976  戦列艦等帆船の火薬庫の壁には静電気対策で銅板が張られていたそうですが、これはいつ頃から始まったのですか?

 船体の銅被服と同様、銅が高価だったころは鉛板が使われてたりしたんでしょうか?
おうる

  1.  ヴィクトリーとコンスティチューションの火薬庫には銅が張られています。しかし、それ以前の帆船がどうであったかが不分明であったので、gunpowder magazine copperで検索をかけたところ、1759年と1765年に建設されたイギリスの陸上火薬庫に銅板が使用されていることが分かりました。これらが造られた当時からそうであったかどうかは分かりませんが、18世紀には使われていたのではないかと思っております。
     なお、gunpowder magazine leadでは思わしい検索結果が得られませんでしたので、鉛が使われたかどうかまでは分かりませんでした。
     
    hush

  2.  わざわざ調べていただいてありがとうございます。

     ヴィクトリー号の火薬庫に銅板が張られているのは存じておりましたが、今改めて調べてみると、どうやら1800〜1803年の再建造の際に火薬庫の銅板が追加装備されたようです。
     ヴィクトリー号の船体の銅版被服は1780年に追加装備されたそうですが、火薬庫への銅板追加が1800年にされたということは、1780年当時はまだ静電気対策としての銅板貼り付けの有効性は認知されていなかったのか?と思いきや、陸上の火薬庫には1759年に銅板が採用されてるんですよね・・・うーん
    おうる

  3.  
    https://www.researchgate.net/publication/252891104_Lightning_and_Gunpowder_in_the_18th_Century
     上記によると、イギリス、Purfleetの火薬庫にフランクリンの提案により銅板が設置されたのは1780年のことだそうです。
     

    hush

  4.  パーフリートPurfleetの火薬庫は1765年に完成しています。したがいまして、これは改装された結果ということなのでしょう。
     しかし、独立戦争中になぜフランクリンがイギリスに協力するのだろうかという疑問が生じるのですが、インゲンホウスはフランクリンと旧知の間柄のオランダ人で、その頃、パリにいたフランクリンに目的を話さずに聞いたのではないかと思っています。
     
    hush

  5.  ということは、火薬庫の壁を銅板で覆って静電気火災を防ぐのはベンジャミン・フランクリンによる発明なんですかね?

     確かに彼は雷の実験でロンドン王立協会の会員になってますし、オクスフォード大学で名誉学位も授与されてますから、英国内でも一目置かれる存在であったことは疑いようもありません。「彼がパリの社交界でこんな話をしていた」という伝聞でも注目はされそうです。
     避雷針の発明者でもあるので静電気対策について知見を持っていてもおかしくないとは思います。
    おうる

  6.  lightning damageですので、静電気対策ではなく、落雷対策ですが、フランクリンのアイデアです。また、壁と床は鉛を仕込んでいます。ただ、このことは忘れ去られていたいたようで、1876年にかのマックスウェルが同様の勧告を行ったと書いてあります。
     翻訳サイトの精度が上がったので、随分と楽になりましたが、思い違いをしていたら御免なさい。
     
    hush

  7.  回答ありがとうございます。
     最初に読んだ本には静電気対策としてと書いてあったのでてっきり静電気対策だと思っていましたが落雷対策だったのですね。

     静電気対策だと思っていたので検索をかけてもそれらしい答えを見つけることができませんでしたが、 Lightning Damage Gunpowder Copper Sheet で検索しなおすことでいくつか有益な情報を見つけることが出来ました。

     まとめると・・・
     ベンジャミン・フランクリンは1749年に避雷針を発明。
     それから1751年6月までの間に雷が火薬を発火させる事を発見し、1753年には家屋を落雷から守る方法を発表。
     1767年にフランクリンは金属製のカップに通電したところ、カップの中には電気が流れない事を発見。
     1769年にイタリアのブレジアで落雷による火薬庫の爆発事故が発生。これを受けて1772年5月にイギリス議会(英国兵器委員会)はベンジャミン・ウィルソンとベンジャミン・フランクリンに火薬の製造と保管について諮問しており、両者の間での長い論争(電気の正と負とか避雷針の先は尖った方がいいとか丸い方がいいとか)が始まる。王立協会による大規模な実験等を経て同年8月にフランクリンの勧告を採用されパーフリート兵器庫が改修される。
     1775年アメリカ独立戦争勃発。1776年後半からフランクリンは渡仏し、外交官として働く一方で定期的にフランスの科学アカデミーの会議に参加、落雷から建物と火薬を守る方法についていくつかの勧告を行う。
     1777年1月、インゲンホウスは皇帝ヨーゼフ2世の要請で落雷から火薬庫を保護する方法について助言を求める手紙をフランクリンに出す。
     1777年5月にパーフリート兵器庫に落雷があったが損傷は軽微だった。当時フランクリンはフランスに滞在。ウィルソンは避雷針の形状について実験を継続。
     1780年5月にインゲンホウスは再度フランクリンに助言を求めたのに対して返信。この中で壁を鉛で裏打ちしたうえで銅板で覆い、接合部を半田で埋めることを勧告。鉛の裏打ちは建物を構成する石材が落雷時の爆発で飛び散るのを防ぐためのもののようです。

     フランクリンがイギリスを支援したというか、オーストリアを通じてイギリスに情報が渡ったと見た方が自然な気がします。インゲンホウスの母国オランダもアメリカを支援してますし・・・
    おうる

  8.  どうも、かなり訳文を間違って返答していたようですね。
     失礼しました。
     
    hush

  9. >>8、いえ、おかげで私にとっては非常に有益な手掛かりを得ることが出来ました。ありがとうございました。

     機械翻訳の場合、翻訳対象がPDFだと一つの文章の途中で改行があると、改行の前と後を別の文章として翻訳してしまうようです。なので、原文を一行ずつコピーして繋ぎなおして機械翻訳にかけなおすとだいぶマシな翻訳ができます。

     それはそうと、肝心の艦船への最初の採用例がまだわかりません。英海軍の艦船の採用は1780年ごろからで良さそうですが、>>7の経緯の通りだとすると米艦や仏艦にはもっと早い時期に採用されていると思うのですが、それを示す資料が検索できません。ヒットしてるいくつかの内に書かれているかもしれませんが、ヒットしたものの半数以上が電子書籍の記事で機械翻訳にかけられないデータばかりなので・・・
    おうる


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