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日本海海戦で降伏したネボガトフ提督は軍事裁判にかけられ、有罪を宣告されています。 『坂の上の雲』によると、裁判では「なぜ自沈しなかったのか?」が争点となり、ネボガトフ(及び司馬遼太郎)は不可能だったと主張しています。 さて、質問させていただきます。 海戦において、敵に軍艦を引き渡すのを防ぐため自沈するのは難しいのでしょうか? また、実際に海戦中に自沈した例はあるのでしょうか? PIAT |
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E6%88%A6
実際に自沈している艦があります。
hush
- ゴミ取り権助が自沈したのを忘れていました。
海戦中の自沈は不可能ではないのに、ネボガトフが降伏を決意した理由がわかりません。
降伏には部下の命を救うという大義名分がありますが、損害が大きくても戦い続けるのがロシア軍の伝統だと思います。
ナボガトフは単に怖気づいたのでしょうか?
PIAT
- >2.
危なくなると勝手に戦線離脱して中立国の港に遁入し終戦まで抑留されたフネが露海軍には多いですけど
駄レス国務長官
- 中立国に逃げ込む行為は敵に艦を奪われないので、降伏よりもマシな行為だと思っていましたが、早い話が戦場から逃げたわけですね。
ロジェストヴェンスキー司令官は「ウラジオストックへ行け」と命令していましたが、中立国で抑留された艦長は処分をうけたのでしょうか?
PIAT
- >2
自沈したのはドミトリー・ドンスコイだけではありません。
>4
裁判で有罪になったのは、ネボガドフとコロン参謀長の2人だけと「坂の上の雲」に書いてあったと思うのですが、同書を見つけられませんので、確認が取れていません。
それはともかくとして、マニラで抑留された防護巡洋艦オレーグ、アウローラ、ジェムチュクの各艦長は処分を受けておりません。また、第1巡洋艦戦隊を率いていたエンクィスト少将も同様で1907年に中将で退役し12年に死亡しています。
なお、ロシアの公刊戦史「1904、5年露日海戦史」には「(エンクィスト)少将の比行為は何等犯罪的ならず(原文片仮名)」と書かれてあり、同戦隊のマニラ回航を肯定しています。オレーグ艦長が乗員の反対を押し切って上海回航を決めたのに対して、アウローラから移乗してきた少将は、24時間の在泊しか認められない同地より、マニラのほうがいいと指示しています。ともに、損傷した状態で日本艦隊と対するより、修繕の後に浦塩に向かおうとしたという釈明が認められたということでしょう。したがって、アメリカの官憲により抑留されたというのは慮外のことと考えられたのでしょう。
これに対し、ネボガドフの降伏については「五千の生霊を救はんが為」と称しているが、「比際我艦隊の名誉の為に碧血を流すも決して無益にはあらざるなり」に始まって数行を費やした後に「臆病」と断定しています。
もっとも、ジェムチュクはともかくとして、オレーグとアウローラは高速の防護巡洋艦であり、修繕されて通商破壊戦に使われたらかなり厄介なものです。したがって、「逃亡」は事実だとしてもそれなりの意味があります。
しかし、ネボガドフの与えられた艦艇は老朽艦ばかりです。これらが艦隊に加えられたのはニコライ2世の意向だったようですが、足手まといにしかならないものです。それでも、インペラートル・ニコライ1世は、浅間、出雲等に損傷を与えておりますが、包囲した日本艦隊と交戦できるようなものではありません。したがって、交戦は犬死でしかないのです。しかも、そのような艦艇でというのは、皇帝の判断が間違っていたというのと同義ですから、自らの責任で降伏を選んだネボガドフは、なかなか人間味のある人物だったようにも思います。
hush
- 先ほど確認したところでは、「坂の上の雲」には軍事裁判のことは書いてありませんでした。大変失礼致しました。
hush