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雑誌「丸」2020年2月号別冊付録「戦艦『大和』メカニズム事典」を読んでいたら、大和型が5隻存在するとの記述がありました。当然計画も含めてのことでしょうが、それにしても、大和、武蔵、信濃、111号艦の4隻だったと記憶しています。自分の記憶が古びているのかもしれないと思い、ネット検索もしてみましたが、その範囲では5隻目(112号艦?)の存在は確認できませんでした。5隻目の大和型は実在するのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示いただきたいと存じます。よろしくお願い致します。 味噌煮込みドアラ |
- 〇五計画の改大和型とされる七九七号艦の事では?>5隻目
薩摩
- 1ということも考えられますが、単なる誤植ではないでしょうか。
hush
- 薩摩様、hush様、お答えありがとうございます。
まず、誤植とは考えづらいです。「最上型4隻で20基の砲塔を計画されていた大和型5隻に4基づつ分配する」と書かれています。これを「大和型4隻」とすると、計算が合わなくなります。
次に、ご指摘の通り、797号艦のことを指しているとすれば辻褄は合います。ただ、大和型の副砲として最上型の主砲を流用することが決められた際に、既にマル5計画の戦艦が(しかも1隻だけ)数に入っていたのかどうか、個人的に新たな疑問を感じます。
引き続き書籍などにも当たり、797号艦とマル5計画について調べてみたいと思います。お答えありがとうございました。
味噌煮込みドアラ
- どちらかと言うと副砲の話が間違いでは?
大淀型2隻に各2基4砲塔が流用されるのですから、本来の計画のままであれば〇5計画の時点で最上型が搭載していた15.5cm三連装砲塔は枯渇している筈です(〇3&〇4計画で大和型4隻16基+大淀型2隻4基で20基)。
797号艦については新造或いは高角砲の増載を考慮していたのではないでしょうか。
薩摩
- 丸スペシャルNo.115号「戦艦大和型」によると、D計画では51cm砲6門の超大和型2隻の他に、副砲を減らして高角砲を増やす等の小変更をした大和型が1隻計画されています。著者は阿部氏、多賀氏。
UK
- 重ねてのお答えありがとうございます。
マル4計画の段階で最上型の砲塔が払底していたのであれば、仮にマル5計画で5隻目の大和型が計画されていたとしても、最上型の砲塔を分配するのは不可能です。まして副砲を減らすという計画であったとするならば、「4基づつ分配」は成り立たないように思います。
自身でも調べてみたところ、「戦史叢書31 海軍軍戦備<1>」に、マル5計画では2隻の大和型が計画されていたと読める記述があります。一時期であれ大和型が6隻計画されていたとするなら、「4基づつ分配」は計画としても成り立たないように思われます。
「丸」といえば歴史ある雑誌で、根拠のない記述をすることはない、と考えての質問でしたが、どうやら5隻目の大和型は、少なくとも当該書籍の記述のような形では存在しないと判断して良さそうだと感じました。
みなさまのご教示に改めて感謝し、質問を閉じさせていただきます。
味噌煮込みドアラ
- 質問を閉じられた後で何ですが、活字になっているから、歴史ある雑誌だから間違いはないということはないです。
「世界の艦船」という、より専門性の高い雑誌でも、後で訂正が出る場合もありますし、書かれた方の思い違いという場合もあります。それを避けるために、校正というものがあるのですが、不充分だったということもあります。
5隻というのは、ちょっとあり得ない隻数ですので、それならそれで、その根拠を示すはずです。それがないということは、多分、誤植であろうと判断いたしました。
hush
- 歴史ある雑誌でも編集スタッフは年月とともに入れ替わりますし必ずしも万事に精通してるワケでは有りませんので最終的には著者で判断するコトに成りそうです
駄レス国務長官
- 該当号を購入して付属の冊子を確認しましたが、著者が個人ではなく編集部になってますね。
添付されているイラストも古いものを使いまわしているらしく、最近の研究では艦尾形状も平坦部はなかったとされていますが明らかに平坦部があるものを使用しています。
……ぱっと見た感じ、最新の考証より古い「通説」に基いて書かれた記事とも思えました。
薩摩
- もし、研究者を目指すのなら、戦記読み物を標榜する雑誌に基礎を置くのは間違いでして、お書きになられているように「戦史叢書」あたりを基準とするのが正しい姿勢です。ただし、これとても、絶対に正しいというわけではありません。
実は、この間、「信濃丸の知られざる生涯」という本を読んでいて、バルチック艦隊の発見について、公刊戦史や、最近、宮中で見つかった極秘海戦史にも載っていないことが書いてあって、あれはそんなに勇壮なものではなかったと知りました。また、旧日本海軍の士官名簿を作っていますが、基本と思われる資料の中でも、けっこう漢字の異同があり、いずれに信をおくべきか悩む部分があります。
さりとて、戦記読み物を標榜していても、8で
長官閣下がお書きになられているように、著者による部分もあり、たとえばT氏が機関のことを書いておられる、これに間違いは、ま、ないだろうとかいうことはあります(もちろん、他にも凄い方はたくさんおられますが)。
したがって、御自身の常識と違う部分があり、しかも、その根拠が書かれてない場合、誤植というものもありえるという視点も必要ではないかと思っております。
hush
- >10.
T氏もタマに間違うコトが有ります
駄レス国務長官
- 該当記事に関しては正直首を捻る文章が多く、あてに出来ない部分が大きすぎる気もします、以下抜粋。
「また15.5センチ砲の弾量は5.6トン、毎分5発を発射する」
「防御に関しては全周に125ミリの装甲を施している。装甲を強化することで旋回能力の低下を防ぐため、重装甲ではない(「最上」型搭載時代は25ミリ)」。
等々。
上の文章にしても56トンなら56キロの間違いと考えて良いと思いますが、5.6という数値な時点で「?」ですし、下の文章にしても全周125ミリの副砲ってかなり重装甲だと思うのですが……(そもそもそんな装甲強化してないでしょ、と思う)。
薩摩
- >8.の補足ですがミリタリ関係に限らず編集者は同年代の著者を好んで使う傾向があります
駄レス国務長官
- >「丸」といえば歴史ある雑誌で、根拠のない記述をすることはない、と考えての質問でしたが
皆さんも言っておられますが歴史ある雑誌といえども間違いがあったり、時代によって研究が進んだり…etcで「丸」一誌の記述だけで判断しないほうがいいですね。
例えばですが…
駆逐艦の煙突にみられる〇△□の記号は艦の序列を表すものですが、少し前の「丸」では特型駆逐艦の〇記号を『北方部隊所属を示す記号か?』と書いてあったり
海防艦「大東」と「昭南」の写真を取り違えていたり(同出版社の本にあるあ号作戦後の機銃増備状況を見ると矛盾がある)します
最近だと「丸」別冊イ400潜で、日本海軍の二等輸送艦と病院船高砂丸を米艦としていたり
単行本ですが間宮の写真を伊良湖として載せていたりしました
「丸」は歴史ある雑誌ですが時々"やらかし"もあります
POM
- 遅くなりましたが、重ねてのご教示に感謝致します。お答えくださったみなさま、ありがとうございました。今後の教訓とさせていただきます。
味噌煮込みドアラ