米海軍機アイコン1

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ささき(2003/1/27更新)
カーチス F6C-3
カーチスが陸軍向けに開発した P-1「ホーク」を海軍向けに改修した機体が F6C である。F6C-3 はカーチス V-1150 液冷 12 気筒 435hp を搭載した初期生産型で、35 機が量産された。最高速度 248Km/h、航続距離 565Km、武装 7.62mm 機銃 x 2。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
グラマン FF-1 Fifi
米海軍初の引込脚戦闘機。ボーイング F4B-1 を引込脚式に改造できるかどうか軍から尋ねられたグラマン社が、独自の艦上複座引込脚戦闘機を提案し、開発されたものがこれである。当時最新の密閉式コクピットを採用している。ライト R-1820-78 750hp を装備。初飛行 1931 年。最高速度 323km/h。索敵型の SF-1 も作られた。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
グラマン F2F-1
FF を小型化した単座艦戦。ずんぐりむっくりで、「飛ぶ樽」とも呼ばれた。P&W R-1535-72 650hp 装備で最高速度 372km/h。初飛行 1933 年。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
グラマン F3F-2
F2F の発展型。米海軍最後の複葉艦上戦闘機である。海兵隊でも使用された。初飛行 1935 年。F3F-2 はライト R-1820-22 850hp を装備。最高速度 410km/h。ページのトップへ戻る
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J1N1-Sa(2003/5/17更新)
ブリュースターF2A バッファロー (Brewstar F2A Buffalo)
1935年の米海軍の艦上戦闘機の要求に対する新興ブリュースター社の提案。老舗グラマンが旧態依然な複葉機などを提案しているのを尻目に最新型の全金属単葉機で受注を掻っ攫うも、グラマン社の巻き返しに遭いF4Fに主力艦上戦闘機の座を追われる。その後は海兵隊等で使用されたほかフィンランド、英国、オランダ領東インドなどに輸出され、太平洋戦線でも日本陸海軍機と交戦している。アイコンは主機をライトR-1820-40(1,200HP)に換装して機首がちょっとだけ長くなったF2A-2。
最高速度:515km/h、航続距離:1,550km、武装:12.7mm×4ページのトップへ戻る
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ささき(2005/9/07更新)
ベル XFL-1 エアラボニタ(Airabonita)
1938 年、次世代高速艦戦を求める米海軍の要望に応え社内呼称 Model5 として開発された機体。基本設計は P-39 に基づいているが着陸装置は尾輪式に変更され、胴体は僅かに細く・短くなって背の高いキャノピーを装備、翼幅を 30cm 延長して主翼面積が拡大され、主翼下面に素通し式のラジエター/オイルクーラーを装備するなど相違点は多く、基本的には「よく似ている別の機体」である。
試作機は 1940 年 5 月に完成したが自重は予定値を 400Kg も上回っており、また前脚撤去・武装変更による重心後退対策の設計見積もりが甘く、機首に 150Kg ものバラストを積まなければ致命的安定性不良を起こすという有様で、はっきり言って欠陥機の失敗作であり試作一機にとどまった。
アリソン V-1710-6 液冷 12 気筒 1150hp x 1、最高速度 547Km/h、航続距離 1725Km、武装 12.7mm 機銃 x 1 + 7.62mm 機銃 x 2。 ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/1/6更新)
F4F-3 ワイルドキャット
F4F-3 は二段過給器つき P&W R-1830-76 1200hp を搭載した初期生産型で、主翼の折り畳み機構は装備されていない。エンジンを R-1830-90 に換装した F4F-3A、写真偵察型の F4F-3P、フロートを付けた水上型 F4F-3S(試作1機のみ) などの派生型がある。武装 12.7mm 機銃 x 4、最高速度 531Km/h、航続距離 1400Km、生産機数 285 機(うち -3A が 95 機)。なお -3A のうち 30 機はマートレット Mk.Vの名で英国に送られた。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
