅8.58m 全長20.16m 全高4.5m 自重11,700kg 全備重量19,050kg 最大速度マッハ2.05 有効射程距離1,370kmページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
AGM-88 HARM
ワイルド・ウィーゼル任務で使用される対レーダーミサイルで、HARM とは Highspeed Anri Rader Missle の略。ページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
AIM-7 スパロー(Sparrow)
母機からの誘導反射波を使って誘導するセミアクティブ・ホーミング型の空対空ミサイル。ページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
AIM-120 アムラーム(AMRAAM)
ミサイル自身が電波発信能力を持つアクティブ・ホーミング型の空対空ミサイルで、母機からの照射誘導が必要だった前作スパローに対し「撃ちっ放し」(Fire and Forget)が可能となった。AMRAAM とは Advanced Mideum Range Air to Air Missle の略である。ページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
AIM-9 サイドワインダー(Sidewinder)
赤外線ホーミング型空対空ミサイルの古典的ベストセラーである。ページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
AIM-9X サイドワインダー(Sidewinder)
サイドワインダーの近代改修型。ページのトップへ戻る
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(2008/6/21更新)
GBM-28 バンカーバスター(Bunker Buster)
強固な建造物や地下構造を破壊するために開発された浸徹型の大型爆弾。ページのトップへ戻る
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F15E (2008/11/16)
RBM-109トマホーク
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F15E (2008/09/03)
タイタンT
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F15E (2008/09/03)
タイタンU
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暴ing 2012/10/28
MQ-1プレデター
アメリカのMQ-1プレデターです。 アメリカ空軍では中高度長時間滞空 (MALE)無人機システムに分類されています。 主な任務は偵察やヘルファイアミサイルによる対地攻撃で、1995年の配備以降ボスニア(セルビア)、アフガニスタン、パキスタン、イラク、およびイエメンで作戦に参加しています。 プレデターは見通し線外で飛行する際にはC-バンド見通し線データリンクやKu-バンド衛星データリンクを通してパイロットと2人のセンサー員が乗った地上誘導ステーションから制御されます。 機首にはカラーTVカメラ、赤外線カメラ、 レーザー指示器などで構成されるマルチ-スペクトラル ターゲティングシステム(MTS)が装備されています。レーザー指示器は他の航空機が使用するレーザー誘導爆弾の誘導やMQ-1が運用するAGM-114の誘導に使用されます。また以前は合成開口レーダーを搭載していたが、現在は軽量化のため搭載されていません。 スペック 操縦員(遠隔操作): 2名(パイロット1名、センサー員1名) エンジン: ロータックス914F 4気筒エンジン×1、115hp(86kW) 全長: 27 ft(8.22 m) 翼幅: 48.7 ft(14.8 m) 翼面積: 123.3 sq ft(11.5 m2) 空虚重量: 1,130 lb(512 kg) 最大離陸重量: 2,250 lb(1,020 kg) 機体の性能 最高速度: 135 mph (117 knots, 217 km/h) 巡航速度: 81?103 mph (70?90 knots, 130?165 km/h) 失速速度: 62 mph (54 knots, 100 km/h) 航続距離: 3,704 km (2,000 nm) 実用上昇限度: 25,000 ft(7,620 m) 武装 AGM-114ヘルファイア×2 AIM-92 スティンガー×2 (搭載可能な機数は不明) ページのトップへ戻る
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暴ing 2012/10/18
AC-130U スプーキーTT
AC-130U スプーキーTTです。AC-130はガンシップ・プロジェクトUに基づいて、C-130輸送機に重火器を搭載できるように改造した対地専用攻撃機です。その強力な武装から「空飛ぶトーチカ」や「空飛ぶ砲兵」やあまりにも火力が高いことから「地獄への使者」などと呼ばれます。 AC-130は敵の地上部隊やその支援部隊に対して、空から強力な精密攻撃を行うことを目的とし、味方の地上部隊から支援要請を受け、攻撃をするための通信機器、敵の正確な位置を把握するための赤外線センサーやレーザーレンジファインダー、そしてそれらの情報をもとに攻撃を行うための火器管制コンピューターを搭載しています。現在では本機は唯一、現役のガンシップであり、空軍特殊作戦コマンドで運用され、ベトナム戦争から数多くの戦争に投入されています。 スペック 全長:29.8m 全高:11.7m 翼幅:40.4m 翼面積:162.2 m2(1745.5 ft2) 積載重量:55,520 kg (122,400 lb) 最大離陸重量:69,750 kg (155,000 lb) エンジン:アリソン T56-A-15ターボプロップエンジン 4,910 shp (3,700 kW)× 4基 最高速度:480 km/h (260ノット) 航続距離:4070km 上昇限度:9,100 m (30,000 ft) 乗員:13名 士官5名 (機長,副操縦士,航法士,火器管制官,電子戦担当官) 下士官8名 (航空機関士,TVオペレーター,赤外線検出担当士,ロードマスター,砲手4名) 武装 GAU-12イコライザー 25mmガトリング砲 ボフォース L60 40mm機関砲 M102 105mm榴弾砲 ページのトップへ戻る
