78 1944年の日本軍の作戦といえば、あ号作戦、ウ号作戦、台湾沖航空、レイテ海戦と指揮系統のミスばかりです。そうでもないという意見もあるでしょうが、一般的にいって、栗田艦隊の反転に代表されるように、上層部の判断能力の低下が指摘されています。これだけ凡ミスが重なるのは偶然でしょうか。偶然とは思えないのですが、当時、作戦を誤らせる遠因が存在していたのでしょうか。どのような障害が大きな理由としてあったのでしょうか。
カーン

  1. 議論ボード向けではないでしょうか。
    ヤマイモ

  2. どっちかというと、「戦力の差が大きくなってきて神業的な作戦指揮でないと勝てないようになってきた」のが1944年の状況なのではないでしょうか。
    かめ

  3. この時期に限らず、緒戦期から起こっている問題です。
    理由としては指揮官の選任が能力ではなく、年功序列で行われる事、及び失敗にたいする責任追及が曖昧な、馴れ合い、温情体質があげられます。
    この時期、彼我の戦力差が明確になってきたためにより顕在化したものでしょう。
    テンペスト

  4.  昭和19年になると、一式陸攻はおろか新鋭の銀河を洋上索敵に投入しても、「敵戦闘機と遭遇」の無電すらなく未帰還になるばかり(戦力に余裕の出てきた米軍が索敵機対策の迎撃部隊を投入してきたためらしいですが)、マリアナやフィリピンは機材不足やゲリラの暗躍等で味方の基地同士の連絡も十分にできず、常に情報不足で戦わざるを得ない状況だったことも影響しているのではないかと思います。
    T216

  5. だれの言葉だったか定かでないのですが・・・
    「戦闘とは錯誤の連続であり、双方の錯誤のより少なかったものが偶々勝利する」
    という言葉もあります。それを考えれば、太平洋戦でのミッドウェイ・ソロモン海戦もソウです。

    それに留まらず、欧州戦線のビスマルク追撃戦、空母が戦艦に沈められた珍事、陸戦でも、ダンケルク戦、モスクワ攻略戦、スターリングラード等、枚挙に暇がないのでは?
    TOSHI!!


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