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dg(99/9/3 16:17)
> でも、栗田はそれ以前も戦意の無いような指揮をしてるんですよね。 > ・三隈放棄 > ・見つけた連合軍艦隊に「1隻は戦艦の疑いあり」と聞くと逃げ出し、 > その上迎え撃ちに行った先輩の原少将に戦力も貸さず、戦闘を傍観。 > GFに「仲間割れしないでお前がまとめろ」といわれても、 > 迎撃戦(バタビヤ沖海戦)が終わるまでとうとう何もしなかった。 > > 臆病であるかどうかはともかく、「太平洋戦を通じて戦意が無かった」 > のは事実だと思います。 >
「あなたはどっち」で、この関連の設問みまして、で、手持ちの本で調べて みたのです. @太平洋海戦史(1949高木惣吉) Aザ・ライジング・サン(ジョン・トーランド196?) 確かにスラバヤ〜バタビヤ一連の海戦で、「栗田部隊」はあまり働いていません. ただ不思議なのは、手持ちの本のいずれにも、栗田少将の名が記載されていないのです.他の人、例えば日本だと原さんとか高木さんとか、戦隊レベルまで、 日本も連合国も名前が記載されているのに.栗田の名前をなぜ出さないのだろう?
トラ・トラ・トラ(ゴードン・プランゲ1966)をみても、 1941.12時点での栗田の配置がみつかりません.他の人は大佐クラス・ 潜水隊分遣隊まで配置と指揮官が表に記載されているのに.
「・見つけた連合軍艦隊に「1隻は戦艦の疑いあり」と聞くと逃げ出し、」 の件は、高木惣吉氏の本では「史上希なる行動」とはしょっていますが、 ザ・ライジング・サンでは、日本巡洋艦が発射した魚雷の内1発が、調整ミスで 敵味方艦隊の中間点で爆発、それで、双方ともに機雷・あるいは潜水艦の待ち伏せ を警戒し、進路を変更した・とありました. で、日本は重巡+駆逐艦部隊なのに、連合国には戦艦がいるかもしれないことに 加えて潜水艦がいるので、軍艦を失うことを恐れ、本来の任務であるジャワ攻略 部隊を乗せた56隻の輸送船団の護衛にまわったのかな・とも考えてみたのです.
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