269 |
橋本以行艦長の経歴を見て思ったのですが、潜水艦畑の軍人が駆逐艦長になるときに何か不具合は無かったのでしょうか? 駆逐艦長としての経験など、色々と困った件があると思うのですが……。 また、逆に駆逐艦長が潜水艦に乗務することはあったのでしょうか? ブルーマックス |
- >色々と困った件がある
水上艦艇の運航・運用についての基礎的知識は兵学校から教育されておりますし、橋本氏についても砲艦ではありますが、一応初級将校としての経験があります。
艦長として2隻目、3隻目でも無い限り、始めて艦長になる場合は例え水上艦艇畑を歩いてきた人にとっても十分な知識技倆があるわけではありません。 艦長になってから経験を積んでいくものです。
それは例えば車の運転免許を考えていただけばよろしいかと。 教習所では常に横に指導員がおりますので、精神的にも安心して運転ができるはずです。 そして免許を取って始めて自分一人で運転したときのことを考えてみてください。 乗組将校と艦長の立場というのはそう言うものです。
「雪風」という個艦そのものについてのこと、護衛や対潜戦のノウハウなどですが、これはもう艦長になってから研究し経験を積むしかありません。 これは出身の如何に係わらず誰でも皆同じことです。
指揮官(艦艇長)というのは、後は一重にその人個人の才能・能力・人格の問題かと。 鉄砲屋でも水雷屋でも、名艦長になれる人もいれば、全くダメな人もいますので。
逆に橋本氏は潜水艦の知識・経験があるだけに、これは当時の駆逐艦長としては極めて有利な点であったと考えられます。
>駆逐艦長が潜水艦に乗務
潜水艦乗りが水上艦に回るのには別に特別な教育は必要なく、総てOJTでOKですが、逆に潜水艦乗りになるにはその性格上潜水学校を出ることが必須です。 旧海軍では人事制度として一度指揮官(艦艇長)配置に付けた人を改めてどん亀乗りとして再教育することは原則していなかったはずですので、その様な例は無かったのではないでしょうか? 全部調べたわけではありませんので確たるところは判りませんが。
艦船ファン
- 艦船ファン様
わかりやすい解説を交えてのご解答ありがとうございます。
経歴を見る限り橋本艦長は生粋のどん亀乗りらしいので、最後の「雪風艦長」のところで?と思っていました。
重ね重ねですがお礼申し上げます。
ブルーマックス
- 戯れ噺の類でしょうが・・・
潜水艦乗りのベテランが駆逐艦長になって、見張りから『敵駆逐艦!!』と言われた瞬間、反射的に
『急速潜行!!』と号令した、というハナシは聞いたことがありますが。
TOSHI!!
- TOSHI!!さん
回答ありがとうございます。
おもしろいエピソードですね。
やっぱりどん亀乗りの血は抑えられないというか……。
ブルーマックス
- 蛇足レスで失礼します。
>>3
それは某小説の中に出てくるエピソードですね(その艦長は以後、兵や下士官たちに「潜水艦」とあだ名されることになったとか・・・)。
いろいろな所からネタを持って来る作者なので、このエピソードも元ネタがあるなら是非教えてください。
>>4
橋本艦長とは全く逆のパターンもあります。
ドイツ海軍のペーター・クレーマー少佐は戦争前半を駆逐艦艦長を務め、1941年から潜水艦艦長になりました。そして、戦後まで生き残ったUボート艦長の中で最も長い戦歴を持つ艦長となります。
Uボートの消耗は凄まじく、全就役艦1020隻のうち715隻が失われています。特に、1944年以降のフランス西部の潜水艦基地から出撃したUボートの戦況は絶望的で、彼の乗艦以外はすべて撃沈されました。
彼の乗艦はそんな絶望的な戦況の中でも必ず生還するので、彼には「生命保険」という異名がつけられたそうです。
彼は自らの著書の中で、駆逐艦艦長としての経験が敵駆逐艦の動きを予測し、潜水艦を指揮して生還するうえで非常に役に立ったと記しています。
おうる
- >5
野暮ではございますが指摘させていただきます。
クレーマーに駆逐艦艦長の経験はありません。
「テオドール・リーデル」での勤務は砲術長としてです(艦長はベーミッヒ少佐)。
加賀谷康介
- >6
確認しました。
おっしゃる通りです。曖昧な記憶のまま書き込んでしまい大変、失礼しました。恥ずかしい限りです。
おうる
- 水上艦艇の場合は経験豊富な副長をつければある程度解消されると思いますが、潜水艦の場合には先任将校だけでは限界があるのでは?
