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戦時中多くの農家の方々は法律を破って闇市場に米を流しました。 自分の子供は進んで軍隊に差し出したのに、お米を隠したのは当時 の農家の方は子供よりもお金のほうが大切だったのでしょうか? くうぼ |
- ずいぶん酷い質問をされておいでですが、くうぼ様は当時の農業のシステムをどの位ご存知なのでしょうか。
当時の農家は、地主とその小作から成り立っています。収穫した米を如何こうできるのは、地主の方であり、小作の方は家族が食べてゆく事もままなら無かったのです。
そんな中で、小作の子供から軍隊へ行くのは、悪く言えば口減らしですが、軍隊の給料から仕送りをして欲しいという、現金収入のない小作にとっては切実な問題もあったのです。これは商家へ奉公するよりも確実なものであったでしょう。
しょうや
- ついでに言いますと、当時農家から軍隊へ行った人は、兵隊の生活をとても快適に思っていたようです。丈夫で清潔な服や靴が支給され、三度の食事もおなかいっぱい食べる事が出来て、日々の訓練も当時の農作業に比べれば楽なものであったそうです。
しょうや
- 遵法精神云々言う前に、食糧配給制度及び食糧管理法による米流通の国家全量管理が始まったのが、昭和16、17年頃。それ以前は、米の自由流通が認められていた。農家や米流通関係者に強制するやり方で、統制的な食糧管理制度が導入されたことを考えるべきでしょうな。
ちなみに、統制経済体制にあり徴兵制も行っていた旧ソ連でも、主要穀物を含め商品流通の国家管理が行なわれていたわけだが、闇市場がはびこっていた。何故、国営商店などの正規流通経路を通さない闇市場が盛んになるのだろうね?計画経済、統制経済による市場価格メカニズムに拠らない流通制度が、うまく機能しないからではないのかね?経済学の入門書、幾つか読んで脳味噌使ってみてね。
アリエフ
- 何をもって「自分の子供は進んで軍隊に差し出した」と言い切るのですか。当時の庶民の多くが、どうすれば自分の息子を軍隊にやらずに済むか、どれほど心を砕いたと思っているのですか。ずばり、「徴兵忌避の研究」という本がありますし、類似の研究本はいくらでもありますから、読んで心を入れ替えたらどうですか?
徴兵忌避が発覚した場合の刑法上、および社会的制裁と、米の密売がばれた場合とを比べてどちらが重いか、想像してみるのにアリエフさんが要求されるほどの脳味噌も要らないでしょう。
井伊加減二世
- あはは
それね、子供を進んで軍隊に差し出した、んじゃなくて、当時の日本には徴兵制度があって国民皆兵だったので、行きたくても、行きたくなくても、兵隊にとられました。行かないと本人は監獄に放り込まれ、親兄弟は大恥をかきました。進んで差し出した、というのは、まあ建前の上では、そうなっているかもしれませんが、それは世間体を憚って、そう云っているだけで、本心は、その正反対だったんじゃないでしょうか。誰だって自分の子供を危険に曝したくはないですから。特に自転車操業の小作の家では働き手がいなくなると、農作業に支障をきたして、途端に困るところもあったはずですし。息子一人でやっているなんていう家では、老親や幼い兄弟は途端に収入の道が途絶えて困窮しました。働き盛りの立派な体格の若者が何年間もいなくなる、あるいは永久に帰ってこない、というのは相当のダメージだったでしょう。なので、兵隊奉公に息子を出すのは、みな内心嫌がっていました。それを口に出して云えないのは、村社会の制裁を恐れてのことです。自分の村ばかりではなくて、それは当時の日本という大きな村のことでもあります。
それと、お米を隠す、というは、また別の問題でしょう。なぜ別の問題なのかは、ご自分でよーく、お考えになると分ります。
でも、そういう問題をあえて提起してみる、というのはえらい。いろんな事について、いろんな質問を出して、もっと皆さんを困らせて見ましょうw
あるめ
- 蛇足: 軍隊に志願した若者もいましたが、それは村役場の兵事掛やら村の偉い人が聯隊区から指示を受けて、そう勧誘したり、高等小学校にその地域出身やその学校の卒業生の軍生徒がやってきて志願を煽ったから、つられて志願する子が大勢いました。親は内心、行かせたくなくても、村の世間体をはばかって息子の志願を止められなかったという事情もあります。志願をやめろと云えば、当時の空気では、非国民のレッテルを貼られますから。
戦争前の平時の軍隊でも、現役満期後も志願して下士官になる若者はいましたが、それは家に帰って働くよりも軍隊の方が少しマシな暮らしができたからです。
景気が悪くなると赤貧洗うが如き貧窮が至るところに見られ、農村部では荷車一杯の野菜をつくっても、その代金はタバコ一箱分にしかならないという有様で、そのうえ不作に見舞われれば飢饉となり、餓死者もでるほどでした。農家の娘は安い代金で身売りに出されて、軍隊に行っている兄弟は給料をみな実家に仕送りしても焼け石に水という状態でありました。街は失業者であふれ、そういう時には下士官志願する若者が増え、すこし景気がよくなると途端に志願は減りました。民間にもっとよい就職口が増えるからです。俗謡にもあるように「人の嫌がる軍隊」に「志願でくるよな馬鹿もある」時代でしたが、本人も親も好き好んで志願させたり、志願したりしたのではなかったのです。当時の日本はそういうふうでありました。
あるめ
- て言うか、そもそも違う状況で発生した事象を比較することに何の意味もない。もし子供を大切に思うあまり、山の奥に逃がして徴兵逃れをさせた親がいたとして、その行為と闇米を出す出さないと何の関係があるのだろう。米を差し出さなければ子供が徴兵されるのに子供を差し出したというケースでもなけりゃ、そもそも「子供より農産物を優先した」ことにならないのでは。
山奥の人
- まあまあ皆さん、質問された方は何か勘違いをされているのですよ。
食糧の管理と徴兵は、美しい縦割り行政の下、それぞれ別々の部署がそれぞれ独立して行っているのです。
ですから、ある日、突然役人が家にやって来て「米を出せないのなら息子を差し出せ。」などと、西遊記の妖怪みたいなことを言ったりしません。
御安心下さい。
実際は、役人はそれぞれやって来て、それぞれ持って行こうとするのです。
フフフ。
メフィスト
- 制度というものは、新たにつくられた時に最大の抵抗を受けるものです。
徴兵令施行直後の状況と食管法施行直後の状況を比較した場合、全国的に徴兵反対一揆(血税一揆)が発生し、一揆による死者も、死刑になった一揆の首謀者もかなりの数にのぼった徴兵令に対し、食管法に対する抵抗は極めて軽微だったといえるでしょう。
なお一揆などに至らない、個別的な消極的抵抗(徴兵忌避&食糧隠匿)についても、明治期の徴兵忌避は闇米に勝るとも劣らないものがあります。
カンタニャック