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私の血筋の出所である富山市内の漁師町には今でも親戚が多く居住しておりまして、戦時中は目と鼻の先に陸軍飛行場があり100式司令部偵察機と4式戦闘機が配備されていた、と聞いた事があります。飛行場は陸軍富山飛行場で間違いないですが、これら機種を装備し当飛行場へ駐屯していた飛行戦隊が分かればご教示願います。 なお、2機種の配備時期が同じか否かは定かではありません。また、疾風は4ペラで力強くカッコよかった、と聞いておりますので4式戦闘機に限っては誤認はないと思います。 以上、よろしくお願いします。 DDかず |
- 富山では一〇〇式司偵とキ一〇六の生産が行われてますね。
部隊配備前の機体だったのかも。
片
- 直接の回答でなくて済みません。私もその飛行場の漁師町に親族が住んでいたものの一人として知っている限りのことを述べさせてください。
1.陸軍富山飛行場には53戦隊の2式複戦が分遣されて、8月1日の富山上空を通過した長岡市空襲のB29の邀撃に2機が出たが、会敵せずに1機が近くの漁師町に不時着炎上した。
2.1945年に浜松の重爆学校の機材が疎開してきた。(渡辺洋二氏の著書「屠龍」サンケイ出版版の富山飛行場の掲載写真で確認できる)
3.富山湾周辺の対潜哨戒のため、カ号観測機が配備された(地元新聞紙編集の「富山大空襲」より)
4.疾風、100式司偵のことに関しては初耳で興味深い話題ではありますが、確たる情報はありません。ただし、10年以上前に物故した伯父(偶然その漁師町に居住)が戦中キ106を作ろうとしていたことと、その生産予定場所が富山飛行場から2〜3Kmしか離れていないことから疾風完全に否定できないと思います。
どうでもよい補足.陸軍富山飛行場の滑走路跡は現在、道路になっています。先週この道路のそばのゴミ捨て場の不燃物のコーナーに75mm級の旧陸軍の砲弾が捨てられていたという事案がありました。ひょっとして88式高射砲の砲弾ではないだろうかと邪推してしまいました。長文失礼いたしました。
けーくん
- もう少し、詳しく。
一〇〇式司偵とキ一〇六はともに富山の呉羽航空機で(キ四十六の方は呉羽の部品工場を三菱第十一製作所として借用して)生産されています。
20年5月1日にはキ四十六のこの地での生産1号機が初飛行、6月20日にキ一〇六1号機の初飛行が、ともに富山陸軍飛行場で行われています。キ四十六は継続的に完成機が出ていますから、6月頃には同時に同じ場所にいたことにもなります。
片
- ありがとうございます。
ひょっとすると、親戚の「見た」という記憶話を私が勝手に「配備」と捕らえていたのかもしれません。新司偵と疾風は御二人のご指摘通り部隊配備前の機であったのでしょう。逆に言うならば、キ106を見た親戚は貴重な体験をしているとも言えそうですね。
DDかず