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Bf109の日本のWikipedia記事に書かれた「世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された」という記述について質問です 同じWikipediaの英語版やドイツ語版には 「機体を軽くして更に翼面荷重を高くすることで高速を追求した」とは書いてあるものの それがすなわち「一撃離脱戦法を前提にしたからだ」とは一言も書いていませんし 「Bf109 一撃離脱」で検索してもそうじゃないとする説や反証が多く出て来るので疑問に思っています 「Bf109は世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された」というのは 信頼性が高い研究などを含めて大局的に見て現在でも定説のままだと言えるんでしょうか? また、仮にBf109が一撃離脱戦法前提の戦闘機だったとしても 「近代的な単葉引き込み脚の高速重視の戦闘機」の先輩としてはI-16が存在しますよね ジービーレーサーに似た寸詰りの胴体を採用してまでとにかく高速を追求し スペインでもノモンハンでも高速を武器に戦った戦闘機が高速一撃離脱を重視してないとは到底思えないのですが I-16は「世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発された戦闘機」ではないのでしょうか? カタカナ提督 |
- その様に開発されたのでは無く、
実戦によりひとつの有効な手段だったと言う事だそうです。
Bf109 にかぎらず、先に発見し有利な位置にあったら
一撃離脱を行っていたそうです。
あとずけの話になるのだと思います。
百九
- 1930年代前半、単葉引込脚の高速機は戦闘機以外の機種から実用化されていきましたが、戦闘機は大きなGに対応させる必要からなかなか複葉から脱却できませんでした。
そのため複葉のままの戦闘機が単葉化した爆撃機より遅くなり、果ては旅客機や郵便機より遅いという状況で、戦闘機無用論まで出るに至りました。
戦略爆撃が各国で脅威とされていた時代でもあり、新しい戦闘機はどうしても高速が必要でした。
高速を追求したのは一にも二にも爆撃機迎撃のためです。
超音速
- 実は従来機と比べての高速機って、割と旋回戦闘もこなせちゃうんですよ…特に縦方向。
隼もノモンハンの戦訓から岩橋大尉によって縦方向旋回で九七式戦に勝てる、これに近い関係が、それまでの複葉機とイ16との間にも言えるでしょう。
翼面荷重が劣るならコーナー速度で追い詰めればいい、という理屈ですな。
と言うわけで、実は世間一般に言われる「一撃離脱仕様」だのは、実は必ずしも意図してやった訳ではないと思われます。
Me109同様に、イ16もまず敵機に空中戦で勝利する、それが転じて一撃離脱にも好結果をもたらしたのでしょう。
パンジャンドラム
- ちなみに、I-16は対戦闘機戦に不安があったため複葉のI-15とコンビで開発されました。
実際スペイン内戦もノモンハンもコンビで戦いました。
制空戦闘では互いに補い合う形で戦うことが前提となっているのです。
超音速
- 零戦も2000年までその開発目的が知られておらず、あれこれとみんなが勝手に想像していましたが、Bf109は開発経緯を示す決定的な文書資料が未発見であるために同じような状況が今も続いています。
世界で初めて、も何も、そもそも「〜と推定されるものの、詳しくはわからない」のが現在における唯一の正解です。
BUN
- ネット情報ですが、
1933年3月下旬、RLMは LA1432 / 33 で、
1. 速度
2. 上昇率
3. 運動性(100kg / m2 以下である事)
を要求しています。
(以下機械翻訳ですが)
戦闘機は最高速度が必要でした400km/ h(250mph)で6,000m(19,690ft)で20分間維持し、全飛行時間は90分である。 6,000メートルの臨界高度は17分以内で達成され、戦闘機は9,000メートルの運用上の天井を持つことになった。
昼間の操作に適した設計。
500発の弾薬と100発の弾薬を搭載した自動銃2個。
空対地通信のためのラジオ。
高高度飛行のための酸素システムとコックピット加熱。
パラシュートと必要な休憩。
17分で19,500 フィートでなければなりません。 この高度では、250 マイルの速度で20分間飛行できるはずです。
少なくとも1時間の合計飛行時間表が必要です。
最大高度は33,000フィートになります。
あなたはターンで高度を失ってはいけません。
ウイルスから簡単に取り外せるようにする必要があります。
それは平均的なドイツの軍事軌道(430m X 430m)から降りることができなければなりません。
9つのフライトのグループが着陸できます。
列車で輸送可能でなければならないため、鉄道輸送システムに適したサイズでなければなりません。
(この中で武装については)
3×機銃 各千発 又は、
2×機銃 各千発 + 20mm機関砲 百発
が有力です。
百九
- ありがとうございました
Bf109もI-16も高速爆撃機に追い付く高速(と上昇力)を何よりも第一義として開発されたシンプルな思想の迎撃機であり
対戦闘機戦で一撃離脱戦法を得意としたのはいわば余技に過ぎないということですか
それにしてもBUNさんの確たる史料が出ていないという言が本当なら
「世界で初めて一撃離脱戦法を前提にした」という逸話はいったいどこから捻り出されてきたのでしょうか…
Bf109の記事には端的にしか書かれていないものの同じWikipediaの「一撃離脱戦法」の記事では具体的に
>1934年、ドイツでは、ウィリー・メッサーシュミット博士の「戦闘機は速度、上昇力、急降下性能に優れていれば相手を攻撃することもいったん不利となれば振り切って逃げることもできる」という考えが反映され、無駄のない小型機に最高のエンジンを搭載するという設計思想で作られたBf 109(Me 109)によって一撃離脱戦法の思想がドイツ空軍にていち早く取り入れられていた。
と踏み込んだ記述がされています
仮に彼が本当にこのような発言をしていたとして
それは対戦闘機戦において一撃離脱戦法を重視するということを意味しているのでしょうか?