グラマン F4F-4 ワイルドキャット
主翼を折り畳み式にし、機銃を6挺に増やす等したグラマン社の後期量産型F4F。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
ジェネラルモーターズ FM-2 ワイルドキャット
ワイルドキャット最多にして最終生産型。ジェネラルモーターズ社のイースタン航空機部門で製造された。大戦後半、護衛空母に搭載されて活躍。
エンジンは一段二速過給器を持つライト R-1820-56 空冷 9 気筒 1350hp に換装されており、背の高い垂直尾翼を装備していることが外見上の特徴ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/9/19更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/9/19更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1A
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/9/25更新)
チャンス・ボ−ト F4U-1D
御馴染みの逆ガル翼の艦上戦闘機ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/10/13更新)
チャンス・ボ−ト XF4U-3B
F4U-1Aを改造して試作された試作高高度戦闘機で下部の顎に排気タ−ビンが入っている。ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/10/13更新)
チャンス・ボ−ト XF4U-4
XF4U-4二重反転プロペラ装備型はF4U-4の試作型にエアロプロダクツ製六枚二重反転プロペラを取り付けた試作型で1945年6月6日〜8月22日までテストが行なわれた結果、二重反転プロペラに拠る震動の問題の他、性能そのものも通常型コルセアに劣ると言う散々な結果であったと言われている。ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/9/25更新)
チャンス・ボ−ト F4U-4
機首が若干延長され、エンジンカウル/カウルフラップの若干の形状変更、排気管位置の変更 等が実施されている。ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/9/29更新)
チャンス・ボ−ト F4U-5
コルセア シリ−ズの中では一番全長が長い(10.52m)ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/10/13更新)
グッドイヤ− XF2G-1
日本機の攻撃(カミカゼ攻撃 等)から艦隊を防衛すると言うコンセプトの元にグッドイヤ−社で試作された低空専用迎撃機。ページのトップへ戻る
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和来名春(2002/10/13更新)
グッドイヤ− F2G-2
XF2G-1の方向安定性対策の為に垂直尾翼を30.5cm延長 等の改修を施した型。ちなみに、このF2G-2は5機生産されたのみである。ページのトップへ戻る
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Schump(2003/8/16更新)
グラマンXF5F試作戦闘機 (1940)
軍港や艦隊に対する長距離爆撃を迎え撃つための大上昇力・重武装の防空戦闘機として、主力戦闘機たるXF4U、XF6Fと平行して開発された双発単座艦上戦闘機。R-2600、R-2800両エンジンの開発失敗・遅延に対する保険の意味もあって1200馬力級R-1820の双発とされた。しかし、R-2800が搭載機ともども順調に完成したうえ、本機自身が重量超過、防漏化できないインテグラルタンク一体の主翼構造、搭載予定のデンマーク製マドセン23mm機関砲の入手不能などの問題を抱えてしまったため、開発は中止された。
しかし、機首集中武装、エンジンに邪魔されない前下方視界、全力飛行時の直進安定性の高さといった点は評価され、陸軍型XP-50を経て、そのコンセプトはF7Fタイガーキャットに結実する。
アイコンは初期飛行試験における状態で、フィレットのない主翼と集合排気管が特徴。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/1/22更新)
