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日本海軍の空母加賀は太平洋戦争開戦前の単冠湾集結時に最後まで呉に残り 浅深度魚雷100本を受領して単冠湾に向かったそうですが 1,100本もの魚雷をどこに搭載したのでしょうか? 平時の輸送ならば艦載機をおろせば可能でしょうが作戦行動につく以上 艦内には艦載機燃料弾薬食料等が満載されているはずなんですが 甲板に梱包するにしても波浪による損傷を考慮するとあまり現実的とは思えないのですが 2,到着後各艦に魚雷を配る時の事ですがどうやって配ったのでしょうか? 内火艇に積んで配るにはあまりに魚雷は大きすぎますし、かといって単冠湾に艀のようなものがあるとも思えませんし防諜上のリスクを考えると持っていくわけにもいかないと思いますが 霧番 |
- 回答がつかないようなので、呼び水までに。
> 1.
魚雷の搭載定数は中型の飛龍でも36本、翔鶴型では45本ですから、爆弾・魚雷の格納庫にもそれなりの数が搭載できます。
また、単冠湾集結当時の写真を見ると、各母艦の飛行甲板には露天駐機された艦爆等が確認できますので、少なくとも格納庫が搭載機で一杯とはいえず、魚雷運搬台等に搭載しておけば、魚雷を航空機格納庫で保管することも可能かと思います。
> 2.
瑞鶴の主計士官だった方の手記に「打合せに行った赤城から戻ってくると、何かの積荷作業が行われていた」という記述がありますので、艀の類がいたのではないかと思います(警戒のため一航艦集結に先立って単冠湾に入った海防艦「国後」が、船舶の出入りを禁止していますので、単冠湾には数は少なくとも民間船もいたのではないでしょうか)。
T216
- >1
>魚雷の搭載定数は中型の飛龍でも36本、翔鶴型では45本ですから、
>爆弾・魚雷の格納庫にもそれなりの数が搭載できます
なるほどこれは始めて知りました。
これらでそれくらい積めるのなら加賀ならば結構な数が積めるかもしれませんね
霧番