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もし1940年の東京オリンピックが予定通り行われていたら、競技場の上空を 源田実がアクロバット飛行して 5輪マークを描いたのでしょうか い |
- 僕は本来質問する側の人間ですから回答者に回るのは差し出がましいのですが、
曲技飛行のパイロットというのは、失敗が許されないからこそ、今では専門の部隊がわざわざ作られるわけです。スケジュール的に、航空参謀となった源田実の片手間に務まることでは、ないと思いますが。
どちらにせよ、あまりに不確実性の詰まった話ではありませんか?東京オリンピックへの零戦待望論といい。
げしゅたぽ
- 昭和15年にはもう、源田実は横空の搭乗員ではなく飛行機を降りています。
アクロバット飛行=源田サーカスと考えるのは間違いです。
フィクションの中でそのようなシーンを上手に登場させるためにはその背景となる5W1Hをよく考えておく必要があります。
源田実の源田サーカス(この「サーカス」は単純に曲技飛行を指しているのではなく、リヒトホーフェンが率いた飛行隊のあだ名に因んだ意味があります。)もそうですが、五つの輪を描く発煙装置の着想を誰がいつ何をきっかけに得るか、そもそも当時の低速な飛行機が旋回して煙の輪を空中に残せるのか、といったことも考えてみる、ということです。
BUN
- 東京五輪で行えるかどうかは別として、スモークで空中に文字を書くSkywritingの技術自体は1920年代からあるようです。
https://scarfandgoggles.wordpress.com/2013/03/22/western-front-warbirds-2/
名無し