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度々ご教授頂きまして有り難うございます。 英戦艦の航続距離についてお伺いいたします。 WW2時代表 大和型 :16ノット/7200浬 KGV型:10ノット/5600浬(「DoY」)〜7000浬(「KGV」) WW1時代表 扶桑型(新造時):14ノット/8000浬 クイン・エリザベス型:10ノット/4400浬 R型:10ノット/4200浬 狭い地中海を想定戦場とするイタリア戦艦が「短距離スプリンター」と言われますが、「ヴィットリオ・ヴェネト」の20ノット/3900浬より短いのではないかと思えてしまいます。(もし上記英戦艦が20ノットで走ったら、どれほど走れるのやら・・・) 英戦艦は船団保護にも従事しており、かなり足の長い印象が強かったので意外に思いました。 彼女達の航続距離について、英海軍は不満を抱いていなかったのでしょうか? また、もし航続距離に問題があったのならどのようにカバーしていたのでしょうか? 宜しくお願い致します。 Ranchan |
- 直接の解答ではありませんが、大和型の海上運転結果では(実際の)航続距離は約12000浬です。
UK
- ご回答有り難うございます。
もし宜しければ、今後は質問に対するご回答を下さいますようお願い致します。
Ranchan
- キングジョージV世級の航続距離は当初計画では10ノットで14500海里の筈でしたが、搭載した新型機関の燃費が当初予定よりかなり悪化しており、大きな問題となっています。
ビスマルク追撃戦でのプリンス・オブ・ウェールズが燃料不足で戦場離脱を余儀なくされましたが、大戦後半の対日戦では頻繁な給油でこの問題をカバーしています(英海軍がカバーしたと言うより米軍の兵站能力に助けられた、と言うべきかも?)。
薩摩
- 1は、私なりには興味深かったのですが…。
それはともかくとして、KGV級の後期建造艦は前期艦より燃料搭載量を増やしておりますので、イギリス海軍はこの点を問題視していたことが分かります。
その上、戦争中にイギリス海軍は燃料の質の低下と海水の混入問題に悩まされており、さらに燃費は悪化しております。アンソンとデューク・オヴ・ヨークの2隻は機関の改造によりこの点を改善したようですが、他の艦は大変だったようです
hush
- >4.
KGV級は実質的に同時起工ですので第1艦の公試運転で初めて判明する燃費の悪さが進水済みの他4艦の基本計画に反映可能とは思えません
艦名 起工 進水 竣工 燃料投載量 航続距離(10ノット)
KGV 1937.1.1 1939.2.21 1940.9.30 3,918T 不明
PoW 1937.1.1 1939.5.3 1941.1.19 3,542T 不明
DoY 1937.5.5 1940.2.28 1941.8.20 3,910T 5,600浬(6.98T/h)
Anson 1937.7.22 1940.2.24 1942.4.14 4,210T 6,100浬(6.90T/h)
Howe 1937.6.1 1940.4.9 1942.6.2 3,840T 不明
ちなみに燃費は計画時は10ノットで2.4T/hのところ実力は6.5T/hと約2倍半の開きがあったのが本問題の原因でした(見積が大甘)
あとKGV級は5隻とも機関仕様は同一のはずですけどDoYとAnsonはWW2中でも機関の改造を実施したんでしょうか?
何時何処を如何弄ったのか大変興味があります
成績も6.90〜6.98t/hですからクラス平均以上ではありませんよね?
駄レス国務長官
- ちなみに「大和」の巡航燃費成績
15.91ノット 7.7トン/時(予行運転)
16.47ノット 8.7トン/時(公試運転)
ですから速力と排水量を勘案すればKGV級よか燃費良好と言えそうです
駄レス国務長官
- >5
御教示多謝。
"Conway's All the World's Fighting Ships,1922-1946"のKGVの要目表を見ながら書いたのですが、個々の燃料搭載量まで分かりませんでしたので、適当なことを書いたようで申し訳なく思っております。
改装につきましては、英語版WikipediaのKGV級の所に、
The Admiralty had been aware of this problem and were designing new types of oil sprayers and burners that could burn the available fuel oil much more efficiently, and sometime after 1944, Duke of York and Anson were fitted with new, higher pressure, oil sprayers and burners that restored the boilers to full efficiency.