また上記の最初の質問文の通りこのような考えはI-16にも当て嵌まっており
やはりBf109が世界初であると結論してしまっているWikipediaの記述は疑わしく思えます
I-16どころかそもそも第一次世界大戦の空戦の頃から水平速度・急降下速度による自由な捕捉・離脱の利は発見されているはずですし
カタカナ提督
- そもそもWikipediaの「一撃離脱戦法」の項に対応する各国語のページには、空戦の戦法としての記述がありません。日本語の「一撃離脱戦法」のページは独特な発展をしてしまっているのではないでしょうか?
片
- ウィキ先生は、鵜呑みにするのは良くないと思います。
でも良い所もあって、Bf109 の下のほうを見ますと、
(現存する機体)を見ますと、全て Bf に成っています。
これは、Bf が公式である小さな証拠だと言えます。
宣伝誌(アドラー)で、Me を広めたので、
ドイツから見て外国の人は、Me109 が正式と思わされたのですね。
RLM では一貫して Bf109 だったそうです。
百九
- それはまた別の問題でしょうね。
片
- 誰かのって来ないかと、
脱線しました、ご容赦下さい。
百九
- Bf109が一撃離脱機だと言う印象が付いてしまったのはやっぱりハルトマンを初めとするエースのせいじゃないかなぁ…
リーン
- 別にWikipediaを鵜呑みにしているわけではないですし今回も最初から疑ってかかっていました
どうも怪しいぞという解答を頂けたうえで
>世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発されたとされ
>1934年、ドイツでは、ウィリー・メッサーシュミット博士の「戦闘機は速度、上昇力、急降下性能に優れていれば相手を攻撃することもいったん不利となれば振り切って逃げることもできる」という考えが反映され、無駄のない小型機に最高のエンジンを搭載するという設計思想で作られたBf 109(Me 109)によって一撃離脱戦法の思想がドイツ空軍にていち早く取り入れられていた。
のような「怪しい伝説」がいつどこから発生したのかが気にかかるんですよね
英語圏や独語圏では広まっていない日本ローカルな逸話なのか否かも含めて
カタカナ提督
- >12
ハルトマンは1940年入隊で1942年発撃墜とかだそうです。
暇人
- >13
(9.)は誤解を招く書き方だったです、ごめんなさい。
(The Battle of Britain 1940 Hurricane 501)
https://www.hurricane501.co.uk/history/sir-winston-churchill-raf-battle-of-britain-1940-hurricane-spitfire/
ここの上から8番目の写真では、
コントレールが綺麗な円になっています。
百九
- >>13
経歴表示で確認すると何度か大幅に書き換えられており、昔の版のほうが断定的に書いてあります
出典ですが、文章の途中に[6]と言う風にリンクがありポンターをそこに持って行くと出典名が現れます(もしくはページの最後のほうに記載されています)
・過去の版(〜2013/5)の出典は【太平洋戦争研究会『武器・兵器でわかる太平洋戦争』日本文芸社〈学校で教えない教科書〉、2005年、130‐131頁】
・今の版(2013/5〜)の出典は【ブレインナビ『第二次世界大戦の「軍用機」がよくわかる本』PHP文庫16頁】
とあります
残念ですが、私はそれらの本を所有していませんので答えが書けません
まやん