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イギリスは1900年頃になると米独海軍の規模が拡大した為、今までの二国標準主義が困難になり第二位の海軍に対して六割の優越を確保する六割優越主義に転換した、という話を聞きます。 そこで疑問なのですが、どういった理由から(七割や五割でなく)六割という数字をイギリスは選んだのでしょうか。 軍事的や予算的な内容の大きな議論を行った末、六割という数字が決定したのだと思われますが、どういった根拠で六割という数字が決定されたのでしょうか。 天ヶ崎 |
- ↓これの一番最後のセンテンスでしょうかね
http://www.globalsecurity.org/military/world/europe/uk-rn-policy2.htm
英海軍卿チャーチルが独のティルピッツに、ネイバルホリデイをやろうと提案した数字みたいですね。ドイツ側が飲める範囲の比率って点がポイントなんじゃないでしょうか。
SUDO
- SUDOさん、ありがとうございます。
ただ私の見た以下の記述では、
http://www3.ocn.ne.jp/~y.hirama/yh_ronbun_kenkan_e_2.html
「しかし、 新興国ドイツのウイルヘルム二世が一八九八年、 次いで一九〇〇年に「海軍法」を制定し大海軍の建設を始め、アメリカのローズヴエルト大統領も大海軍の建造を始め二国標準主義の維持が困難となると、 イギリスは第二位の海軍に対して六割の優越を確保する「六割優越主義」へと転換した。 さらに、 追い上げてくるドイツ、 アメリカやフランスを引き離すため、 フィッシャー提督は一九〇五年の予算で単一大口径の主砲を一線に並べた戦艦ドレッドノートと、 巡洋艦の高速性と戦艦と同一の大口径砲を装備した巡洋戦艦インビンシブルを進水させた。」
とあり、1913年に持ちかけた海軍休日の話では無いっぽいのです。
つまり当時のイギリスは、
ドイツ側が飲んだら6割の優越で、ドイツ側が飲まなくても6割の優越を維持するよ
という方針なのでしょうか。
ちょっと奇妙な感じはしますが。
天ヶ崎
- 日本で読めるなら、そのwebの管理者なり著者にお尋ねするのが宜しいかと思いますが?
SUDO
- 私は、google booksで一部が読める、
Nicholas A. Lambert著
Sir John Fisher's Naval Revolution
などや、SUDO様呈示のサイトを斜め読みしたしただけですが、
英国が政策として、弩級艦での対ドイツ6割優越を打ち出して、
二国標準主義を公式に放棄したのは、1912年のようです。
(実質的には1909年に転換、という記述もありますね)
したがって、質問者様が引用しているサイトの、当該記述部分は、
それからすると、いささか正確性を欠く記述とお見受けします。
なぜ弩級艦での60%優越かは、それらのサイト・文献では、
弩級艦出現により、前弩級艦は価値が低下し海軍力の指標たりえないこと、
北海エリアでの対独優越と地中海エリアでの対伊・対墺優越を維持するには、
対独比で弩級艦の60%優越が必要というようにと読めました。
もちろん、建艦費確保のために国民が増税を許容する限度との兼ね合い、
という民主主義国家ならではの事情もあるようですね。
二国標準主義から対独6割優越への転換は、
いくら英国の財政上の問題があるとはいえ、
国家の海軍力整備方針の一大転換ですから、
当時の海軍大臣や海軍内での検討、国会での議論があり、
後の歴史家や戦略研究者によって研究されている内容のようです。
SUDO様呈示のサイトにも様々なキーワードがありますので、
この際、本件にご興味があるのであれば、
英文文献・論文をあたられることをお薦めします。
以上、回答ではありませんが、多少なりともご参考になれば。
TMT
- 分かりました。
直接本人に聞くのが少し躊躇ってしまった為ここで聞いてしまいましたが、やはり本人に尋ねるのが一番良さそうですね。
天ヶ崎
- TMTさんありがとうございます。
提示して頂いたgoogle booksの本なども読んでみます。
天ヶ崎
- SUDOさんの言葉は後から自分の見解を述べるくらいなら質問するな、という意味です。
引用なさっている文章を書かれた方に質問せよと薦めている訳ではありません。
相手の方にも迷惑になる場合があります。
BUN
- 申し訳ありません。
ただ単純に、六割優越主義とはどういったものなのだろう、ただそれだけが知りたかっただけであり深い意味で言ったつもりは無かったんです。
確かにWEBサイトに書かれている事が気になるからと濫りに質問するのは相手方に迷惑になる可能性は十分ありますね。
些か軽率過ぎました。
天ヶ崎
- 対独6割優勢の内閣による最終決定が1912.3.28
その後海相チャーチルが下院に対してド級艦6割優勢の方針説明
ただし海軍部内では1908-09頃に二国標準主義から対独6割優勢に切り替えてた模様で、旗振りは第三海軍卿(艦政本部長相当職)ヂェリコ少将とのコト
ちなみに従来の二国標準主義とは具体的には仏露を想定敵としてたワケですケド
これらに対して独は海岸線が短くて艦隊の活動範囲がグッと狭いコトや
遣外艦隊もさほど強力でないってコトから対独6割優勢で良しってコトのようです
以上Marder著from the Dreadnought to Scapa Flow Vol.1に拠る
駄レス国務長官
- 駄レス国務長官さん、ありがとうございます。
軍縮条約時の日本海軍が対米7割の戦力を目指した事もそうですが、どういう理由で6割だとか7割と決めたのか疑問だったんです。
二国標準から六割優勢に切り替えた時期や、二国標準の二国の事(ドイツと思い込んでた)も教えて頂きありがとうございます。
天ヶ崎