226 |
戦前の日本軍歩兵部隊について質問します。 記録写真や当時の映画などを見ろと、行軍中の日本軍歩兵達は常に小銃を直接肩に担いでいるようです。旧軍OBの方達の手記などを見ても『行軍中は重い小銃が肩にに食い込んで、痛くてしょうがなかった』という記述が見られます。 しかし同時代のアメリカやドイツ、イギリス、ソ連などの各国の場合、小銃は負革(? スリング)で肩に吊って行動するのが普通ですよね。 どのみち重量は肩にかかるのだとはいえ、硬い木部が肩にのしかかるのと、革のベルトで吊られるのでは、当事者の負担がだいぶ違うかと思います。 日本軍の歩兵がスリングを使わなかった(というか、それ以前に三八式小銃はスリングそのものが標準装備ではなかったかのように思われる)のには、何か具体的な理由があったのでしょうか? スリングを使わない利点って、何かあるのですか? 江沢東 |
- こんな理由で負革が使われなかったのはいやだ
「小銃を負革で肩に吊るすのは乗馬本分の兵科である。徒歩本分の兵が負革を使うのは許さん」
理由付けを敢えて忖度すると、先ず馬を操る為に両の手を使う必要がある騎兵や携行している小銃が飽く迄二次的な武器でしかなく両の手は先ず主兵器を操作する為に在る砲兵輜重兵と違い、
歩兵はその天皇陛下から推し頂いた物が主兵器なのだから常に手でそれを扱わなければならないと謂った処でしょうか。しかし工兵も負革を使わせて貰っていないのではないか!!!
にも。
- こんな理由で負革が使われなかったのはいやだ
「小銃を負革で肩に吊るすのは乗馬本分の兵科である。徒歩本分の兵が負革を使うのは許さん」
理由付けを敢えて忖度すると、先ず馬を操る為に両の手を使う必要がある騎兵や
携行している小銃が飽く迄二次的な武器でしかなく両の手は先ず主兵器を操作する為に在る砲兵輜重兵と違い
歩兵はその天皇陛下から推し頂いた物が主兵器なのだから肩に吊るすのは許さん、
常に手でそれを扱わなければならないと謂った処でしょうか。
しかし工兵も負革を使わせて貰っていないのではないか!!!
にも。
- 上の脳味噌いかれた人の書き込みはどうでもいいとして
下のサイトが、戦時中、特に戦争末期において、日本軍で革製の負い革が十分行き渡っていなかったことについて考察しております。供給不足が原因の一つではないかと。代用品として布製の負い革が用いられましたが、これとて強度及び耐久性の点では革製に劣るように思えます。
http://www.日本の武器兵器.jp/gunyojyu/hakken/07/index.htm
アリエフ
- 訂正:使うのは許さん→使う事罷りならん
私も最初は革の供給不足と思っていましたが「負革」「スリング」で具具ったら布製の掛帯が出て来たので。
38式歩兵銃は長いので肩に吊すと引っ掛ける蓋然性が大きい、というのが未だしも合理的な説明ではないでしょうか。
しかし小銃を主兵器としない工兵が、長く負革の付かない歩兵銃を持たされているとは!!!
にも。
- 訂正:使うのは許さん→使う事罷りならん
私も最初は革の供給不足と思っていましたが「負革」「スリング」で具具ったら布製のそれが出て来たので。
38式歩兵銃は長いので肩に吊すと引っ掛ける蓋然性が大きい、というのが未だしも合理的な説明ではないでしょうか。
しかし小銃を主兵器としない工兵が、長く負革の付かない歩兵銃を持たされているとは!!!
にも。
- 訂正:使うのは許さん→使う事罷りならん
私も最初は革の供給不足と思っていましたが「負革」「スリング」で具具ったら布製の負革が出て来たので。
38式歩兵銃は長いので肩に吊すと引っ掛ける蓋然性が大きい、というのが未だしも合理的な説明ではないでしょうか。
しかし小銃を主兵器としない工兵が、長く負革の付かない歩兵銃を持たされているとは!!!
にも。
- にも。さん、なんか設定おかしくなってないですか?
