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戦艦でも巡洋艦でも、砲を主戦兵装とする砲艦はだいたい主砲を撃つと衝撃でどこかが壊れるとかいう逸話があります。戦闘能力に関係ない部分が壊れるには大したことは無いんでしょうが、中にはそれが壊れたら戦闘継続に支障が出るような備品が壊れたりするとなると改良なり修正なりしなきゃいけなくなります。 こういうのが当たり前になったのっていつ頃からなんでしょうか? 同一の砲で統制射撃を行うようになったドレッドノート級以後は多分もうそうだったろうなととは思いますが、前ド級の頃にはすでにそうなってましたか? さすがに戦列艦ではそうでもないんじゃないかと思いますが・・・ おうる |
- 1880年あたりの、中央砲塔/露砲塔艦を見ると首尾線方向に撃とうものなら爆風で甲板上が色々大変だろうなと想像できますね。
前弩級艦でも中間砲が大口径になってくると射角によっては爆風が甲板上に影響しそうですね。
ご質問は「衝撃で」ということなので、戦艦ネプチューンの船体強度が不足で斉射に耐えられないとかそういうことを言いたいのかもしれませんが。
超音速
- 「改良なり修正なりしなきゃいけなくなり」だしたのはいつかという御質問ですので、随分とずれた回答になりますが、できたから問題なしということは太古からありえませんので、対策はしたけれど、問題が生じたケースで考えてみました。
発射の衝撃により、艦の運用や戦闘継続に不都合を生じるほどの影響が出たというのは、筒内爆発等を除けば、
1 日清戦争時の三景艦で艦が大傾斜
2 ビスマルク等のレーダーが故障
3 レイテ沖海戦時の武蔵で、方位盤が故障
というあたりでしょうか。
うち、1については傾斜の復原速度が遅かったことから伝わった誤伝とも言われています。
また、3も、そういう乗員の証言があるというだけで、第1次空襲時に主砲は発射しておらず、魚雷の命中、もしくは高速急転舵の連続による艦体震動が原因とも言われています。
したがって、重要なのは2に相当するケースでしょうが、これは、大和級でも生じており、スリガオ海峡海戦でもウエスト・ヴァージニアのMk8レーダーが故障しています。
これに対して、無線機の故障は存じませんので、当時のレーダーの脆弱性、特に真空管の問題だったのだろうと思っています。
発射の衝撃により、運用や戦闘継続に不都合を生じないように設計するのは当たり前です。それでも、完成後にいろいろと問題が生じますので、対策が練られます。たとえば、壊れやすい搭載艇や搭載機は格納庫に入れる、あるいは離脱させるというようなものです。
にもかかわらず、2のような事案が頻発したということは、そのような電子機器が脆弱であることは分かっていたが、あると有利であるので、あえて搭載されたからと考えております。
この考えが正しいとすれば、艦載レーダーの登場以降ということになりそうです。
hush
- 例によって、回答が遅れて申し訳ない。
まず、御質問の「こういうのが当たり前」というのが問題であり、さらに「衝撃」の意味が不明です。
1.軍艦へ大砲を搭載したり、搭載した大砲を発射したりする際には、原則として不都合が生じない措置が予め採られています。しかし、その措置が不十分であったり、予想されない事情や事態が生じた場合に問題となります。これは、軍艦への大砲の搭載に限らず、何時の時代でも、また何にでもいえます。御質問の軍艦への大砲の搭載では、第2次世界大戦以前の例を挙げると、商船に6インチ砲を搭載する際には、原則として据付箇所の補強がなされます。(初期の世界の艦船。旧海軍の造船官)。ドレッドノートで主砲をミシガンのような配置としなかったのは爆風対策のためといわれています。この場合は、杞憂(結果は誤り)でしたが。しかしながら、人は神様でないため、実際には種々不都合が生じることがあります。その例を、御質問の軍艦に搭載した大砲を例にして以下に記載します。
2.衝撃が発射の際の反動という意味ならば、三景艦がそうです。艦の先または後に搭載した32センチ砲は約4000トンの艦の重量に対して反動が大き過ぎたため、真横方向に発射すれば艦の進行方向が反対方向に曲ったそうです。伊藤正徳著「大海軍を想う」。米国の初期の重巡は、一斉に8インチ砲を発射すると散布界が拡がり過ぎたが、レキシントン級空母ではそうではなかったため、一因として艦が撓んだことが挙げられています。