グラマン F6F ヘルキャット(Hellcat)
米海軍期待の新鋭艦戦ボート F4U が初飛行から一年以上もトラブル続きで実用化が遅れたため、中継ぎとして 1941 年 6 月に発注された機体。グラマンは堅実極まりない設計でこれに応え、早くも一年後には試作機の初飛行に漕ぎつけ 42 年暮れには量産型 F6F-3 の生産を開始、44 年までに 4402 機を量産。各部を強化しエンジンをパワーアップした F6F-5 は 44 年 4 月から終戦までに 7868 機が生産され、米海軍空母戦闘機隊の屋台骨として大活躍した。F6F は極めて頑丈で火力と防御力に優れるうえ、31m² という大きな主翼により米軍戦闘機としては飛び抜けて旋回性能に優れており、低速巴戦に引き込まれない限り零戦との挌闘戦でも引けを取らなかったという。F6F-3 の仕様は P&W R-2800-10 空冷星型 18 気筒 2000hp、最高速度 597Km/h、航続距離 2400Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾最大 1t。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/10/14更新)
グラマン F7F タイガーキャット(Tigercat)
大火力・高上昇力を持つ艦隊防衛戦闘機として 1941 年 6 月に発注された機体で、形状こそ大きく異なるが試作に終わった F5F スカイロケットのアイデアを踏襲したものである。試作機は 43 年 12 月に初飛行したが、海軍は既存の F6F や TBF の量産を優先事項としたため量産機の引き渡しは 45 年春にずれ込み、実戦を経験する前に終戦となり生産数は 361 機にとどまった。第二次大戦では実戦を経験せずじまいだったが、朝鮮戦争では夜戦型の F7F-3N および偵察型の F7F-3P がある程度の活躍を見せている。F7F-3 の仕様は P&W R-2800-34W 空冷星型 18 気筒 2100hp x 2、最高速度 700Km/h、航続距離 1931Km、武装 20mm 機銃 x 4 + 12.7mm 機銃 x 4、爆弾最大 1t または魚雷 x 1。ページのトップへ戻る
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アンサラー(2002/9/5更新)
グラマン F8F-1 ベアキャット(Bearcat)
Fw190 や零戦など敵国機の研究成果を取り入れて開発された機体で、護衛空母からも作戦可能な小型軽量で高性能な戦闘機を得ることを目的としていた。1943 年 11 月に発注、初飛行は 44 年 8 月。45 年 5 月から実戦配備されたが、戦闘を経験することなく終戦を迎えた。戦後余剰となった機体はフランスに供与され仏印紛争で対地攻撃に投入されたが、爆弾搭載量が少なく被弾に弱いなどあまり評判は芳しくなかったという。F8F-2 の仕様は P&W R-2800-34W 2100hp、最高速度 719Km/h、航続距離 1778Km、武装 20mm 機銃 x 4。総生産数 1266 機。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/9/13更新)
ボーイング XF8B
機動部隊の攻撃力を飛躍的に向上させる重武装の長距離戦闘爆撃機として 1941 年 6 月に発注された機体。当時最強のレシプロエンジン R-4360 を搭載した大型(レシプロ単発単座戦闘機としては世界最大)の単発機で、爆弾 3t または魚雷 2 本という凄まじい量の攻撃兵装を搭載し 1600Km 以上の行動半径が要求されていた。しかしボーイングは B-29 の開発生産に注力したため XF8B の開発は遅れ、試作機は 44 年 11 月に初飛行したが既に戦争の先行きは見えており試作 3 機でキャンセルされた。P&W R-4360-10 空冷星型 28 気筒 3000hp、最高速度 695Km/h、航続距離最大 4473Km、武装 12.7mm 機銃 x 6 + 爆弾 3t または魚雷 2 本。ページのトップへ戻る
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天凛 2011/10/27
ダグラスTBDデヴァステイター
