18 はじめまして、初めてここに質問させていただきますtantanと申します。
先日亡くなった祖父の遺品を整理していると、祖父の軍歴に関する資料がでてきました。
その資料によると、祖父はマニラ陸軍航空廠第二修理廠に所属する軍曹だったようです。

ここからが質問なのですが、祖父が所属していたマニラ陸軍航空廠第二修理廠とはどういう組織だったのでしょうか。また、この組織の主な任務と規模、終戦までに辿った軌跡等を教えていただけないでしょうか。

家族にも戦中のことはあまり話しておらず、自分でも一応調べたのですが、第二修理廠の資料があまりなく、ここに質問させていただいた所存です。どうかよろしくお願いします
tantan

  1. マニラ航空廠は、本廠と第一〜第四分廠のほか第一・第二修理廠、第一・第二補給廠、第一〜第十独立整備隊などをもつ大規模な組織です。
    このうち第二修理廠は、本部と第一・第二分廠からなり、本部と第二分廠がネグロス島、第一分廠がレイテ島に展開しており、一部は移動修理班となってパナイ島にも所在していました。
    昭和19年6月から各島で飛行機の整備を行っており、米軍がネグロス島に進攻した昭和20年3月からは第七十七旅団の指揮下に入り、マンダラガン山中に後退して陸戦に参加しています。そして遊撃戦を行いながら終戦に至っています。
    ちゅうきち

  2. ちゅうきち様、質問にお答え頂き誠に有難うございます。
    お陰で、祖父のフィリピンでの経験がわかったように思います。

    実は先日、祖父の部下だった方にお会いすることが出来ました。
    その方はかなり高齢ということもあり、会話があまり成り立たなかったのですが、祖父の名前を出すと当時の体験を思い出したようで、ジャングルでの戦闘や飢餓、投降に至った経緯などを語って下さいました。

    しかし、情報があまりにもミクロな視点であったため、第二修理廠についてはわからなかったのですが、ちゅうきち様のお陰でよくわかりました。
    有難うございました
    tantan


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