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> 当初から右翼方面に全兵力の8分7を充てれば
シュリーフェン自身のプラン(以下A)ではオランダの中立侵犯も計画していますが、小モルトケの修正プラン(以下B)ではこれを取り止め、兵力の節約をはかっています。右翼軍の兵力削減は見かけほどではなかったのでは。 またAでの旋回運動の外周は、Bよりも大規模なものです。マルヌの戦いの時でさえ、ドイツ軍は相当疲労していたと言いますから、さらに長駆を、同じ期間で、戦いながら前進するAは道はるかにして挫折してしまうのでは。
> しかし正直言ってバトゥさんのおっしゃる「ベルギーの鉄道破壊」に関しては詳しく知りません。当時のドイツは鉄道整備に関してはかなり力を入れていたと思いますが、鉄道工兵による鉄道線復旧がままならない程大規模なものだったのでしょうか、よければ御教授のほどを。
M・v・クレヴェルト『補給戦』4章(今回の元ネタ)123−124pによれば、ベルギー領内で爆破、破壊された44ヶ所の主要土木建造物のうち、マルヌの戦いまでに修復されたのはわずか3ヶ所。2500マイルの鉄道網のうち、元通り運転されたのは300から400マイル。その他にも信号・転轍機の撤去、民間人・敵軍からの防衛、レールの強度不足などの問題を抱えていたようです。このような状況にもかかわらず、主攻撃軍の独第1軍を始めとして補給には役に立ったとのこと。人間の食料には現地挑発も活用したそうです。
ところで勝井さんの意見は如何に。
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