衝撃が爆風という意味ならば、英国戦艦ネルソンを挙げられます。艦首に在る16インチ砲9門を一斉射撃した際の爆風はすさまじく、艦のあちこちに損傷が発生したそうです。このため、艦首方向と艦尾方向への射撃は非常時を除き制限されていたそうです(世界の艦船に掲載された福井著「英国戦艦ネルソン型に関する考察」)。なお、大和が第2砲塔と司令塔の間に副砲を搭載したのは、単に魚雷攻撃をしてくる敵駆逐艦に対する利便のみならず、18インチ砲6門の一斉射撃に対する爆風の艦橋への悪影響を防止する意図もあったと想います。なお、大和では戦訓により追加された対空砲、機銃に、特に捜査する人員に大きな悪影響があったそうです。
蛇足ながら、大型艦に対する魚雷攻撃は、回避されないように前方または斜め前方から行なうのが原則です(初期の世界の艦船。旧海軍造船官)。
UK
- >3
三景艦については、2に申しましたように、世に喧伝されていることは、誤伝である可能性が強いです。
桜と錨氏がブログに書いておられるように、もし、そのような致命的な欠陥があるのなら、他の艦のように砲の換装を行ったはずだからです。
もっとも、このカネー砲は、計画段階では42口径だったが、38口径に改められて完成していますので、計画のままでは何らかの不具合が予想されたのかもしれません。ただし、竣工後の射撃成績等を見ていても、それを窺わせるようなものは発見できませんでした。
したがって、記述中の伊藤正徳が上記にかかるものであるとするのなら、聞いた話を面白く書いたのが、誤伝の原因であるのかもしれないと思っています。
hush
- >3.
古い世艦や講談本のたぐいに書かれてる程度のコトは本欄への質問者様も既にご承知かと思いますけど
駄レス国務長官
- 4>すみません。 「他の艦のように砲の換装を行ったはず」とありますが、具体的にはどのようなことでしょうか。あの当時の我国で、砲の換装は不可能と思われますが。
UK
- 浪速級2隻と和泉が主砲を換装しています。
hush
- 便乗で質問で申し訳ありませんが、20年ぐらい前、大和級で3番主砲塔で46糎砲搭載艦としては小型すぎるため、
船体強度不足で同時に3発撃てず2門撃った後20秒位あとで
最後の1門を射撃していた(大和級が一斉撃方できなかった)と記載された本を読みました。
この事は本当なのでしょうか?多分に公試の段階で判明しそうですし。その本以外でこのような記述を見た事が有りません。
大和級が徹甲弾で一斉撃方をしたのはフィリピンでの海戦ぐらいしか思いつかないのですが……。(そもそも砲撃戦で一斉撃方したのかも良く解りません。目標は護衛空母かなんかの小艦艇だったと記憶してますが)
通りすがりです
- 1003の回答の中のリンクで9発同時射撃出来なかったと記載されていますが、発砲遅延装置を使っても一斉撃方出来なかったのでしょうか?
通りすがりです
- ググってみました、やはり9門同時発射はできず、1砲塔当たり2発までとの記載が散見されました。
しかし用兵上斉発が6発ならば3連砲塔でなくても良かったのでは?
(交互撃方なら意味があるのかもしれませんが……、連装4基でもA-140に決まる前に案として有った様な気がしましたが)
連続投稿失礼致しました。
通りすがりです
- 松本喜太郎元技術大佐の「戦艦大和 設計と建造」には「大和の46センチ3連装主砲塔は3砲身の同時斉射可能なような強度はなく2砲身の同時発射のみ考慮されていた」という記述があるそうです。
その本が手許にないので、どういう文脈で書かれているのか分からないのですが、大和は公試でも実戦でも一斉射撃を行っています。
それが、交互打方なのか、一斉打方なのかは、戦闘詳報を眺めても判然としませんが、投射量としては変わらないと思っています。
なお、フィリピンの海戦というのはサマール沖海戦と呼ばれるもので、護衛空母を正規空母と見誤っています。
hush
- hush様ありがとうございます。
私も松本喜太郎元技術大佐の「戦艦大和 設計と建造」で記述があるとの事は知っていましたが(私も手元にないのでうろ覚えです)
A-140A2案だと実際の決定案に比べて排水量が大きくなりそう(全長と砲塔一基分の重量の増加)な気がしてました。
当時の空想戦記ブームの時は大概、大和のアウトレンジ初弾一斉撃方で敵戦艦轟沈!(特にアイオワ級)ついでに九一式徹甲弾の水中効果抜群!
