99  現在、自分は入院中で同室の92歳の老人の方から、毎晩「ラバウル小唄」の合唱を頼まれます。そのさいに思ったのですが、一般には「さらばラバウル」で知られるこの軍歌は何故、こんなに知名度があるのでしょうか?「加藤隼戦闘隊」は戦時中の映画の主題歌で広まったとききます。昭和19年2月以降の悲壮感のにじみでるこの歌が、軍のみならず民間にまで広まったのでしょうか?当時、徴兵されて陸軍で仙台にいた92歳の老人でも知っていることからみて、戦後のゼロ戦漫画で広まったのではないと思うのですが?
らいおん

  1. 詳しい訳では無いのですが、戦時中ラジオでよく流されたと書いているサイトを見ました。又、戦中末期〜戦後にかけて流行ったと書いているサイトも見ました。
    通行人

  2. 戦後、軍歌集のようなレコードは大量に発売されていて、
    「ラバウル小唄」も高確率で入っています。
    またテレビの歌謡番組などで軍歌が歌われることもそれほど珍しくはなかったです。
    メロディー、歌詞とも覚えやすい曲ですから、自然に頭に入っても不思議はないと思います。
    ajor

  3.  通行人様、ajor様、ご回答ありがとうございました。



    らいおん

  4.  「ラバウル小唄」は,本来の意味でも軍歌ではありませんし,戦時歌謡でもありません.この歌は「南洋航路」という,戦前につくられた歌謡曲の替え歌で,元歌はこれ.

    http://www.youtube.com/watch?v=OaOMMfVWD7Q

    この曲は昭和15年にレコードが発売され,民間の船舶の船員の間で広く歌われていたそうです.戦時中には広く知られたメロディだったのでしょう.
     「さらばラバウルよ・・・」の歌詞は戦時中に軍関係者によってつくられた歌詞だとされています.「ラバウル」のところを任意の地名に置き換えることで,あちこちの戦地で使えたこと(民間においては転任などでも?)がさらにこの曲を広める要因になったと考えられます.

    ウマシカオ

  5. 自己レスです.

    >本来の意味でも軍歌ではありませんし,戦時歌謡でもありません.

    替え歌の「ラバウル小唄」は一種の戦時歌謡と考えてもいいのかもしれません.
    ウマシカオ


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