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帝国海軍などでは大和型戦艦が海軍高等技術会議等にかけられて案を検討する流れが知られてますが、アメリカやイギリスなどではどのような場でどのような人々が検討するのでしょうか? Mk.63GFCS |
- 多分、イギリスの場合は第2海軍卿Second Sea Lord and Deputy Chief of Naval Staffが人事・装備・インフラストラクチャーを管掌するとありますので、ここが中心となるのではと思っています。ただ、同国の場合は組織が非常にややこしいので、具体的な決定プロセスについては、不明です。
中途半端な回答で申し訳ありませんが。
hush
- ドレッドノートとインヴィンシブルはフィッシャー親分が子分共を一堂に集めて短期間にチャチャッと決めちゃってますね
駄レス国務長官
- 英海軍はかなり複雑なようですね。
米海軍はどうなのでしょうか?
Mk.63GFCS
- 多少、時期遅れですが、ご容赦を。何時でも、官民や洋の東西を問わず、また軍事に限らず、重要あるいは基本的な計画は上層部が決定し、それに基づいて名部局や担当部門が細部を決めていきます。基本的な計画としては、例えば旧ソ連や中共の国家としての第2次5ヵ年計画、我国の八八艦隊計画、米国の両用艦隊計画等です。細部の計画としては、パナマ運河を通過不能な戦艦を建造する。具体的には46センチ砲を8門以上搭載し、30ノット以上等の要目の戦艦を建造する等です。これを建造するに際して、担当の軍人と多分艦政本部の基本計画担当の技術者が種々の案を比較、検討して最終案を決めます。艦首側と艦尾側に連装と3連装を装備する案は時期的に無理として却下されました。30ノットの速力は艦が過大となるとして却下されました。但し、どうしても解決できない事項、極めて重大な要目の変更や基本計画そのもの変更に際しては、必要に応じて、別途の検討会が設けられたようです。大和の場合には、最晩年の近藤市郎氏に伺った話ですが、ディーゼルの不採用は上層部の年寄りによって決められ、その直ぐ後に氏にはディーゼルを開発している人をなだめて欲しい旨の密使が来たそうです。軽巡大淀の場合には、航空巡洋艦案は、高等技術会議で葬られました。この様な事項は、何処の国でも同じと思われます。
ただ、米国や英国は、我国より正しい判断をすることが多かったと思われます。例えば、7万トンの大和の高角砲は12門ですが、英国の3万5000トンの戦艦は16門、米国のそれは20門です。さらに、バイタルパートの防御とは別に、艦内への浸水を極言する等して船としての安定性や運動性を最後まで保持するということにも注意を払っていない様です(牧野茂氏、黛氏)。同じく、1905年の夏に戦艦安芸を建造するに際して、我国では12インチ連装砲を艦の前後に2基づつ配置する案が却下されています(伊藤正徳著「大海軍を想う」)。米国はミシガンを、英国はドレッドノートを建造しました。
確か、世界の艦船で、旧海軍の造船官であった堀氏が「技術者が、技術に基づいて意見を述べることは望まれてもいなかったし許されてもいなかった。」と記されています。また、高雄級重巡の巨大な艦橋に対して。ドイツのフェルスター海軍大将は「訓練には便利だが実戦では不利」と言い、イタリーのプリエーゼ造艦中将は「各部の要求を綜合して決定すべき権限と権威を造船計画者が持たずにただ漫然と受容れているだけであり、私は日本海軍が心配だ。」と行っています。マタパン岬沖海戦で、英国巡洋艦からはイタリー戦艦を視認できなかったそうです。米潜水艦が高雄級を雷撃する際、巨大な艦橋は良い目標になったのではと心配しています。
これらの理由ですが、根源的には、組織としての海軍が、技術者、軍人等、さらには大砲のみならず航空やダメスタ等の各部門の力を綜合して発揮するという面からは、英米ほどには発達していなかったからと想われます。米国では、軍人は同時に技術者であり、技術者は軍人でも有りました。
UK