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こんばんわ。よろしくお願いします。 ナチスの一組織「突撃隊(SA)」の第二次世界大戦中(特に末期)の活動とその組織について、3点、お尋ねします。 @大戦中、純軍事組織としてのセクションは存在したのでしょうか? (例えば、武装SSに近い、「武装SA」のようなものはあったのでしょうか。それとも、武装SSや国民突撃隊に、隊員が召集されることが一般的だったのでしょうか。) Aもしそういった純軍事組織があった場合、目立つ活躍をした部隊はありますでしょうか? (例えば、武装SSの「ヒトラーユーゲント」のような) B突撃隊員が米英・ソ連などの捕虜になったとき、武装SSのように、国防軍よりも敵軍から過酷な扱いをうけるということはあったのでしょうか? オスプレイのメンアットアームズシリーズを読んでいると、突撃隊員で海軍の水兵のような格好で訓練を受けていたり(ただしナチスの腕章を装備)、鉄兜をかぶって短機関銃を持った隊員の画像(これも腕章装備)があり、若干の説明がされていたのですが、あまり組織に立ち入った説明がされておらず、疑問に感じました。また、ネットで調べても、レームの粛清以後の突撃隊の情報が少なく、是非、皆様のご教授をいただきたく思います。 よろしくお願いいたします。 tora |
- 誰も書かないので、得意の(!?)資料価値のない一般論で頭出しを…
SSが大きく分けて、一般SS、髑髏部隊、武装SSの3種類からなり、髑髏部隊は収容所管理、武装SSはヒトラーの個人警護隊から成長した常設戦闘部隊なのに対して、一般SSはパートタイム部隊です。
つまりアルゲマイネのやつらは、別の職業を持った、臨時雇いの愚連隊なわけです。「長いナイフの夜」までのSSはほとんど一般SSだけです。
SAも当然、同様なパートタイム部隊なんでしょう。
レーム粛清で具体的権力を失った後に基盤強化されるはずもありません。
すると、SAは、人数ばっかり多くて具体性のない、ナチの気軽な下部組織みたいなモンだったんじゃないですかねえ。
戦争中は国防軍の下部組織のようになって活動した、とのことです。
つまり日本軍でいう「陸軍奨励会??」みたいなもんで、軍の委託で標語やポスター作ったり、軍隊食のレシピ考えたり、徴兵説明会でもしてたんじゃないでしょうか(全く根拠なし)。
とすれば、部隊単位(もしかしたら町会単位とかかも)で軍事教練受けたり、適当な軍服着てても不思議はないですね。英国の郷土防衛隊のパイクマンや日本の竹槍訓練とかの皆さんも、私服からWWIの軍服やら思い思いに着てますから。
そうすると、
@ない
Aない
Bありうる(正規軍じゃないから捕虜扱いもなし) といったところですか。
えりっひ
- 質問者です。えりっひ様、ご回答をお寄せくださり、ありがとうございます!
とても勉強になりました。なるほど、一般SSはパートタイムの職業だったのですね。”鉄の規律”というイメージがあったので、ちょっと驚きました。勉強不足で申し訳ありません。
SAの人数の多さが気になっていたのですが(これだけの数の若い男性を軍組織以外で確保されていたら、ドイツは兵力確保の点でものすごい損をしてると思いましたので)、パートタイムでしたら、確かに下部組織として使うしかないかもしれないですね。Bで正規軍扱いされてなかったら、捕虜としての扱いは酷かったかもしれませんね・・・。本当にありがとうございました!
tora
- えっと えりっひさんの解答がおおむね正しいのですが、SAは粛清後あらゆる実験を剥奪され、
イベントの会場整理役のような、形骸化した存在になっていたようです。
ですから軍事訓練も他の国民と変わらないかと思います。
閻魔さくや
- 質問者です。閻魔さくやさま、ご教授ありがとうございます!イベント会場整理役レベル・・・想像以上に実権が剥奪されていたのですね、教えていただき唖然としました。そこまで冷や飯を食わされた組織なら、軍事訓練も大して行えなかったかもしれないですね。ありがとうございました!
tora