988 紀元二千六百年特別観艦式について
国立公文書館アジア歴史資料センター
紀元二千六百年祝典記録・第6冊https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta/A10110010200
から、参加航空機の機種を調べようとしています。
これの271ページによると、
空中分列式の第5群に飛行艇が20機いたようですが、大と中と書かれたものがあり、これは、97式飛行艇と99式飛行艇のことを指しているのかと考えています。
97式飛行艇が観艦式で写っている写真は有名ですが、少数しか生産されていない99式飛行艇が参加していたのか気になります。皆様のお考えを教えていただければ幸いです。
仮置零士

  1.  微妙ですね。
     99式の初飛行は1936年ですが制式採用は40年2月、その半年強後の10月の観艦式にどれだけ部隊に配備されたかということを考えるとfd中が91式を示す可能性はあります。
     ただ、翌41年に生産が中止されまでに試作機も含めて20機が製造されたことを考えると、表中にある合計9機があったとしてもそう不思議はないことかもしれません。
     一応、当時の佐世保、佐伯航空隊の配備状況を調べてみましたが、99式が配属されていたかどうかは分かりませんでした。
     ただ、観艦式という晴れの舞台ですから新鋭機を出したいでしょうから、運用できるものがあれば出すとは思います。
     もっとも、佐世保航空隊はともかく、採用後半年強の新鋭機を佐伯にまで配備できたかというと、それも疑問はありますので、もしかしたら混用だったのかもしれません。
     
    hush

  2. 日本ニュース第19号「紀元二千六百年特別観艦式」に空中を航過する飛行艇の映像が映っています。映像内のものは全て97式飛行艇に見えます。

    「紀元二千六百年祝典記録・第6冊」の序列図と見比べてみて、映像でとらえられているのは第二集団指揮小隊の飛行艇5機・第5群先頭の飛行艇9機と判別できると思います(いずれも97式)。
    序列図で500mとされている指揮小隊と第5群先頭の間隔からすると列が詰まりすぎているようにも見えますが、映っているのが指揮小隊抜きの第5群のみとするとそれはそれで並びがおかしい事になるでしょうし、ここは指揮小隊と第5群前半に位置する横浜空分、のべ「大」14機と判断しました。
    あと数秒長く第5群の通過が映っていれば謎が解けたのに・・・。惜しいですね。
    さわりんX

  3. 皆さん有難うございます。やはり、99式が参加していたかは、なかなか難しいですね。

    仮置零士


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