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質問1483を見て気になったことが二つあったので質問させて頂きます。 三菱の零戦は、桁等の構造材に強度上許容出来るギリギリまで軽め穴を開けて軽量化していたといいます。 しかし、零戦のライセンス生産をしていた中島飛行機では、これらの軽め穴を無駄な労力として、簡略化してしまったと聞きました。 質問1 軽め穴を減らした中島の零戦は、三菱の零戦と実際の性能差はほとんど無かったと言いますが、重量の面ではどのくらい差があったのでしょうか? 質問2 雷電や烈風と言った、その後の三菱の戦闘機においても、ギリギリまで軽め穴を開けると言ったことは行われていたのでしょうか? 写真屋ジョー |
- 製造時期により仕様が変わり重さもかわるので、厳密な比較はできませんが、21型も52型も三菱と中島で大きな違いはなく、重量は、ほとんど同じです。
飛行機の製造は、図面にしたがって行います。零戦の図面は、三菱が作成し軍が承認したものですから、中島で勝手に変更出来るものではありません。
中島では、確かに製造方法を変更した部分がありますが、重量や性能に大きく影響する様なものはまだ見たことがありません。
ケンジ
- 軽量化のための孔あけは当時の航空機に一般的なもので零戦の対極にあるように思えるF6Fの尾部も「これは零戦か?」と思う程に孔があけられています。
まずは「零戦に特徴的な軽め孔」という伝説から脱却することでしょう。
BUN
- 減らしたのは穴そのものではなく、穴周辺の切削加工(バリ取りとか端面削りとか)ではありませんか?
軽量化のために穴をあける行為自体は一般的で、やってない航空機を探す方が大変だと思いますが・・・
おうる
- >1>2>3
ケンジ様、BUN様、おうる様、ご回答ありがとうございます。
どの航空機にも軽め穴が空いてるのは、当然私も知っているので、
この話を聞いた時には、現場で追加で穴開けでもしているのかと、なんとなく思っていました。少し考えるとあり得ないことですね。
この話は俗説だったのですね。ありがとうございます。
もしこの話が本当なら、その辺りの姿勢というか思想が、烈風改とキ87の重量の差に多少影響しているのではと思い、質問させていただきました。
写真屋ジョー
- どこでこの話を見聞きしたのか少し調べてみたのですが、
私がこの話を見たのはこの辺でしょうか。
書籍でも見た気がしますが失念してしまいました。
http://tetsutaro.in.coocan.jp/Writer/S/S107.html
>軽量化の例として上げられる「肉抜き穴」。頑丈の例として上げられるグラマン社の戦闘機でも、強度計算の上でかなりの肉抜き穴が為されています。また零戦でも、機体の縦方向に貫通するストリンガーには穴は開いていません。零戦が特に過去に例のないほど、操縦席のパネルからコックピットの支柱から胴体フレームから、これでもかと細かく肉が抜かれたのは事実です。しかし、機体の設計上の強度計算に関わる事はない。軽量化というか、計算が厳しすぎて機体の強度不足が出たことは事実ですが、あくまで設計の問題です。しかも、生産量の60%以上を占めた中島飛行機製の零戦では、無意味な(と中島が判断した)穴は抜かれておらず、製造上で工程の簡略化も行われています。
そもそも零戦は、高性能を目指すため、実用上の問題がない程度にヤワにする、というのが設計目的でした。必要に応じてヤワに作らなければ、必要な性能が出せず、後世の人が安楽椅子で批判できる高性能を持った戦闘機にならないのです。
http://tetsutaro.in.coocan.jp/Writer/H/H079.html
>そして実質的に半分以上の零戦が中島飛行機において生産され、その過程で堀越技師が心血を注いだ少しでも軽くと言う発想による極端な軽め穴などが、無意味かつ製造上無駄と廃止されて、中島製零戦はより簡略化されて量産され、それでも性能に遜色なかったことなども完全にオミット。むろん、中島飛行機の製造ラインへの感謝などは一言もなし。
この二つの感想は、同じ方によるもので、
この方が何を根拠にしているのかはわかりませんが…
写真屋ジョー
- 中島は量産工場として、三菱の様な細かい量産ラインの切換を行わず、二一型と五二型を大量生産します。これが中島での生産数が三菱より多くなった大きな理由です。また増産のための製造上の施策は、海軍と三菱、中島などのメーカーが集まり、打ち合わせが行われています。中島での生産上の工夫があったことは、確かですが、それは、海軍にも三菱にもフィードバックされているのです。
中島での生産数が多いのは、中島が三菱より量産に優れていたという単純な話しではないのですが、その話しの方が分かり易かったので広まったのでしょう。
ケンジ
- >6
なるほど、ケンジ様、大変参考になりました。
とりあえず、この話は、俗説の一つとして捉えておきます。
写真屋ジョー
- >5
「堀越技師が心血を注いだ少しでも軽くと言う発想」は、十二試艦戦計画時に要求された性能に対して想定できる発動機の性能が小さすぎたことに対する機体設計側の対処方針です。
そのために主翼の外鈑をぎりぎりまで薄くしてその分軽量化するようなことも行われているのですが、しかし、下川事故の結果、剛性を稼ぐために主翼外鈑を増厚したところ、重量は増したがかえって速度が出てしまった。
実際、さらにその後にも、急降下制限速度を確保するために外鈑の増厚、イコール重量増加も行われています。
「少しでも軽く」というの、試製計画時に堀越技師が機体設計者として定めた計画方に、いわば、過ぎないのであり、それがそれ以降も零戦という実用機種を縛り続ける金科玉条だったわけではないのです。
片