RNR
- 辞令は敗戦後の話では?
経験の有無も関係ないでしょう。
テンペスト
- >9.
おっと、そうでしたね。 しかも橋本以行氏は当時米国に行っており着任もしていないようですね。 ご指摘ありがとうございました。
>ブルーマックスさん
とはいえ、旧海軍ではどん亀艦長経験者が水上艦艦長になる例は無かったわけではなく、というより別に珍しくはありませんでしたので、>1.はご質問の参考と言うことで。
例えば、海兵40期の金枡義夫は、7隻の潜水艦長の後、10隻の駆逐艦長(予備艦も含む)、「白鷹」「大井」「風早」の各艦長をしていますし、37期の春日篤は2隻の潜水艇艇長、4隻の潜水艦長をやり、2つの潜水隊司令のあとに「由良」艦長になっています。 また43期の加藤與四郎は5隻の潜水艦長と7つの潜水隊司令のあと、「鬼怒」「冲鷹」「摩耶」「出雲」の艦長をやるなど、それこそ枚挙に暇がありません。
艦船ファン
- >「1944年以降のフランス西部の潜水艦基地から出撃したUボートの戦況は絶望的で、彼の乗艦以外はすべて撃沈されました。」
1944年に入ってからもブレスト、ロリアンでは損失は多いものの多数のUボートが出撃、帰港に成功しています。
ヘルベルト・ヴェルナー艦長のU−415の場合ブレストを母港として
44年4月11日出撃、戦果をあげ、同16日帰港。
6月6日出撃、空爆により損傷、8日帰港。
7月2日出撃、戦果無し、13日帰港。
6月6日ノルマンディ上陸の時にはブレストにいたUボート全15隻が出撃。そのうちシュノーケル未装備の8隻は浮上して縦列で戦場をめざし激しい空爆を受けU−413(ディーター・ザクセ艦長)、U−256(ボッテンベルグ艦長)、U−415が損傷しながらも帰港。
シュノーケル装着艦はU−984(ハイン・ジーダー艦長)がフリゲート艦1、輸送船3を撃沈、帰港。
U−763(コルデス艦長)コルベット艦1、輸送船3を撃沈、帰港。
U−953(ハインツ・マルバッハ艦長)駆逐艦3隻を撃沈帰港しています。
7月ブレストに連合軍が迫ると解体された第9Uボート艦隊の司令ヴィーレン・ブロック少佐は大破したシュノーケル未装備のU−256を応急修理して脱出に成功。
8月23日には上記ベルナー艦長がブレストに最後に残ったU−953で連合軍に情報が筒抜けのなか定員の倍の人数を載せ魚雷を積まずイギリス海軍の包囲を突破して脱出に成功しています。
トロッター
- >>11
終戦前に喪われた・・・という意味でしたが文章が適切ではありませんでした。
U-415は1944年7月14日にブレスト沖で触雷、沈没。
U-413は1944年8月20日にイギリス海峡(ブライトン南方)で英駆逐艦隊の爆雷攻撃により撃沈。
U-256は1944年10月23日にノルウェーのベルゲンで体当たり攻撃を受け、捕獲されたのちに解体。
U-984は1944年8月20日にブレスト西方で加駆逐艦隊の爆雷攻撃により撃沈。
U-763は1945年1月29日にソ連機の爆撃を受け自沈。
U-953は終戦とともに降伏、英海軍に移籍したのちに試験に供され、最終的に解体。
U-953については把握しておりませんでした。 失礼しました。
おうる
- >12.そういう意味でしたか。
おうる様のことなのでご存知ないとも思えず書き込みのイージーミスかな?とも思ったのですが年数とか出撃港を変えてみてもつじつまが合わないので、もしかして私の資料が間違いかなと不安を感じつつ>11の書き込みました。
U−953は最後にブレストに帰港後、ハインツ・マルバッハ艦長が受勲のためベルリンに行き(7月初期の時点ではドイツ海軍は、陸軍がノルマンディの連合軍をまだ海に追い返すと思っていたようです)連合軍の予想外の急侵攻で戻れなくなり、艦を失ったU−415のヘルベルト・ヴェルナー艦長が引継ぎ終戦まで艦長を務めますが修理のためノルウェイに停泊、艦長が事務的な仕事で他の港に出向中に指揮官不在のまま終戦をむかえます。
艦長はそのまま捕虜になり艦に戻ることはありませんでした。
トロッター