13  何年かぶりに質問させていただきます。日露戦役前、戦中の下士官兵の他師団への転勤(こういう表現が適切かどうか分かりませんが)特に特務曹長はどうだったのか御教示ください(出来れば出典も)。よろしくお願いします。
プリンス

  1. 出典はありませんが、当時の官制では下士卒はちょうど現在の地方採用公務員と同じで、師團管區内での異動が原則だったと存じます。縣廰警察部ないし警視廰の現地採用の巡査・巡査部長・警部補・警部が他縣に異動しないのと同様に、それに相当する准士官下士卒は師團管區(だいたい4箇聯隊區を纏めた4縣くらいを範囲とする)の中でしか異動しないものと云うのが原則だったと思います。師團増設や改編の為、他縣の新設部隊に異動する人も出ましたが、それは例外措置とみなしてよいのでは。軍人も役人の一種なので、文官の異動と同様に考えれば、その動き方の原則に凡そ納得がいきます。特務曹長は准士官ですが、将校とは違い、下士卒と同様の動き方をします。同師團管區内の他部隊に異動はすることはあり得るけれど、師團管區の枠外に異動することは原則としてはないと考えられます。軍の學校や官衙に勤務する准士官下士卒は原隊から分遣の形となっているようです。こうした異動原則は各官庁の持つそれぞれの人事内規にあるものなので、必ずしも明文化されているとは限らず、またお互いに異っており、某縣知事の裁量で採用した判任官雇員傭人を他縣廰の所属にしてしまうのは考えられないことであるから、それはしない、軍隊も同様、という判断がなされていたのでしょう。曖昧な返答で申し訳ございません。
    あるめ

  2.  ご教示ありがとうございます。このような疑問を持つにいたったのは、第七師団の日露戦争時の戦死者の出身都道府県を調べている過程でありました。日露戦役前に編成された第七師団、前身の屯田兵が存在したとはいえ、自前での下士官、准士官の養成は到底間に合わなかったと思われます。これは、日露戦争時に増設された師団にもいえるのではないのではないかと思われます。あるめ様のご教示により基本的な事が分かり、アジア歴史資料センターで「第七師団ヘ下士転属ノ件」という資料を見つけ疑問も氷解しました。なお今回の調査での第七師団部隊別特務曹長出身都道府県別戦死者の一覧をお礼として書き出します。

    第二十五連隊
     北海道 1名 石川 1名 秋田 1名 三重 1名 香川 1名 鳥取 1名
     山梨 1名
    第二十八連隊
     石川 1名 山梨 1名 鹿児島 1名
    騎兵第七連隊
     山形 1名
    野戦砲兵第七連隊
     岩手 1名
    第七師団弾薬大隊
     山形 1名
    輜重兵第七大隊
     北海道 1名 兵庫 1名
    (第二十六連隊、第二十七連隊は未調査です。)

    プリンス

  3. 小説「真空地帯」に登場する立花准尉は、他部隊から異動してきた人らしく、主人公が陸軍監獄から出てきて原隊に帰って初めて出会った人物とされています。平時はなるべく同じ聯隊で兵卒から准士官に進級していくのですが、昭和19年初めの動員著しい状態で、准尉さんが大阪弁で関西ネイティブとして描かれているため、関西の師團管區内で入營・任官し、近隣の部隊、例えば歩8や京都の歩9、あるいは篠山・和歌山聯隊などから来たのであろうことは推測できます。大阪部隊に東京や九州の部隊からの転属があるとすれば、珍しいケースと思われます。もっとも戰地編成の獨立混成部隊はまた別なのでしょうが。
    北海道師團の場合は、幹部(将校准士官下士)を他師團管區からもってくるということがあったのを貴殿のご調査で具体的に知りました。日露戦争は陸軍を大拡張しなければ戦えなかったのですね。まことに貴重な知見です。ご研究の発展を御祈りします。
    あるめ


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