アメリカ軍初期の艦上雷撃機ですが生産機数僅か129機 ミッドウェーで大量に撃墜され部隊再建に 後継機のアヴェンジャーが配備されたため1942年中旬 から第一線を引き始め1944年には全機退役しました このアイコンは1941年時の国籍マークです 全長:10.67m 全幅(翼長、翼幅):15.24m 全高:4.6m 空虚重量:2,804kg 満載重量:4,473 kg 最大離陸重量:4,623 kg 出力:900馬力 巡航速度:時速205km 最高速度:時速331km 航続距離:700km(Mk.VIII魚雷搭載時) 武器:7.62mm機銃×2、453kg爆弾/Mk.VIII魚雷(544kg) 乗員:3名 ページのトップへ戻る
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たく(2004/4/1更新)
ダグラス SBD-5 ドーントレス(Dauntless)
1939 年に「偵察爆撃機(Scout Bomber)として開発された艦上急降下爆撃機。基礎設計をノースロップ BT-1 練習機に倣っており、同じ祖先を持つ AT-6 テキサンによく似た機体レイアウトを持つ。性能的には凡庸で速度は固定脚のライバル 99 艦爆と大差なく、また構造上主翼折りたたみができないという艦載機として致命的な問題を抱えていたが、後継機のカーチス SB2C ヘルダイバーが欠陥機寸前の問題作だったため、1944 年 7 月まで生産が続けられていた。
カタログ性能では凡庸な本機だが、頑丈で飛ばしやすく爆撃精度の高いことでは定評があり、1942 年 6 月のミッドウェイ海戦で日本空母四隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を撃沈したことで名機の誉れ高く、SBD をもじって「Slow But Deadly」の渾名が付けられた。
SBD-5 は 1942 年から登場したモデルで、全生産数のうち約半分(5936 機中 2409 機)を占める主力生産型。ライト R-1820-60 空冷星型 9 気筒 1200hp、最高速度 406Km/h、航続距離 2085Km、武装 12.7mm 固定銃 x 2+7.62mm 旋回銃 x 2、454Kg 爆弾 x 1(胴体) + 45Kg 爆弾 x 2(翼下)。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/11/23更新)
カーチス SB2C ヘルダイバー(Helldiver)
ダグラス SBD ドーントレスの後継機として 1938 年に発注された機体。試作機は 40 年 12 月に初飛行したが、空母運用上の利便をはかった外形寸法に関する海軍要求のため著しい短胴となり安定性・操縦性に問題多発、量産は 42 年 7 月にまで持ち越された。実戦配備後も事故続出で現場の評判は芳しくなく、「野獣(Beast)」「二線級のクソッたれ(Son of a Bitch 2nd Class)」と陰口を叩かれたが、持ち前の重武装を生かして太平洋戦線ではそれなりに活躍した。主生産型(1985 機)SB2C-4 の仕様はライト R-2600-20 空冷星型 14 気筒1900hp、最高速度 475Km/h、航続距離 1875Km、武装 20mm 主翼銃 x 2 + 7.62mm 旋回銃 x 2、爆弾・ロケット弾など 900Kg。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/2/8更新)
グラマン TBF アベンジャー(Avenger)
ダグラス TBD デバステイターの後継機として 1940 年 4 月に発注された機体。試作機は 41 年 8 月に初飛行し、量産機は 42 年 1 月から出荷された。グラマン社の生産が戦闘機(F6F)に注力された後はジェネラルモーターズ社でも TBM の呼称で量産され、終戦までに TBF/TBM 合わせて 9836 機が量産されている。アベンジャーは大柄な機体ながら扱い易く汎用性に富んだ機体で、独特の主翼折りたたみ機構から「七面鳥(Turkey)」の愛称で呼ばれた。終戦後は電子作戦機や空中給油機にも使用され、民間に払い下げられた機体は森林消火機として 1990 年代まで現役だった。TBM-3 の仕様はライト R-2600-20 空冷星型 14 気筒1900hp、最高速度 444Km/h、航続距離 1610Km、武装 12.7mm 主翼銃 x 2 + 12.7mm 旋回銃(後上方) + 7.62mm 旋回銃(後下方)、爆弾・ロケット弾など 900Kg。ページのトップへ戻る
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巣田@うぐぅ(2003/2/20更新)
TBM-3R
アヴェンジャー艦上輸送機。
銃塔を撤去し並列複座、爆弾倉に二座、パイロットを含めて7名搭乗可能。
