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レイテ沖海戦後に長門に施された対空火器増強について質問です。 歴史群像の八八艦隊計画では、対空火器増強後は25mm3連装機銃が24基となっています。 戦後の長門を見る限り艦橋と煙突の間の増設フラットに6基、煙突の増設銃座に2基、後部艦橋に4基の計12基が増設され、 反対に高角砲台増設に伴い煙突脇に当たる位置の機銃が2基撤去、元装填演習砲があったところに フタをして増設されていた機銃が撤去され建造物(増設フラット機銃の兵員待機所?)になっていますので 計3基はレイテ沖海戦時の位置からは撤去されているかと思います。 そうすると差し引きで23基となるのですが残り1基の装備位置とはどこなのでしょうか? (前提として同書140-141に図示されているレイテ沖海戦時25mm3連装機銃14基からの改装を想定しています) また、この改装に伴い副砲4門が撤去されたという記述もありましたがこちらは15-18番砲が撤去と言うことでしょうか。 長門の撤去された副砲砲郭の処理を見るに15-18番砲後は綺麗に金属板で塞いでありましたが 1-14番砲はシールドが残されているところもあればバーベットのみのところもありかなり処理がバラバラな印象を受けたので。 それともレイテ沖で使用不能となった2、4、6、10番砲の何れかとその反対側などなのでしょうか。 ご教授頂ければ幸いです。 minerba |
- 本日(2011/11/16)久しぶりにココを見たその本の該当記事の著者ですが、あの本を書くのに使った「長門」の戦時中の兵器原簿のコピーが何処に仕舞いこんだのか出てこない・資料庫を家捜しするには仕事&私用で手が空かない状況でありますれば、申し訳ありませんが少々お待ち下さい。
大塚好古
- ご丁寧にありがとうございます。
お手透きの時にでも教えていただければ幸いです。
なぜかPCからだとエラーではじかれてしまうようになったので携帯より手短で失礼します。
minerba
- 本日(11/22)資料庫を探した結果、あの本を書くのに使った航海科の「軍艦長門操艦資料」と、砲術科の兵器原簿を含む「軍艦長門 砲術要誌」が、この両者を該当本の紙面構成参考資料として渡した編集部から、未だ返還されていない事が分かりましたorz(同時にコピーした赤城の見学者用パンフとかは見つかったんですが)。
該当資料はこれから返還請求しますので、資料が返還されて作業の手が空き次第、ここに御質問の件の御返答を書き込むか、うちの日記(期記?)に解答を記して、ここに通知致します。ただ今本当に公私ともに手が混んでいて中々身動きできない状況なので、申し訳ありませんがもう暫くお待ち下さい。
大塚好古
- 年末にもなってまいりますし皆様お忙しいものと心得ております。
ちょくちょく覗いてはおりますので気長にお待ちしております。
minerba