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紫電改月産1000機計画とはどういうものだったんでしょうか? グフレロ |
- http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=095
上記の戦史叢書海軍航空概史の218駒(p410)に紫電改11800機を生産するとあります。これを12ヶ月で割ると月産約1000機です。
御質問が何を意図されているのかよく分からない部分がありますが、この件については、下記のURLでかなり詳しく書かれておりますので、ご参照になられてはどうでしょうか。
http://daihonnei.wpblog.jp/shiden-and-shidenkai4
https://kijidasu.com/?p=44478&page=5
hush
- すみません、hushさんの引用リンク先、ちょっと間違ってまして、十一
空廠、二十一空廠、高座工廠なども「部品」ではなく「機体の最終組立」を行ないます。
二軍廠(川西)
三菱(水島)
愛知
昭和
十一空廠
二十一空廠
高座工廠
と、一軍廠(中島)、渡辺、日飛を除いたほぼ全廠社で、紫電改の生産を行なうことになっていました。
中島などが除外されているのは、中島と渡辺で橘花、三菱の残りの生産力と日飛で秋水を作ることになっていたからです。
片
- hush様、片様、ご回答ありがとうございました。
グフレロ
- >2
フォロー多謝。
そうしますと、鈴鹿にあった三菱重工業名古屋航空機製作所三重工場(現在の鈴鹿市立千代崎中学校)の雷電の製造ラインは、戦争が長引けば秋水用に転換されたということですか。
ですから、近傍の四日市市南部丘陵公園に第2海軍燃料廠の秋水の燃料工場が建設され、貯蔵用のトンネルが四日市市立泊山小学校の近く等に残っているのかなと思いはじめました。
hush
- 四日市の秋水燃料工場は、海軍の秋水部隊三六二空(第三岡崎、名古屋)用かもしれませんね。中京地区で秋水を生産から運用まで行おうという考えがあったらしい雰囲気はあります。
片