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戦前日本陸軍がキー60、キー61用にドイツから液冷エンジンを導入する際、現場担当者は、わが国の技術水準にかんがみ保守的で構造の簡単なユモエンジンを推薦したにもかかわらず、日本海軍の空技廠が彗星用にDBエンジンの導入を決めていたため、それに引っぱられる形で(ライセンス料の統一の関係?陸海軍の技術者の対抗意識?)先進的で構造の複雑なDBエンジンの導入に至ったと何かの資料で見た覚えがあります。 これは事実なのでしょうか?それとも一担当者の「あの時ああしておけばよかった」という感慨に過ぎないのでしょうか?元資料が見つからずうろ覚えで申し訳ありませんが、識者の皆様、このあたりの正確な経緯についてどうか教えてください。 備後ピート |
- 事実ではありません。そもそも選択権のある「担当者」など川崎航空機にはいません。陸軍はDB600系発動機の製造権購入交渉を独自の判断で開始していますし、DB601Aの製造権購入についても同様です。
BUN
- 大変失礼な言い方になりますが「現場担当者(どこの?)」「何かの資料で見た覚え」というあやふやなお話をを
「これは事実なのでしょうか」というのも何か違和感の有る質問では無いかと・・・
陸奥屋
- BUN様、陸奥屋様。ご指摘ありがとうございます。まったく反省することしきりです。大変失礼いたしました。その上で恥のかき捨てのような質問になりますが、「現場担当者」を「陸軍のドイツ駐在(派遣)技術士官」とし、陸軍のDB600系発動機の選定時(当然この時点には彗星、キー60、キー61の仕様書など影も形もない)とした場合には成立する話なのでしょうか?
私のあやふやな記憶の中でも「オレ個人はユンカースの方がダイムラーベンツよりいいと思ってたんだよ…。だけど上の判断で云々」という当該人物の述懐の記事を読んだことだけは、はっきりしているのですが…。
備後ピート
- ウィキペディア等ネットの記事を読んだだけでも、その当該人物が実際に当事者であったとしても
質問者様が紹介された述懐が後出しジャンケン(「見解」ですらない)事は証明できます。
レシプロエンジンの空冷に対する液冷の絶対的なメリットは、
外気に直接晒されないが故に気圧気温など外気の環境の急激な変化に惑わされず確実に動作し所定の性能を出せることです。
正面面積の小ささ等では在りません。
逆に云えば、
必要なのは正面面積の小ささ「だけ」だ、
装着する機体は気圧気温といった外環境の急変化を前提とする状況で運用する機種ではないのだから、
ならば
生産も兵站(整備)も段違いに負荷がかかる液冷列型など止めて、
空冷星型の範囲で小径化に注力すべきです。栄や誉など、史実でそうした様に。
その液冷に
ユモ210、ユモ211は沸騰冷却を採用しているため外環境の急変化につられ、構造も嵩張ります。
DB600シリーズは加圧冷却を採用し、外環境の急変化により惑わされず、しかもコンパクトです。
そして日本がDB600シリーズのライセンス契約を結んだのは1936年です。ベルリンオリンピックです。
三年後五年後に、ドイツそして日本が英仏蘇米と戦争をする事は、想定外でした。
(正確には、そのような事は組織利害として想定外にすることが望ましかった、のです。)
DB600シリーズの先進的な構造は、日本で生産困難だったとしても、いやそれ故にこそ
日本の発動機生産力を先進国にキャッチアップするチャレンジとして、望ましい事ですらあったのです。
にも。
- 同じ量の燃料を燃やして余った熱を気筒に直接外気を当てて捨てるか、冷却液を介してラジエーターで外気に当てて捨てるか、ですから「絶対的メリット」は無いと思いますよ。
BUN
- レトリックであり、陳謝します。飽く迄「的」であり本物の「絶対」ではないとご解釈ください。
日本の航空機用兵者の、只でさえ発動機に必要な技術の裾野が狭いのに
正面面積正面面積正面面積と国産発動機開発者に無理を強い、
一方で98軽爆そして彗星に液冷を採用するという愚行を見るに
空冷液冷の特質は正しく啓蒙されねばならないと常々考えてるからです。
にも。
- 九八軽爆の採用経緯はちゃんと調べれば理解できると思います。
彗星もDB600系発動機を装備すべき理由があります。
前面投影面積だけが問題だったのではないことは陸軍のDB601装備戦闘機の開発経緯の中で明らかになっています。
勝手に歴史を作らないで頂きたいと思います。
BUN