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旧日本海軍の駆逐艦や潜水艦は軍艦扱いではなかったそうですが 1,これはどういった経緯でそうなったのでしょうか? 2,他国、例えば米海軍や英海軍ではこれらの艦船はどういった扱いであったのでしょうか? 3,日本海軍ではこれらの艦船に軍艦待遇を与えようといった運動は起こらなかったのでしょうか?またもし起こらなかったとしてそれは何故でしょうか? 霧番 |
- お手本となったのが英海軍だからじゃないでしょうか。1〜6等の軍艦とそれ以下の艦艇では、指揮官の階級や扱いも異なってます。
また特別に指定があるのかどうかは存じませんが、米海軍でも巡洋艦以上は大佐が、駆逐艦は中佐が艦長です。
待遇云々は人事や経理も関わる問題ですし、駆逐艦がそれなりに立派な艦艇になるのは日本では特型駆逐艦以降ですが、この時期、まだ1000tに満たず少し荒れたら外海に出られないような貧弱な代物も残存していましたし、もっと貧弱な代物があったことを実体験として有してる将兵も多数居たわけですから、駆逐艦を戦艦や巡洋艦と同等の格にしようとは思いがたいでしょう。
なお、大型化を続ける駆逐艦の一部を格上げしようという動きは戦後のアメリカ軍で一度起きてます。DLという艦種記号でフリゲートと名づけましたが、定着せず、DLの大きいものは巡洋艦に、小柄なものは駆逐艦に再分類されちゃって消えました。中々うまく行かないみたいです。
SUDO
- 駆逐艦や水雷艇は数隻が一群で行動するので、駆逐隊司令もしくは水雷艇隊司令が軍艦の艦長に相当し、個々の艦艇は軍制上独立の扱いを受けなかったからではないでしょうか
潜水艦はがんらい「可潜水雷艇」でしたので上記の流れを受けたモノかと
詳しくはもと本職の方が説明して下さると思います
駄レス国務長官
- SUDO様
現在のアメリカ海軍は、改良型オハイオ級原潜の艦長には大佐を充てていると思います。
なお、質問に対する解答からはそれますが(私見ですが)、現在の原子力潜水艦は、以前の狼群作戦の様に数隻が一群で行動することは少ないと思われます。また、一隻あたりの破壊力、国防に占めるウェートも大きくなっています(特に、英仏の戦略原潜の場合)。これらの面からも、潜水艦は軍艦として扱われ、その艦長の階級は上がって行く傾向にあると思われます。
UK
- 確たるソースは持ちませんが、大元は、「艦長が(母国の元首の代理として)外交プロトコールに沿った振る舞いが出来ることを期待されているか否か」ではないでしょうか?
六
- 1について
初期の水雷艇は排水量が100t未満で居住性や行動能力に欠ける艇でしたから、各種法令を一般の軍艦と同様に適用するのは無理があったと思われます。だったら別の艦種にする方が便利です。でないと定員や塗粧等の法令が変わる度に「但シ水雷艇ニハ之ヲ適用セズ」のような一文を加える必要があります。
明治23年8月13日の海軍艦籍条例における艦船の分類でも
第1種:戦闘航海ノ役務ニ堪フル軍艦
第2種:水雷艇
第3種:戦闘航海ノ役務ニ堪エザル軍艦
等となっており、既に水雷艇と軍艦は別扱いになっています。
初期の駆逐艦は排水量が300t程度で実質的に大型水雷艇でしたから、明治31年3月21日に制定された類別等級表でも水雷艇の種別内に駆逐艇として類別されています。
しかし、明治33年6月22日の改定で軍艦の種別内に駆逐艦として類別されました。これは実際に駆逐艦を運用した結果、水雷艇より優れた行動力を持つことが判ったため、水雷艇とは別扱いにする必要があったと思われます。ですから日露戦争に参加した駆逐艦は軍艦です。
しかしながら駆逐艦を軍艦とすることにはやっぱり無理があったのか、明治38年12月12日に種別で駆逐艦となりました。
実は潜水艦も似たような経緯で、明治38年1月12日に水雷艇内の等級で潜水艇とされ、明治38年12月12日に種別で潜水艇となっています。
2について
外国の海軍制度は専門外なので別の方にお願いします。
3について
私の知る限りでは制度改定の動きはなかったと思います。
理由としては
駆逐艦は数が多く制度改定の手間&経費がかかる。
軍艦が多数存在していたから軍艦にする必要がない。
と言ったことがあげられると思います。
戦後も帝國海軍が存続していたら、戦艦や巡洋艦の激減に応じて駆逐艦を軍艦にする可能性はあったと思います。
出沼ひさし
- 質問者の方がご存知かどうかわかりませんが、他の方が触れてないのでいちおう…
河用砲艦や占守型海防艦は排水量数百トンであっても艦首に菊花紋章のついた軍艦ですので、
大型艦艇=軍艦→菊花紋章→大佐艦長
といった図式には例外があることを補足しておきます。
※占守型海防艦の軍艦扱いは昭和17年7月の類別変更まで。中佐艦長だった海防艦は、それ以降少佐艦長。
超音速複葉機
- >6
>※占守型海防艦の軍艦扱いは昭和17年7月の類別変更まで。
正確には
昭和17年7月1日付の内令第1186号
「艦艇類別等級表中、軍艦、海防艦の項を削り、潜水艦の欄の次に、海防艦の項を加える。」
により「海防艦が軍艦内の類別ではなくなった。」
ですね。
占守型海防艦のみが軍艦扱いされなくなったわけではありません。
なお、
昭和19年10月1日付の内令第1130号
「艦艇類別等級表中、軍艦の部中、砲艦の項を削り潜水艦の項の次に、砲艦の項を加える。」
により、砲艦も軍艦内の類別ではなくなっています。
出沼ひさし
- 「軍艦」と呼ばれなかっただけで「軍艦扱い」はされていました。
海軍省教育局の「海軍兵須知提要」では
軍艦は国際法上本国領土の延長と見做され公海または外国領内に在る場合と
いえども外国政府からの不干渉、治外法権などの特権を有し、標識として
軍艦旗を用いる等としたうえで註記に
「特務艦、駆逐艦、潜水艦…及特務艇等も軍艦と同一の性質を有し及同様の標識を用いる」
「艦艇に搭載の船舟は艦艇と同一の特権を有する」
とされていて実質「軍艦扱い」です。
海軍士官が指揮をして海軍旗を揚げていれば「新米士官が指揮するカッター」でも「国際法上で特権を有する軍艦」となります。フネの大きさや指揮官の
階級は関係無く。
実際、潜水艦はともかく駆逐艦は(特型以降、戦時計画艦は除く)「軍艦」と
しての外交上必要な設備を備えていました。
フルコースの洋食を調理、提供できる士官用烹炊所とか、艦長室に準じた少人
数用の個室とか、乗退艦時に儀礼も行えるだけのスペースの右舷舷門から船首
楼までのリノリウムを貼った甲板とかです。
外交上使う機会は稀だったでしょうけど。
てぃんかん
- 皆さん回答ありがとうございます
何と無くですが回答が見えてきました
霧番