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タラワ上陸戦の際、機銃座が置かれ海兵隊を悩ませた斉田丸の出自を教えてください。 アジ歴の喪失船舶一覧表(レファレンスコード C08050009900)に見当たらないので、戦前の座礁船だと思うのですが。 U-TARO |
- 手持ちの資料を調べても、そのような名の船は見つかりません。
ただ、アメリカ側の資料を調べてみるとSaidu maruという名前で下記のような写真が見つかりました。
http://s77.photobucket.com/albums/j66/gpcamera/Military%20Reference/?action=view¤t=1CAYU1BSCCA8TKFQ6CATD9UT2CA6CGF7JCA.jpg&newest=1
見たところ、かなり小型の船のようですので、資料にないのは仕方ないのかもしれません。
hush
- 御教授ありがとうございました。
hush様の資料にも無いということでしたら、手許の本やWEBでは見当たらなかったのも納得です。御礼申し上げます。
U-TARO
- http://tarawaontheweb.org/niminoa.htm
戦前にイギリス人のEdward Harness氏が所有していた"Niminoa"という船みたいですね。ギルバート諸島間の航路で使われていたみたいです。
1941年に日本に接収される前に自ら沈めたと。
"Martin Russ"、"Michael Graham" 両氏により1943.9.18にドーントレスによって沈められた"Sada Maru"と誤って紹介されていると書かれていますね。
jas1
- >3
英語版WikipediaのBetioのページ(現在、英語版は抗議活動のため閲覧しにくくなっておりますが)
http://en.wikipedia.org/wiki/Betio
には、 RCS Nimanoa was a wooden-hulled ketch, whereas Saidu Maru was a steel-hulled vesselという注意書きがあって、Niminoaは木造ケッチ型帆船であり、Saidu maruは鋼製であると書いてあります。
また、
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/USN-Chron/USN-Chron-1943.html
には、1943年9月18日にアメリカ第15任務部隊空母搭載機がタラワを空襲したという記録はあるのですが、Sada maruという船が沈められたとはありません。
もちろん、記録されていない船もありますので、これをもって間違いとはできないのですが、現在のところ、いかなる船かは不明というしかないのではないかと思っております。
ただ、
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/ships/SS_List011.html
には、定丸が3隻、さだ丸が2隻掲載されております。
しかし、
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/senbotusen/siryo-deta/togoushiplist.pdf
にも、これらの掲載はなく、戦時中の帰趨についても不明です。
以上、御参考までに
hush
- >4
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USMC/USMC-C-Tarawa/index.html
同じくibiblio.orgですがアメリカ海兵隊の戦記にNiminoaに籠る日本軍と交戦したとの記録がありますし
この船がNiminoaだという何らかの確証があるんじゃないのかなーとは思いますけどね。
ただ>2の最後にもNiminoaは別の船の可能性があるとして写真が2枚(漁船タイプ&>1の船)並べられてて
>1の船は「USMC film "With the Marines at Tarawa"」からの引用で
漁船タイプは「Hammel's revised edition of 76 Hours, Bloody Tarawa」からとして
「小さい方の船の正体は謎だ」で締められてますね。
環礁内の行き来用の船だったら漁船クラスの方がありえるとは思いますが。
jas1
- hush様、jas1様、多謝であります。
Sada Maru で検索すると海外でも Niminoa の間違いではないかという議論があるようですね。
http://disc.yourwebapps.com/discussion.cgi?disc=149620;article=12521; では関係者らしき方が Niminoa は約30メートルの木造船だと発言する一方、元兵士らしき方が漁船しか見なかったと言っています。
さらに、日本側の「斉田丸」はどこから来たものか(漢字名まである)謎は深まるばかりです。
U-TARO
- Royal Colony Ship (RCS) Nimanoaの写真を見つけました。
http://tighar.org/Publications/TTracks/15_1/mrsobrian.html
の真ん中辺りです。
hush
- 当方でも確認できました。
http://www.flickr.com/photos/16005425@N07/6418304891/
>6の議論や他のWEBでNimanoaの残骸には4気筒ディーゼル・エンジンが残されておりとの記述があり、木造帆船にディーゼル?と疑問だったのですが解消されました。
http://www.pacificwrecks.com/ships/ss/nimanoa.html
また、船体に多数の12.7mm銃痕があり、2発の100lb不発弾が近くから見つかったともありNimanoaで何らかの戦闘が行われたのは間違いないかと。
となると>1のSaidu maru(saida maru,sada maru?)や日本側の「斉田丸」は何?となって振り出しに戻ってしまうのですが。
jas1
- 如何も、これが戦闘後のSaidu maruの船上らしいですね。少なくとも木造船では無いと見えますね。
http://s77.photobucket.com/albums/j66/gpcamera/Military%20Reference/?action=view¤t=JCABPUIZHCAYXMC9FCAB78BTVCA7EB23JCA.jpg&newest=1
伸
- タラワを守備していた第3特別根拠地隊の戦時日誌を読むと、手に入る資料としては最後の日付付近と思われる昭和18年8月で、根拠地隊に付属していた艦艇は以下の通り。
魚雷艇二、三号
第六拓南丸
第二十五、第三十三駆潜特務艇
機帆船 宝定丸、和光丸、第二福寿丸
>1>9の写真からすると、機帆船っぽいですよねぇ。
伸
- >伸さん
提示された各艇の指揮官はおわかりになりますでしょうか。
番号艇名などが、現地では指揮官名で呼ばれていた可能性はありませんか?
志郎
- >11
第3特別根拠地隊の戦時日誌なので、各艦船の長の名前まで残念ながら載ってません。
私も>11で言われている事は頭に浮かんだので、資料を探しているのですが、芳しく無いです。
伸