貨物を爆弾倉内のアルミ枠ワイヤーメッシュ製バスケットに収納する。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/23更新)
グラマン F4F-3S ワイルドキャットフィッシュ
エド社によって改造されたワイルドキャットの水上戦闘機試作型。双フロート式。最高速度 428km/h。百機生産の計画もあったが、結局量産されなかった。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/20更新)
グラマン JF-2 ダック
 水陸両用の多目的飛行艇。その原型はローニング社の XO2L-1。ロ社が航空機製造を停止したため、ローニングから独立したグラマン社が XO2L-1 を再設計し、JF として生産した。海軍、海兵隊、沿岸警備隊、民間などで広く活躍。1933年初飛行。沿岸警備隊用の JF-2 はライト R-1820-102 750hp 装備。最大速度 282 km/h。ページのトップへ戻る
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ノースバーグ(2005/6/20更新)
グラマン J2F-5 ダック
 JF の発展型。1936年初飛行。人員輸送、救難、偵察、標的曳航、消防、南極観測など数多くの任務で使用された。米空軍でも OA-12 として採用。最終型の J2F-6 はコロンビア社で生産されている。J2F-5 はライト R-1820-50 850hp 装備。最大速度 302km/h。ページのトップへ戻る
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えりゅ(2002/12/12更新)
CURTISS SO3C Seamew
旧式化した SOC シーガル水偵を置換するため 1937 年に発注された機体。前方固定銃である程度の空戦もでき、500 ポンド爆弾も搭載して爆撃もでき、パーツ交換で陸上機にもなり…という虫の良い要求と、カーチスの駄目っぽい設計センスと、欠陥エンジン・レンジャー V-770(空冷倒立 V12 600hp)の低信頼性&出力不足が合わさって駄作機となった。794 機が生産されたが、約半数はラジコン標的機に改造された。最高速度 277Km/h、航続距離 1851Km、武装前方 7.62mm 機銃×1+旋回 7.62(または 12.7mm)機銃×1、爆弾最大 250Kg。ページのトップへ戻る
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舞沙P(2002/10/17更新)
コンソリデーテッド PBY-5A カタリナ(Consolidated PBY Catalina)
1933 年にマーチン P3M との競作に勝って採用された双発中型飛行艇。第二次大戦時には既に旧式化していたが、突出した頑丈さと双発機にしては異例に長い航続距離を評価され全戦線で活躍。哨戒・対潜・救助などの地味だが重要な任務をこなした他、爆弾や魚雷を積んで主に夜間の船団攻撃も行った。PBY-5A は 1939 年から 1003 機(改良型 PBY-6A を含む)が生産された水陸両用型で、海軍を退役後も沿岸警備隊の救難機や森林消火機として長く使われた。
R-1830-92 空冷 14 気筒 1200hp x 2、最高速度 314Km/h、航続距離 5000Km、武装 7.62mm 機銃 x 2(機首および腹部) + 12.7mm 機銃 x 2(後部側面銃座)、爆弾最大 1t。総生産数 3281 機。ページのトップへ戻る
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群馬帝国空軍工廠(2002/12/20更新)
Martin PBM マリナー(Mariner)
旧式化しつつある PBY カタリナの後継機として 1937 年に発注され、1939 年に初飛行した双発飛行艇。大別してライト R-2600 1700hp を装備した PBM-3 と P&W R-2800 2000hp に換装した PBM-5 の2種類が存在し、両者合わせて約 1300 機が生産された。なお、最後期型の PBM-5A は艇体側面に引き込み脚を持つ水陸両用機となっている。アイコンは 4翅プロペラ付き R-2600-22 を搭載した PBM-3D のレドーム付き仕様。最高速度 320Km/h、航続距離 4400Km、武装 12.7mm 旋回機銃×8(機首、背面、尾部の連装銃座+胴体左右の単装銃)、爆弾/爆雷最大 1800Kg または MK.13 魚雷×2。爆弾はエンジンナセル後部の爆弾倉に、魚雷はナセル内舷の主翼下面に搭載する。ページのトップへ戻る