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戦艦大和では第五分隊と第六分隊が高角砲、第七分隊と第八分隊が機銃を受け持っていたと聞きます。 これらは右舷と左舷で別れていたと聞きましたがどちらが右舷でどちらが左舷なのでしょうか? また、当時の乗員の方の話で「駆逐艦には風呂がないので大和の風呂に入りに来ていた」というのがあったのですが駆逐艦長でも風呂がなかったのでしょうか? 大和 |
- 機銃分隊について
具体的な資料を持ってないので分かりません。
風呂について
手元に光人社の「日本の駆逐艦」があるが、そこに掲載されている特型暁の図面には浴槽らしきものが書き込まれた兵員浴室がある。一方で松型橘のほうはイマイチ描写がはっきりせず、部屋の面積も暁に比べて心持ちせまいように見えます。艦内容積や建造コストの問題から艦型ごとに浴槽の有無が分かれていたのかもしれません。この辺は当時の手記などをあさってみないと確定できないかと思われます。
のけ
- 「巨大戦艦『大和』全軌跡」という本には、第5分隊(前部)、第6分隊(後部)とあるそうですが(どこへ置いたのか忘れたので、ネットのBook検索で調べています)、前後で分けていたということはありませんか。というのは、高角砲分隊が第5分隊だけの時期のことでしょうが、前部第6分隊、後部第7分隊のという記述もあるからです。
「日本の駆逐艦」もどこへ置いたのか分かりませんが、基本的に兵員用の浴室は旧日本海軍の駆逐艦にはありません。あるのは士官用で、兵員は、甲板にキャンバスでプールを作って、そこにボイラーで沸かした海水を入れてということになります。
ただ、洗顔、濯ぎ等に使用する真水の使用はかなり制限されるので、駆逐艦のような小型艦の場合、造水能力に余裕のある大型艦へ行ったのでしょう。
hush
- ありゃ、兵員用のものはないのですね。「日本の駆逐艦」には兵員浴室と書かれていたのですが、士官浴室がないのを見るとこちらが士官用のものだったのかな?
のけ
- >3
すいません、後で調べたら、特型も含めて旧式の駆逐艦には兵員浴室があったようです。
御免なさい。
hush
- 前後で別れていたのですか。
私は左右で別れていると聞いていたのですが、具体的に前後のどのあたりで別れているんでしょう?
高角砲とかは数からして前後で分けにくい気がするのですが。
駆逐艦についてはありがとうございました。
大和
- 世艦の大和トリビア本だとS18.11以前は高角砲・機銃とも各1分隊、S18.12以降は各2分隊とのことですから増設に備えて分隊も増やしたんじゃないでしょうか
駄レス国務長官
- 駆逐艦の風呂について。
「天津風」が魚雷で艦首を切断して漂流した際に、士官浴室に残っていた浴槽の真水で生きながらえた、という記述を見た記憶があります。(出典は忘れました。曖昧な情報で申し訳ありません。)
少なくとも甲型には、士官浴室はあったようです。
YK
- 駆逐艦の浴室に関して、丸スペシャルの日本の駆逐艦より。
野分は後檣の下、二番連管の次発装填装置に接した上部構造内に兵員浴室の表示があります。
初雪・浦波・夕霧・暁・春雨・荒潮・檜も殆ど同じ場所に兵員浴室や兵員浴室用煙突があります。
初春型や乙型、丙型も、丁型にあってこれらには無いとは考えにくく、兵員浴室まであるのではないでしょうか。
水雷艇は上記書籍では浴室の記載は見当たりませんが、他の資料では丙型海防艦も士官浴室・兵員浴室まであるので、精細に探せば見つかるかも知れません。
余談ですが、第13号型駆潜艇では公式の艦内側面図・各甲板平面図を見ても浴室が見当たらず、駆潜艇クラスでは浴室が無い模様です。
>7
駆逐艦の士官浴室は艦首側士官居住区の近傍、船首楼内にあるケースが殆どのようで、艦首というより船体前半を切断亡失した天津風の場合では士官浴室は残存していないと思います。
兵員浴室なら前掲の通り後部上構内ですので、こちらのほうではないでしょうか。
大瀬千早
- >5
すいません。それは存じませんので、どなたかフォローして戴ければと思っております。
>8
フォロー、ありがとうございます。
hush
- >8
ご指摘、ありがとうございます。
書き込んでから再度ソースを探したのですが、発見には至りませんでした。
士官浴室が船首楼にあったのならば、被雷時に失われていますね。
ただ、出港5日目の兵員浴室に真水が張ってあったとも思えず、風呂の水を云々という話し自体が怪しく思えてきました…。
YK
- とりあえず、駆逐艦には風呂はあると言うことですね。
それがわかれば大丈夫です。
ありがとうございました。
大和