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日本軍の小銃について質問です。日本軍は第二次大戦を38式と99式の、口径の違う2種類の小銃で戦ったわけですが、 1、2種類の小銃弾で補給が混乱した。 2、隣の兵士から弾薬を貰うこともできず苦戦した。 などと、日本軍の無計画、不見識の典型のように言われることが多いように見受けられますが、疑問があります。もちろん統一されていれば良いのは当然ですが、 1、 について、要求する側はもちろん、送る側も、どの部隊がどこにいて、どっちの銃を使っているかぐらいは把握していると思いますが、どの程度混乱したのでしょうか?99式の弾薬が欲しいのに38式のが届いた、といった例はあったのでしょうか? 2、 について、前線の兵士同士弾を融通しあわなければならない状態というのは、すでに兵站が壊滅している場合だと思うので、口径が統一されていても戦局は変わらないのでは?そもそも、島嶼のような狭い戦域に38式と99式が混在するようなケースはあったのでしょうか? ぎんぶな |
- ぎんぶな さんのご質問はごもっともな事です。
帝国陸軍造兵の重鎮、7.7mm 99式小銃開発責任者の銅金少将は戦後暫らく経って発行それた書物で
6.5mm口径と7.7mm口径 に関する当時の経緯を以下の通り記述されています。
”陸戦兵器総覧”より抜粋
「満州事変の実戦の結果、口径6.5ミリのもの(小銃と軽機関銃)と7.7ミリのもの(重機関銃および戦車用重機)とが
2種類あることは補給上一大支障をきたすので、口径を統一する必要が作戦方面からさけばれはじめた。
口径を統一することは机上では容易であるが、これが第一線部隊から全国各地の全部隊の兵器と弾薬を、
しかも戦線で使用しつつあるもの、または移動しつつあるものをすべてをとりかえるということは
なかなか至難の作業であった。
中略
ついに減装をして(92式実包は約3グラムを2.8グラムとした)反動にたえる程度にして
7.7ミリの口径統一する解決策を見出した。」
これが7.7ミリの口径の99式普通実包・99式軽機関銃・99式短小銃の開発経緯であります。
昭和13〜14年前後にこれらを開発・仮制式し、随時38式の縮小生産へ移行し99式短小銃に転換する計画でありました。
(この開発当時、陸軍造兵関係者内では米英相手に戦うものとは全く想定外、戦局視点はあくまで大陸です。)
つまり、陸軍基幹兵器である小銃の転換をする矢先に米英連合国相手の大戦争に突入したわけですから、
部隊も兵站側も混乱は必須であります。
御質問者が『日本軍の無計画・・・』との仰せも 反論し難いものであります。
以上 まずは、呼び水として回答しました。
帝国陸軍の編制、補給兵站に詳しい方が大勢おりますのでフォローを待ちましょう。
軌跡の発動機?誉
- 各所の戦場跡から7.7と6.5の薬莢が出てくるので、狭い戦域に混在するケースは少なくなかったと考えてよいでしょう。
また島嶼攻防戦では上陸側が周囲の制空権制海権を掌握してるというのが前提の戦いですから、一時的かもしれませんが兵站は途絶するものです。つまり備蓄弾薬と兵員で踏ん張りつつ、友軍の艦隊や航空部隊が敵の包囲を食い破ってくれることを期待するか、もしくは防衛部隊は捨石としてなるべく長時間粘って敵の侵攻を食い止めるのが基本になります。
つまり戦局は、防衛部隊が途絶した兵站状況でどれだけ踏ん張れるかで変わってきます。もちろん、この時に一番重要になってくるのは砲弾や食料医薬品の備蓄であって、たかが小銃弾の影響はごく小さいといえますが、まったく無影響と言い切ることも難しいでしょう。
SUDO
- 軽機に99式が使われれば同じ所から、同じように薬莢が出るのでは?
薬莢は、同じものですしね。
軽機も小銃も、
青江
- >3.
99式軽機関銃と99式歩兵銃は同じ実包を使いますが、
38式歩兵銃は、軽機関銃用の減装実包があって、薬莢は異なりますよ。念の為。
TOSHI!!