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毎度のプラモネタで失礼します。このたび帝国陸軍のキ49百式重爆撃機呑龍のプラモを製作しました。独特の主翼平面形は好き嫌いの分かれるところですが 作ってみるとなかなか個性的でカッコいいです。ところでこの機体は中島の小山悌技師を主任設計者として誕生したものですが、 「ヘレン(呑龍のコードネーム)は戦闘機設計者が爆撃機を手がければこんなふうになるという見本であろう。(中略)これらの主翼設計は結果として操縦性がすぐれ、パイロットたちの評判はよく、さすが戦闘機設計者と言われた(佐貫亦夫著:飛べヒコーキより)。」という評がある一方で、 「その操縦性は鈍く、まるで大型トラックのようで『呑龍ならぬ鈍龍』と空中勤務者の間で評判はさんざんであった。」の記載もあります。 後者は恐らく操縦軽快で垣根越し爆撃も可能な後継機四式重爆撃機飛龍と比較してのことかと思いますが、プラモを作った身としてはいささか呑龍に対して酷なような気がします。 公平に見て当時の「戦闘機設計者の設計になる爆撃機呑龍」の評価は上記2つのうちどちらがふさわしいのでしょうか?議論ボード向けかとも思いましたが、私の呑龍に対する情報量が少なく、議論に耐えるものではない(ウィキペディアに『同世代の一式陸攻より優れている点もあった』と書かれていてもどこが?ってくらい)ので、あえてこの板の識者の皆様に教えを乞うしだいです。 註:質問しても「どうしてそういう質問をしたのか理由を述べろ」とか「そういうものは議論ボードに行け」という方がいらっしゃるので、用心して書いていたら大変長い文面になってしまいました。冗長な点はどうもすみません。 備後ピート |
- それなりの数が配備された機体なので一〇〇式重は九七重と比較した操縦者の感想がある程度残っています。それらは九七重に比べて鈍重な機体といったものが大半です。
中島飛行機の機体設計は他社よりも分担が進んでいる上、そもそも大型機は一人の設計者が全てを仕切ることはありません。
おしなべて評判が悪かった、ということ、そして発動機の不具合が多発していたことは事実でしょう。
情報が乏しかった昔の随筆などに書かれた論評は注意して読むべきだと思います。
BUN
- おそらく三菱の零戦設計にあたってのの「回想録」が、「設計主務者」「主任設計者」というような言葉とか概念をひとり歩きさせてしまっているのでしょうが、他社は三菱と同じような編成の仕方を取っていません。
キ49当時で言うなら、中島太田の陸軍機関係第一製造部の設計課は、
・設計課 課長小山悌
・機体係
・キ43班 班長 太田稔
・キ44班 班長 森重信
・キ49班 班長 西村節郎
という編成です。
西村節郎のそれまでの設計歴は、AT旅客機、キ19。
キ49以降では富嶽の一部を担当しています。
片
- 比較してみると、三菱名航技術部は、
・技術部 部長 服部譲次
・第一設計課 課長 服部譲次(兼任)
・十二試陸攻 主務 本庄季郎
・十二試艦戦 主務 堀越二郎
というような構成です。
では服部譲次氏と小山悌氏が同じような立場なのかというと、
それも異なるのですが。
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- したがって、質問の前提にある「戦闘機設計者の設計になる爆撃機呑龍」というのはどうか、ということになります。
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