49 日本海軍の志願兵についてお尋ねします。

 志願がほとんどであったと書いてあるページもありますし、Wikipediaには志願者が5割〜6割であったとありますが、根拠資料を挙げているWebページが見つかりません。

 出所のはっきりした、志願兵の比率(か資料自体)についてご存知でしたら教えてください。
マイソフ

  1. 大江志乃夫「徴兵制」岩波新書に1937年〜45年までの陸海軍動員数一覧があります。
    動員がピークに達した1944年の数字を引用してみます。

    陸軍
     現役徴集 1000千人(志願含む)
     召集    680千人
     召集解除  200千人

    海軍
     現役徴兵  136千人
     現役志願兵 208千人
     召集    184千人

    それ以前の海軍の数字を見ると、
    日華事変最中はダブルスコアで徴兵>志願兵、
    太平洋戦争突入と同時にダブルスコアに近い比率で志願兵>徴兵のようです。

    内巻き

  2. 訂正。「動員数」ではないですね。徴集・召集兵数。
    内巻き

  3. ありがとうございました。
    じつは某英語掲示板で「1929年前後の不況期には志願が増えて海軍の膨張を支えたのか?」と言われて、「徴兵も多かったから、志願兵増加のせいで軍拡がスムースだったと因果関係の矢印を引くのは疑問」と答えたのですが、そこまで徴兵が多かったとは知りませんでした。「日本陸海軍事典」にも数字が出ているようなので、いっしょに探してみます。
    マイソフ

  4. アジ歴を見ると、

    公文備考 兵員1 巻68 (大正15年) (簿冊)C04015275700 中の
    大正15年度海軍志願兵徴募摘要(1)C04015275900  6頁に

    海軍の大正5年から15年までの志願兵数と採用者数の推移のグラフがあります。

    昭和恐慌前後については、
    昭和5年の
    公文備考 昭和5年 B 人事 巻22止
    C05021021500
    官房第48号 5.2.13 兵役法に依り徴集すべき海軍兵の件C05021022600 18頁によれば、
    昭和4年4月から6月の間の海兵団入団者は短期現役48名、志願兵4160名徴募兵2872名となっています。
    ただし、各鎮守府別の志願兵受験者の合格率を見ると、かなりの競争率を維持しています。
     この時期の海軍では、志願者の質の確保(特に除隊後の就職上のメリットが少ない水兵の質の確保)が問題となっているようです。後述する昭和6年の報告でも、水兵志願者の質についてはまだ問題が残るとしています。

    昭和6年
    公文備考 昭和6年 B 人事 巻22 (簿冊)C08110000100 中の
    第267号 6.3.23 昭和6年度海軍志願兵徴募実況報告(1)
    C08110000500
    では「未曾有の好成績」であるが「不況による影響また大」としています。

    なお各年度の海軍公文備考の「人事」の最後あたりに志願兵徴募についての記事が含まれています。
    カンタニャック

  5. 『軍事史学』21年9月号(通巻178号)に掲載された駒場裕司「軍縮期おける海軍志願兵の志願状況」の中に載っている1910年〜1937年の「海軍志願兵志願者数の推移」という表が参考になると思います。
    暁3号

  6. >5
    よく読んでみると、表の項目は、志願者数、採用者数、採用倍率であり、徴兵と志願兵の割合は載っていないですね。失礼しました。
    暁3号

  7. 国民の義務として20歳になると徴兵検査が行われていました。
    ここで海軍に入りたい者は、海軍に志願を申し出ていました。
    見方を変えれば、海軍は全て志願で構成されています。
    申し出のない者は全て陸軍に徴兵されました。
    現役は陸軍2年、海軍3年でした。海軍に若年で志願した者の
    現役は5年でした。
    以上参考までに。
    老兵

  8. >7 見方を変えれば、海軍は全て志願で構成されています。

    誤解されていると思います。例えば「19.6.1調 現役海軍特務士官及准士官名簿(横鎮)」をみると、明治末〜昭和10年の入団者で特務士官または准士官になった人たちが対象になりますが、その中に少数ながら徴兵出身者がいます(入団年月日の上に(徴)と表示されている)。

    暁3号

  9. >8
    志願兵は自分の意思で海軍に入ったのに対し、徴兵出身者は自分の意思に関係なく海軍に回された人たちと考えていました(思い込んでいたといったほうがいいかもしれません)ので、このような投稿になりました。
    投稿後気になってそれを裏付ける資料を探してみましたが、志願兵だった人の手記がほとんどで、はっきりしたことは分かりません。
    資料を探す過程で、忘れていた末国正雄「帝国海軍の人事制度について(その一〜その四)」(「海幹校評論」第7巻5〜8号、S44年)を見ましたら、その四にS2〜20年の「志願兵、徴兵の告達員数」という表がありました。参考になると思います。
    同論文には「聯隊区司令官は徴兵の実務担当責任者とし実務を掌り、先づ陸軍所要員を充足し、海軍徴兵の割当数を充足し徴兵検査の合否、合格者の兵種決定(水兵、機関兵、主計兵等)を行い、徴集区分(現役、第1補充兵等)を決定した。」とあるだけで、どういう経緯で海軍に回されたかは残念ながら分かりません。

    暁3号

  10. 私は海軍に在籍していのした。
    確かに、12徴とか15志などと呼んでいました。
    徴と言っても徴兵検査の際に海軍を志願して海軍に入籍した者で、
    海軍を志願しなければ陸軍に徴兵されます。当時現役は陸軍2年
    に対して海軍は3年です。だから、本人の意志に逆らって海軍に
    徴兵することはありません。
    徴とは徴兵検査を受けて海軍を希望した者で、徴兵の際に強制的
    に海軍に入籍させた者ではありません。

    老兵

  11. 私は海軍に在籍していました。
    ごめんなさい。まちがえました。
    老兵

  12. >10
    老兵様、私のほうが誤解していました。大変申し訳ありませんでした。
    暁3号


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