232 鳥羽湾で沈んだ海防艦

夏休で鳥羽に来た時
鳥羽歴史資料館で鳥羽の戦中特別展を開催中でした
現在の真珠島沖で終戦直前に、米軍機の空襲で沈没した「海防艦」の記事がありました
帰宅後、艦名を調べましたが 中々ヒットしません
宜しくお願いします
当時、鳥羽の真珠島は伊勢湾防備隊本拠?だったとか
NAKAMURA・K

  1.  第四号海防艦かな。第四号海防艦は1945年7月28日に鳥羽で米軍機の空襲を受け、大破着底(戦後解体)しています。


  2. >1 補足ですが、戦没は1956年8月13日とする資料もあります。


  3. 訂正 ×1956年→○1945年


  4.  「海防艦戦記」によると第4号海防艦は1945年7月25日14時40分後部爆雷砲台に爆弾が命中し2番砲より後方を爆砕され22名が死亡21名が重軽傷を負って航行不能となり伊勢防備隊本部(真珠島)南方約50mに座礁7月28日再度の空襲により至近弾20数発とロケット弾の直撃3発を受けて13時45分船体放棄14時25分沈没し5名が死亡18名が死亡(要約)とあります。
     
    hush

  5. 早速の回答 有難うございました
    多分 第4号海防艦違いないと思います
    地元の資料館に、艦名と沈没日の明確な記載がないのが残念でした

    NAKAMURA・K

  6. 追伸・雑感で失礼いたします

    鳥羽市歴史資料館配布パンフによると、その空襲の状況は鳥羽城址(鳥羽小学校)から多くに目撃されていた模様。
    「軍艦のえらいひとが口に軍刀をくわえて海に逃げるところを見ました」パンフ(ママ)

    諸兄より教えて頂いた。第4号海防艦と
    「近代世界艦船事典」様 記載の
    八丈島沖でアメリカ潜水艦(SS277)スキャンプを爆雷攻撃により撃沈
    45.7/28鳥羽でアメリカ空母搭載機による空襲に遭遇し爆撃を受けて沈没9/15除籍
    48.6/30解体完了

    と同じ艦(艦長)だったのか、また一つ新たな疑問・興味につきません
    同じく、パンフに対岸の安楽(あら)島に有った「震洋」の基地にも触れていました
    NAKAMURA・K

  7.  拙サイトを御利用戴き、ありがとうございました。
     さきほど御覧になられたページを改訂しておきましたので、御覧戴ければ幸いです。
     なお、そのページにも書きましたが、スキャンプの喪失は第4号海防艦によるものと推定されており、竣工時の艦長は水谷勝二予備少佐、沈没時の艦長は伊藤俊雄予備少佐です。ただし、水谷艦長の在任期間を1944.4/5-45.2とする資料もあります。

    >鳥羽小学校から多くに目撃
     真珠島南方約50mということは鳥羽水族館(当時は造船所?)との間の海ですから、よく見えたと思います。というのは鳥羽城の大手門は水族館にあったと道沿いに表示されていたからです。
    >安楽島にあった震洋の基地
     幸い使用せずにすみましたが、志摩半島には特攻基地が散在しております。
     http://menatezz.sakura.ne.jp/siryou/siryou137.htm
     多分、絶版だと思いますが、上記の本に非常に詳しく載っておりますので、図書館等で機会がありましたら御一読になられてはどうでしょうか。
     あと、鳥羽の日和山(JR鳥羽駅裏)には無線電話発祥の地とか皇太子殿下御来台記念碑(1915年巡洋戦艦榛名で皇太子が訪問した記念)とかがあって興味深いところです。

     以上、いらぬ事まで書き込みましたが。
     
    hush

  8. hush様
    補足説明を戴き有難う御座いました
    私 戦後直の鳥羽生れ、亡父は海防艦の話を酔った時によくしていました。断片的な記憶に、「艦長は大法螺吹き、敵機を10機落とした、潜水艦を何隻も沈めた」当時として本当の事を話していたのかも(軍機に関する艦歴などを・・) 指揮官帽を被ったのが一番先に逃げていけば、あの艦長なら有りうる? 今は検証の方法も有りません
    九鬼水軍の本拠・国立鳥羽商船のある鳥羽で戦没した、第4号海防艦の艦歴に地元で興味が無いのが残念です

    関係ないコメントでしたが、今日は終戦記念日。戦没者・戦災者に合掌です。

    NAKAMURA・K

  9.  拙ページには掲載しておりませんが、第4号海防艦はスキャンプ撃沈の直後の1944年11月15日開場護衛司令長官より潜水艦4隻撃沈の感状を貰っております。これは海防艦単独では初めての感状だそうです。
     また、「海防艦戦記」には多数の撃墜の記録も記されております。空襲の中、船団の中で1隻だけ残ったこともあり、これは、本艦の対空能力が強力であったことに由来するようにも思います。
     また、第4号と番号が若い、つまり早期に就役した上、喪失までの期間が比較的長かったために、多数の戦闘に参加しております。それでも、潜水艦撃沈確実7、ほぼ確実1、撃破1、効果不明5、航空機撃墜11というのは凄い記録だと思います。ただ、これに対して戦死、戦傷死42、戦傷104、戦病死2、戦病33名という乗員の犠牲と引き換えであったのも事実だったわけですが。

     合掌
     
    hush


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