でサ−マルで(的の小さい護衛空母としても)ほとんど命中しなかった史実を考え「ホンマかいな?」と思ってました。
通りすがりです
- 上記サーマルではなくサマールです、なくサマールです、暗視装置の類じゃないですね、今後はよく文書を確認してから書き込みします。
すみませんでした。
通りすがりです
- 言ってる傍から……。駄文ですごめんなさい。
通りすがりです
- 手持ちの歴史群像太平洋戦史シリ−ズ「日本の戦艦」パーフェクトガイドの中のA-140計画にA-140A2って無かったですね……。
どこから得た記憶違いなのだろうと反省。ディーゼル機関のみのA-140B2で九四式40p8門で公試排水量62,000tなので逆に最終案より軽かった……。
自分の思い込みと記憶違いって恐ろしく愚かですね……。(A-140B2があるならA-140A2もあると思ってました)
ご迷惑と連続投稿申し訳ありませんでした。
通りすがりです
- A140のA2案はありますよ。
hush
- 松本本の当該部分(P165)
「計算の結果によると、一砲塔三砲身の二門から同時発射された際のこの(駐退機で吸収した)残りの力は三四六八瓦屯であった。これに耐える如く綿密慎重な計算によって決定された大和のring supportはよくその目的にかなったものであった」とのコト
駄レス国務長官
- >16.
A2案ってのは松本本に有りませんがどんなのでしたっけ
駄レス国務長官
- >17
フォロー多謝。
文意が全然違いますね。
もっとも、これでは全門斉射に対応できたかどうかは不分明ですが、常識的には可能だったのだろうとは思います。
>18
A2案は藤本の主砲塔の艦首集中型の原案に対して、平賀が福田に命じて主砲塔を前後に振り分けた案を提出させたものの一つのようです。
もっとも、こっちは艦名が専門で、艦形のことは全然存じませんので、誤解しているかもしれませんが。
hush
- hush様、駄レス国務長官様、ありがとうございます。
私のつたない記憶と想像ですが46糎2連装砲塔を艦首側、艦尾側に上部構造物を置き背負い式で2基ずつ搭載、
Aですのでタービン機関20万馬力、最大速力は30ノットだったかなと記憶してます、(何の本だったかな……それこそ架空戦記だったかも知れませんが)
通りすがりです
- >艦首側、艦尾側に上部構造物を置き
上部構造物を置きその前後に背負い式に2基ずつ搭載
です。
いかん、落ち着け私。良く文を見直して書け。
両氏、良く推敲してない文書ですみません。
通りすがりです
- >19.
主砲塔配置が違えば末尾1,2,でなく違うアルファベットに成りませかね
平賀好みの連装三連装前後振り分けはI案ですけど
駄レス国務長官
- >主砲塔配置が違えば末尾1,2,でなく違うアルファベットに成りませかね
これも説明不足でした、正確にはA-140(A)2でタービン機関で、A-140(B)2がディーゼル機関だったと思います。
ん?A-140Aでディーゼル、タービン併用艦だったからA-140A2も併用艦かも知れません。(ほんと頼りない記憶で自分が恨めしい)
通りすがりです
- >22
そのあたりはさっぱり分かりません。
ただ、連装、3連装混載ではなく、
通りすがりです氏が書いておられるように連装4基の案です。
出典は http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/JP/yama5.htm ですが、これってサンケイ出版から出ていた遠藤昭の「戦艦大和」そのものじゃないですか。
著作権が…。
hush
- >24.
思い出しました
確かにそのようです
駄レス国務長官
- hush様有益な出典ありがとうございます。
当時玉石混合でいろんな仮想戦記が出てたので、誰の著作か分かりませんが大半が史実か、説明の特に無いまま、
46糎3連装3基9門、速力30ノットかそれ以上の(中には40ノット)速力で敵アメリカ戦艦を薙ぎ払い、
16吋砲ではほぼ無傷といった大和が大暴れしていました。
本棚を整理してたら歴史群像シリーズが出てきて当時を思い出し、個人的には日本軍が弱体化していて、
アメリカ太平洋艦隊に艦隊決戦で大敗し、わざと本土決戦に持ち込み上手に負ける「鉄槌」という作品が好きでした。
さて、そろそろ話がそれてきたのでここまでにしたいと思います。
hush様、駄レス国務長官様、ご教授ありがとうございます。それではまた。
通りすがりです
- 7> hush様 和泉と難波の砲の換装は知りませんでした。どうも、有難う御座います。
但し、三景艦の場合は、艦と一体の巨砲であり、明治25年頃の我国では、換装は不可能であったと思います(想像で御免なさい)。
UK
- >27.
「艦と一体の巨砲」って何です?
三景艦の橋立は横須賀建造で主砲も本邦で搭載してますよ
搭載できたものを降ろして別物と換装するぐらい出来るでしょう
駄レス国務長官
- >27
999の12でレスさせてもらいました。
hush