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いつもご教授頂きまして有り難うございます。 日本海軍は爆沈した戦艦「陸奥」を引き上げて3ヶ月で修理・再就役させることを調査検討したが、艦体の損傷が大きすぎて不可能だとの結論に達し断念したと聞いております。 では、比較的余裕のある平時であれば駆逐艦「梨」のように戦艦「陸奥」を引き上げ修理・再就役させることは可能だったのでしょうか? それとも同様に爆沈した戦艦「河内」のように放棄解体とするしかなかったのでしょうか。 宜しくお願いいたします。 Ranchan |
- 第3主砲塔の爆発で船体両断、後部船体は上下逆に裏返しですが、前部は右舷に横転したものの原形を保っておりますので、膨大な予算と金をかければ不可能ではないでしょう。
しかし、問題は引揚げのほうです。現場は浅海域ですが、潮流が早い上に、視界が1m程度しかありません。また、水中で作業できる時間も20分程度しかありません。
このため、戦後の艦尾部分の浮揚に際しても85mmワイヤーが切れるという1970年時点でも不測の事態が出来し、ダイナマイトの爆破により2分割して引揚げています。
残りの部分については、 https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/7_osirase/kisyareku/070424.html にあるように、現在も主要部分が海底に横たわったままです。
したがって、浮揚には船体の分割が必要であり、そのようなものを再就役させるための費用対効果があるかと考えると、きわめて疑問です。しかも1943年の爆沈という事実をずらさないとすれば、艦齢20年以上の老朽艦で、その予算で新艦を建造すべきでしょう。
hush
- 膨大な予算と金>膨大な予算と期間
失礼しました。
hush
- なお、現在、陸奥の船体の一部なりとも浮揚され、遺骨の多くが収集されているのは、損得を度外視してサルヴェージされた奇特な会社があったからであり、普通は無理であることを付記しておきます。
hush
- ご回答有り難うございます。
なるほど、引き揚げの方が困難なのですね。
駆逐艦「梨」の戦没地点と近いようなので、「梨」が再就役出来たのなら「陸奥」でも沈没時から短時間なら再就役目的の引き揚げも可能かと思いました。
沈没地点が難所の上に、「陸奥」はそのまま引き揚げるには大きすぎるのですね。せめて「三笠」のように着底なら・・・。
Ranchan