352 第2次ソロモン海戦の参加艦艇に関して質問があります。

前進部隊のとして第27駆逐隊が参加したことになっていますが、下記のように辻褄の合わない資料があります。

@朝日ソノラマ「駆逐艦 五月雨」
 P95 8月21日午後1時トラック島入港。燃料補給。午後9時、陸奥の直衛として南太平洋に出撃。

A戦史叢書83「南東方面海軍作戦(2)ガ島撤収まで」
 P9 八月下旬の南東方面の我軍の状況 支援部隊/前進部隊/本隊の兵力に27dgはなく、2dgがある。

B丸スペシャル24「駆逐艦 初春型・白露型」
 P32、P33、P46 行動年表の17年8月頃の記載
  有明  17日トラック島入港 20日同出港 22日ナウル島砲撃 25日ナウル島に陸戦隊揚陸
  夕暮  17日トラック島入港 18日同出港
  白露  17日トラック島出港 マーシャル群島方面行動
  時雨  記載なし

  村雨  21日トラック島入港
  夕立  記載なし
  春雨  21日トラック島入港、同日、出港 ソロモン方面行動
  五月雨 21日トラック島入港、同日、出港 ソロモン方面行動

これらを考え合わせると第27駆逐隊の参加は第2駆逐隊の間違えではないのでしょうか。

すぱいだー

  1. 時系列で前進部隊の駆逐艦関係を整理すると

    8月14日第二水雷戦隊(神通、陽炎)は前進部隊から外南洋部隊に編入。
    8月17日第四水雷戦隊第二十七駆逐隊は前進部隊から内南洋部隊に編入。故に第二十七駆逐隊は第2次ソロモン海戦には参加していない。同日二水戦の第二十四駆逐隊は四水戦司令官の指揮を解かれ、二水戦司令官の指揮を受けるよう命じられた。

    8月20日1900前進部隊は四水戦〔軽巡由良、第九駆逐隊(朝雲、夏雲―峯雲欠)〕、第四戦隊、第五戦隊、十一航戦(千歳)の順にトラックを出撃。

    別動中の第十五、第二各駆逐隊は20日第七戦隊と分離しトラックに向かい、第二駆逐隊(村雨、春雨、五月雨―夕立欠)は21日1300トラック着、同日2100陸奥を護衛しトラックを出撃。

    第十五駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)は21日1400トラック到着、前進部隊本隊に合同すべく同日1630トラック出撃。
    峯雲は20日山陽丸を護衛、トラックを出港し、21日トラックに戻ってきた。前進部隊本隊に合同すべく補給を行ない、トラックを出撃したところ、冬島に座礁してしまった。自力で離礁し応急修理を行なった同艦は、22日トラックを出撃南下した。

    23日1105第十五駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)が前進部隊本隊に合同した。
    峯雲はこの日敷波護衛の日本丸と合同し、その護衛を敷波から引き継いだ。

    第十五駆逐隊合同後、前進部隊本隊の兵力は次のとおり。
     第四戦隊 重巡愛宕、高雄、摩耶
     第五戦隊 重巡妙高、羽黒
     第四水雷戦隊 軽巡由良、第九駆逐隊(朝雲、夏雲) 
     第二水雷戦隊 第十五駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)   
     第十一航空戦隊 水上機母艦千歳

    陸奥の直衛に当たっていた第二駆逐隊が、第2次ソロモン海戦に参加したと言えるのかどうか微妙な気がします。陸奥が24日どの辺りにいたかがはっきりしないからです。

    横鎮

  2. 横鎮様、回答ありがとうございます。

    各艦の行動が良く判りました。
    ただ、もう一点疑問が出てしまったので追加で質問させて下さい。

    丸スペシャル41「日本の駆逐艦I」
     P47 行動年表の17年8月頃の記載
      野分  16日呉出港 24日第二次ソロモン海戦に参加
      舞風  16日呉出港 ガ島輸送作戦に三回従事 24日第二次ソロモン海戦に参加

    第十一航空戦隊の護衛と記載した資料などもありますが、戦史叢書83には4dgは記載されていません。
    第四駆逐隊はどのように第二次ソロモン海戦に参加したのかご存知でしたら教えて下さい。

    また、差支えなければこのような問題の調べ方などご教授頂ければ幸いです。

    すぱいだー

  3. 申し訳ありません。
    機動部隊/前衛部隊/第十戦隊に4dgを見つけました。
    お騒がせしました。

    すぱいだー

  4. 機動部隊に編入されている第4駆逐隊は第2小隊(「野分」「舞風」)のみです。

    第4駆逐隊第1小隊:「嵐」「萩風」は外南洋部隊増援部隊挺身隊として第17駆逐隊(「磯風」欠):「浦風」「谷風」「浜風」、「陽炎」とともに一木支隊先遣隊900名を分乗させ、8月16日0500にトラックを出撃、ガダルカナルへ向かっています。

    以後の挺身隊の行動経過は

    18日
    挺身隊はガ島に突入し揚陸に成功、17dg(「磯風」欠)はガ島揚陸後、指揮下を離れラバウルへ向かう。
    挺身隊の残りはガ島沿岸の警戒に従事。

    19日
    「萩風」がB-17の攻撃を受け損傷、「嵐」護衛の下、増援部隊の指揮下を離れトラックに向かう。
    「陽炎」は単独でガ島沿岸にとどまる。

    20日?
    「陽炎」ガ島沖を離脱。

    21日
    「陽炎」ショートランド着。

    です。
    出沼ひさし

  5. >2 差支えなければこのような問題の調べ方などご教授頂ければ幸いです。

    ネタばらしをすると、「第五戦隊戦闘詳報」「第二水雷戦隊戦闘詳報・戦時日誌」「駆逐艦行動調書(一部の艦欠落)」(以上防衛研究所戦史研究センター所蔵)、小板橋孝策「重巡愛宕戦記」、須藤幸助「進撃水雷戦隊」(朝日ソノラマ「駆逐艦 五月雨」と同じ内容)を使ってまとめたものです。

    戦闘詳報・戦時日誌(航空部隊を除く)はアジア歴史資料センターのウエブサイトで閲覧できます。行動調書もいずれ公開されるでしょうが、数年先のことになると思います。直接防衛研究所戦史研究センターに行けば、だれでも閲覧は可能です。

    横鎮

  6. 出沼ひさし様
    第4駆逐隊行動詳細ありがとうございます。

    横鎮様
    ネタばらしありがとうございます。

    御苦労の積み重ねをご教授頂きありがとうございます。
    アジ歴のウエブサイトは最近知りましたが、原文の読破はなかなか手強いものがあります。また、知りたい情報の所在が簡単には判らない所も悩みの種です。

    今後は自分での調査もより頑張りますが、またの質問となった際には宜しくお付き合い下さい。

    すぱいだー


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