とあります。
時期につきましては、
http://www.naval-history.net/xGM-Chrono-01BB-HMS_Duke_of_York.htm
によると、DofYは1945年1月から2月にかけて改修工事を行ってるようですが、アンソンのほうは、
http://www.naval-history.net/xGM-Chrono-01BB-HMS_Anson.htm
に記述がなく、1944年7月から45年3月の改修時に実施されたのではないかと思っております。
しかし、なぜ、計画段階と実際で2倍以上も燃費が異なったのでしょうか。もっとも、1で示された大和も、逆方向ですが、かなりの誤差が生じていますので、よくあることなのかなとも思いますが。
hush
- >>7
大和の場合は造機関係者が「航続距離が不足しては大問題だが多ければ大丈夫」と必要な燃料搭載量を過大に設定したのが原因だったような?
キングジョージV世級と違い、機関そのものの問題ではなく燃料搭載量を決定した人の問題なのが大和型の航続距離過大の原因だったはずです。
薩摩
- >7.
重油バーナーの換装でしたか・・・
>6.のAnsonの数値は1946年、DoYは1944年ですから換装の前後で大して変わってませんね
駄レス国務長官
- >8
ありがとうございます。ミニマムで設計されたはずの大和級でもそのようなことがあるのですね。
>9
はい、改造というより改修ですね。たしかに、あまり改善されていないようですが、戦時急造とはいえヴァンガードはこの式だと思いますので、それなりに満足していたということなのかもしれません。
hush
- >2 (1)基準排水量に35000トンという制限があり、(2)仮想敵国の独、伊との戦争の場合には補給基地が多数在り、(3)油槽艦を含む補助艦艇も多数有しており、(4)燃費が良い高温高圧のボイラは取扱いに難が在るため、航続距離は多少短くても仕方がないとされただけのことだと思います。
なお、(4)に関しては、独と米国の実情を考慮した場合、妥当だったと思われます。
UK
- >11.
(4)
もともと高温高圧缶を使用しない計画において計画値(10ノットで14,500浬)と実測値とで2倍以上の乖離が生じたことが問題視されてるんですけど
駄レス国務長官
- >12 英国のKGV型について記載しています。
UK
- >13.
>12.も英KGV級(1937)の話なんですけどね
駄レス国務長官
- >12〜14 錯覚、御免なさい。
KGVは、起工後1年してから完成した主砲を試射したところ予想以上に威力があることが、即ち防御が不足していることが判明し、大幅な変更を行っています。航続距離の計画値が何時のころか知りませんが、これも一因かも知れません。実測値は計画値の半分というのは常識では考えられません。
UK
- KGVの航続力問題は、計画時に汽缶の効率改善を大きく見過ぎた上で、それを前提として燃料搭載量を抑制したのが最大の要因です。駄レス長官殿の言われる大和の逆パターンとも言える話ですね。
因みに同級はハウの試験値を見る限り、12〜16ノット前後ではほぼ航続力の差異は生じず(14ノット時で、先に出ている10ノット時と同等の航続力の発揮が可能)、18ノット以降で減少していく格好になります。因みに同艦が20ノットで航走する場合は、
艦底清浄状態/通常海域で活動:4,450浬
出渠後半年間、通常海域で活動しての艦艇汚濁状態:4,100浬
出渠後半年間、熱帯水域で活動しての艦艇汚濁状態:3,800浬
という数字が出てもいます。
大塚好古
- >16 どうも有難う御座いました。今後の検討資料とさせて頂きます
UK
- 皆様ご回答有り難うございます。
戦艦キング・ジョージ5世型の航続距離が短いのは「見積もりが甘かったから」だったのですね。それにしても計画/実績:10ノット14500浬/10ノット5600〜7000浬とは・・・機関計画責任者は切腹ものではないでしょうか(冗談です)
実際の戦艦キング・ジョージ型は、本当にイタリア戦艦ヴィットリオ・ヴェネト型と大差ない「短距離スプリンター」型になってしまっていたとは存じませんでした。これではWW2時の英海軍は苦労したでしょうね。
ただ、クイン・エリザベス型戦艦やR型戦艦を見ると同時期の日本戦艦金剛型・扶桑型・伊勢型と比較してやはり足が短く思えます。
WW1時の英海軍がその程度の航続距離しか要求していないというのなら、当時の英海軍は戦艦をどのように使うつもりだったのでしょう?
(日本海軍の邀撃漸減作戦のように、敵主力艦隊の出動に応じて艦隊決戦を戦う迎撃戦艦戦隊とするつもりだったのでしょうか?)