・・・スリング使わないでいると体に銃が当たる心配はないでしょうね(ただでさえでかい38式なんて下手にスリング使うとストックとかが引っかかりそうですし)佐川急便のイラストみたいに銃に物とかひっかけることも出来そうですし(上官に怒られるかもしれませんが)
Alphabette
- おそらく、長すぎるせいではないかと思います。
また、戦闘行動時に負い紐は邪魔になります。射撃する際は必要ありませんし(異論はありますが)、躍進間は銃を右手で下げるので、ぶらぶらと垂れ下っているといろいろなものに(特に鉄条網などの障害突破時に)引っかかります。
わが社でも攻撃開始時にさっとスリングを取りはずしてしまう古参の方はよくいらっしゃいました。
負い紐はおそらく、銃の付属品として一緒に納品されていると思います(別個調達とは思えない)ので、置いて行ったのではないでしょうか。
>1のかた
原理主義・精神主義的な理由を探すのでしたら、
「負い紐でつりさげているととっさの際に構えられないが、担え銃であれば一・二挙動で射撃姿勢をとれる」と主張されるほうがまだ理解し得る話でしょう。
工兵が使わない理由は容易に推察できます。
まず上記の「負い紐が引っかかる」点。第一線で障害処理にあたる場合は障害物に引っかかる可能性は排除したいものです(ブービートラップ等もありますし)。
また、部隊装備火器同士が猛烈に打ち合う中での障害処理では処理班が携行するたかだか数丁の銃は一切役に立たないし、下手な鉄砲撃ってる暇があったらさっさと処理を終えて下がったほうが安全です。
むしろ「そも小銃は集結地において行った」といわれても容易に納得できます。
それ以外の架橋・建設等では特に必要なものではないので、近傍に叉銃して集積しておいても別に不思議ではありません。
(砲兵・輜重兵は、敵の遊撃活動等でどうしても「意地でも戦わなければならない」場合があり得ますので、騎銃を背負っています。もちろん現在でも小銃を意地でも背負ってます・・・施設はわりと銃を置いていきますが)
スリングが各銃に付属していなかったとは思えませんが、「日常スリングを使わないことが習慣化していて特にそれを活用しようとは思わなかった」ということはあり得るかもしれません。
居眠り将軍
- 担銃は右手と右肩で支えるので、銃の重量が肩にだけかかるわけではありません。重量を分散して披露を軽減できる姿勢です。
SUDO
- 以前、私もここで同様の質問をしたことがあったのですが、過去ログをざっと検索しただけでは出てきませんね。
その時は三八式歩兵銃の全長が長すぎるためスリングではかえって携行し辛い、スリングで持ち運ぶと銃身に悪性の反りが起きやすくなるのではないか、といった返答をいただいた事を記憶しています。
参考にどうぞ。
砲身
- 負革だと行軍中に歩きながら居眠りして銃をおっことしませんか?(笑)
余り長い銃は身長の低い兵隊だと地物に引っ掛けたり、地面に引きずる可能性もあるので負革には向かないんでしょうね。
あるめ
- あえて付ける必要性を感じ無かったという所ではないのでしょうか?
映画のエキストラでモノホンの38式と99式を担いで行進しましたが、
正直負革があったた方が良いとは思いも寄らなかったことです。
「硬い木部が肩にのしかかるのと」とおっしゃいますが、木部なので肩に負担は感じませんでした。
というか、当時の兵隊さんは40kgのザック担いで行軍してるはずですので肩はかなり鍛えてる方ではないでしょうか。
担いでて一番厳しかったのは10kg近くある96軽機と十一年式軽機ですかね。
特に後者は持つ所が余り無いので非常に重く感じました。
(96のキャリングハンドルが非常にありがたかったです)
また肩に当たる部分が金属部なので、最初のうちはそうでもないのですが、行進してると肩が痛みはじめます。
ですので重心部と肩にあたるところの間にスポンジを入れていました。
(わざわざ予め準備してくれていたくらいです。)
しかし、一番疲労したのは肩ではなく下を支える手首でしたね・・・
P-kun
- 上にスコープとかダットサイトとかごちゃごちゃつけてるときには肩に乗せていったほうがいいかもしれませんね。スリング下げててどこかにぶつけたらゼロインとか狂いそうですし
Alphabette