757 旧帝国海軍の陽炎型駆逐艦の一次電源は、
1)直流
2)交流
のいずれだったのでしょうか?

1)の直流だったとする書籍には「海軍造船技術概要」があり、P.425に「陽炎型は直流艦であるが、夕雲は交流艦である」との記述があります。

2)の交流だったとする書籍には「昭和造船史」があり、以下の2箇所に記述があります。
・P556 陽炎型
 「本艦型は朝潮型の実績を待たず一次電源の交流化を実施し、以降の駆逐艦は全部交流艦になった。」
・P714 一次電源の交流化
 「昭和10年正式に採用が決定して直ちに朝潮型、陽炎型の新造駆逐艦を交流化(220V)し、〜」


「海軍造船技術概要」「昭和造船史」いづれも牧野氏が関係しており、時期的には「海軍造船技術概要」が終戦直後の資料で、「昭和造船史」が昭和48年の書籍になります。
終戦直後の記憶が定かだった時期の書を信じるべきか、その後の調査結果を織り込んでいるであろう後世の書を信じるべきか、、、ちょっと判断がつきません。中華民国に引き渡された「雪風」あたりから何かわかるかと調べもしましたが、結果は芳しくありません。

直流艦であったのか、昭和48年までに交流艦だという証拠が見つかったのか、どちらかだと思うのですが、その辺りの情報のバックグラウンドもあわせて回答頂けるとありがたいです。

よろしくお願い致します。

太助

  1. 質問者です。

    私事で申し訳ありませんが、ご回答頂けてもすぐには返信できそうにありません。予めお詫びしておきます。

    太助

  2. 「海軍電気技術史」では、陽炎型は交流となっていますが・・・。
    もしかしたら、牧野氏は、昭和22年にガリ版刷りで作られた「海軍電気技術史」の内容を知らず、昭和44年に活字印刷されてから、内容を知るに至った・・・のかも?しれませんね。
    交流艦に関する内容は「海軍電気技術史」(印刷版 第2部)の25頁26頁他に有り、「造艦テクノロジー開発物語」深田正雄 著(光人社 1999)等に引用されています。
    Luna

  3. 「造艦テクノロジー開発物語」の方の掲載箇所ですが、59〜68頁(艦内電源の交流化と単線配電)となっています。文中に「特型駆逐艦に〜」と有りますが、これは甲型の陽炎型や夕雲型に対して、朝潮型を指すもののようです(並型=睦月型以前、特型=吹雪型以降朝潮型以前、と区別をされる方が少なからず居るようです)。因みに「海軍電気技術史」の編者、名和武氏は艦政本部第三部(電気)のトップで、深田正雄氏は部下です(牧野茂氏が第四部(船体)なのは御存知の通り)。
    Luna

  4. 回答ありがとうございます!

    早速、「造艦テクノロジー開発物語」を買い求めました。
    当時の電気屋の記録なら確実ですね。

    太助


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