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もし1940年の東京オリンピックが予定通り行われていたら、競技場の上空をゼロ戦がアクロバット飛行をして、列強を恐怖のどん底に陥れていたんでしょうか? 二六〇〇 |
- 1940年のオリンピックは軍部の反対により37年5月に返上が決定しています。日中戦争により資材不足が深刻化したからです。したがって、開催されるためには、同年7月の盧溝橋事件があってはいけませんし、39年のポーランド侵攻もあってはいけません。
また、12試艦戦として、零戦の試作がメーカーに示されたのは、返上が決まった37年5月です。なぜ、同時なのかというと、日中間の緊張が高まっていたからです。したがって、この緊張がなかったら、もっと遅くに提示されていた可能性があります。
よしんば、40年9月の開会に間に合ったとして、この時期の零戦は大きなGがかかると脚が飛び出す欠陥の改修が完了したばかりの上に、まだ20機弱ほどしか完成していません。アクロバット飛行ができるほど、操縦士の慣熟がすんでいたとは思えません。
したがって、そのようなことはありえません。
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- 十二試艦戦の試作計画は支那事変以前に決定していたものです。
中国の情勢と直接の関係はありません。
東京オリンピックが開催された場合には零戦が空中パレードを行ったかどうか、は何とも言えませんし、たとえ零戦が飛んだとしてもそれを見た各国が恐れ慄くことなど考え難いことでしょう。
1940年当時に当たり前の仕様の当たり前の戦闘機が飛んでいるだけです。
ですから「列強が恐怖のどん底に陥る」ことなどあり得ません。
また、零戦の出撃は史実では1940年9月には既に始まっていますのでもし空中パレードが実施されたと仮定するのであれば、観艦式での事例にあるようにその時の最新鋭機が参加する可能性は高いでしょう。
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