Ranchan
- >18
御質問の意図とは違う方向に行ってしまったようで申し訳なく思っております。
御質問に戻りまして、日米の戦艦が航続力が長いだけではないかと愚考致しております。たとえば、QEの航続力の4400海里は約8000qですが、ロンドン=ニュー・ヨーク間の距離は約5600qですので、充分に大西洋を横断できる数値です。日英同盟の存在を考えると、イギリスは大西洋、地中海だけを考えていればよいので、この程度で充分だったのではないでしょうか。
と同時に、11でUK様が(2)、(3)で仰っておられるように、補給に関しては、他国より有利な体制にあります。そのような状況の中で、航続力を増やすより、他の部分に力点を置くほうが有利と考えた結果ではないかと考えております。
また、第1次大戦時においては、ドイツ海軍は地理的に不利な状況にあり、出てくるところを叩くというのが基本であろうと思いますので、航続力の多少はそれほど重要視されなかったと考えています。
ただ、イギリスは世界各地に植民地を持っており、その警備も必要でした。しかし、ドイツ主力艦隊が遠隔地まで遠征し、荒らしまわるというのは考えにくいので、基本は巡洋艦であると考えらていれたと思っております。実際、ゲーベンは別として、第1次世界大戦ではそのように推移したので、イギリスはその警備に巡洋戦艦を派遣しましたが、主力の戦艦を派遣する必要性はありませんでした。このため、戦間期においても、植民地警備は巡洋艦が中心であり、イギリス重巡洋艦は良好な居住性能と1万海里以上の大航続力が求められていました。
しかし、1923年の日英同盟の破棄により、太平洋も視野に入れなければならない状況に陥ります。日本、場合によってはアメリカとも対抗しなくてはならない状況になったのです(真珠湾攻撃以前においては、アメリカは親ドイツが主流でした)。これでは、重巡洋艦では対抗できないので、戦艦の配備も考えざるを得ません。
ところが、ネルソン級では、当時はそこまでの危機感がなかったのか、排水量の制約かは分かりませんが、16ノットで7000海里と、QE級等よりは大きな航続力を持っていたものの、充分な航続力はありませんでした。これが、次のKGV級では今までにない1万海里以上という大航続力の計画の原因だろうと思いますが、上記にありますように、実際にはそこまでいかなかったということではないでしょうか。
hush
- >18.
> WW1時の英海軍がその程度の航続距離しか要求していないというのなら、当時の英海軍は戦艦をどのように使うつもりだったのでしょう?
まずは独戦艦を叩きのめすってのがイニシャルプライオリティですから取り敢えず北海海域での戦闘に十分ならそれで良かったのではないかと
QE級以前は炭油混焼で載炭作業は人力ですからやたら航続距離延ばすのも得策ではないと思われ(艦型も増大しますしね)
あと当時の英戦艦隊も世上言われるように港で惰眠を貪ってたわけではなく独艦隊が出撃して来ずとも味方軽快部隊の支援や訓練を兼ねた定期的掃討などで随時出撃してます(ドイツ湾除く北海全域をほぼカバー)
この辺は公刊戦史の類を読めばお分かりかと
駄レス国務長官
- ご回答有り難うございます。
フォークランド沖海戦やWW2時のように、「広く世界中に利権をもつ英国の戦艦は、本国から遠く離れて活動する場合も多々ある」とのイメージがあったのですが、主敵ドイツ戦艦がWW2時と異なり通商破壊戦などに投入されておらずドイツ本国に居続けるなら、運用コストの高い戦艦を派遣する意味もないですね。
WW1時とWW2時では、英戦艦を取り巻く事情が大きく変化していたことが分かりました。
Ranchan
- >21.
フォークランド海戦(1914.12.8)ですけど参加の英巡戦2隻は
11.11 デヴォンポート出航
11.18-19 ケープ・ヴェルデ諸島にて載炭
11.26-28 アブロルホス・ロックスにて給炭船より載炭
12.7 フォークランド到着
12.8 載炭中にシュペー艦隊出現
・・・の経過をたどり、航海中15日間は連続18ノットを発揮した模様
ちなみにインヴィンシブル級の燃料搭載量は石炭3,000トン・重油725トン
航続力は10ノットで6,210浬、22.3ノットで3,050浬との由
駄レス国務長官