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暴ing 2012/10/18
ロッキードC-130ハーキュリーズ輸送機
ロッキードC-130ハーキュリーズ輸送機です。C-130は戦術輸送機のベストセラーでアメリカを中心とした西側諸国などの約70カ国で使われ、1954年に初飛行してから現在まで使用され、改良型が今でも生産され続けています。 本機は高い短距離離着陸を持ち、補助ロケットを使うことでさらに短い距離で離陸でき、その輸送力と運行性能から世界最高の輸送機と呼ばれています。 1963年から空母フォレスタルで、カタパルトとアレスティング・ワイヤーなどを用いることもなく、発着艦をやってのけ、多くの艦上機が不可能なことを空母での運用を想定されていない本機ができたことは本機の性能の高さを物語ります。 このC-130の立場を決定的に脅かすような競合機が未だに登場せず、アメリカ空軍のC-130の後継機開発計画も頓挫し、しばらくは地位が揺らぐことはなさそうです。 スペック(C-130H) 乗員:6名 全長:29.79m 全幅:40.41m 全高:11.66m 主翼面積:162.1m2 滑走距離:約1500m 最大離陸重量:70.305t 燃料容量:36,416L(機内+主翼下増槽) 動力:アリソン・エンジン社製T56-A-15 ターボプロップ ×4基 出力:4,910ehp(3,423kW)×4 最大積載量:20t 貨物室:1,200x313x281cm 最大速度:335knots(約620km/h) 巡航速度:550km/h 航続距離:搭載量20tの場合 約4,000km (9tの場合 8,200km) 実用上昇限度:8,000m 武装:なし ページのトップへ戻る
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暴ing 2012/9/30
ロックウェルB-1Bランサー爆撃機
アメリカのロックウェルB-1Bランサー爆撃機です。B-1は超低空飛行によって敵地奥深くまで侵攻し、核攻撃を行う必要があるとの戦略思想に基づき1970年より開発が開始されました。さらにソ連の先制核攻撃によって滑走路が一部破壊されても残った滑走路で離陸できるように短距離離着陸性能も要求され、これらを満たすために可変後退翼が採用されました。B-1Aは1974年に初飛行しましたが1977年、カーター政権下の軍縮によって開発が中止されました。しかし1981年にレーガン政権の「強いアメリカ」政策により開発が再スタートしましたが既にICBMが大量配備され、爆撃機による核攻撃は既に現実的ではなく、搭乗員室ごとの分離脱出システムの廃止や、エアインテークを可変式から固定式に変えるなど、仕様が変更されたB-1Bとして生産が開始され104機が生産されました。現在では戦略爆撃よりも緊急近接航空支援を主任務としています。 スペック 乗員: 4名 全長: 44.81m 全幅: 41.67m (可変翼最大展開時)/23.84m(最後退時) 全高: 10.36m 翼面積: 181.16m2 全備重量:216.365t 空虚重量:86t エンジン:GE F101-GE-102 ターボファン 4基(推力13,962kg) 性能 最大離陸重量:217t 爆弾搭載量:34.02t(機内)/26.76t(機外) 最高速度:マッハ1.25 航続距離:11,978 km 武装 搭載量 爆弾など最大34.019t 爆弾 Mk-82AIR膨張遅延性 無誘導爆弾 × 84 Mk-82円錐 無誘導爆弾 × 84 Mk-62 無誘導爆弾 × 84 Mk-65 無誘導爆弾 × 8 CBU-87/89/97 クラスター爆弾ユニット (CBU) × 30 CBU-103/104/105 風力安定クラスター爆弾 × 30 GBU-31 JDAM GPS誘導爆弾 (Mk-84汎用型とBLU-109の組み合わせ) × 24 GBU-38 JDAM GPS誘導爆弾 (Mk-82汎用型) × 17 Mk-84 汎用爆弾 × 24 GBU-39 小型誘導爆弾 (6弾頭パックなら96 ×、4弾頭パックなら144 ×) B61 自由落下核爆弾 × 16 ミサイル AGM-158 JASSM × 24 AGM-154 JSOW × 12 ページのトップへ戻る
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暴ing 2012/9/30
B-52H爆撃機
アメリカのB-52H爆撃機です。B-52Hと他のB-52との大きな違いは後部防御機銃が20mmバルカン砲(後に撤去)となったこととエンジンをP&W J57ターボジェットからP&W TF33ターボファンとなったことと、尾翼の形状が変更されたことです。H型の最終号機は1962年にロールアウトされ、それから半世紀以上も配備が続いています。これほど長寿な航空機は極めて異例と言われます。B-1やB-2などの爆撃機が登場してもコストや能力の関係でB-52を置き換える存在にはならず、さらにF-15などのマルチロール機でもB-29をも上回る搭載量を持つようになり、新規に大型戦略爆撃機を開発していく必要性も薄れ、未だに旧型機であるB-52が運用され続けています。 現在では最終生産型であるこのH型71機が使用されていますが今後も延命措置などで2045年、下手をすればそれ以降も使われ続けると言われています。 スペック ・乗員:5名(機長、副操縦士、レーダーナビゲーター、航法士、EWO) ・全長:48.5m ・全幅:56.4m ・全高:12.4m ・翼面積:371.6m2 ・エンジン:P&W社製 TF33-P-3 ターボファン ×8基 ・推力:17,000lbf(約7,711kgf)x8 ・空虚重量:83.25t ・最大離陸重量:219.6t ・最大ペイロード:31.5t ・機体内燃料搭載量:174,130リットル ・最大速度:650mph(約1,000km/h 、マッハ0.86) ・離陸距離:2,900m ・航続距離:約16,000km ・実用上昇限度:16,765m ・上昇率: 915m/min(海面上) ・固定武装:M61 20mm ガトリング砲×1門(尾部)※在では撤去されている。 ・搭載兵器 AGM-69A空対地ミサイル又はAGM-86B巡航ミサイルを20基。 Mk 82通常爆弾を胴体内に27発。翼下には18発搭載可能。 ページのトップへ戻る
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暴ing 2012/9/30
B-52H爆撃機
B-52Hで後部の20mmバルカン砲が撤去された現行モデルです。 ページのトップへ戻る