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終戦後ナチスの残党が南米に渡って「エスタンジア」と言う国を創って今も生き続けているって本当なのですか?詳しく教えてください。 ゼブラーマン |
- Ans.Qの入り口のGoogleでまず検索してみてください。大まかなことは分かるはずです。
>質問の前に検索で調べるのはネット時代の常識です。
おうる
- estancia は、スペイン語で滞在・逗留という意味です。
第二次大戦後、ナチスの残党の一部がアルゼンチンなどの南米諸国に逃亡したことは事実ですから、ナチスの逃亡者達が一時的に滞在した場所や隠れ住んだ場所がスペイン語で「estancia」と呼ばれた可能性はあるでしょうが、滞在地は「国」ではないでしょう。ナチがエスタンジアにいるというのは「ナチは滞在地に滞在している」といっているに過ぎないように思えます。
カンタニャック
- >2 この場合は南米なので、アルゼンチンやチリ、ウルグアイで言う所の“大規模農場 or 農園”と言う意味の方が正しいかと。
どちらにしても落合信彦氏の「20世紀最後の真実」ネタですな。
伸
- 南米に「エスタンシア」という国は存在しません。南米という括りで呼ばれる地域は北がコロンビア、南はチリ、アルゼンチンまでです。
南米南部で言う"Estancia"とは、移民コロニーの事です。ちなみに農場は"Hacienda"と呼ばれるのが普通です。直訳すると「(何かを・・)する処」といった意味になります。
ナチスに関係したドイツ人亡命者の話は、南米にはたくさんあります。これは戦前から欧州系の移民が多く入っていた事によります。ドイツ系はチリ、イタリア系はアルゼンチン、など国によって主流になる移民が違ったりします。
南米にナチス政権時代に特殊な活動をしていたドイツ人が逃げ、そのような人たちだけのコロニーを作っているかどうか、ですが、少なくとも公式にそれが語られる事はありません。ただし、排他的なコロニーそのものは存在します。大多数のそれが排他的なのは、主に治安上の理由からです。私はブラジルとエクアドルしか知りませんが、ブラジルでは無主の土地を囲い込んで5年が経過すれば囲い込んだ者の土地になります。これを悪用して、農場などを襲い、皆殺しにして囲い込んでしまい、5年後にそこを自分の土地にする、といった事例が今でも起きています。このため、農場などでは自衛のために、火器を携帯するのは常識です。また農場などへの立ち入り、居住区画への立ち入りなどでは、身分証明の提示や身体検査を要求される所もあります。こういう事が排他的と日本人に見えるのは仕方が無い事かも知れません。
ただし、中米エル・サルバドルで出会った道路検問をしていた軍人は全員が白人で髪は金髪という実体験があります。その後聞いた噂では、この軍人たちは以前、アルゼンチンのガルチェリ政権で働いており、そのときのあだは"Mano de Branco"と呼ばれていたと言われていました。別名、「処刑部隊」と呼ばれガルチェリ政権での左派弾圧に深く関わっていたとされる部隊です。私が彼らの会話を聞いた限り、彼ら同士ではスペイン語を喋っていません。しかし、検問された(私が)時の言語はネイティブなスペイン語でした。1990年の話です。これが落合信彦の話の証左になるとは思いませんが、実体験としてこういう事を経験しています。
elebras
- ただ、気を付けなければならないのは、アルゼンチンの公用語はスペイン語ではありますが、それ以外にも各種言語が使われているという事です。
ドイツ系アルゼンチン人を中心に40〜50万人(一説では180万人とも)がドイツ語を使っていると言われています。
ドイツ語はアルゼンチンでは三番目か四番目に多く話される言語とも言われている位です。
又、150万人がイタリア語を話し、100万人がシリア辺りのアラビア語を話すとも言われていますので、移民達は出身地域の言葉もスペイン語と共に使っていると言えます。
>4 アルゼンチンでは“Estancia of Alta Gracia”や“Estancia of Santa Catalina”“Estancia of Caroya”の様にも使われていますが。
それぞれ「アルタ・グラシア農園」「サンタ・カタリナ農園」「カロヤ農園」と訳されますが。
伸
- 本当ですが、あの本は脚色しすぎです
チリ国内に一箇所、ブラジルにも一箇所、そしてアルゼンチン国内には七箇所もドイツ移民集落?があるそうな
ただ独裁政権の庇護下の話で、今はもう無いのかもね
ぴ野