サヴォイア・マルケッティ SM.81
 同社の旅客機SM.73を直接母体とする爆撃機である。
 イタリア空軍の次期爆撃機として試作中であったピアッジオP.16が失敗作に終ることが確定したため、現用機種の改造によって急速に爆撃機勢力の穴埋めを行なうことを目的として1934年に急遽仕様策定された機体が本機である。
 並行して双発爆撃機計画がスタートしており(こちらはBR20、Ca135、P.32を生むことになる)、当初よりつなぎ以上の目的を持たない代用爆撃機であった。
 また、ナンバーが81と若いのにもかかわらずSM.79に比べて後退した内容であるのはこれが理由で、当時レース機としてやはり設計作業中であったSM.79よりも計画のスタートは遅かったのである。
 ちなみに、サヴォイア・マルケッティでは、このSM.81にイゾッタ=フラスキーニ・アッソXI RC40を双発とし、機首に透明窓の爆撃手席を置いただけのお手軽改装で、こちらの双発爆撃機コンペにも参加したが、さすがに審査を通すことはできなかった。この試作機はSM.81Bと呼ばれ、1機のみ製作された。
 とはいえ、SM.81Bの胴体はSM.79Bの胴体設計の母体として、ほとんどそのままの線図で流用されているので、まんざら無駄であったわけでもない。
 さて、完成を急ぐことそのものが目的であったために試作進行は迅速で、早くも1935年には初飛行し、常には審査に時間をかけるイタリア空軍であるが、このときばかりは実戦化を大いに急ぎ、その結果、本機は同年10月のエチオピア侵攻作戦にも少数ではあるが何とか間に合って参加している。
 改造は最低限のもので、貨物型のSM.73を母体として胴体内爆弾倉を設け、各部に銃座を追加した程度である。爆弾倉容積は大きく、通常1トンの状態でかなり余裕があり、燃料を減らせば2トンを収容して作戦することができた。
 生産は1935年から38年にかけて行なわれ、試作機を含めて535機を生産した。
 装備発動機にはいくつかバリエーションがあり、グノームローンをライセンスしたイゾッタ=フラスキーニ14K RCD(650馬力)、アルファロメオ125 RC35(680馬力)、ピアッジオP.X RC35(700馬力)、ピアッジオ・ステラR.XI RC40(1000馬力)の各型があり、それぞれ異なるカウリングをつけていた。
 スペイン戦争には爆撃機兵力の中核として参加し、無難に任務をこなした。
 1939年に大戦勃発した時点で300機ほどが就役中であったが、BR20、SM.79といった新型爆撃機との交替を進め、1940年の参戦時に作戦部隊にあったのは100機ほどになっており、しかも全てがイタリア本土にあって機材更新を待っている状態にあった。
 イタリア空軍でも扱いは既に二線級爆撃機であったのである。とはいえ、戦争が始まってしまった以上、貴重な爆撃機兵力であるSM.81をこれ以上引退させるわけにはいかなかった。
 SM.81装備の部隊は夜間爆撃に活路を見出し、イタリア軍の各戦線で活躍、「ピピストレッロ」(Pipistrello:コウモリ)という愛称はこのときにつけられたものである。
 また、ムッソリーニの個人専用機も本機を改装したものであった。
 1942年半ば以降は機材の老朽化もあり、輸送任務に下げられた。この任務では休戦後もサロ共和国側、共同交戦空軍側の両陣営で活動を続行している。
 戦争終結時の残存機はわずか2機であり、しかもくたびれきっていたので、戦後の使用はなかった。

(文章:ダリオ・マナカジーニ)


スペイン戦争で爆弾投下中のSM.81。背景のフィアットCR32はおそらく合成と思われます。

諸元
全幅24.00m
全長17.80m
全高4.45m
翼面積93.00m2
自重6,300kg
全備重量9,300kg(過荷重:10,504kg)
武装7.7mmブレダSAFAT機銃*5〜6 爆弾1,000kg(最大2,000kg)
発動機ピアッジオ P.X RC35空冷星型9気筒 700馬力
最高速度336km/h(1,000m)
巡航速度287km/h
実用上昇限度7,000m
航続距離2,000km
乗員6名

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