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いつも楽しく拝見しております。初質問となります。 模型製作の際の艦載機の塗装に関して疑問が湧きました。 1.真珠湾攻撃の際の九七艦攻の機体上面塗装に関して 赤城・加賀艦載機は銀色と暗緑色の斑点二色迷彩(ハゲてるだけ?)、飛龍・蒼龍艦載機は暗緑色に茶色の斑点二色迷彩、翔鶴艦載機は灰白色と暗緑色の大柄な二色迷彩、瑞鶴艦載機は暗緑色と茶色の大柄な二色迷彩と記載されたサイトがありましたが、これは事実なのでしょうか? (上記が事実だとしたら)一方で零戦や九九艦爆は統一された塗装(全面灰白色)だったと思うのですが、なぜ九七艦攻だけ艦ごとの塗装バリエーションが許されたのでしょうか? 2.国籍マーク(日の丸)の白縁 過去のご回答で「1942年(昭和17年)10月5日より敵味方識別帯(黄色等)と白縁つき日の丸となる」とありましたが、龍驤や飛龍の艦載機の塗装例が書かれたサイトで白縁つき日の丸が書かれたものがあります。 これはありえないので誤りと考えていいでしょうか? それとも正式なルール化が1942/10であって、それ以前に一部の機体では白縁が書き込まれたことがあったのでしょうか? 素人質問で申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。 和城 |
- 1.について
対米戦の開戦に当たって、比較的優先度の高い低速機から機種を指定して、上面暗緑色迷彩を施すことが通達されていたと思われます。
この場合、九七艦攻がまずそれに当たりましたが、迷彩に使われるべきD2緑色塗料が充足していなかったため、本来行うはずだった上面暗緑色単色にすることができずに、当面まだらに塗られた模様です。艦によっては、はじめに塗料を与えられたために、緑色ベタ塗りにできている艦もあり、あまりもらえなかった艦では、足らない塗料をどう使うかの工夫を艦ごとに行ったのだろうと思います。
このことは、真珠湾作戦後に是正され、九七艦攻は上面暗緑色ベタ塗りの迷彩に移行しています。
また、17年の初期には、これに続いて、九九艦爆が上面暗緑色ベタ塗りの迷彩に変わります。
零戦が上面暗緑色に変わるのは、18年です。この際、やはり緑色塗料が不足して、い号作戦の空母部隊の零戦は、まだら模様にしてしのいでいます。これも、い号作戦後には、上面暗緑色ベタ塗りに変わります。
片
- 2.について
「龍驤や飛龍の艦載機の塗装例が書かれたサイトで白縁つき日の丸が書かれたもの」の具体例をよく知らないのですが、誤りであると思います。
過去に、「中島製の零戦二一型は、胴体日の丸が白縁つき」という誤った情報が流れたことがあったからです。
正確には、中島製であっても17年10月5日以前は「胴体日章の白縁はなし」です。
片
- 早速のご回答ありがとうございました。片様に対応頂けるとは恐縮です。
1:納得いたしました。機動部隊の零戦が最後まで上面灰白色だったのは過去の回答で学んでいましたが、理由については「零戦は強いから迷彩など不要」と自信満々だったんやろか・・・と首をひねっていました。まさか暗緑色の塗料自体がそれほど不足していたとは想像できませんでした。
危うくもう少しで珊瑚海想定の翔鶴の飛行甲板に上面二色迷彩の九七艦攻を乗せるところでした。上面暗緑色ベタ塗り塗装に変更します。
2:当該サイトは”昭和otaku画報”で検索頂ければ見れるかと思います。「大空の章」は一部写真も交えたなかなか勉強になるものですが、やはり頭から信じてしまうのは危険ということですね。
デカールは白縁なしの物を使うことにします。
和城
- すみません、誤解を招く表現でしたので念のため追記します。
「機動部隊の零戦が最後まで上面灰白色だった」
→「零戦、九九艦爆、九七艦攻の中では機動部隊の零戦が最後まで上面灰白色だった」
ご回答ありがとうございました。
和城
- 「零戦は強いから迷彩など不要」というか、「零戦は守勢になったら迷彩する」と定められていて、18年初めに実際にそうなったので、迷彩に転じたわけです。
このとき、一航艦の空母部隊内で緑色塗料がそんなに余裕がなかったので、まだら状の迷彩になっただけで、ラバウルなど南東方面の基地航空隊はすんなり上面緑ベタ塗りに移行できています。
開戦当初にもあった緑色の塗料自体が不足、というのは、あまり準備していなかった場所、行き渡っていない場所があった、という話です。
片