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はじめて質問します。桜花は、桜は旧字体だと櫻と書きますが、戦時中にはどう表記されていたんでしょうか。おおむね新字体が旧字体に変わったのは戦後だと認識しているんですが、現在の資料は新字体で統一されていると思います。だとすると、あらゆる軍事関係の資料は当時戦時中は、旧字しか存在していなかったことになると思うんですが、実際の戦時中の使用表記は何と書いてあったんでしょうか。 暑中見舞い |
- アジア歴史資料センターのリファレンス・コードC13120085500は第5航空艦隊の作戦記録ですが、そこには「櫻花攻擊は」とあり、桜のみならず、撃も旧字が使われております。
したがって、戦後の当用漢字(現在は常用漢字)制定以前においては、桜だけでなく、すべての漢字で旧字体(康煕字典体)が使用されていたわけですが、これは公式文書のみの話であり、一般においては、かなりいろんな字体が使用されていました。
実際、大正生まれの亡父の書いていた文字の中には、一応、旧制中学校の卒業ですが、現在は通用していないものが含まれていました。その中で、桜をどのように書いていたかは存じませんが、この桜という文字は、一般に通用する略字だったわけです。
当用漢字の制定においては、このような略字のほかに、新規の文字を作ったり、音通する別字を採用したわけですが、舎のように中の干を土に変えるというような意味不明な変更もなされています。このためかどうかは知りませんが、この字体は目安であり、「字の細部に違いがあっても、その漢字の骨組みが同じであれば、誤っているとはみなされない」と明文化されており、跳ねや留めについてはどちらでもよいとなっています(にもかかわらず、特に小中学校において、印刷字体にこだわっているのは笑止な話です)。
当用漢字においてもそうですから、戦前においては、かなり自由で、たとえば、アジア歴史資料センターのC08030564500の大和の戦闘詳報は、表紙こそ「軍艦大和戰鬭詳報」と旧字体で書かれているものの、次のページでは「戦斗経過」と略字で表記されています。
したがいまして、タイプされた記録に「櫻花」とあっても、手書きの記録のほうには「桜花」と表記されてあったとしても不思議はないと思っております。
hush
- 一部文字化けしました。文面から推察できると思いますが、最初は撃の、次は闘の旧字です。
hush
- hushさんの仰る通り、昭和20年4月1日の721空行動調書には「桜花」と手書きされています。
略字は戦後に制定されたものばかりではなく、戦前から謄写版印刷の際に原紙に鉄筆で文字を切るときに画数が多い字は時間が掛かり、上手に切れないこともあるために略字が使われています。公文書である無しにかかわらず、手でガリ切りをした文書には桜の字以外にも略字が多く使われています。
BUN