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初めて質問させていただきます 日本海軍の潜水艦について、大戦中の写真で甲板上に白いラインを記入しているものがあります(ペナン出港中の伊10・上空からの伊37・伊11後甲板での万歳三唱・ペナン到着の呂500など) 写真のキャプションでは味方識別帯となっており、槇幸氏の伊25潜の回送にも"飛行機格納庫に白い識別帯を記入した"との記述がありますが、この白帯の本数や記入場所は特定の規則・訓令に基づいてなされたものなのでしょうか? (例えば前記の伊10・呂500は前甲板に白線2本、伊37は後甲板に白線2本、伊11は後甲板艦橋寄りの14サンチ砲付近に白線1本…と異なっており、あるいは駆逐艦に於ける所属水雷戦隊や駆逐隊の序列を示す煙突白線のような法則があるのか…?と疑問を持ったのですが、手持ちの海人社『日本潜水艦史』、大日本絵画『日本海軍の潜水艦』等の資料にも解説が見当たらず、ネット上でも見つけることが出来ませんでした) 御存じの方がいらっしゃいましたらご教示いただきたく、何卒宜しくお願い申し上げます 桃 |
- 潜水艦の識別は規定があり、時期で異ります。
煙突の白線のように個艦を識別する区分はなく各艦共通です。
BUN
- BUN様
ご回答をいただきありがとうございました
>潜水艦の識別は規定があり、時期で異ります
潜水艦は時期によって塗色の傾向や日の丸の大きさも異なっていたりと興味深いです、また水平面の黒塗装や遣独復路の伊30潜の顕著な濃淡塗装など惹かれる点が多いです
>煙突の白線のように個艦を識別する区分はなく各艦共通です
成る程共通なのですね
実は某所で太線+細線の(ちょうど駆逐艦の4番隊のような)識別帯を付けた丙型潜と太線1本の潜特の模型を見たもので、(??あるいは…?)と思った次第です
潜水艦は水上艦と比べて同型個艦の差異が少ないせいか模型でも他艦種と比べ人気が無いようで、その為か塗装や識別帯等に視点を置いた資料がなかなか見られず(見つからず)やっと辿り着いたのがこちらのサイトでした、そして今回BUN様にご回答をいただき本当にありがたいです
日本海軍の潜水艦は苛烈な戦場で任務を黙々とこなし消耗して行きました、しかし劣勢の中で旧式艦を操り米艦に魚雷を放ったL型呂61潜や、ドイツで装備したFlak38で最後まで戦った伊8潜など潜水艦乗り達の逸話に読む度に、日本潜水艦の様々な面からの更なる研究・検証が進むことを願って已みません
桃
- すぐに原文を提示できないので心苦しいのですが、
識別標識は部隊でも異り、例えば19年の八潜戦では幅1mで甲板サイズの白十字を描いています。
BUN
- BUN様
重ねての御教示、ありがとうございます
>識別標識は部隊でも異り、例えば19年の八潜戦では幅1mで甲板サイズの白十字を描いています。
19年の八潜戦というと、それまでの所属艦が太平洋へ引き抜かれ、伊8・37・165・166の4隻のみでの編成になった時期でしょうか?
これまで潜水艦の識別標識は白の直線と白地に三角の標識のみと思っていましたので、白十字の標識の存在は初めて知りました
本当にありがとうございます
桃